「なあ真田」
「……………………なに……?」

 俺は差し伸べられた、真田の手を引きながら尋ねた。
 これだけの実力を持つ真田が、わざわざ転校してまで若宇を狙う意味が解らなかったからだ。
 女に手を引かれるのは、実に情けない気もするが、なに。
 まだ身体が良く動かないのだから、どうしようもない。

「なんで若宇を?」
「……私には……超えなくてはならない……壁があるの……」
「壁? ……もしかして、あの赤い髪で馬鹿面で図々しくて威張りんぼうでだらしなくてまるっきり子供で羞恥心の欠片も無いハンマーとかで粉々に叩き壊したくなる壁の事か?」
「……………………ふふっ…よくもまあ……矢継ぎ早に……息継ぎもしないで………言えるものね……」

 真田の唇が、少しだけ歪んだ気がした。
 どうやら同じ人物を、思い描いたに違いない。
 あいつの悪口なら得意だぜ。
 なんせ、しょっちゅう頭の中で言ってるからな。

「そうね……その壁……かしら、ね」
「何故若宇を超えなければ成らないか……聞きたいんだが」
「……どうして……どうして……そんな事を……?」

 ふと考える。
 俺の役目……本来の役目は、若宇の守護だ。
 どれだけ若宇が強かろうが、それは問題じゃない。
 宿命とか言うと、真田が怒るから言わないが……。
 それが俺の宿命なのだ。
 じゃないと……わざわざ若宇が生まれる年に併せて、仕込んでもらった意味が無い。
 不本意だったかーさんが、お腹を痛めた意味も、な。
 親父は気持ち良いだけだったかも知れんが。

「……」

 だから俺は本当なら、真田を排除しなくてはならない。
『百地』の守護者として、石川流双爪そうそう伝承者として。
 それでも……俺は真田の事が知りたかった。
 どんな事でも良かった。
 何故か……何故だか、気になるのだ。

「……昔の話……」

 答えない俺から視線を外して、真田が語り始めた。
 それはきっと、誰かに聞いて欲しかったからかもしれない。
 俺にじゃなくても、良かったのかもしれない。
 だから真田は、語り始めた。

「……私の家……真田は、信州の峠に在る……小さな流派だった……知ってる? ……真田の家系には……猿飛さるとびの名前が……実際に残ってるの……」
「猿飛……って猿飛佐助のことか?」

 たしかあれは、架空の人物だったはず。
『真田十勇士』なる集団自体が創作で、そのメンバーの猿飛佐助や霧隠才蔵も、大衆娯楽が生み出した架空の人物だったと思うが……。

「猿飛っていうのは……真田屋敷の近くにある……地名のことなの……昔……そこに佐助さんって人が……住んでたのかもしれない……」
「仮定かよ」
「……ふふっ……」

 俺の突っ込みに、真田が笑顔を見せた。
 ヤバイ。
 何がヤバイか解らないが、とにかくヤバイ。

「……私は……その猿飛の出なの……真田の分家……ってところかしら……」
「ふむ」

 別に驚く事じゃない。
 有名な一門ほど、多くの分家を抱えているもんだ。
 てゆうか、さ。
 俺んちが既に、『百地』の分家である。
『石川流』という流派の、百地分家。
 故に俺は、人身御供なのだ。

「幼い頃から……真田の本家に足繁く通っていたの……私も……父上も……母上も……」
「……………………」

 なんとなく、真田の沈んだ表情に、嫌な予感を感じてしまった。
 過去の出来事なのに、嫌な予兆を。

「……真田は……隠れ忍びだった……京都大戦にも加わる事無く……細々と流派を護る……そんな小さな家だった……………。……………何故真田が、自らの流派を隠匿してまで護っていたか……解る?」
「……いや。想像もつかねえ」
「…………忍びの世界……荒れる時……真田は討って出る……そう……彼らのように……」
「彼ら?」

 俺の問いに、真田は微笑んだ。
 寂しそうな笑顔。
 胸が締め付けられた。

「真田公は……情報の重要性に気づいていたみたい……。……忍びの存在が……まつりごとにどれだけ重要か……」

 真田公というのは恐らく、真田幸村の事だろう。
 戦国武将の中でも、突出した指揮能力を持った人物だ。
 その人生は不遇であったと伝えられるが、現代忍者に与えた影響は、今でも息衝いている。
 特に中忍が学ぶ『陽忍』の、約一割が真田幸村の編み出した戦法であるとか。
 戦国武将ながら、忍びの世界にも影響を持つ、偉人なのだ。
『真田』流も、真田幸村が組織したと云われている。
 まさか、現代まで生き残ってるとは思わなかったが。

「……だから……『真田』は……影から忍びの世界を……支えようとした……。彼らとは……別のアプローチ……ね」

 彼ら?
 先ほどから真田が言う、『彼ら』。
 想像すら出来なかった。

「……粛清するのではなく……導く……それが真田の理想だった……」

 真田が顔を伏せた。

「でも……真田は……滅んだ……道阿弥どうあみの……残党……藤堂派によって……」

 数少ない情報によると……。
『京都大戦』は、三派に分かれて争われたという。
『百地』、『道阿弥どうあみ衆山岡派』、『道阿弥どうあみ衆藤堂派』の三派だ。
 十日あまりの戦いの末、『百地』が他二派を打ち破った。
 その立役者が静流様であり、俺の師匠というわけだ。
 その後、道阿弥どうあみ衆の残党が勢力を立て直すため、暗躍したと言う噂も在ったが。
 今ではその全てが、駆逐されたとされている。
 事実この国では、『百地』派以外の忍者は、存在していない。
 ……………………。
 そうとも限らんか。
 実際、真田は存在していたんだからな。
 伝説に聞こえた、『真田』が。

「この瞳も……その時に斬られた……」

 真田が髪を掻き揚げた。
 左目に走る、刀傷。
 その傷に、真田がどんな思いを宿しているのか、俺は知らない。
 知らないのだ。
 だから、素直に思った。
 綺麗だな、と。
 顔の傷は、退いた訳じゃない事を伝えてくる。
 腕や背中なら、その可能性もあろう。
 だが……。
 真田は、向かっていったのだ。
 その傷を美しいと思って、何が悪いだろうか。

「私は……憎んだ……道阿弥どうあみの残党じゃない……弱かった父……弱かった真田……そして……弱い私……」

 真田が、ぎゅっと唇を噛んだ。
 忍びにとって弱いとは、死地へと旅立つ事。
 情報戦が主たる戦場になった現代でも、それは変わらない。
 屠った敵を恨むなど筋違い。
 お里が知れるってもんだ。
 でも……それは理屈。
 例えば、親父が死んだら。
 お袋や師匠が死んだら、俺は殺した奴を憎むだろう。
 自分の事は、棚に上げて。

「だから私は……強くならなくては……あの日誓った……指し示された道……私は……私は……」

 涙を見せない真田。
 俺はそんな真田が……。

「なあ真田」
「…………」
「明日の放課後、学園の裏山に来ないか?」
「……………………えっ……?」
「若宇を呼び出して、苛めてやろうぜ」
「…………………………え…………え?」

 真田のきょとんとした顔。
 なんだか、不思議なものを見るような目で、俺を見ていた。
 まあ自分でも、めちゃくちゃ言ってるとは思うけどよ。

「俺、人質に成るからよ。若宇を呼び出して、挑んでみろよ」
「……そんな……人質なんて……」
「大丈夫。いや、人質の身としては、大丈夫じゃねえんだけどな。アイツは熱くなったら、人質の事なんか覚えてねえし。呼び出すきっかけって奴だ。若宇を本気にさせることも出来るし、約束をすっぽかす危険性も無い」
「……………………」
「そこで若宇に挑んでみろよ。必要なんだろ……若宇と戦う事が……」
「……………………」
「確かに俺は、若宇の守護者だ。自分の任を放棄してる気もするが……まあ、今回はうっちゃっておこう。アイツをギャフンといわせるのは、俺の悲願でも有るしな」
「…………………………」
「…………あんまり言いたくないが……。アイツは……若宇は馬鹿だ。馬鹿だけど、そんなに馬鹿じゃない。アイツが真田と友達に成りたがってるのは……お前が孤独を背負おうとしているのが、解るからだ」
「…………こ……どく……?」
「アイツは、そうゆうの敏感なんだ。なんでか知らんけど、孤独な人間が嫌いなんだ。だから手を差し伸べる。そうれで救われたの……救われた人間も、たまに居る」
「……………………」
「俺はアイツが嫌いだ。立派な両親……一部立派じゃない気もするが……立派な両親も居るし、友達も多い。なにより才能に溢れている。ろくすっぽ努力もしないで、人の上を越えていきやがる。有り余る幸せに囲まれて、それでも人のことをこき使いやがる。俺はあいつが嫌いだ。……………でも……でもな。そうゆうとこだけは……ほんのちょっぴり、嫌いじゃない」
「……………………」
「挑めよ。それが真田にとって、一番良いような気がする。……アイツにとっても良いような気がしないでもないが、基本的にそれはどおでも良いからな」
「……………………ふふっ……………………」

 俺の言葉を聴いていた真田が。
 不意に。
 笑った。

「……じゃあ……明日……私の人質に……なってくれる……?」

 悪戯っぽい、真田の笑み。
 ああ、ヤバイ。
 何がヤバイか解らんが、非常にヤバイ。

「あ、ああっ! まかしとけっ! 自慢じゃねえが、昔っから人質になるのは慣れてるんだ! 俺は石川から『百地』に……てゆうか、師匠のところに人質として、囚われているようなもんだからなっ!」
「……ふふっ……」
「人質ってゆうか、奴隷だよなっ! 飯も作ってるし、身の回りの世話もしている! どんな地位の低さなんだ、俺はっ!」
「……ふふっ……ふふっ……」

 真田の笑みが、俺の何かに浸透していく。
 俺は、抗う事が出来なかった。
 抗えないまま、言葉を積み重ねていった。

「よーし! こうなったら、徹底的に若宇を追い込んでやろうぜ! あの馬鹿をギャフンと言わせて、少し大人しくなって貰わないとこっちが困る!」
「……ふふっ……ふふふっ……」
「だけど……気をつけろよ、真田」
「……?」
「アレは……本物の馬鹿だけど……本物だぞ」

 真田の瞳が。
 隻眼に、光が宿った。

「ええ……解ってる……」

 意志の強さ。
 宿命と戦う覚悟。

「百地若宇を超える事……それで私は……宿命を……超えられる……」

 綺麗だと思った。
 ……まあ。
 結局、なぜ若宇と戦わなくてはいけないかを、聞き出せなかったんだけどな。
 これはこれで……なんか、納得できた。
 ……そう。
 納得できた。
 俺は真田の事を……気になっているのだ。




















第五話 『あたし達、届け』


















 自分で選んだとは言え、この状況は結構辛いものがある。
 本当だったら。
 もっと真田と陰忍比べもしたいし、後ろから若宇を羽交い絞めにしてギャフンと言わせてやりたい。
 そしてなによりも……。
 二人が言う、『たておか』のこと。
 二人を正座させて、頭ごなしに問い詰めてみたいのだ。
 そりゃ思い当たる名前は在る。
 たておか……楯岡といえば、伊賀忍者史に残る伝説の忍者、楯岡道順どうじゅんに他ならない。
 伊賀忍術四十九流の開祖であり、忍び十一士の筆頭だ。
 そして……もはや忍びの世界では知らぬものの無い、信長狙撃伝。
 時の権力者、織田信長を二度狙撃。
 だがそのいずれも、突き立てた刃を振り下ろす事無く、この世から消え去ったという。
 伝説……いや、神話級の伊賀忍者、楯岡道順。
 現代、楯岡の名を持つ忍者や忍軍は、この世に存在していない。
 だから楯岡は、伝説……いや、神話なのだ。
 俺が思い当たる『楯岡』は、一つしかない。
 だが……。

「……」
「……………………」

 睨み合う二人が言っている『たておか』が、楯岡のことを指すのかどうかが、まず解らない。
 そして、『たておか』に届くという意味も。
 だが……これは、まったくの推測なんだが。
 昨日真田が言っていた『彼ら』とは、さっきから二人が言っている『たておか』の事なんじゃないかと思う。
 つまり『たておか』は、『楯岡』。
 神話級の忍者、楯岡道順。
 あのレベルに辿り着きたいという事なんじゃないのか?
 つまり、強くなりたいと言う事だ。
 しかし……それは殆ど不可能だと思う。
 楯岡道順が暗躍した時代。
 それは忍びの世界がまだ体系付けられてはおらず、混沌としていた。
 伊賀や甲賀の区別も曖昧で、共同作戦以外の他流派同士の交流なども無かった。
 しかし、今は現代である。
 秘忍書が現代語に翻訳され、書店に並ぶような時代なのだ。
 大学の卒業論文でも、忍びの世界を綴る者が多いと聞く。
 そんな世界で、『想像も出来ない陰忍』を生み出すのが、果たして可能なのであろうか?
 陰忍……忍術とは、初見が命。
 訳も解らないうちに、訳も解らず倒される。
 石川流抜刀術も、そんな感じである。
 刀の長さを諭させず、両脇差からの抜刀で屠る。
 それが基本なのだ。
 確かに真田の陰忍は、見た事も無い陰忍だ。
 だが、想像も出来ない訳じゃないし、対処できないわけじゃない。
 楯岡道順が、神話級にまで登りつめる事が出来た理由。
 それは、『想像も出来ない忍術』を生み出せた事にある。
 独創性が、楯岡道順の神話を支えているのだ。
 現代では、難しいだろう。

「……」
「……………………」

 それでも二人は、手を伸ばすのか。

「行くぞ……ゆっきー……」
「……ええ……」

 真田が、地面を蹴った。
 斜め後方に飛び退る。

「けぇっ!」

 若宇が真田を追う。
 身体が霞むような速度で。
 今まで見てきた忍者の中で、若宇の瞬発力は群を抜いている。
 どんな流派のどの達人ですら、若宇に追いつけないだろう。
 師匠ですら。

「……しっ!」

 飛針とばり!?
 初めて真田が、投げ物を撃った。
 長さ15cmくらいの、箸手裏剣に近い得物だ。
 宙を翔けている最中でも、あの速度で投擲が出来るのか。

「くっ!」

 若宇が急停止し、身をかわす。
 手甲で受け止めたりしないのは、飛針にどんなギミックが施されているか解らないせいであろう。
 初見を警戒しすぎるという事は無い。
 好奇心は、闇を殺すのだ。
 ようやく思い出したようだな。
 若宇が、本気に近づいている。

「……!」

 急制動を駆けた若宇の背後に、真田が回りこんだ。
 僅か二回の跳躍。
 真田の瞬発力も、恐ろしいものがある。
 白い太腿の破壊力も、中々だ。

「……っ!」

 拳!
 真田が……打撃を?
 先ほどまでの、フェイクじゃない。
 当てるつもりで……殺すつもりで撃つ拳だ。
 若宇の背中に着弾する。

「ぐっ!?」
「……しゃっ!」

 一瞬動きを止めた若宇。
 そのまま制服の背中を握って、膝を引き寄せる。
 真田の白い太腿が、若宇の背中に突き刺さった。

「くっ……わわっ!?」

 背中に突き立てた膝を支点にして……『弓剋ゆかつ』か!
 だが、先ほどまでの弓剋とは、何かが違った。

「……しっ!」

 ごりっ。

「……くはぁっ……」

 先ほどまでの弓剋とは、引き寄せる速度が段違いだ。
 まるで斬戟ざんげき
 若宇の顎に手を添えたかと思うと、一気に引き千切る。
 頚椎が……折れた?

「……」
「だぁっ!」

 生きてる!?
 若宇の馬鹿は、ゾンビか?
 背中に位置している真田に対して、裏肘で振りほどく。
 脇腹に肘を食らった真田が、声無く着地した。
 そしてまた、距離を取る。
 ……冷静に考えれば、首の骨が折れていないのは一目瞭然だ。
 おそらく若宇は弓剋の時、自ら首を身体を捻ったのであろう。
 一瞬でも読み違えていれば、頚椎が粉砕されている危険もあっただろうに。
 いや。
 若宇が読み違えるはずが無い。
 真田の拳や体勢から、捻られるべき方向を割り出したのだ。
 理屈じゃない、閃きによって。
 あの馬鹿の、そうゆうところがイラつくよな。

「しゃっ!」

 若宇がスカートの裾を捲りあげ、苦無を投擲した。
 そんな思い付きの投擲が、真田に……。

「……!」

 真田が、身をよじじらせてかわす。
 そんな思い付きで放った苦無が、真田にヒットするわけが無い。
 そんなのは、若宇も解っていたんだろう。
 苦無を放った瞬間、地面と蹴っていた。

「!?」
「だっ!」

 真田の背後から、若宇の拳。
 先ほど真田が仕掛けた戦法と、まったく同じである。
 違うとすれば……。
 真田は宙を駆けたが、若宇は地を蹴った。
 速度的にも、若宇の方が上回っている。

「しっ!」
「……くっ!?」

 真田が何とか身をよじる。
 そこまでが、若宇の思惑通り。

「ふぅっ!」
「……!?」

 身をよじった真田へ、こうでの打撃。
 人体の中で、一番力が乗る場所だ。
 裏肩―――こうの部分は、つま先から腰、手首から肩の捻力を、余す事無く伝えられる。
 リーチがない分、当てるのが難しい箇所でもあるのだが、その分、ヒットしたときの破壊力は計り知れない。
 真田の軽い体が、地面を削るように転がっていく。

「しゃぁっ!」

 追い討ちをかけようとした若宇だったが……。

「……!」

 真田が地面に手を付き、滑ってゆく身体を立て直した。
 同じような攻撃の入り方だったが、二人のスタンスの違いがはっきりと解る。
 真田は極枝、若宇は打撃。
 一見真田の極枝の方が、技の発動に時間がかかる分、不利なように思える。
 だが先ほどの『弓剋』を見ると、あながちそうとも言えないだろう。
 真田の極枝も、若宇の打撃も……。
 どちらも、研ぎ澄まされた刃なのだ。

「……」

 真田が自分の指先を咥えた。
 唇に、血が滲んで……いや違う。
 指先から出血しているのだ。

「……ぷっ……」

 そのまま吐き捨てた。
 おそらく、体勢を立て直そうとして地面に掌を打ち込んだとき、爪が捲れてしまったんだろう。
 何のためらいも見せず、剥がれ掛けた爪を噛んで、自分で剥がしたのだ。
 見てるこっちの方が痛いぜ。

「……」
「……」

 まだ空中に、白い羽が漂っている。
 二人の周りを、廻っている。
 白い羽が踊る中。
 お互い、解り合ったように。

「……」
「……」

 微笑んだ。

「!」
「!」

 次の瞬間、二人の身体が弾け跳んだ。
 若宇は地面を、真田は宙を蹴る。

「……すぅ……」

 若宇が急制動。
 ……なんだ?
 腰を溜め、極限まで身体を捻る。
 なんだ?
 手には……針?
 長さ5cm程度の針のようなものを、掌に保持していた。
 あんな忍具、『百地』には無いはず……。

「……しっ!」

 真田が羽を蹴り、方向転換しようとした瞬間……。

「はぁっ!!!」

 若宇の掌から……光が放たれた。
 蒼い光線のような……。
 宙にきらめく、幾条もの流閃りゅうせん

「……!?」

 光が、真田の足がかり……羽を全て叩き落した。
 いや……燃やしたのか!?
 空中で、白い羽が霧散する。
 なんて燃焼速度だ。
 あんな陰忍、知らねえぞ。

「くっ!?」

 足場を失った真田が……翼を失った真田が、地面に舞い降りる。
 それが若宇の……。

「ああっ!!!」

 勝機。
 真田が着地した瞬間、若宇はもう距離を詰めていた。
 密着戦闘距離。
 若宇の間合いだ。
 若宇が袈裟掛けに、手刀を振り下ろす

「シッ!」

 袈裟掛けに振り下ろしたのは、真田を飛ばせないためだろう。
 若宇の攻撃は、下段の発生が多い。
 だが跳躍力のある真田に対して、それじゃ逃げられるという判断か。

「……くっ……」

 それが正解であったかのように、真田が身をかわす。
 飛べはしない。
 既に翼は手折れたのだ。

「しゃぁっ!」
「……っ……」

 若宇の中段下回し突きが、体勢の崩れた真田の腹に突き刺さる。
 真田の表情が歪んだ。
 そりゃそうだろう。
 あの重量を纏った拳を、あの速度で叩きつけられたんだ。
 内臓破裂していてもおかしくない。
 真田の動きが、一瞬止まる。

「……」

 若宇が拳を……いや、両手刀を腰溜めに構える。
 掌を上に……貫手か?
 まるで……両脇差の、石川流のように。
 まさかっ!?

つぐみっ!」

 発声と共に、貫手が真田の身体に吸い込まれた。
 2……いや、3発か?
 3発から先は、霞んで見えなかった。
 俺の動体視力を超える貫手だと……。
 馬鹿な。
 ……いや、アイツが馬鹿なのは、解りきってるんだけど。

「……くっ……はぁ……っ……」

 真田の身体が、崩れ落ち……。

「……ま……まだ……だ……」

 ……る瞬間、若宇の襟を掴んだ。
 若宇の寄りかかるようにして、必死に自分を支えている。
 若宇は……少しだけ悲しそうな顔で、真田を見下ろしていた。

「……まだ……届いて……ない……私は……わた……しは……」

 真田の隻眼に、光が宿った。
 最後の力。
 握った制服のえりを、斜め上に引き上げる。
 あの速度では……衣服の摩擦で、頚動脈が切れる!?

「……私は……真田白雪だぁ―――っ!!!」

 摩擦抵抗で、皮膚が避ける瞬間。
 若宇が強引に身体を開いた。
 軽い斬音と共に、制服が裂ける。
 俺の洗った白いブラジャーが、あらわに成った。
 だが、まだだ。
 真田はまだだ。
 襟を引き上げた腕を……鋭角に尖らせた肘を、若宇の胸に振り上げる。
 襟を引き上げるのと同時に、肘を胸に叩き込むつもりなのだ。
 斬撃にも似た極枝と、打撃技の融合。
 また……俺の知らない系統だ。
 あんな陰忍……俺は知らない。

「……」

 あの肘を……かわした……?
 密着された状態で、斧の如く振り上げられた肘を……。
 人に可能な動きじゃない。

「……!」
「……」

 肘が空を切った瞬間、真田は次のアクションに移っていた。
 自分の肘を潜らせた掌打。
 後背筋は開く時よりも、閉じる時の方が力を生む。
 それに加えて、全身を螺旋と化した掌打。
 密着距離で……俺はあれをかわせるだろうか……?
 だが……若宇はかわした。
 頚動脈を狙った斬撃極枝。
 ノーモーションで振り上げた肘。
 そして、密着距離で繰り出された掌打。
 その全てを……まるで知っていたかのように、ことごとくかわして見せたのだ。
 空気が、凍る。
 
「……っ……」

 全ての攻撃をかわされた真田の身体が、一瞬硬直したのだ。
 空気が凍ったと思ったのは、俺の錯覚だったのだろう。
 その瞬間を狙って、若宇の拳が煌く。
 ……左掌で……右拳を包み込む。
 …………左震脚しんきゃく…………。
 自分の左肩と……並行するように……。
 左掌から、右拳が。

「!」

 放たれた。

「ぅっ!?」

 若宇の拳が、真田の胸にめり込む。
 破壊力と呼応するかのごとく、真田の身体が吹き飛んだ。
 まるで、三流アクション映画のように。
 真田の身体が地面をすべり……。

「……………………」

 そして動くものは、居なくなった。
 静寂が支配する世界の中で。
 若宇が……勝者がそっと、敗者に語りかける。

「あたし……若宇……百地で……伊賀崎で……楯岡に届いてない……」

 悲しそうな、優しい声。

「……あたし……若宇……」






















 ちゃぷん。

「はー……いてて……身体中……いてー!」
「……それは……私も同じ……とゆうか……どちらかと言うと……私の方が痛いんだけど……爪もはがれて……お湯が沁みる……」
「んなこたないっ! あたしの方が、万倍もいてーってのっ!」

 ちゃぷんちゃぷん。

 水音と言い争いが、雑木林に響き渡る。
 気配を殺せ、十哉。
 忍者は常に、心を殺すべき。
 故に波立たせてはならない。
 心を、あの水面のように……白い肌……膨らみ……女体……水面のように……。

「てゆーか、ペケー!」
「はっ」
「お前、覗いてんじゃねーぞっ! でも誰も近づけんなよー!」
「御意」

 といいつつ、覗いていた。
 宙に漂う湯煙の中で、先ほどまで死闘と呼んで差し支えない戦いを繰り広げた二人が、温泉に浸かっているのだ。
 また諍いが起きないとも限らない。
『百地』の守護約たる俺が、監視しない訳には行かないだろう。
 そうやって己を納得させるしかあるまい。
 こんな覗きみたいな真似―――いや、覗いてるんだけどな―――俺のキャラじゃない。

「ふぅ……思いっきり暴れた後のひとっ風呂は、気持ちいーなー、おい♪」

 親父め。
 白く霞む視界の中で、若宇は湯縁に両腕を投げ出してくつろいでいた。
 コメントも親父臭ければ、態度も親父臭い。
 ……酷いよな。
 俺の青春を犠牲にして育てているといっても過言じゃないのだから、もうちょっと女らしくなってもいいはずなんだが。
 そう例えば。
 胸元をバスタオルで隠す、真田のように。
 ちなみにあのバスタオルは、俺が洗濯してこの近くに隠しておいた品だ。
 若宇が突然温泉に浸かりたいと言い出すことを想定して、準備しておいたのだ。
 だから、一枚しかない。
 その一枚を真田が使っているということは……若宇は真っ裸ってことだ。
 まあ別に今更、若宇の裸なんかに興味は無いんだけどよ。
 問題は真田。
 ……なんてえ破壊力だ。

「……………………」

 その真田の表情は、あからさまに沈んでいた。
 気持ちは解る。
 負けちまったんだもんな、真田。
 こんな親父臭い小娘に負けたとあっては、納得出来るものも出来ないだろう。

「……なあ、ゆっきー?」
「……なに……?」
「最後のあれ……『もず』かー?」
「……………………」

 鵙?
 それは最後に真田が使った、あの技の名称だろうか?
 ……まさか、な。
 忍者の技名にしては、随分と派手だ。
 そんな名前をつける忍者が……。

「……そうよ……まさか……かわされるとは思って無かったわ……」

 居るらしい。
 だが問題は……何故若宇がそれを知っているかという事だ。
 俺の知らない、『百地』の陰忍。
 そんなものが存在するのか?
 そしてそれが、『真田』にも在るのか?
 95cmのDカップとは、あんなにも迫力……いや、破壊力があるものなのか?
 なんの破壊力だよ、俺。

「……しつこく……真田の名称を口にしてたのに……真田以外の技を使わない……使えない……そうは思わなかったの……?」
「んー」

 真田に比べたら、僅かに迫力の劣る乳が天を仰いだ。
 破壊力は、大分下だ。

「思わなかったなー」
「……そう……無駄な小細工……だったというわけ……」
「そーいえばゆっきー。戦ってる最中に技名言ってたっけなー。あたしも口にするけどさー。アレって、かっこいーから、言うんじゃねーのー? もしくは、気合を入れるためー」
「……………………」

 真田が呆れた表情で、若宇を見ている。
 無駄な小細工じゃなくて、小細工自体が無駄なのだ。
 あの馬鹿は、そんな細かい事まで認識できねえから。
 工夫する甲斐が無い事、この上ない。

「それにしても、ビックリしたってーの。まさか、『鵙』が使えるとはなー」
「……貴方の……最後の拳戟は……?」
「あ、あれかー? あれは、『藪鮫やぶさめ』。自分の身体を抱き絞めるように撃つ、あたしの拳技の中でも、最速の一撃だー」
「……そう……」

 自分でばらしてんじゃあねえよ、馬鹿。
 とは言え……あの拳は、速かった。
 身体を伝う捻力と、大地の反発力を生み出す震脚。
 この俺ですら、拳での打撃だと気づくまで、一瞬の間があった。
 しかも、左掌で右拳を覆うアクション。
 あれは多分、極限まで力を溜めるための動作なのだろう。
 ようは全身を使った、凄いデコピンって事だ。

「……今度は……私も使えるように……なってみせるわ……『藪鮫』……」
「難しーぞー。撃つだけなら誰でも出来るけど、当てんのが、難しーんだ」

 確かに。
 あの打ち出し方では、殆ど肩当と変わりない。
 だが肩当では、あれほどの破壊力は生み出せないだろう。
 破壊力はあるが、リーチが無い、か。
 確かに真田の乳は、破壊力がある。
 ……………………。

「……ゆっきー」
「……………………なに……?」

 そうじゃねえだろ的な妄想に浸っていた俺の目に、若宇の表情が飛び込んできた。
 あの顔は、見たことがある。
 らみも純も……も。

「話せよ」
「……何を……?」
「ゆっきーのこと……話せって言ってんだー」

 そんな聞き方ねえだろ、馬鹿。
 だが……何故か話しちゃうんだよな。
 それは多分、アイツが馬鹿だからなんだろう。
 同情でもなく、好奇心でもない。
 ただ単に、相手が話したがっているのが解っているから、聞いてみただけ。
 それだけなのだ。
 だから、話してしまう。

「……私……貴方を超えなくては成らない……」
「あんでよ?」
「……それが……あの人との約束だから……」
「あの人? もしかして……おとーちゃんか?」
「……そう、ね……」

 だいたいの予想は出来ていた。

「私の家……真田は、道阿弥どうあみの残党によって滅ぼされた……。……忍軍を再編して……『百地』を潰そう……そう考えていたみたいね……」
「くだらねー事考えるなー」
「……そうね……でも……潰される側にとっては……下らないじゃ済まないわ……」
「……………………ごめん……………………」

 珍しい。
 若宇が素直に謝っている。
 たぶんそれは、若宇が真田の事を認めたからなんだろう。
 俺なんか、若宇の謝罪を聴いたことが無い。
 ……そうゆうことなんだろうけど、そりゃねえよな。

「ううん……貴方は悪くない……。悪いのは……弱かった真田……弱かった私……」
「……」
「闇に潜って……荒れた時代を導くため……牙を研ぐ……。……聞こえは良いかも知れないけど……時代に取り残された真田は……たかが道阿弥どうあみの残党にすら……敵わなかった……」
「……………………」
「……真田の宿命……それが真田を……父様たちを殺した……」
「……………………」

 真田が、『宿命』という言葉を忌み嫌う理由。
 なんとなく見えた気がした。

「だから……私は……宿命を憎む……私の……真田の宿命だけじゃない……全ての宿命と呼ばれるもの……消し去りたい……だから私は……」
「でもそれってさー。ゆっきーが宿命に囚われてないかー?」
「……え?」
「いやさー。それが宿命ってことなのかどーか、あたしには解らんけどさー。今のゆっきーは、宿命って言葉に縛られてる気がするんだー」
「……縛られてる?」
「うん」
「……………………」
「本当に宿命って言葉が嫌いならよー。忍者なんか、辞めちまえばいーんじゃねーの? 別に誰も困りゃしねーし……これ言うと悲しむかもしんねーけど……抜けても、追いかけてくる奴もいねーんだろー?」
「……………………」
「だから、嫌だったら抜けちめーばいーんだよー。……ゆっきーに、そんな生き方が出来るなら、な」
「……………………」

 若宇は馬鹿だ。
 馬鹿だが、解っている。

「……出来ない……出来ないわ……」
「だから、あたしを倒そうと思ったんだろー? ま、おとーちゃんの陰謀も多分に入ってるだろーけどさー」
「……陰謀?」
「陰謀だっつーのっ。あたしを倒しても……あたしを超えても、ゆっきーが満足するかー?」
「………私……………私……泣いてた……父様の亡骸の前で……母様の前で……ずっと泣いてた……父様の身体が崩れても……母様の良い匂いが、腐臭に変わっても……私……泣いてた……動けなかった……」

 ……………………。
 頭の中に、光景が映し出される。
 血塗られた部屋の隅で、膝を抱えて泣く少女。
 死屍累々の中、二つの亡骸だけが浮かび上がる。
 徐々に両親が、両親じゃなくなっていく。
 自分が自分じゃなくなって行く。
 感情が……心が死んでいく。

「……そこに、おとーちゃんが……?」
「……そう、ね……」

 相変わらず、神出鬼没な人だ。
 どうして師匠は……この親子は、必要とされる人間の前に現れるのだろう?

「……私……骨と皮だけの私の前に……あの人は現れた……食事なんか……何ヶ月も取ってなかったから……そんな私にあの人は……無理矢理……口に物を押し込んだ……」
「……ゆっきー。話しの腰折ってごめん。ごめんだけどよー……これって、エロCGの出てくる話じゃねーよなー?」
「……………………」

 解ってる。
 解ってるぞ、若宇。
 お前はこの深刻な話に、少しでも笑いを入れたくて、敢えてそうゆう発言をしたんだろう?
 でも、空気が読めてないのも事実。
 だが、許してやる。
 許してやるから、そのエロCGを想像した俺のことも見逃してくれ。
 ……一瞬、本気で師匠に殺意が芽生えちまったぜ。

「……百地……若宇……」
「ん?」
「……私の前で……えっちな話はするな……」
「ごめん。押し込んだのは、食いもんだよなー」
「……そう……」
「おとーちゃんのアレは、ロリータ時代のゆっきーには辛いと思うんだー」
「……………………百地……………………若宇……………………私の……………………」
「わ、悪かったってーのっ! 続き、話せよっ!」
「……………………石川十哉の気持ち…………少し解ったかも…………」

 ……すまん、真田。
 理解してくれたのは嬉しいが、俺も若宇と似たような事考えてしまったんだ。

「……今度……話しの腰を折ったら……貴方の腰を折るわよ……」
「わ、解ったってーのっ! で、おとーちゃんに無理矢理突っ込まれて、生きながらえたんだろー?」
「……話し続けたくないけど……そうね……確かにあの人のおかげで……生き長らえたんでしょうね……」
「嬉しくなかったみたいだなー」
「……嬉しいはずなんか……ない……。……でも別に……死のうなんて考えてたわけじゃない……ただ……放って欲しかっただけ……父様……母様から……離れたくなかっただけ……」
「お節介だからなー、おとーちゃん」
「……ふふっ……そうね……お節介ね……」

 真田が、何かを懐かしんだように、空を見上げた。

「私……抵抗したの……指を噛んで……刀を振り回して……でも敵わなかった……後から解った事だけど……あの……五遁ごとんの大河ですもの……」
「敵うわけないよなー」
「……ふふっ……そうね……敵うわけないわね……何度も何度も抵抗したけど……無理矢理……食事させられたわ……」
「……………………」

 その沈黙は、痛いほど解るぞ、若宇。
 何度も抵抗したけど、無理矢理されちゃったんだな。
 やっぱあの師匠は、一回痛い目に合わせてやりてえ。
 無理だけど。

「……次第に体力も戻ってきた……でも……やっぱり敵わなかった……だから私……使ったの……」
「なにを?」
「私の力……忌み嫌っていた……『固定ホールド』を……」
「あの能力かー」
「……うん……」

 真田の超能力。
 物質を空間に固定ホールドする事の出来る能力か。
 ……今考えると、だが。
 おそらく真田の能力は、万能ではないのだろう。
 若宇との戦いの時、能力がばれているにも関わらず、若宇の投げ物を固定する事は出来なかった。
 そもそも何でも固定ホールドできるなら、相手を空間に固定しても良いって訳だ。
 それをしなかった……いや出来なかった点からも考えて、極軽量なものにしか、その力は及ばないのだろう。
 例えば、白い羽のようなもの。

「……私の力と……真田……でも勝てなかった……いつの間にか私……あの人に勝ちたいと思っていたんでしょうね……。父様達が……あの人に埋葬されても……私は……あの人に挑んで行ったんだから……」
「おとーちゃんが、そう仕向けたんだろー」
「でしょうね……本当にお節介よね……」
「だろー」
「……ふふっ……」
「ぎゃははっ♪」
「……ふふっ……だから私……考えたの……私の力を持っても……真田を持ってしても勝てないなら……別の牙を研ごうと……」
「それが……」
「そう……それが……あの人の技……貴方と同じ……陰忍よ……」

 ……………………。
 真田が見せた、『鵙』なる技。
 あれは師匠の技だったのか。
 そう聞けば、なんとなく納得も出来る。
 師匠の技は、独特のリズム且つ独創的なアプローチで繰り出されるからな。

「よく習得出来たなー。見たり教えられたりしても、習得できる類の技じゃねーんだけどよー」
「……何度も……何度も受けたから……。勿論……鵙だけじゃないわ……」
「そりゃこえーなー♪」

 などと言いつつ、若宇が不敵に笑った。
 全然怖がってないじゃねえか。

「なあゆっきー」
「……なに?」
「どんだけ技が使えても……例え飛針を駆使できてもよー……追いついた訳じゃねーんだ」
「……………………」
「あたしも……まだ……全然だ……。おとーちゃんが良く言うんだー。お前には経験が足りないってよー」

 俺も良く言われる。

「おとーちゃんも……おかーちゃんも、色んな物を潜り抜けてる……だから、強いんだ」
「……うん……」

 そうだな。
 あの人たちは強い。
 戦闘力だけじゃない。
 心だけじゃない。
 全てが……全てが強い。

「だから例えゆっきーが、あたしに勝ったとしても……負けねーけどよ♪ でも勝ったとしても、辿り着けたわけじゃねーと思う」
「……」

 若宇が星空を見上げた。
 真田も自分のタイミングで、天空を仰ぐ。
 二人に見えてるものは、一体何なんだろう?
 そして……。
 俺が見なくてはいけないものは、何なんだろう……。

「あたしたち……届くよな……?」

 ……。
 弱音……か?
 あの若宇が……。

「……届かせるわ……きっと……」

 若宇の弱音を振り払うように、真田が力強く発した。
 そうだな。
 俺たちには、辿り着かなくてはいけない場所がある。
 そんな気がする。
 今は、そこがどんな場所なのか、解らないけど。
 でも……。

「あたしたち……」
「……届け……」

 俺も届かなくては成らない。

「……ってことで、ペケっ!」
「はっ」

 迷いを振り払うように、若宇が俺に向かって叫んだ。
 俺の姿は確認できていないはずだ。
 いかに若宇の感覚が鋭くても、俺の穏行を見破れるはずが無い。
 ……じゃあ、返事しちゃ駄目じゃんか。

「……石川……十哉……?」

 ああ、ヤバイ。
 真田が声のほうを見てしまった。
 その先には、俺が居るのだ。
 見ないでくれ。
 見えないだろうけど、見ないでくれ。

「きょーの戦いの事は、全て忘れろーっ! 命令だっ!」
「御意」

 今日の戦いの事。
 真田と交わされた、牙と爪。
 不可思議な陰忍。
 それを忘れろという事なんだろう。
 逆に言えば、俺にすら隠さなくては成らない事だという事だ。
 馬鹿め。
 誰が忘れるか。

「そのかーし、ゆっきーのセミヌードは覚えててもいーぞー♪」
「!?」

 真田の顔が、真っ赤になった。
 うむ。
 それも忘れないと、心に誓ったばかりなのだ。

「今日我慢して、解説役に徹した褒美だー。どーだ、優しいだろ、あたしわー!」
「……全然……優しくないわ……人の肌を……ろく代わりにしないで……」

 真田が口までお湯に潜った。
 うわ……俺って印象、悪い。
 ……って、禄……?

「いーじゃん! あいつも満足してるだろーし、減るもんじゃなしっ!」
「……全然……良くない……」
「あたしなんか毎朝、生乳見られてるんだぞ、生乳っ!」
「……見せつけてるだけでしょ……わざと……」
「んなこた無いっ! あいつが人の寝ぼけた隙を狙って、勝手に見てるだけだっつーのっ!」
「……そうやって……気を惹こうとしてるんでしょ……」
「だだだ、誰がだーっ! あいつはただの下僕っ! 下僕の気なんかひーても、しゃーねーだろっ!」
「……そうかしら……?」
「ゆゆゆ、ゆっきーこそ! ペケの気をこうとして、デカい乳見せびらかしてんじゃねー!」
「……で……かい…………………………。…………………………気にしてるのに……………………」
「その乳は許せねえっ!」
「……貴方こそ……若宇こそ……敏感なんでしょ……胸が……いやらしい……」
「ややや、やらしくなんか、ねーってのっ! てゆーか、なんでそんな秘密知ってんだっ!」

 そうか。
 なんとなく、今日の違和感が理解できた。
 師匠の言ってた台詞。
『若宇がヒーローなら、お前は何なんだろうな?』
 今日の俺は、解説役だったんだな。
 情けねえ。

「……聞いたからよ……貴方の胸を……刺激する人に……」
「なんかゆっきー、エロいぞっ! 大人しそうな顔して、エロ描写に優れてるなっ! 乳魔人がっ!」
「……ちち……まじん………………」

 別に解説役に徹したわけじゃないんだけど。
 てゆうか、俺の今日の役目は、人質だったはず。
 一応、救い出された事になるのか?
 ますますもって、情けねえ。

「ほらみろっ! 立ち上がって乳などアピールしてるぢゃねーかっ! 言うなれば、にゅ〜クリアビジョンっ!」
「……砕いてあげる……貴方も……その下品な心も……」
「やるってのかっ、ブランにゅーハートっ!」
「……応っ!」

 でもまあ、俺には俺の目的が有ったわけだし。
 若宇と真田を、本当の意味で会わせる事。
 一応目的は達成されたはず。
 その証拠に、ほら。

「くっ……! その乳、削っちゃるっ!」
「……真田にも……色吊は……在るっ!」
「……ちょ、ちょっと……こーの、にゅージェネレーション!」
「……くっ……も、揉まな……私に……えっちなことは……するな……」

 あんなに仲良しだ。
































 からんころーん。
 いつものように、惚けたカウベルが迎えてくれる。
 寝不足だから、なんとなくイラ付くんだよな。
 まあこの家に来た時は、大抵不機嫌になるんだけどな。
 シックな調度品の影から、身体の細い女性が現れた。

「あ、おハよー、トーちゃん♪」
「お早う御座います、レイナさん。今日も朝早くから、ご苦労様です」
「イエイエー♪」
「…………お早う………………」
「ああ、お早う」

 若宇を起こすため、エプロン装着のレイナさんと、メイド服の真田の脇をすり抜ける。
 忙しくて、不機嫌な朝の始まりだ。
 今日は素直に起きてくれるのだろうか?
 まあ起きなきゃ起きないで、一発殴れるんだけどな。

「……………………」

 階段を上がる足が、ぴたりと止まった。
 ……………………。
 スルーすべきかどうか、非常に迷う。
 迷ったのだが……一応振り向いた。

「……真田?」
「……………………」

 俺と視線を交わした真田が、照れ臭そうに小首をかしげた。
 あれで挨拶のつもりなんだろう。

「なんで真田が、ここに居るんだよっ! しかも胸が思いっきり強調された服でっ!」
「…………石川十哉…………胸の事は……言うな……」
「……トーちゃん……胸の事は、イわないでくだサイー」

 何故かレイナさんまでが、悲しそうな顔をしていた。

「どうしたんだ、真田?」

 たしかこの家の夕食までは、存在していなかった白い花。
 ご丁寧に、レースの付いた髪当てまで装着していた。
 たしか、プリムって言った気がする。

「……軍門に……下ったの……負けたから……」

 それは、昨日の戦いのことを言っているんだという事が、すぐに解った。

「だからってなあ……」
「……路銀ろぎんも……底を着きかけてるし……百地若宇……若宇の傍にいた方が……盗み易いし……」
「つまり、まだ諦めてないって訳か」
「……そうね……若宇に勝てば……届くわけじゃないのかもしれないけど……何か見えるかもしれない……」

 だからと言って、そんな制服まで着ることは無い気がする。
 誰の趣味……師匠か……やっぱ。
 殺しておくかな。
 無理だけど。

「でネー♪ 白雪ちゃんは、たダの居ソーローじゃないんだヨー♪ 持キュー力なら、自信があルんだヨー♪」
「……なんの持久力っスか」

 その話題は、男にとって禁句である。
 早いとか言われると死にたくなるし、まあまあと慰められても惨めに成るだけなのだ。
 ……摩理まりも殺しておくか。

「白雪ちゃんはネー、なんトこの喫茶店の従業員デもあルんだヨー♪」
「そりゃ、見れば解りますけど……」
「時給300エン♪」
「安っ!?」

 今時、300台円で働く人間が居るのだろうか?
 喰代には中央駅前にしかないが、コンビニで働いても時給750円はもらえる筈だ。
 多分、食費や家賃は免除されるのだろうが、それでも安す……。

「ワタシより、30円安イけど、我慢してネー♪」
「アンタ、330円で働いてるのかよっ!」

 どうやら身近に居たみたいだ。
 朝7:00から夜8:00まで働いているレイナさんが、時給330円。
 しかも俺が物心付いた頃から、レイナさんは一人で働いていたはず。
 なんて賃金効率の良さだ。

「だ、だっテー……ご飯、食べレるシー。ここがワタシの居場所だシー♪」
「……レイナさん。それ、思いっきり騙されてますって」
「……ご飯……食べられて……雨露を凌げて……良い場所ですね……レイナさん……」
「でショー♪」
「……………………今までどんな所に住んでたんだ、あんたら」

 俺の突っ込みに、二人が天井を見上げた。
 なんだ?
 たしか喫茶室の二階は、若宇やレイナさんの部屋だったはず。
 ちなみに師匠の住居、リビングや風呂などの生活施設は一階。
 何気にこの喫茶店は広いのだ……って。
 なんか二人の目が、潤んできた。

「……寒かったわ……」
「……クスン……なンか……血のにホい……思い出しましター」
「……………………もう良いです。なんか聞きたくねえ」

 階段から降りて、真田に耳打ちする。
 あ、なんか良い匂いだ。
 若宇なんかだと……どんな匂いだっけ、アイツ?
 意識した事無いから解らん。

「なあ真田」
「……?」
「本当にここに住むのか? 言っとくが、ここは魔窟だぞ。なんだったら格安のアパートとか紹介するぞ。もし金銭的に厳しくても、『仕事』なら紹介出来るし、そっから払えば……」

『百地』には、忍者の生活を支援する機構もあるのだ。
 一時的に借金する事にはなるものの、『仕事』をこなして禄から差っ引かれるシステムである。
 普通のカード会社なんかよりも、審査的に緩いのが特徴だ。
 それなりの家柄の奴が口を利けば、その場で支払ってくれることも多い。
 なにせ、取り逸れるって事が無いからな。
 借金からバックれて逃げようとしても、取立てに来るのは忍者なのである。
 ましてや全国展開の『百地』だ。
 逃げられるかどうか、考えるまでも無い。

「…………」

 しかし真田は、首を横に振った。

「なんでだよ。この家に恩なんか売られたら、一生もんだぞ? 良い実例が、そこに立ってるだろ」
「……?」

 レイナさんが、小首をかしげてこっちを見た。
 なんか、年上とは思えない仕草だ。
 俺が生まれた頃から、この喫茶店で働いているレイナさん。
 師匠よりも二つ三つ年上だといっていたから……四十くらいにはなっているだろうが。
 見かけは全然二十代だ。
 浮いた噂とかも、聞かないしな。
 俺自身、師匠の愛人なんじゃないかと疑った時期もある。

「……ううん……ここで良い……ここが良いの……昨日夜中に若宇が来て……私をアパートから連れ出してくれたとき……嬉しかったから……」
「……しかし、俺は薦めねえけどな。むしろ、出て行ってどっか別の下宿先を探す事を薦める。なんだったら、そういうところ紹介するし」
「…………心配して……くれてるの……?」

 ……そうだよな。
 基本的に、真田の行動に口出す理由なんか無いはずなんだけど。
 解ってる。
 俺は真田の事を、気になっている。
 口ごもった俺に、真田が柔らかい笑みを浮かべた。

「……でも大丈夫よ……ここなら雨露も凌げるし……」
「だから。他のところでも凌げるっての」
「……若宇の近くに居れば……技も盗めるし……」
「学園同じなんだから、機会なんかいくらでもあるだろ」
「……なんか……面白そうだし……」
「まあ退屈はしないかも知れんが、くつろげもしないぞ」
「…………………………あの人●●●も住んでるし……………………」
「………………はあ?」

 ……………………真田が……………………。
 …………………………頬を…………………………染めている……………………。
 エロトーク以外で。
 初めて見る……真田の表情……。
 まさか……………………まさかっ!?

「さ、真田……?」
「……………………」
「も、もしかしてお前……師匠の事……」
「!?」

 真田の顔が、真っ赤になったあ!?
 それは自分でも解ったのだろう。
 銀色のトレイで顔を隠しながら、スカートを翻して、走り去っていった。

「……………………」

 後に残された俺は、呆けたまま身動きも出来ない。
 世界で、俺しか生き残っていないような感覚。

「トーちゃん、ハートブレイク?」

 そう言えば、あんたも居たな。













































四月十九日   快晴♪  


 今日からなんと、ゆっきーが家に住む事になりましたー♪
 昨日の夜中、突然思い立ったんだ。
 ゆっきー、一人で住んでるっていってたから。
 そりゃ、あたしのお友達でも、一人暮らししてる子もいるけどさ。
 ゆっきーはなんとなく、一人で住んでちゃ駄目だと思ったの。

 深夜帰ってきた、おとーちゃんとおかーちゃんに相談してみたら、OKしてくれた。
 なんでもおとーちゃんが、ゆっきーのアパート代を払っててあげたんだって。
 本当は最初から、そのつもりだったみたい。
 なんか、手の平の上で転がされてる気もするんだけど。
 おとーちゃんが、『きちんと自分で世話するんだぞ』って言ってたけど、ペットじゃないんだから。
 世話はペケがするに決まってるじゃんか♪

 夜中にゆっきー荷物を引き払って、あたしの部屋の隣に運び込んだ。
 本当は面倒くさかったんだけど。
 本当はペケにやらせたかったんだけど、ペケの驚く顔も見たかったしね♪
 幸いというか何というか、ゆっきーのアパートの荷物は、殆ど解かれてなかった。
 ゆっきー……見た目よりも、横着さん?
 その分楽だったから、良いけどね♪
 でもおとーちゃんは、おかーちゃんになんか責められてた。
『セクハラするなー』とか、『若い肌を堪能してんなー』とか。
 おとーちゃんも善意でやってるんだろうけど、それが伝わらないからね♪

 本当はそんなことしなくても良いって言ったんだけど。
 ゆっきーが自分から、喫茶店の手伝いをしたいって言い出した。
 経営はレイナさんのおかげで順調だし、レイナさんも人手が欲しいって言ってたみたいだし。
 なんか、みんな丸く収まったみたいで、あたし嬉しい♪
 でもゆっきーの着てるメイド服。
 あれはどこから調達してきたんだろう?
 おとーちゃんの趣味なのかな。

 今日からまた、にぎやかになる予感がします♪
 楽しいなー♪


 おわり。




 それにしてもさー。ゆっきーがまさか、楯岡の事を知ってるなんてなー。ビックリしたけど、なんとなーく納得出来る。どーせ、おとーちゃんの陰謀だろ。
 あたしは、あーゆー人間が嫌い。見ててイライラする。どうして自分から、一人になろうとするんだろう? ちょっとだけ考え方を変えれば、楽しく生きていけるのに。
 ……………………あの人みたいにならずに、済むのに。
 だから叩きのめしてやった。ペケの前で楯岡になるのはヤだったけど、それもしょうがなかった。だってよー。あんな能力持ってるのは、卑怯だよなー。今のうちに叩き潰しておかないと、それこそ取り返しが付かなくなっちゃう。ペケは鈍いから、気が付かないだろーし。

 ペケが楯岡に気づいたとき。あたしはどうするんだろう? 今までどーりに暮らしていけるんだろうか? 楯岡と百地。両方つむいで行けるんだろうか? 不安だ。押しつぶされそうになる。本当にあたしたちは、届くんだろうか? あの人みたいな犠牲、出さずに済むんだろうか?

 ペケの馬鹿が、もー少ししっかりしてくれたらなあ。飯作ったり身の回りの世話してくれたりするだけじゃ、駄目なんだっつーの。それぐらい気づけよ。ずーっと一緒に。最初からあたしとずーっと一緒に居るんだからよっ!

 あ、なんかイライラしてきた。もう止めよ。慣れない事すると、イライラする。 



●感想をお願いいたします●(クリックするとフォームへ移動します)


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送