「……………………すう……………………ふっ!」

 右手で、右腰に結わえてある猫爪びょうそうを抜刀。
 抜刀術は居合いじゃない。
 鞘で剣閃を加速させる居合いとは、まったく異なる技法。
 目の前に置かれた蝋燭ろうそくの、上から四分の一の所に、斬戟の証が刻み込まれた。

「……………………すぅ……………………はっ!」

 右手で、左腰に結わえてある熊爪ゆうそうを抜刀。
 先ほどの抜刀は逆手。
 今のは順手での抜刀。
 剣先の出所を幻惑するのが、俺の抜刀術。
 何時如何いついかなる時も抜刀できるのが、俺の抜刀術。
 今度は蝋燭ろうそくの真ん中に切れ目が入る。

「……………………すぅ……………………ふっ!」

 左手で猫爪びょうそうを抜刀。
 蝋燭ろうそくをきっちり三等分。
 しかし蝋燭ろうそくは、微塵の揺らぎも見せない。
 傍目には、一本の蝋燭ろうそくにしか見えないだろう。
 これで他の人間から切れ目が見えるようじゃ、師匠から大叱責を受ける事になる。
 普段ふざけてる分、まじめな説教がきついんだよな、師匠。
 この訓練は、師匠から習ったものだ。
 俺の習得した抜刀術には、存在しない修練。

「……はっ!」

 続いて、左手での熊爪ゆうそう抜刀。
 先ほどの三連閃は、『ぎ』。
 今度の斬撃は、『割り』だ。
 三等分した蝋燭ろうそくに切れ目を入れて、きっちり六分割する。
 本来なら、こんな訓練は必要ないのかもしれない。
 俺は、忍者だから。
 忍者の基本戦闘は、集団戦だ。
 一対一の状況になったら、それだけで負けということ。
 集団で襲い掛かり、痕跡を残さず消え去るのが基本。
 しかし俺は、特殊任務をこなすタイプの忍者だから、こういった技量も必要になってくる。
 ありとあらゆる状況を想定し、全てに対処する。
 それが出来てこそ、三大大忍の一つ、『百地』の守護役なのだ。
 そう想定して、師匠も俺に教えてくれるのだろう。
 何故なら……俺が守るのは、師匠の宝物だからな。

 ……………………ぽっ。

 崩れ落ちる蝋燭ろうそくの切れ目から、炎が立ち上った。
 最後の割りで、蝋燭ろうそくの芯に火をつけたのだ。
 別に、そんなに難しい事じゃない。
 蝋燭ろうそくは元々、着火するように作られているのだから。
 難しいのは俺の剣速で、炎を着火させずにぐことだ。
 点火しないギリギリの速度じゃないと、蝋燭ろうそくは刃にまとわりついて落ちてしまう。
 しかし速過ぎれば、蝋燭ろうそくに火が点り、しかも上の部分に押しつぶされて炎が消えてしまうという、情けない状況になるわけだ。
 どちらかと言えば、技量向上よりも精神修練だ。
 摩擦と着火点を見切る、細い心が必要。
 今日も何とか上手く行ったな。
 朝の鍛錬も、これで終わ……!?

「……はっ!」

 背後から迫りくる石礫を、順手猫爪びょうそうで両断する。
 ただ両断しただけでは、二個に分かれた礫が顔面に当たるだけだ。
 刃の厚みを利用し、斬って弾く。
 速過ぎても遅過ぎても成功しない。
 今回は……見た目で解るくらい、弾きが足りなかった。
 俺がかわすには充分なくらい弾けたが、それでは駄目なのだ。
 俺は、守護役なのだから。

「……………………弾きが足りぬぞ、十哉とうや
「……申し訳有りません、父上」

 人が一生懸命鍛錬してるときに、背後から思いっきり石を投げつけた、藍染の着物を着るクソ親父。
 石川流頭目、石川康哉こうやがそこに立っていた。
 そう。
 この時代錯誤の男は、俺の親父なのだ。
 いくら伝統を重んじる石川流忍者とはいえ、これはやりすぎだろう。
 こんな風体で、今時の若者が着いてくるのだろうか?
 親父は百地と言う巨大な忍軍の、若忍指南役をしている。
 俺も共練の時は、親父の教えに従う。
 その他の時間は……別の師匠が居るからな。
 親父には、石川流抜刀術を教わっただけ。

「貴様がしくじれば、世は乱れる。その事を常に念頭に置け」
御意ぎょい

 俺が頭を下げると、親父は満足したらしい。
 雪駄のまま、母屋へと歩いていった。
 忍者らしく、玉砂利の上を歩いても足音一つたてない。
 どこまでも、アナクロな親父だ。
 時代劇と時代小説だけが趣味だから、あんな風になっちまったんだろうなあ。
 たまには師匠みたいに、エロ本でも読んでくれないかな。
 そうすれば、少しは砕け……!?

「……はっ!」

 背後から迫りくる……………………黒いゴム弾を両断する。
 刀の厚みで弾く……までもなく、勝手に弾んでいった。
 これは……どうなんだ?
 斬らない方が難しいのか、両断するのが難しいのか?
 判断に迷うな。
 俺が悩んでいる間にも、ゴム弾は次々と撃ちだされて来た。

「はっ! はっ! はっ! はっ!」

 ぽよんぽよんしたものが、無数に襲い掛かってくる。
 それを俺は、次々と両断した。
 順手、逆手、猫爪びょうそう熊爪ゆうそう
 俺の使う石川流抜刀術は、左右に結わえた刀を、順手逆手で抜刀する。
 つまり剣閃は基本的に、四種類。
 いちいち刀を納刀するのには、訳がある。
 次撃を読み辛くするためだ。
 まっとうな剣術と違い、石川流抜刀術は虚撃の剣。
 刀の長さを悟さず、一撃でほふり去る。
 
「はっ! はっ! はっ! はっ!」

 元々は盗賊であった、石川五右衛門が開祖だと言われている。
 まともに斬り結ぶ剣じゃなく、相手の間隙や油断を付く剣だ。
 割りと卑怯な気もするが、なに。
 世の中、勝ったもん勝ちである。
 下らない見栄など、石にくくりつけて海底深く沈めてしまえと、俺の師匠も言っている。
 あの人は沈めすぎだと思うけどな。

「はっ! はっ! はっ! ……って、しつこいよ、母さん!」
「あら〜?」

 ゴム弾の雨が止み、庭の向こうから怪しげな機械を下げた、笑顔の母さんが歩いてきた。
 眼鏡の奥が、きらりと光っている。
 母さんの眼鏡があの光を発したときは、ロクなことを考えてない。

「すごいわね、十哉とうやちゃん〜。まさか80発も切り落とすなんて、思わなかったわ〜」

 俺は80発も打ち出すなんて、思わなかったぜ。
 母さんが肩から提げている筒は、背中に背負った箱と二本のパイプみたいなものでつながっていた。
 一本は給弾用で、もう一本は打ち出す圧縮空気用だろう。
 最近、圧縮空気に凝ってるからなあ、母さん。
 ………………こんなコメントする息子なんて、あんまり居ないよな。

「でもね、十哉とうやちゃん〜?」
「あん?」
「私のことは、奈那子ななこさんって呼びなさいって言ってるでしょう〜」
「…………」

 眼鏡の光度が増した。
 母さんの名前は、奈那子。
 俺に母さんと呼ばれることを、極度に嫌う性質がある。
 なんでも『母さん』と呼ばれると、年齢を感じて凹むらしい。
 自分で生んだくせに。
 ……………………。
 まあ、好きで生んだんじゃないのかも知れんが。
 俺の母さん……石川奈那子の旧姓は、木羽。
 世に名だたる、『SHADOW ITEM KIBA』の技術顧問だ。
 SHADOW ITEM KIBAとは、忍具専門の会社で、かなり儲かってるらしい。
 昔は木羽忍機と言ったらしいが、上場の際に改名したんだとか。
 母さんの実家であり、今でも母さんはしょっちゅう出入りしている。
 発明好きの母さんは、ちゃっかり技術顧問に納まってるし。
 で、怪しげな忍具を開発しては、俺で試そうとするわけだ。

十哉とうやちゃん、また強くなったんじゃない〜?」
「あんでよ?」
「だぁって、いきなり『世界破滅黒球』を打ち出したのに、驚きもせずに斬り落とすんですもの〜」

 そんな名前だったのか、あのゴム球。
 どんなストーリーが展開されれば、ゴム球が世界を破滅させるんだろう?

「その前に、親父も同じ事してきたからな。心構えが出来てたんだよ」
「……………………」

 俺が謙遜すると、母さんが寂しそうに微笑んだ。
 親父の事を話題にすると、いつもこうだ。
 巨大な忍具メーカーの一人娘である母さんと、『百地』を守護する大忍である、石川流の親父。
 どんな経緯で結婚したか知らんが……。
 冷え切ってるな、この夫婦は。
 俺が物心付いてから、この二人が仲良くしているのを見た事が無い。
 最近じゃ、口を利いてるのすら稀だ。
 勿論一緒に住んでるし、憎みあってる様子も無いのだが……。
 噂じゃ、百地とのつながりを強くしたい木羽と、科学軍事ノウハウを入手したい百地一派の、勢力結婚じゃないかとの話も有るが。
 まあ別に、どうでもいいさ。
 俺は二人の事、嫌いじゃないし。

「……そろそろ、時間じゃないの〜?」
「……本当だ」

 体内時計で、時間を見る。
 正確な体内時計は、忍者の基本だ。
 闇に潜む忍者が、液晶画面の携帯や夜光塗料を塗った時計なんかで、時間を見るわけには行かない。
 夜間任務中にそんなことしたら、1km先から狙撃されちまう。
 故に忍者は、自分の中に正確な時計を持っている。
 その時計が告げてくる。
 現在、AM5:00。
 しかも俺の体内時計は、コメント付きの優れものだ。
 ヤバいぞ、と。

「落ち着いて、下らない事考えてる場合じゃないんじゃないの〜? 急がないと、駄目なんじゃないの〜? また、ボコボコに苛められちゃうんじゃ〜?」
「……………………」

 爽やかな朝だと言うのに、アイツのことが頭をよぎった。
 ……………………。
 ムカつく。
 ムカつくが、母さんの言うとおりだ。

「そだな。教えてくれてありがとう、母さん」
「ん♪」

 母さんに背を向けて走り出す。
 さあ。
 忙しくてムカつく日常の始まりだ。

「あ、それから十哉とうやちゃん〜」
「は?」
「私のことは、奈那子さんって呼びなさい〜」

 …………。
 朝から、テンション下がるなあ。


















 第一話 『暴風娘』














 からんころーん。
 トボけたカウベルに迎えられて、店内に入る。
 シックな色合いと、品の良い調度品。
 この場合の調度品とは、家具関係のことを指すのだ。
 間違っても、弓矢のことではない。
 武家なんかだと、調度品とは弓矢のことを指したりするらしいのだが。

「あ、おハよー♪」
「おはようございます、レイナさん。今日も朝早くから、ご苦労様です」
「イエイエー♪」

 銀色のトレイを持って現れた女性。
 この店の雇われオーナーの、レイナ・マクフィールドさんだ。
 破天荒すぎる個性の吹き溜まりみたいなこの店で、唯一の良心と呼んでも良い存在。
 少し体が細いが、憧れの年上の人である。
 この家の家族ではないが、この場所に店が移転する前から勤めているらしい。
 きっと、脅かされているか恩を売られているかで、無理矢理働かされているのだろう。
 こんな朝早くから、朝食目当ての客相手に働かされていると思うと、目頭が熱くなってくる。
 いつか救い出さねば………………無理だ。
 ここの家族を深く知る者にとっては、瞬時に諦めるしかない。
 まあ、本人が楽しそうに仕事をしているのが、唯一の救いだが。
 なんでも、以前の店舗は立地条件が悪くて、思春期のニキビくらい簡単につぶれたらしい。
 この駅前に店を移転してからは、レイナさんの手腕も有って、随分と繁盛している。
 俺たちも、溜まり場といったらここだしな。
 本来なら、あまり一人で近づきたくない場所なのだが……。
 俺には、『仕事』があるのだ。
 訪れないわけには行かない。

「まだ寝てますか?」
「いつもどーりデスー」

 両肩を落とす外人らしいアクションで、二階方向を見上げた。
 まあ、起きてる訳は無いけどな。
 たまには、自力で起きてる姿が見たいものだ。
 ……てゆうか、姿自体を見たくないものだ。

「じゃあ、起こしてきます」
「いつもゴクローさまーデスー」
「いえいえ」

 一礼して、厨房脇にある階段へと歩き出す。
 これもいつものことなのだが、今日は少し違っていた。
 背後からレイナさんが、俺を呼び止めたからだ。

「あ、トーちゃん?」
「はい?」

 このお人は俺のことを、『トーちゃん』と呼ぶ。
 父ちゃんっぽいイメージがあるので止めて欲しいのだが、何回言っても聞いてくれない。
 まあ、俺が生まれた頃から知ってるわけだしな。
 子ども扱いは、しょうがないのだが……なら、なおさらトーちゃん呼ばわりは止めて欲しい。

「ちょっとキキたいことが、あるんデスー」
「あんでしょ?」
「あノねー……毎朝、起こしにイくデショー?」
「そうですね」

 行きたくは無いのだが、行くしかないのだ。
 本当なら、腹に肘でも落として、永眠させたいくらいなのだが。

「そのトキー……」
「はい?」

 何故か顔を赤らめ、言葉を濁すレイナさん。
 何を考えているのだろう?

「ヨクジョーしまセンカ?」

 …………………………………………。
 俺が、アレに欲情?
 確かにまあ、そんな要素は転がっているのかもしれない。
 事実を箇条書きにしたら、クラスの皆から羨ましがられるのかも知れない。
 だが……断言しよう、今すぐしよう。

「そんな感情は、毛頭ありません」
「でもー若いダンジョンが、あラれもない格好で……」
「慣れてますから、見慣れてますから、てゆうか、そんな対象ではないですから」

 言いきって、二階へと上がっていく。
 下の方から、『期待はずれデスー』みたいなコメントが聞こえてくるが、サービスで嘘をつくわけには行かない。
 そう。
 そんな対象ではないのだ。
 てゆうか、はっきり言ってムカつく。
 アレがアレじゃなければ、暗殺したいくらいムカつく。
 俺は忍者だし、暗殺は基本スキルだ。
 だが、それをすることが出来ない。
 何故なら……。
 やっと訪れた平和を、乱す事は出来ないから。

 こんこん。

 二階を上がり、部屋の扉をノックする。
 返事は無い。
 あるはずも無い。
 熟睡しているのだから。
 それでも忍者なのかと言う疑問を、必死に押し殺す。
 もう、俺のスイッチは入っているからな。
 いつもの。
『百地』を守護する、石川流忍者、石川十哉とうやのスイッチが。

 こんこん。

 二回目のノック。
 全然起きて来ない。
 まあ、毎朝のことだ。
 別に、それにムカつくわけじゃない。
 存在自体。
 アイツの存在自体が、俺の神経を逆なでするのだ。

 こんこん。

若宇わかう様。石川十哉とうや、入ります」

 三度目のノックと同時に、部屋のドアノブを回す。
 部屋に入ると、そこは……。
 思わず眩暈がするくらいの、荒れ果てた部屋。
 雑誌が散乱し、漫画本が雑然し、菓子袋が乱飛している。
 昨日の朝、片付けたばかりなのに……。
 嫌がらせ以外、考えられない。

「……………………」

 無言で、部屋を片付ける。
 雑誌を積み、単行本を本棚に戻し、ごみを分別して袋詰めする。
 所要時間、3分。
 俺の能力は、こんなことに使うために精進したわけじゃ無いんだが。
 部屋が昨日の朝に戻った時点で、カーテンを開けて朝の光を誘う。

「……んー……………………」

 ピンク色のベットの上で、モゾモゾと何かが動いた。
 何かと言うか、アレだ。
 侵入者にも気づかず、惰眠を貪るアレ。
 いつも思うが、コイツを殺すのは簡単な仕事ではないのだろうか?
 まあ、殺させないための、俺なのだが。
 コイツが死ぬと、色々と面倒な事になる。
 ようやく取り戻した平穏なのだから。
 俺たちが取り戻したわけじゃないけど。

若宇わかう様」
「……んー……」

 ベットの上のアレ。
 若宇わかうを揺さぶって、覚醒を試みる。
 こんなんで起きるとは思っていない。

若宇わかう様」
「……………………んー…………」

 返事はすれども、瞳は開かず。
 これもいつもの事だ。
 俺は拳を握って、三回目の揺さぶりをかけた。
 若宇わかうの体を揺すると同時に、固めた拳を振り下ろす。

若宇わかう様」
「……………………んー……………………んぎゃっ!?」

 若宇わかうが瞳を見開いた。
 てゆうか、涙目である。

「お早う御座います、若宇わかう様。目覚めの時間です」
「……………………頭いてー……」

 俺も拳が痛い。
 この鍛えた拳が痛むとは、なんてえ石頭だ。
 若宇わかうは頭をさすりながら、体をそっと起こし始めた。

「……なんで毎朝、頭がいてーんだろう……?」

 毎朝、俺が力の限り殴ってるからだよ。
 などと、突っ込む事も出来ずにいる俺の目の前で、若宇わかうが体を起こす。
 そっとシーツが滑り落ち、若宇わかうの体が朝日に照らし出された。

「んー! よく寝たー!」

 伸びをする若宇わかう
 その白い胸が、俺の目の前で揺れている。
 生乳。
 そう呼ぶに相応しい、母譲りのサイズの胸があらわになった。
 相変わらず、下着もシャツもパジャマも無しで寝ているらしい。
 師匠なら、『なんで鷲掴みにしねーんだっ! せっかくの生乳をっ!』とか言って怒るかも知れないが、生憎とそんな感情は持ち合わせていない。
 朝から、幼馴染の男の前で、生乳放り出して伸びをする女。
 それが俺の守るべき、百地若宇わかうである。



 巨大な忍者組織、『百地』。
 その後取り娘である、百地静流様の一人娘が、この若宇わかうだ。
 静流様が京都大戦きょうとおおいくさのあと、『百地』を継ぐ事を拒否したため、若宇わかうは生まれつき百地の次代を担う事を義務付けられている。
 この馬鹿女が将来、日本で唯一の巨大忍者組織を率いるのだ。
 また戦争が起きても、なんの不思議も無いな。
 しかも、それだけでもムカつくのに……若宇わかうは、天才である。
 悔しいが、本物の天才忍者だ。
 同年代の忍者とは、明らかにレベルが違うのだ。
 俺も天才少年忍者などと呼ばれたが、若宇わかうには一度も勝った事が無い。
『百地』である、若宇わかうに花を持たせて、わざと負けたわけじゃない。
 殺すくらい本気でやって、あっという間に負けてしまったのだ。
 俺が若宇わかうに勝っているのは、筋力と貯金くらいなもんだろう。
 スピード、一瞬の閃き、技のキレ。
 どれをとっても、俺とはレベルが違いすぎるのだ。
 俺が若宇わかうを嫌いな、最大の理由である。
 俺は石川流頭目である親父の殺人的なシゴキを受け、他流派の訓練を受け、あまつさえ師匠の特訓まで受けているのに……。
 ちゃらんぽらんと、ロクな訓練もしない若宇わかうに、まったく歯が立たないのだ。
 それが嫉妬だとは知っている。
 だが、嫉妬して何が悪いってんだ。
 努力は、才能を凌駕出来ないのであろうか?

「なに朝から、恨めしそうな目してんだー?」

 思いにふける俺を、若宇わかうがにらみつける。
 昔は一緒に遊んだりして、可愛いところもあったんだけどなあ。
 俺が守護役に付いた途端、威張り腐りやがって。
 相手が『百地』じゃ、逆らう事も出来やしねえ。
 朝一発殴る事だけが、俺最大の楽しみである。
 ちいせえ、ちいせえぞ、俺。

「いえ、何も。さ、若宇わかう様。御召し変えを」
「ん」

 御召し変えも何も、上半身裸なのだからとか思いつつ、起きた若宇わかうの背後に回る。
 若宇わかうがベットに正座し、俺は立ったまま櫛を構える。
 朝の光の中、若宇わかうの乱れた髪を後ろに流した。
 白い背中が、ほんの少しだけ桃色に染まる。

「……………………」
「……………………」

 二人とも無言。
 若宇わかうはどうだか知らんが、俺は緊張しているわけじゃない。
 昔からコイツの裸なんかは、見慣れているのだ。
 しかも最近、富に成長しやがった。
 流れるような髪、引き締まった筋肉、くびれた腰、形の良い胸。
 もし、全然こいつのことを知らなかったら、街ですれ違ったりした時、視線で追いかけてしまうだろう。
 だがコイツは、若宇わかうのなのだ。

「始めます」
「ん」

 若宇わかうが軽くうなずくのと同時に、髪をかし始める。
 細く艶やかな髪を、丁寧にいてゆく。
 寝癖などつきようも無い、弾力のある髪を一本一本。
 上半身裸の若宇わかうの髪をくこと。
 寝ぼけた若宇わかうを覚醒させる、毎朝の行事である。
 この仕事が始まったのは、いったいどのくらい前からだろうか?
 そっと髪をきながら、思い出してみる。

「……………………」

 たしか、子供の頃は普通に喋ってたんだよな。
 一緒に風呂に入ったり、一緒の布団で寝たりする事もあった。
 あの頃は、普通のやんちゃ娘だった気がする。
 だが……ああ、そうか。
 俺が『百地』の守護役を命じられ、若宇わかうが『百地』の跡取りを命じられた頃か。
 若宇わかうの身の回りの世話をするようになり、普通に喋る事も無くなった。
 コイツが婿を取って、『百地』を正式に継ぐまで、俺の苦労は続くのであろうか?
 早く、お役御免になりたいなあ。
 そんな事を考えながら、髪の手入れを終えた。
 ぐしゃぐしゃだった若宇わかうの髪の毛が、朝日を照り返すほどの輝きを放つ。

「終わりました、若宇わかう様」
「ん」

 髪をき上げ、毛先の方で縛る。
 若宇わかうお気に入りの髪型だ。
 たまに気が向いた時、俺考案の髪型にする事もある。

「では食卓でお待ちしております」
「ん」

 うなずく若宇わかうを部屋に残し、俺は足早に立ち去った。
 はあ……疲れた。
 今日も何とか、素直に起きてくれたな。
 これで『学園に行きたくない』とかごねられると、また面倒なのだ。
 なんとか若宇わかうを学園につれてゆくのも、俺の仕事なんだから。
 ……二度寝とかしてくれないかなあ。
 そうしたら、また一発殴れるのに。





「おはよー」
「お早う御座います、若宇わかう様」

 食卓に俺の料理が並んだ頃、制服に身を包んだ若宇わかうが現れた。
 きちんと顔も洗ってるようだし、着衣の乱れも無い。
 うんうん。
 なんとか躾が出来てるな。
 ……髪くらい、自分でかして欲しいもんだが。
 ちなみに俺は、髪をかすだけじゃなく、炊事洗濯掃除においても万能である。
 忍者じゃなければ、良い家政婦になれるだろう。
 まあ、いまでも家政婦みたいなもんだが。
 俺の母さんが家事全般を苦手としてるため、幼少の頃から鍛えられた結果だ。
 その上、ここの家族のためにも働かなくてはならない。
 ……………………。
 最近、家事疲れしてるなあ、俺。
 いや、育児と言っても良いかも知れん。

朝餉あさげの用意が出来ております」
「……………………」
若宇わかう様?」
「食いたくねー」
「……は?」

 何言い出すんだ、コイツ。
 食欲魔神の若宇わかうらしくもない。
 もしかしたら、体の調子でも……。

「今日は、パンが食いたい」
「……………………」

 食卓に並んでいるのは、鮭をメインとした和食である。
 ひじきと大豆の煮物、豆腐とわかめの味噌汁、香の物、梅肉入り海苔の佃煮。
 俺渾身の料理を見た瞬間、顔をしかめやがったのか。
 思いっきり後頭部とか殴るぞ、こんちくしょう。

「ぬるいカフェオレとマーマレードを塗ったパン。ベーコンエッグとトマトサラダを用意しろー」
「御意」

 顔の表情を変えずに、食卓を片付ける。
 怒ってはいけない。
 怒ってはならぬのだ、十哉とうや
 忍者は耐えることが基本。
 たとえそれが、理不尽な要求だとしても。
 ……この料理は、レイナさんに食べてもらおう。
 素早くラップし、冷蔵庫に放り投げる。
 同時にパンとかその他を取り出して、速攻で調理に入った。
 パンをトースターにぶち込んで、お湯を沸かし……。

「腹減ったー。早くしろー」
「御意」
「この『百地』跡取り、百地若宇わかうを飢え死にさせるつもりかー。それでも、石川流跡取りなのかー」
「申し訳ありません」

 躊躇せずに応対する。
 ここでもし、『……………………御意』なんてためを作れば、また機嫌が悪くなるからな。
 機嫌を悪くしたいのは、俺の方だ。
 何かって言うと、『百地』『百地』だ。
 そんなに『百地』は偉いの……………………偉いんだよなあ。
 元々『百地』は、三大大忍の一つで、巨大な権力を誇っていた。
 それに加えて、二十年前の『京都大戦きょうとおおいくさ』で、磐石な体制を築いたのだ。
 いまや『百地』に逆らおうなんて忍者は、この世に存在しない。
 ……………………いや、居たな。
『百地』に、毎朝セクハラかます人が。

「おい、ペケ」
「はっ」

 若宇わかうに呼ばれて振り向いた。
 若宇わかうは俺の事を、『ペケ』と呼ぶ。
 なんでも、『数字の十』、『ローマ数字の十』、『]』、『ペケ』らしい。
 なんでこの親子は、そういう愛称の付け方するかなあ?
 俺の師匠よりも、一段階多い変化だ。
 どちらも下らない事には違いない。

「パンが焼けるまでのつなぎに、さっきの朝定食を食ってやる。出せー」
「御意」

 ぶっ飛ばしたい。
 速攻で、さっき片付けた料理を食卓に並べた。
 箸を取り、ニコニコした顔で食い始める。
 このメニューは、若宇わかうの好物ばかり取り揃えてある。
 一旦拒否したものの、やっぱり食いたくなったのだろう。
 だったら最初っから、素直に食え……。

「おい、ペケ」
「はっ」
「ちょっとだけ冷めてる」
「申し訳ありません」

 殺してやりてえ。
 若宇わかうは嬉しそうに、俺の朝定食にかじりつく。
 パン定食が出来ても、たぶん若宇わかうは食わないだろう。
 若宇わかうの一回の食事量くらい、俺は把握している。
 でも作らないと、また機嫌が悪くなるだろうし。
 ……………………。
 ごめん、レイナさん。
 今日の朝ごはんにしてください。
 せめて貴方の好きな、目玉焼きを作ります。
 冷めるけど。







「だるいなー、ペケ」
「御意」

 なにが御意なのか解らんが、取り敢えずそう答えておく。
 通学途中の若宇わかうは、いつもこうだった。
 長い髪をだらしなくかきむしり、学園に行くことを拒んでいる。

「なあ、ペケ。今日はサボって遊びに行こう」
「成りません」
「くそったれー」

 俺に向かって、若宇わかうが顔をしかめた。
 いつもなら若宇わかうの言う事に絶対服従の俺も、こればかりは聞く事が出来ない。
 何故なら若宇わかうを学園に連れて行くことは、若宇わかうよりも上からの命令なのだ。
 それに……俺は、学園に行くのが楽しみなのだ。
 馬鹿女の我侭で、俺の楽しみを邪魔されるわけにはいかない。

「だいたいお前は、あたしに対する敬意が足りないぞー」
「申し訳ありません」
「昔からあたしを守護してる奴だったら、あたしの今日のテンションを読み取って、『若宇わかうさま。今日は学校をサボって、忍者ランドでたこ焼きとイカ焼きそばを食しましょう』とか言ってみろー」
「それは成りません」
「だーかーらー!」

 ちゃっちゃっちゃちゃん、ちゃちゃっちゃちゃん、ちゃっちゃっちゃちゃららららららん〜♪

 若宇わかうが俺に拳を振り上げた瞬間、どこからか曲が流れてきた。
 思わず頭痛がしてきて、こめかみを押さえる。
 対照的に、若宇わかうの顔には満面の笑みが浮かんでいた。
 よっぽど楽しみにしてるんだろうなあ、若宇わかうは。
 俺は……毎朝の事とはいえ……疲れるぜ。

「誰だっ、誰だっ、純だ〜♪」

 朝っぱらから校門前に、馬鹿ソングが響き渡る。
 通学途中の学生たちも、慣れた光景に足を止めた。
 これから始まるイベントに、興味津々らしい。
 見世物じゃねーっての。

「ビルの谷間で、怒るかげ〜っ♪」

 ビルなんかねーよ。
 俺たちが住む喰代市は、昔から人口が少ないので有名な都市だ。
 忍者の隠れ里として存在してきたので、未だに市街地以外は開発の手が入っていない。
 まあそれも、『百地』の力なのだが。
 てゆうか、なんで朝から怒ってんだよ。

「しーろーいつーばさの、ちゃちゃちゃちゃーん♪」

 どがーん。

 いきなり前方で、白い爆煙が舞い上がった。
 モコモコとあがる煙の中で、小さな影がもだえている。
 火薬の量、間違えやがったな。
 母さんが。
 とゆうか、爆発したのはわざとな気がする。
 母さん、こういうベタなの好きだからなあ。
 俺はあんまり好きじゃない。

「ゴホッ……ゴホゴホッ、ゲホッ……………………」

 苦しんでる、苦しんでる。
 俺は何事も無かったかのように、若宇わかうに話しかけた。

「さ、若宇わかう様。急ぎましょう」
「待てペケ。復活するまで、待ってやれー」
「御意」

 本当は待ちたくなかったが、若宇わかうの命令ではしょうがない。
 俺は白煙の中でもだえる馬鹿が、立ち上がるのをじっと待った。
 数十秒間苦しんでいた人影が、ようやく立ち直る気配。

「はーっはっはっ♪」

 立ち直ると同時に、見事な高笑いが通学路に響く。
 これからが、イベント本番らしい。
 白煙の中から、小さな人影が現れる。
 ピンク色の髪二つに縛った、ロリータツインテール。
 眼鏡が怪しく光を放ち、その系譜をアピールしていた。
 体の各所には、制服の上から装着したアーマーパーツが煌いていた。
 何気にケプラー繊維で出来ていて、強度は高いと見た。
 状況判断も、守護役としては重要なスキルだ。
 今はあんまり関係ないけどな。

「良くぞ現れたな、悪徳忍者っ!」

 現れたのは、お前の方だろ。

「今日こそ、お前の最後だっ! この科学忍者娘、大和智 純おおわち じゅんが、貴様の息の根を止めてやるっ!」

 純が、胸部アーマーに隠された小さな胸を張った。
 この小さいアーマードロリータは、俺や若宇わかうと幼馴染だ。
 昔から俺や若宇わかう……てゆうか、忍者に憧れていた。
 しかし天性の運動音痴から、各流派への入門を拒否され続けてしまったのだ。
 だけど諦められない純は、あるスポンサーの手により、科学忍者娘に改造されて……いや、別に改造はされていないか。
 そのスポンサーかあさんの意向により、俺を倒そうと毎朝挑んでくる。
 俺を超えれば、科学忍者装備を全国発売するらしい。
 言ってみれば、実験台だな。
 喰代学園では、毎朝おなじみのイベントになっていた。

「おい、ペケ」
「はっ」
「今日は、パンツが見たい」
「御意」

 若宇わかうが、決着のシーンをリクエストしてくる。
 こいつは、楽しければどーでも良いのだ。
 どーでも良くないのは、俺と対峙する科学忍者娘だ。
 俺たちの会話が聞こえたらしく、顔を真っ赤にして叫びだす。

「あーっ酷い、若宇わかうちゃん! 純のパンツは、見せないんだからー!」
「けーっけっけ♪」

 若宇わかうが、怪鳥のような声で笑った。
 こんなちびっ子のパンツなんか見て、楽しいんだろうか?
 いや……。
 若宇わかうは、純の嫌がる姿が見たいだけだな。
 そーゆー女だよ、コイツは。

「負けるもんかーっ! 悪の忍者に、科学忍術の鉄槌をっ!」
「貴様の科学忍術など、子供だましだー!」

 その点については、若宇わかうのシャウトに同意する。
 だいたいあの装備は、忍術の何たるかも知らない人が、閃きだけで作ってるからなあ。
 時々感心する事もあるが、基本的には役立たずなことが多い。

「行けっ! ペケ一号!」

 二号はいねーよ。
 そう心の中で突っ込みつつも、体は反応してしまった。
 幼い頃から刷り込まれた、我が身の悲しさよ。

「御意」

 そう若宇わかうに答えた後、純に向かってダッシュする。
 基本的に、忍者は戦闘向きな職業ではない。
 いわゆる兵法者とは、戦闘のベクトルが違うのだ。
 武芸者だったら敵に向かってダッシュする事もあるだろうが、忍者にとってそれは愚の骨頂である。
 忍者は基本的に逃げる。
 戦う時は、一対多数か、暗殺の時。
 だから俺のこの行為は、忍者仲間から見られたら、思いっきり笑われる行為なのだ。
 もっとも今この瞬間、一般人も笑っているが。

「来たな、悪の忍者!」

 純は制服の背中に隠そうとしたらしい、全然隠れてない銀色の筒を取り出した。
 ビニールで出来ているらしいパイプで、まったく重量軽減する気の無いボックスにつながっている。
 ありゃあ、純には重いだろうなあ。
 事実、悪戦苦闘しながら、銀色の筒を俺に向けようとしている。

「……」

 本来の戦闘なら、この隙に苦無とか投げるんだけど。
 刺さったら死んじゃうからなあ。
 朝から幼馴染を殺してしまうのは、気分が滅入る。
 ちなみに石川流で使用する苦無は、長さ10センチ程度の直両刃のものだ。
 本来これは、手裏剣ではない。
 元々は盗賊の使用する道具で、名前の由来は、戸口を苦も無く開けられるところから来ている。
 忍者と盗賊は紙一重だから、忍者が盗賊の道具を使うのは当然だ。
 そして忍者が、身の回りのものを武器として使うのも当然。
 …………。
 これだけ無駄に思考しても、純の攻撃は飛んでこない。

「んしょ、んしょ!」

 まだ筒を取り出すのに、四苦八苦している。
 ちなみにダッシュと呼んでいるのは、普通の早歩きのことだったりする。
 俺が本気で疾走したら、純との距離を詰めるのは一瞬だからな。
 これでも、同年代最高スペックなんて呼ばれているんだ。
 …………………。
 若宇わかうには、全然敵わないけど。

「よし、準備おーけー!」

 せめて、準備してから襲撃して来いよなあ。

「くらえ、悪の忍者! 地域掃討暗黒破壊球!」
「……地域て」

 思わず小声で突っ込んでしまった。
 今朝、母さんが使ったものより、グレードが下がってる。
 おそらく、制作費の関係なのだろう。
 なんのかんの言っても、母さんはシビアだ。

「悪! 滅!」

 純が銀色の筒を俺に向けた。
 中に、黒い球が確認できる。
 もしかして……単発なのか?
 そう言えば純の持つ筒は、一本のパイプしか繋がれていない。
 母さんが今朝背負っていたアレは、圧縮空気用と給弾用の二本で繋がれていた。
 母さんが背負っていたのを機関銃とすれば、純の装備は火縄銃だろう。
 本当に母さんはシビアだ。

「地域掃討暗黒破壊球! 略して、てぃーえす・えーえいち!」
「なげーよ、リズムもわりーよ」

 純の持つ筒から、黒い球っころが発射された。
 速度も母さんのものとは、比べ物にならないくらい遅い。
 俺はウンザリしながら、猫爪びょうそうを抜刀した。

「……しっ」

 猫爪びょうそう
 熊爪ゆうそうと対なる、我が家に伝わる秘伝の忍具だ。
 柄に金色の装飾が施されており、通常の忍刀よりも重量が軽い。
 その分強度的に落ちるのかもしれないが、なんだか特別な製法が用いられているらしく、普通の刀と打ち合っても引けを取る事は無い。
 これの伝承を果たしたのは、俺が幼少部を卒業した時。
 高等部で伝承した親父の時よりも、10年早い。

「うにゃっ!?」

 俺はなんたら暗黒球を、刀の峰で打ち返した。
 本当なら斬るつもりだったが、ある考えが浮かんだからだ。
 俺の握るのは、石川家の誇り。
 科学忍者のパンツを暴く事ごときに、振るうためのものじゃない。
 ………………科学忍者て。

「ふぎゃっ!?」

 俺の打ち返したゴム球が、地面でバウンドして純のスカートにもぐりこんだ。
 若宇わかうのリクエストに応えるため、スカートめくりを実行しようと思ったからだ。
 猫爪びょうそうでめくるのは、ご先祖様に申し訳が立たな……ん?
 純のスカートから、白い煙が立ち上がる。
 まさか?

 ぼふん。

「ふぎゃぁぁぁっ!?」

 純のスカートが、いきなり霧散した。
 白煙を巻き上げ、指向性のある爆発をしたのだ。
 なんだなんだ?

「うぎゃっ!? アーマー着脱機能が仇にっ!?」

 あーまーちゃくだつきのう?
 なんだか解らんが、くだらないことを思いつかせると、天下一品だな。
 うちの母さんは。
 下半身丸出しになった純が、赤面したまましゃがみこんだ。
 白いパンツが、世間様に晒される。
 親の敵でも見るような涙目で、俺の事をにらんでいた。
 しょうがないだろ。
 まさか、こんな結果になるとは思わなかったんだ。

「きゃーっはっはっ♪」
「さ、行きましょうか、若宇わかう様」
「おう。あー面白かった♪ お前もなかなかやるな、ペケ」
「恐悦至極」

 白いパンツを押さえながらしゃがむ純の脇を、若宇わかうと二人で通り過ぎる。
 こういう時の俺たちは、息が有ってると言えなくも無い。

「しどいぞ、若宇わかうちゃん!」
「きゃーはっは♪」

 若宇わかうは純の呪詛に、いっそう笑いを強めた。
 心底嫌な人間だ。
 しょうがねえ。
 こいつと同類にされては、俺の自尊心が傷つく。

「……ほらよ」
「……………………あっ……」

 上着を脱ぎ、小声で純に放り投げる。
 まあ、コイツも俺の幼馴染だからな。
 あまり苛めるのも可哀想だろう。
 純は顔を赤らめた後、上着を羽織ながら叫んだ。

「こ、これで勝ったと思うなよー! 純は必ず、お前をたおーすっ!」
「……」

 この上ない勝利だと思うんだが……。
 まあ、勝手にしてくれ。
 それにしても……四月の北の大地は、肌寒いぜ。









「……………………はぁっ……」

 若宇わかうを教室まで送り届けてから、一人で廊下に出る。
 本来ならガードが離れては仕事にならないのだが、学園の中なら安全だろう。
 てゆうか、四六時中一緒に居ると、俺の精神が持たない。
 少しだけでも、自分一人の時間を作らねば。

「くすくす♪」
「……ん?」

 背後から聞こえた笑い声に、不機嫌な顔を作りながら振り返った。
 誰だ、俺の憩いの時間を笑う奴は?

「今朝もごくろーさま♪」
「……………………はっ」

 俺は地面に跪き、右手と左手の指を絡ませながら、頭を下げた。
 叛意を微塵も表さないよう、石川家独特の略式敬礼である。
 本来なら正座し、鞘ごと外した忍刀を膝裏で挟み込む。
 しかしあの正座の作法は、どこか間違ってる気がする。
 叛意を示さぬように指を絡ませるくせに、いつでも抜刀可能な状態を作り出しているのだ。
 うちの開祖も、何考えてるんだか。

「あ、いいよいいよ。わたしはもう、『百地』じゃないんだから。立って立って」
「はっ」

 そう言われても、敬意を示さないわけには行かない。
 立ち上がって身長の低いこの人を見下ろすのは、どうも落ち着かないのだ。

「おはよう、ペケくん」
静流しずる様も、ご壮健で何よりです」

 俺の目の前には、先代の『百地』の頭目。
 現在行方不明であるはずの、百地静流様が立っていた。
 とても子供を一人生んだとは思えない、見事なプロポーションだ。
 そう。
 この優しげな人が、若宇わかうの母親なのだ。
 そして二十年前起きた京都大戦きょうとおおいくさで、見事に敵の首領を討った立役者でもある。
 現在は『百地』を捨てて、駆け落ちしている真っ最中。
 とは言え、『百地』の土地にある喰代ほおじろ学園の理事長をしているのだ。
 本当に駆け落ちなのかどうか、微妙なところではある。
 ちなみにレイナさんが勤め、今朝若宇わかうを迎えに行った喫茶店も、『百地』の所有地だ。
 一階が店舗で、二階部分が家族の住居になっている。
 なんでも、建築費用も『百地』から捻出されたとか。
 ……………………本当に駆け落ちしてるのか、この人は?

「毎朝毎朝、ごめんねー。若宇わかうを起こすの、大変でしょう?」
「いえ。これも仕事ですから」

 本当は、『大変で大変で、毎朝殺意が芽生えて育ちまくってますよ』とか言いたかった。
 だが、言うわけには行かないだろう。
 この人が、どれだけ苦労して今の平穏を勝ち取ったか、その一端を理解しているから。
 静流様は幼少の頃から、『百地』を継ぐために育てられた。
 俺の親父が静流様を守護していたのも、全ては『百地』だからだ。
 日本で一番大きな忍軍、『百地』。
 それを統べる宿命を持つと言う事。
 どれだけの重圧だったか、俺ごときには想像することも出来ない。
 だから静流様は、『百地』を捨てた。
 自分に命が宿った時、同じ思いをさせないように。
 若宇わかうが『百地』を継ぐことになっているのも、実は建前である。
 世間的には静流様が『百地』を捨てる時の条件だと思われているが、本当は違うのだ。
 自分の子供に同じ思いをさせたくない静流様は、『百地』と離れたところで育てたいと思った結果である。
 成人して『百地』を継ぐにせよ、別の生き方を見つけるにせよ、それまでは自由に暮らして欲しい。
 それが静流様の意思である。
 もっともそれを『百地』の首脳陣が無条件で許すわけも無く、現状況がギリギリの妥協点だ。
 静流様が『百地』を離れる代わりに、若宇わかうが後を継ぐ。
 必ず『百地』の監視の目が届く土地で暮らすこと。
 その代わり、『百地』は若宇わかうが成人するまで、一切の干渉をしない。
 それが『百地』と静流様の、密約だ。
 ちなみに俺は別に、『百地』の監視役ではない。
『百地』の次代を担うべき若宇わかうを、守護するだけに過ぎないのだ。
 監視役は、もっと他に居る。
 なんせこの街自体が、『百地』なのだから。

「本当はねー。あたしが若宇わかうの面倒を見なくちゃいけないんだけどさー」
「静流様はお忙しいですから」
「そうなのよねー。今朝も、早くから会議でさー」

 静流様が、疲れた表情で顔をしかめた。
 現在の静流様の地位は、喰代学園の理事長。
『百地』所有の学園で、忙しく働いている。
 先の京都大戦きょうとおおいくさで、全国の忍者の数が激減したためだ。
 約7割の忍者が犠牲になった京都大戦きょうとおおいくさの後、『百地』も存亡の危機を迎えたらしい。
 相変わらず舞い込む『仕事』に対して、単純に人手が足りなくなったのだ。
 この辺の事情は、戦国時代に忍者の数が激減した時とは違う。
 良くも悪くもこの国は、未だ忍者を必要としているのだ。
 故に『百地』は、打開策を練った。
 以前から存在していた喰代学園の方針を、180度転換したのだ。
 つまり、目立たぬ学園から忍者養成学園へと。
 静流様は、その学園理事長と言うわけだ。
 苦労も多いだろう。

「最近、外様とざまの不祥事が増えててねー。学園でももっと、忠誠心を養えとか言ってきてさー」
「それは……」
「無理だよねー」

 そう言って、静流様は笑った。
 外様とは、忍者家系出身じゃない忍者の事である。
 本来忍者とは世襲制で、よほどの事が無い限り外部の人間が忍びになる事は無い。
 俺もその口だしな。
 だが京都大戦きょうとおおいくさの後、そうも言ってられなくなったのだ。
 忍者の数が激減し、簡単な仕事すらこなせない状況に陥ったのである。
 故に、次代の育成は急務である。
 しかし、悠長に人材が育つのを待っている事も出来ない。
 そこで『百地』は、所有していた喰代学園で忍者を育てることにしたのだ。
 俺の同期も、約4割が忍者家系ではない。
 忍者に憧れを持っている者や、己の身体能力を生かそうとしている者。
 高いろく目当ての人間なんかも居る。
 その分モラルの低下も嘆かれているが、『仕事』がこなせないよりはマシなのだろう。
 なに、どうせ忍者にモラルなんて期待する方が間違っている。
 特に伊賀者に。
『百地』は、歴とした伊賀系なのだ。
 伊賀忍者に、忠誠心などと言うしがらみは存在しない。
 有るのは、己の技に対する誇りだけ。
 俺が若宇わかう……いや、『百地』に仕えているのも、己の技を最大限に発揮出来るからだ。
 守護という、己の技を。
 そこら辺は、静流様も理解しているのだろう。
 寂しそうに、苦笑いを浮かべた。

「ねえ、ペケ君?」
「はっ」
「もしかしたらさ……忍者って、もう必要ないのかもしれないね……」
「……………………」

 それに答える事は出来なかった。
 確かに忍者は、必要とされている。
 しかしそれは本来、望む者が成し遂げなければいけない仕事を、肩代わりしているだけに過ぎないのだ。
 安易な手段で目的を達そうとしている、愚か者の代行者。
 ……………………。
 俺も、そう考えないではない。
 俺と静流様の間に暗い空気が流れた時、突然背後から明るい声が聞こえてきた。
 俺の背後ではない。
 静流様の背後、だ。
 この俺が、正面の気配が感じられないとは……。

「朝から……」

 流石です、師匠。

「なーに、ヘビーな話、してやがんだっ!」
「んぎゃぁっ!?」

 突然背後から片乳を鷲掴みにされた静流様が、奇声を発してのけぞった。
 形の良い乳が、ぐにぐにと変形してゆく。
 ああ、まただよ……。
 こんな刺激的なシーンも、毎朝続くとウンザリしてくる。

「そーゆー暗い話を、俺の弟子に吹き込むんじゃねえ、静流っ!」
「と、とらぁっ!?」
「……………………師匠……」

 そう。
 突然現れ、脈絡も無くセクハラをかましたのは……。
 この学園の講師であり、静流様の駆け落ち相手。
 つまり若宇わかうの父親でもある、伊賀崎大河たいがだ。
 俺が子供の頃から師事する、エロき師匠でもある。
 師匠は静流様の乳を揉みながら、片手で器用にスーツのボタンを外していく。
 ……おいおい。

「そーゆー難しい事はな、じじいどもにまかせておけよ」
「……あっ………やっ……………」

 あっという間に、静流様の肌があらわになった。
 黒い下着が見えたかと思うと、瞬時にたくし上げられる。
 とても子供を生んだとは思えない形の良い乳が、朝の光を浴びていた。
 ……ここは学園の廊下です、師匠。

「やめ……っ……ううっ……ん……」

 師匠の太い指が、静流様の乳首をつまみまくる。
 静流様の乳首が、硬く勃起し始めた。
 これはセクハラじゃなくて、レイプに近いと思うのだが。

「なあ、お前もそー思うだろ、十哉とうや?」
「……なにを、どう思えってんだよ、この状況で?」
「嫌がる女が徐々に感じる姿は、いつ見ても最高だってことだ」

 犯罪者の思考だ。
 師匠のセリフに我を取り戻したのか、静流様の瞳に力が戻った。

「自分の弟子に……何教えてんのよ、この馬鹿っ!」

 静流様が、自分の乳から師匠の手を引き剥がした。
 おお、乳が揺れている。
 ちなみに師匠の教えで、俺は女性の胸の事を『乳』と呼称する。
 いや、こんなことばっかり教わってるわけじゃないんだけどよ。

「ん? 嫌がる女を隷属させる方法」

 だから、教わってませんてば、師匠。

「……殺す……今すぐ殺す……絶対に、ころーすっ!」

 静流様が乳を放り出したまま、師匠の腕を掴んで背負い投げの体勢に持ち込んだ。
 腕を背負いつつ、肘で相手の肘関節をかち上げる。
 跳ね上げる足も、普通なら脛や足首を狙うもんだが……静流様の背負いは、膝関節を砕く複合投げだ。
 百地の極投、『三つ蛇』というやつだ。
 投げ終わった後、腕を絡めて関節を折りながら、肘を顔面に落とす極悪な陰忍。

「……ふっ?」

 しかし静流様の投げ技は、すっぽ抜けた。
 まるで、師匠の腕が抜けたかのように。
 ……いや、違う。
 そちらの方……師匠の右腕は、最初から無いのだ。
 静流様に左腕を取られる瞬間、右袖と交換したのだろう。
 何気に高等技術である。

「見たか静流。これが伊賀崎流変わり身の術。そっちの腕は京都に置いて来たバージョンだ」

 ……いや、笑えません、師匠。
 そう。
 俺の師匠、伊賀崎大河には右腕が無い。
 ちなみに、右足も義足である。
 生来の隻腕ではなく、京都大戦きょうとおおいくさで失ったものだ。
 師匠は仕えるべき主人を持たない、流れ透破すっぱというやつだが、京都大戦きょうとおおいくさでは『百地』の側に付いた。
 昔から『百地』の静流様と仲が良かったらしいから、当然の選択なのかもしれないが。
 勝利の代償として、師匠は右腕を失ったらしい。
 らしというのは、京都大戦きょうとおおいくさの真実が世に伝わっていないからだ。
 俺も何度と無く師匠に尋ねたのだが、教えてはもらえなかった。
 俺の親父も参加したらしいのだが、親父には聞けないしな。
 おそらく歴史上初めて、忍者主導による大戦。
 その結果、いくつかの忍軍が消え、『百地』の力は増大した。

「次は、股間をまさぐってやる。股開け、股」
「開くかーっ!」

 そんな歴史的大事件の立役者である二人には、到底見えない。
 義足とは思えない体躯で、師匠は静流様の刀をかわしてゆく。
 ……いつの間に抜刀したんだ、静流様?

「では、二時間目の休み時間にまた愛撫。あぢゅー」

 師匠が窓に手を掛け、身体を空中に躍らせた。
 ……ここ、四階なんだけど。

「今死ねーっ!」

 静流様もその後を追った。
 だから、四階なんですって。
 二人が軽やかに落下して……なぜか師匠は、左手で窓枠にへばりついていた。
 落ちてゆくのは、静流様だけ。
 ま、あの人のことなんだから、無事だろうけど。

「とおぉぉぉぉぉぉ……」

 叫びが、フェードアウトしていく。
 静流様の声を聞いて満足したんだろう。
 満面の笑みをたたえて、師匠が窓から這い出してきた。
 隻腕、隻脚の忍者。

「よ、十哉とうや
「……お早う御座います、師匠」
「どうだ、チンコ元気になったか? 可愛い弟子のおかずのため、我が妻をも陵辱する。いー師匠だろ、なあ、おい」
「……コメントできねーよ」

 伊賀崎大河。
 この人こそ静流様の夫であり、若宇わかうの父親。
 そして京都大戦きょうとおおいくさで主首を上げ、混沌とした時代を鎮めた英雄なのだ。
 本人はその事に触れられるのを嫌っているが、俺たちの憧れである。
 実際俺の同期にも、師匠に憧れて師事したがる人間は多い。
 俺もこの人を理解する前までは、そう思っていた。
 一介の流れ透破すっぱでありながら、時代を変えた力を持つ男。
 その代償として、身体の一部を失ったが、評価が下がる事は無い。
 だが……実際に会うと、良く解る。
 なぜ『百地』が、この人を秘匿したがるのか。
 師匠に救われた世界って、価値が有るんだか無いんだか……。

「どうだ?」
「……なにが?」
「なにが……って、決まってんだろ。今朝の若宇わかうの乳は、どうだったって言ってんだよ」
「アンタは、自分の娘の乳の評価を、朝っぱらから聞きたいのか?」
「……まさか、まだ揉んでないのか?」
「揉まねえよっ!」
「……不能?」
「……違うよ」
「男色?」
「違うってのっ!」

 頭痛がしてきた。
 静流様に言わせれば、昔はもっと酷かったらしいのだが……。
 これ以上酷いセクハラが、存在するのだろうか?

「時に十哉とうやよ」
「ん? なに?」

 ちなみに俺の『百地の守護者石川流石川十哉とうや』スイッチは、既にオフになっている。
 師匠の前で気取っても、しょうがないからな。
 というか、そういうのを一番嫌うからな。
 俺としては、英雄の師匠にこそ、必要なスイッチだとは思うのだが。

「明日、転校生が来るらしい」
「へえ」
「……………………不能」
「何でいきなり不能呼ばわりされなきゃ、ならねえんだよっ!」

 ちなみに俺は、不能でもなければ男色でもない。
 自制心が強いだけなのだ。
 てゆうか、忍者ってそういうもんだろ?
 あんたら家族は、自分の欲望に素直すぎるんだよ。

「ふつー転校生がくると聞けば、どんな女なのか? どんなスタイルなのか? どんな乳なのか? 右と左では、どっちが感じるのか? 週何回くらい、オナニーしてるのかとか、聞きたがるもんだろ」
「……もしその情報を持っているとしたら、完璧に犯罪者じゃねえか」

 しかも、転校生は女だと決め付けてるし。
 まあ師匠はこの学園の講師なので、男か女かの情報くらい持ち合わせているんだろうけど。
 ちなみに、教師ではなく講師。
 静流様の、精一杯の嫌がらせだろう。
 英雄の呼び声高い師匠を、この学園の教師に迎えたいとの声も多かったと聞くが、静流様が猛反対したのだ。
 理由は、学園の風紀が乱れるから。
 反対した本人が、セクハラされまくってれば世話無いが。
 まあ普通に就職とか、出来そうに無いしな、師匠。

「んだよ、ノリ悪いなー」
「そんな事言われても」
「楽しくなりそーだってのによ♪」

 師匠が、悪戯っ子の目になった。
 こういうときの師匠には要注意である。
 絶対にくだらないことを考えているに違いない。

「何がっスか」
「転校生はな……女でな……」
「それはもう想像が付く」
「スタイル抜群でな……」
「もう見たのかよ」
「忍者だ」
「……………………」
「しかも、『百地』じゃない」
「……………………え?」

 この時代に、『百地』じゃない忍者……?
 ちなみに『百地』じゃないとは、『百地』系忍家じゃないとの意味だ。
 京都大戦きょうとおおいくさの後、『百地』系じゃない忍者は、ほとんど滅亡しているはず。
 一部のショーアップされたタレント忍者や、自称忍者以外は。
 勿論そんなものに、わざわざ興味を示すような師匠ではない。
 ということは……。

「なあ、面白くなりそうだろ、ええ、おい。刺客の匂いが、ぷんぷんするじゃねえか♪」
「あのね……狙われるとしたら、アンタの娘なんだけど……」

 忍者の世界を統一した『百地』だが、実は意外に敵が多い。
『百地』に隷属するしか生き延びる道が無かったとは言え、自分の家系を事実上吸収されたのだ。
 そりゃ恨みを持って当然だろう。
 しかも対外的に、『百地』の跡継ぎは若宇わかうなのだ。
 俺でも若宇わかうの死を願う。
 てゆうか、別の意味でも死を願う。

「しかし何で『百地』は、そんな怪しげな奴を?」

 師匠に疑問をぶつけてみる。
『百地』の力を持ってすれば、そんな人間をわざわざ転校させないようにするのは朝飯前のはず。
 その前に排除する事も。

「シナリオの関係じゃね?」
「シナリオなんかねえよ」

 時々この人は、わけの解らない事を言うよな。

「まあ、十哉とうや。これだけは覚えておけ」
「は?」
「お前らにはまだ、経験が足りねーんだよ。実践経験も女性経験も」
「……………………」

 女性経験は関係ないと思うが……まあ、実戦経験が無いのは認めざるを得ない。

「色んな経験を積んで、色んな人と出会って、自分の人生を彩っていくんだ。解るか?」
「……………………」
「敵も味方も。気に入った奴も気に入らない奴も、全部必要なんだ」
「……………………」

 時々この人は、まじめな事を言うよな。
 普段がはちゃめちゃな分、インパクトが大きい。

「まあ、今度の事は、いー経験になるかと思ってな。俺たちは手出ししねーから、自分たちで何とかしな」
「……うっす」
「おとーちゃん♪」

 しんみりとした俺たちの背後から、突然若宇わかうが飛びついてきた。
 俺に、ではない。
 師匠の胸に飛び込んで、力いっぱい抱きしめる。
 話は途中だってのによ。
 どこまでもむかつく女だ。
 その満面の笑みまでむかつく。

「おはよー、おとーちゃん♪」
「おう、若宇わかう。今朝もちゃんと、十哉とうやに起こしてもらったか?」
「うん♪」
「乳は揉まれなかったのか?」
「アイツに、そんな根性ねーよ♪」

 俺は苦笑しながら、その場を離れる事にした。
 師匠も目配せで、俺を見送ってくれる。
 まあ、師匠もなにやら忙しくて、若宇わかうとは学園でしかゆっくり会えないからな。
 邪魔するのは、俺の本意じゃない。
 それに俺の頭の中は、来訪者の情報で一杯なのである。
 明日現れると言う、女忍者。
 ちなみに女忍者イコールくのいちと世間では認識されているが、実は誤りである。
 正確には、女忍者もくのいちの一部と言ったところか。
 女と言う字を分解すると、たしかにくのいちと読めるのだが、それは女忍者の意味ではない。
 忍者の隠語で、女性全般の事をくのいちと言う。
 まあ、言葉遊びといったところか。
 それにしても……。

「でねでね、おとーちゃん♪」
「あんまり、しがみつくなってーの。お前も静流と一緒で、ファンが多いんだからよ」
「ファンなんか、いらねーもん♪」

 俺、親父に甘えた事、無いよな。
























「あー今日も、オモロかったー♪」
「御意」

 放課後、若宇わかうと一緒に下校する。
 別に一緒に下校したいわけではなく、ただ単に護衛なだけだ。
 いつもなら、周りに若宇わかうの友達がたむろって居るのだが……。
 今日は珍しく、二人きりである。
 ちなみに若宇わかうが友達と遊びに行く時は、俺も解放されるのだ。
 護衛としては問題がありまくるのだが、静流様らの許可も貰っている。
 そしてなにより、若宇わかうは俺より強いのだ。
 問題は有るまい。

「あ、そうだ、ペケ」
「はっ」
「明日、転校生が来るらしいな」
「そのようで」

 どうせ、師匠か静流様から聞いたんだろう。
 その程度の情報、俺も掴んでるっての。

「どんな奴かなー?」
「なんでも、女性らしいとのことですが」
「忍者だって話だろー」
「御意」

 まあ俺も情報源は一緒なんだけどな。

「面白い奴だといーなー。ほしたら、友達にしてやろうと」
「御意」

 若宇わかうはその天真爛漫さが受けて、意外と友達が多い。
 若宇わかうの周りには常に、人が集まるのだ。
 小さい頃から、ずっとそうだった。
 どんなに家柄が高くても、才能に溢れていても、それを微塵も感じさせない明るさ。
 それに惹かれて、人の輪が出来上がる。
 俺とは、真逆な奴だ。
 俺の友達なんて、透くらいだもんな。
 ……アレも、友達として認識したくないが。

「そうだペケ」
「はっ」
「日記に書いておけ。今日、おとーちゃんに三回抱きついた事と、おとーちゃんと話してたら、おかーちゃんになぜか怒られた事。ほして、転校生が来るから、楽しみな事。解ったか?」
「はっ」

 内心ウンザリしながら、俺は頷いた。









 若宇わかうを喫茶店まで送り届け、百地家の飯を作り、普段の鍛錬を終えたあと、自分の部屋に帰ってきた。
 風呂に入ったら、疲労で眠りそうになったぜ。
 しかし、まだ寝るわけには行かない。
 別に予習とか復習するわけじゃない。
 忍者にとっては、学園の勉強など楽勝だからである。
 独特の記憶術で、教科書の内容など30分有れば記憶できる。

「……はあ……」

 だから今、俺の目の前にあるノートは、勉強用ではない。
若宇わかうの日記VOL・5』と書かれた、若宇わかう専用の日記帳である。
 何故俺がそれを持っているかというと……。

「『四月十五日、晴れ。今日も十哉とうやに起こされれた。十哉とうやに起こされると、いつも頭痛がするのはなんでだろう? あまり迷惑かけるんで、神様があたしに罰を与えてるのかな?』」

 この日記を書いてると、思わず女口調になってしまう。
 そうなのだ。
 これは若宇わかうの日記なのだが、俺が書いているのだ。
 日々若宇わかうに起きたことを、俺が記録していく。
 なんで自分の日記すら書いてない俺が、若宇わかうの日記なんか書かなきゃいけねえんだよっ!
 ……………………命令されたからだ。

「『朝学園に行ったら、また純ちゃんがペケに挑んできた。何回やっても勝てないのに、よく懲りないなあ、純ちゃん。自分の放った武器を返されて、見えたパンツは白でした』」

 この習慣が始まったのは、いつの事だろう?
 何年前かは覚えてないが、原因は覚えている。
 夏休みに出された、日記の宿題。
 アレを嫌がった若宇わかうが、俺に書かせ始めたのだ。
 俺は文才もあったらしく、俺の書いた若宇わかうの日記は、若宇わかうに酷く受けた。
 それからだ。
 若宇わかうが、俺に自分の日記を書かせるようになったのは。
 そして一年に一回、俺が書いた自分の日記を読んで爆笑するのである。
 まあ、いつも一緒に居るしな。
 若宇わかうの日記を書けるのは、俺の他にはいないだろう。
 ……………………書きたくねー。

「……………………『仲良くなれると良いなって思いました。おわり』……っと」

 俺は若宇わかうの日記を閉じると、軽くめまいを覚えた。
 これは眠気なのか、それとも女言葉で日記を書いたことへの自己嫌悪なのか……。
 どちらかは解らないまま、俺は机に突っ伏した。

「……寝よう。何もかも忘れて……」

 俺は、睡眠欲に身を委ねた。
 お疲れ様、俺。
 それにしても……。
 この日記は、フィクションだよなあ。









   END














四月十五日 晴れ。

 今日も十哉とうやに起こされれた。
 十哉とうやに起こされると、いつも頭痛がするのはなんでだろう?
 あまり迷惑かけるんで、神様があたしに罰を与えてるのかな?
 ペケの作ってくれた朝ごはんは、焼き鮭とひじき煮物、豆腐とわかめの味噌汁、梅肉入り海苔の佃煮だった。
 本当は食べたかったんだけど、ちょっと意地悪。
 パンを焼いて欲しいといったら、ペケは素直に準備し始めた。
 なんでも言う事聞いてくれるから、それが申し訳なくて、鮭定食を食べた。
 焼いたパンは、レイナさんに食べてもらおう。

 
 朝学園に行ったら、また純ちゃんがペケに挑んできた。
 何回やっても勝てないのに、よく懲りないなあ、純ちゃん。
 自分の放った武器を返されて、見えたパンツは白でした
 いつかペケに勝てると良いね、純ちゃん。

 学園に行くと、ペケとおとーちゃんが話をしていた。
 なんだか難しい顔をしている二人が面白くなくて、ちょっと意地悪。
 話を中断させるために、おとーちゃんに抱きついてみた。
 片足を失っているにもかかわらず、おとーちゃんはあたしのことをしっかりと受け止めてくれた。
 むむっ。
 やるな、おとーちゃん。
 その後おかーちゃんが、赤鬼のような顔で飛んできた。
 ブラウスの前がはだけていたから、きっとおとーちゃんにイタズラされたんだろう。
 怒りながらも嬉しそうなおかーちゃん。
 それを言ったら、なぜか怒らりた。
 なんで?

 そうそう。
 おかーちゃんとおとーちゃんが教えてくれた。
 明日、転校生が来るんだって。
 三年のこの次期に転校してくるなんて、珍しいよね。
 なんでもおかーちゃんの話だと、女の子で忍者らしい。
 百地の一派じゃないんだって。
 なんか嫌な予感がするけど、大丈夫だよね。
 あたしには、つよーい味方が一杯いるから。
 おとーちゃんやおかーちゃん。
 今旅に出ている、伊賀崎じーちゃんや、ばーちゃん。
 遠くで働いてる、蓮霞ねーちゃんや緋那おねーちゃん。
 石川のおじちゃんや、百地のじーちゃんばーちゃん。
 そして何より、ペケがいるから。

 転校生の子が、面白い子だったら良いなあ。
 そしたら友達になれるのに。
 まだ見てないけど。その子と仲良くなれると良いなって思いました。

 おわり。



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