12/26   第十二夜 『俺のこと』


時々考える。
いったい俺は、どんな性格なんだろうと。
多分誰も、俺の事なんか理解できていない。
当然だ。
俺ですら理解出来ていないのだから。

とゆことでどーも最近、高飛車な表現が多くてですね(笑)。
『一般人』だの『低スペック』だの『所詮そんなもん』だの『甘えてるんじゃねえ』だの。
特にこの間、言い合いの中でとっさに出た……。
『ガキ大将気取りたかったら、幼稚園の砂場か小学校のジャングルジムに行け』発言は、高飛車ながらも上手いこと言ったなーと感心してしまいますね(笑)。
なかなか咄嗟にでねーよ、この台詞回し。
最近、自分が怖くなるよ。
一体、何様なのかと。

そんなこんなで今日は、懺悔しつつ自分をリセットしてみたいと思います。
俺は確かに、普通の人があまり経験しないだろう過去を、今まで経験してきました。
でもね。
この『ふつーの人』って括りが、既に高飛車なのね(笑)。
普通の人なんで何処にも居ないし、雑草なんて草は無いのね。
便宜上、そう呼ぶってだけでさ。
個別に見れば、どれも誰も平均化できない存在なわけよ。
奇しくも俺の友達が、昨日こんな事を言いました。
『何をもって恥とするか。統一基準をつくる必要はないでしょうが、学校である程度のレジュメは示してやってほしいものです。』(無断引用。SWORDLEY'S WORLD 12/25発言より)
その発言を読んで、俺はこう思いました。
レジュメってなんだ?
いや別に引用する必要はねーんだけど、思いついたら我慢できなくて。

……………………。
なんだっけ?
あ、そうそう。
LEYちゃんの発言は、別に関係なくて(「じゃあ引用すんなよ」と突っ込んだ人。……………………フッ)。
例えば、小学校で覚える九九。
ふつーは、一年生で覚えるのか?
覚えられない人間はやっぱり、ふつーじゃないって烙印を押されるんだろうな。
でもさー。
一年生の時覚えられなかった人が、中学生になってようやく覚えられたとする。
それは、進歩じゃないのかな。
人より遅くとも、進歩は進歩。
そんな括りが、必要なんだろうか。
極論すれば、その世界のトップクラス。
頭がめちゃくちゃ良いとか、100mを9秒台で走るとか。
そのトップクラスに満たない人間は、全て劣等人種とゆーことになる。
100mを9秒台で走る人間も、別な側面から見たら劣等人種だけどな。
小さい頃から運動ばっかりしていた奴らが、頭良いわけがねえ(笑)。

まあ、言いたい事が横道に逸れまくって混乱してきたので、整理してみると。
所詮人間ってのは、平均化出来るもんじゃないって事だ。
平均値なんか割り出しても、何の意味も無い。
そーゆーのはF1とか、野球の打率なんかで楽しめばいいんだよな。
なのに人は、『ふつー』を割り出そうとする。
『ふつー』から下ベクトルにはみ出した人間を、『異端』もしくは『劣等』と呼んで蔑んでしまう。
上ベクトルなんかだと、『特化』あるいは『才能』って呼ぶらしーけど。
そんで厄介なのわ。
人は自分のことを、特別な存在だと思いたがるんだよな。
あるいは、特別な部分がある、と。
『あの人よりはマシ』『あの連中よりはマトモ』『良い人だけど、アノ部分は』。
常に対象よりも上位に立とうとし、立てなければ嫉妬と共にこき降ろす。

人は、とか言ってるけどさ。
最近の俺は、そんな風だった(笑)。
誰かを括り、誰かを蔑み。
そんなのが、一番嫌いだったはずなのに。
中学校で九九を覚えた人間と、一緒に笑って居たかったのに。
どーもイカンな。

荒んでいた俺にワンパンくれる意味で、今日は懺悔してみました。
気づいてよかったー。
あっぶなく、俺が一番嫌いな俺に成るところだった(笑)。


12/12   第十一夜 『携帯電話』


この話は多分、俺の友達日記とかぶる気がするんですが。
その日記がドコにあったか探すのが面倒くさい失念してしまったので、そのまま続けます。
さも自分で思いついたよーに言ってますが、もしかしたら友達日記のパクリかもしれません。
でも、そのまま続けます。

最近会社で顔見知り以上友達未満の人も増えまして。
何故携帯電話を持たないのかと、問われる事も多いんです。
そんな人には、逆に訊ねたい。
何故携帯電話など必要なのか、と。

たしかに便利ですよね。
どこに居ても連絡が取れるし、暇つぶしの機能も付いてるし。
携帯電話が無いと、生活できないと思い込んでる人も居るでしょう。
しかし10年前くらいに俺が所持し始めた頃、誰も持ってなかったんです。
でも普通に生活できた。
いや別に、俺が初期から所持して立って自慢話じゃないよ(笑)。
俺がトラック運転手を始めた頃、ちょうど値段が下がり始めた頃だったんで。
たしか、5〜6万くらいじゃなかったかな。
俺が買ったのはセルラーのアナログ電話で、アンテナ部分が硬質ビニールだったんだよね。
まだポケベルの方が、主流だった感もある。
そんな時代だった気もします。
かなりうろ覚えだけどね。

時が経ち。
街で携帯電話を見る事が珍しくも無くなった……てゆか、見ない日が無いくらいになりました。
俺が知ってる人間の中で、所持していないのはLEYちゃんくらい(笑)。
中には『お前は必要ないだろ』と思う人間ですら、チャラチャラ持ち歩いています。
そう。
おそらく携帯電話を所持している人間の大多数は、『お前は必要ないだろ』と思う人間なんです。
本当に必要か?
大多数の人間は、『みんな持ってるから』『便利だから』『なんとなく』な感じじゃないのか?
便利ってのも、凄く疑問なんだけどね。

俺が携帯電話を嫌いなのは。
その利便性が、見せ掛けだけの物でしかないからです。
そりゃ職業上必要な人間も、居るでしょう。
そーゆー人は、持つべきです。
しかし街でたむろする一般人が持つ理由が、どこに有るのでしょうか?
待ち合わせの時、便利だから?
連絡を取りたいとき、取れるから?
暇な時、メールしたいから?
どれもこれも、ただの代用行為でしかないんですよ。

俺は運転手時代。
本当に携帯電話が嫌いに成りました。
眠りもせず、体力を限界まで振り絞って走行している時。
傍らで鳴り響く携帯電話。
内容は……。
『行き先が変更になりました』
たった一本の電話で、反故にされる約束。
たった一言で、走行距離300kmも変更されるんです。
これをどー思うかは、個人の考え方でしかないでしょうね。
俺は、イラッってしました。
携帯電話を所持しているせいで、約束が希薄に成る。
待ち合わせ場所が変更。
時間が変更。
あろうことか、約束自体がキャンセル。
これが利便性なんでしょうか?
もし携帯電話を所持していなかったら。
その人間に対して、誠意を尽くそうと思っているなら。
待ち合わせた日時。
待ち合わせた場所。
約束は守られるべきです。

それらは利便性という虚構に包み隠され、真実まで届いていないだけなんじゃないのか。
そう思うんですよね。
確かに便利です。
しかしその便利さに侵食され、約束の意味が希薄になるなら。
それは必要ないと、思わないですか?
日常の中の、一瞬の空白。
本来、なによりも大切な時間たち。
それを無理矢理つぶす必要が有るのでしょうか?
四六時中連絡を取らなければいけない人間が、そんなにも多いのでしょうか。
集団の中の孤独。
それは決して恐れるものじゃありません。
本当の孤独など、この世に存在しないのですから。
ただそれに、気づかないだけ。


携帯電話。
それはかつて、『携帯する電話』とゆー意味でした。
かつて、です。
今は、『誰かに携帯されている人間が持つ電話』とゆー意味に見えて、しようがありません。
そんなに束縛されたいか、みんな?
自由に生きたいと唱えながら、束縛されるツールを愛用する。
そんな矛盾が、人間なのかもしれませんね。

俺は俺を束縛する対象を、自分で選びたいと思っているので。
束縛されるためのツールである、携帯電話は必要ないと思っています。
あくまでも俺は、です。
勿論、持ちたい人間は持てば良いし、それを否定する気も有りません。
ただ……なんてゆーか……。
必死だな、って思います。
マジだな君達、って思います。
そりゃあ、まあ、ね。
怖いけどさ。
孤独は敵じゃなくて、彩りだから。
携帯電話は、金もかかるしね(本音)。


12/05   第十夜 『ごみの中』

人には、それぞれ宿命と言うものがある。
世界を破滅から救うべき宿命だったり、たった一人の女の子を幸せにする宿命だったり。
俺の場合は……殺人的な仕事にしかめぐり合えない宿命といったところか。
もしくはこの世の中、殺人的な仕事しか無いに違いない、違いない。

まあ、個人情報をばらすよーで、心苦しいのだが。
俺の行っている会社は、どーも変だ。
設備が古いとか、未だに人種差別が横行してるとか、そーゆーんじゃなくて……。
挨拶。
朝、ミーティングと称して、並んで挨拶するんよ。
まあそれは良い。
非常に昭和っぽいのだが、それはまあ許そう。
だけど……。
『気を付けのときは、一旦手を斜めに開いて、太腿に打ち付けて音を発する』
これだけは我慢できない。
俺の習った『気を付け』では、決してやってはいけない事なのに。
何故ならそれは、だらしないからだ。
一見、全員が太腿を叩いて音を揃えれば、見栄えは良いのかもしれない。
いや、良くはねーけど。
しかしそれは、本質を忘れた愚か者の所業である。
『気を付け』とは、両手の中指を大腿部側面中心に沿って伸ばすのだ。
太腿に触れた瞬間、両腕は挙動を止める。
太腿が音を発するのは、きちんと腕を止められぬ、だらしない者のすることなのだ。
『ピシッ』っとゆーのは、あくまで擬音。
本当に音を鳴らしてどーすんだ。
ましてや、『休め』の状態から一旦手を斜めに開くなどとは、無駄な動作でしかない。
旧日本軍だったら、修正されちゃうよ。
普段、『自分で効率を考えましょう』とか、『見かけだけじゃなくて本質を考えましょう』とか言ってても、所詮こんなもんなんだよね。
本質って何だろう。
会社の幹部連中に問いたいことではある。

まあそれとはまったく関係なく。
仕事が忙しいので、牛丼屋で飯を食うかコンビニで買い物するかの二択しかないんです。
んで大抵、コンビニで買い物。
ところが、ごみを捨てる暇が無くてねー。
台所の隅に、放置してあったんです。
『エントロピーの増大』ってゆーんでしたっけ?
人とは一旦油断すると、だんだんだらしなくなっていくんですね。
俺もその例に漏れず。
ごみの区画が、ヤバイ感じに。
どのくらいヤバイかってゆーと……。
ゴミ袋一つに対して、ごみがゴミ袋4つ分くらい。
全然入りきって無いじゃん。
普段面倒くさがってるので気づかないが(気づかない振りをしていたのだが)、これは酷い。
とゆことで、久々に掃除。
……………………。
凄いね。
何が凄いって、無駄加減が凄いね。

今回、ごみの山から発掘されたもの。
NTTの請求書、2枚(この発掘によって、電話が止まっていることが判明。ネットはつながる不思議不思議)。
開封していない弁当、4つ。
副食として購入したらしい、おにぎり2つ。
超大盛りペヤング焼きソバ、2つ。
ペヤング焼きソバ、3つ。
猫1匹(生きてるよ)(袋の中に入って寝てた。泣くほどビックリ)。
缶ビール、7本。
生DVD、8枚。
マルボロ、22個。
ジョージア・エメラルドマウンテン、6本。
思い出、ひとつ。


まー、なんてゆーんですか。
会社批判なんか、出来ないって事ですよ(笑)。
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