「さて」

 数時間後、俺たちはそびえたつビルの地下駐車場に集合していた。
 俺の脇には、黒装束に身を包んだ、若宇と真田。
 二人とも頭巾で顔を覆っている。
 無論俺もだ。
 こういった忍者装束は、なんとなく気恥ずかしいな。
 まあ、照れていてもしょうがないだろう。
 これからの事を考えよう。
 ここ、SIK本社の駐車場から建物内部に侵入するには、エレベーターを使うしかない。
 通風孔や連絡通路なんてものは、存在していないのだ。
 何故なら……。
 SIK社は忍者の装備―――忍具を専門に扱っている企業だ。
 忍具はそれぞれの流派が、独自のノウハウをつぎ込んでいる、秘伝と言っても良い。
 現代風に言えば、パテントって事に成るのか。
 そのノウハウを持っているのが、旧木羽忍機―――SIK社なのだ。
 何故、忍家で製作しないのか?
 一言で言って、法律の問題なのだ。
 忍者の持つ武器の大半は、銃刀法違反である。
 小さな手裏剣から汎用性の高い苦無、忍刀に至るまで、違法性の塊だ。
 しかし政治は、忍びの存在無くして継続出来ない。
 出来ないわけじゃないんだろうけど……いつの世も、愚か者は効率を重視するとの建前を持っているからな。
 故に政治は、武器携帯を免許制にした。
 三大大忍と呼ばれた忍軍が存在した時代から、その許可を与える業務は大家である『百地』、『藤林』、『服部はっとり』が請け負ってきた。
 しかし京都大戦を経て、藤林は取り潰されている。
 服部はっとりに至っては、長い間、歴史の影にすら浮かんでこない、消え去った流派である。
 今では百地のみが、その許可を与える事が出来る、唯一の流派と成っているのだ。
 勿論政府や官憲には、誰が忍者であるかという事は秘匿されている。
 百地のみが、忍者の全貌を知っているという事になるのだ。
 故に百地が事実上、全国の忍者を掌握している。
 しかし、それでは政府の方で忍者のコントロールが出来ない。
 だから、SIK社なのだ。
 武器の製造は政府直轄の企業、SIK社のみが許されている。
 それこそ手裏剣の一枚、煙玉一つまで、生産数を政府の方で握っているのだ。
 SIK社は忍具を製造し、その生産数を政府に報告。
 そして百地に卸し、百地が許可を与えた忍者に供給する。
 このシステムが、忍者の世界を支配していると言って良い。
 忍具の違法製造は、不法携帯や武器使用よりも罪が重いのだ。
 そしてそれを許す『百地』ではない。
 今尚絶える事の無い、忍者の小競り合い。
 それは『百地』に許可された忍者同士が持つ、SIK社で作られた忍具同士の戦いだという皮肉でもあるのだ。
 無論そうは言っても、秘伝の忍具を所持している流派は多いし、政府がコントロールできてない部分も多い。
 それでも一応の建前上、このシステムは完成しているといえよう。

「ペケ。なに回想入ってやがんだー?」
「……若宇? 誰に向かって無駄口聞いてるんだ?」
「……………………」

 頭巾越しでも解る、若宇のしかめっ面。
 きっと舌を出している事だろう。
 まあ良い。
 いただきともなれば、部下の無礼も見逃してやる必要が有るだろう。

「どうなんだ、若宇?」
「……………………すみません、石川殿」

 普通の部下ならば、だ。
 ふもとに居るのが若宇ならば、見逃さないぜ。
 わりとちいせえよな、俺。
 若宇を懲らしめて気も済んだので、いよいよ作戦に入る事にした。
 喉の筋肉をコントロールし、頭巾の下で微細に動かす。
 音を発さず、語りかけるように。

【全員これより会話は、『麦食むぎはみ』のみで行う】
 
『麦食み』とは忍者独特の話法で、音を発する事無く会話する陰忍の一つである。
 目の前に居た真田と若宇が頷く。
 同時に……。

りょう

 透の声が聞こえてきた。
 といっても、音声で聞こえてきたわけじゃない。
 透は別働隊として、別の場所に待機しているので、この場には居ないのだ。
 なのに、なぜ透の麦食みが伝わってきたのか?
 いかに忍者伝統の陰忍とは言え、建物の外で待機している透まで伝えられるはずが無い。
 理由は簡単。

【……これが……山彦やまびこ……初めて着けた……】

 そうなのだ。
 俺たちは頭巾の下に、『山彦』という通信機の一種を装着しているのだ。
 山彦とは耳と喉に至る、コード状の装置である。
 普通の通信機と違うのは、音声を伝える事を目的としていない点だ。
 麦食みによって発生した振動を、直接鼓膜に伝えるだけの装置。
 音声や周辺音は一切伝えないし、外部に漏れることも無い。
 故に傍受も不可能なのだ。
 たとえ振動を変換した電波をキャッチできたとしても、その内容までは解読できない。
 科学では、陰忍を解き明かすことなど出来ないのだ。
 まあ、その科学を利用しているんだけどな。
 今時の忍者は当たり前の装備なのだが、真田には珍しいのであろう。
 しきりに耳や喉を押さえて、感触を楽しんでいるかのようだ。

【これは……すごく便利ね……】

 嬉しそうな真田の隻眼を見ていると、こっちまで頬が緩んでくる。
 しかし、真田の期待を裏切るようで悪いのだが……。
 この山彦は、あまり役に立たない道具である。
 一般人相手には効果を発揮するが、忍者同士の策謀戦では無用になってしまうことが多い。
 まあ相手が忍者なら、麦食みを取得していると考えるほうが普通だからな。
 一般人相手には秘匿できる麦食みも、山彦の周波数を割り出されてしまえば、忍者相手だと会話が筒抜けになってしまう。
 そう。
 つまり今回の作戦は、対忍者戦ではないのだ。
 敵が忍者なら、ここに立て籠もる意味を理解していないはずが無いから。

「……」

 天井を見上げる。
 地下駐車場の天梁は、白い漆喰で固められたまっさらな一枚板だ。
 通風孔は見えるが、直径的に人が潜り込めるスペースじゃない。
 エレベーターにしてもそう。
 メンテナンスハッチは在るが、そこから上がっても稼搬ワイヤーまで到達できない造りになっている。
 通常メンテナンスは、屋上にエレベーターを引き上げて行うらしいし。
 透が待機している、外壁もしかり。
 忍者ですら登攀できない素材の集合体だ。
 ガラス窓に吸盤状の物を吸着させて登っていくなんて方法論は、凹凸のある吸着不可ガラスの開発によって、数世紀前に対処されている。
 このビルは対忍者用に建造された、強固な城のようなものなのだ。
 百地屋敷も、相当なセキュリティが施されているが……。
 SIK本社ビルも、それに匹敵するといえよう。
 じゃあ、どうやって侵入するか。
 答えは簡単。
 他のどの忍者にも不可能であろうとも、俺になら可能なのだ。

【……行くぞ】

 真田と若宇が頷く。
 俺は二人の挙動を確認した後、動きを止めているエレベーターに向かって歩き出した。
 昇降スイッチの上三角を二回、下三角を一回、上三角を一回、下三角を三回押す。
 普通ならこれで点灯するはずだが、やはり眠らされているみたいだ。
 まあ良い。

【……なにしてんだー?】

 若宇の問いには答えず、駐車場の端に向かって歩き出した。
 白い壁には、うっすらと筋が入っている。

【……?】

 不思議そうな真田の瞳を見て、少しだけ気分が良い。
 別に俺の手柄じゃないんだが。
 しばらく待つと、いきなり壁が展開した。
 壁の向こうにあったのは、もう一つのエレベーターである。

【うをっ!?】
【……これは……】
【身内専用のエレベーターだ。システムから独立しているんで、テロリストどもにも掌握出来てないと思ったんだが、正解だったな】

 そうなのだ。
 このエレベーターは、木羽家と石川だけが知る、極秘のホットラインなのである。
 電源すらビルシステムから独立しているので、誰にも知られずに会長室まで登ることが出来る。
 エレベーターの中に入って、顎をしゃくる。
 二人は俺の姿を、呆然と見つめていた。
 早く入れよ、コンチクショウ。

【なんかよー。こーゆーのって、潜入がメインのミッションぢゃねーのかー?】
【……ずっこい……】

 うるせえよ。











第七話 『救出れたのは、誰だ?(後編)』








 数十秒後、無事に会長室の奥室に辿り着いた。
 ここは会長室に作られた、いわゆる秘密部屋だ。
 扉も秘匿されているので、身内以外は存在すら知らない。
 施工は、石川流が行なったしな。
 俺も幼少部の頃、工事に借り出された。
 忍者は諜報員でも在るが、土木建築作業員でもあるのだ。
 戦国の世では、村人や世間的に虐げられた人を施工に当たらせ、秘密保持のため完成と同時に虐殺した事も在るらしいのだが、現代じゃそんな事は不可能だ。
 出来ない事は無いのだろうが、そんな事をしたらマスコミが五月蝿いしな。
 忍者といえども、法治国家に生きる一員なのだから。

「…………………………」

 壁に耳を当てて、気配を読む。
 会長室は……どうやら、無人のようだ。
 なんだか、微弱な振動が伝わってくる気もするが……。
 まあ、それならそれだ。
 続いて、奥室に設置されたディスプレイで、ビルの状況を確認する。
 どうやら、電源自体を殺されているようだな。
 この奥室は秘密エレベーター―――母さんが名付けたんだ、しょうがねえだろ―――と同じく、ビルから独立した電源システムを持っているので、助かっているようだが。
 これなら監視カメラを気にする事は無さそうだな。

【ペケ。どーなんだ?】
【……何回言っても、解んねえ奴だな】

 ごぎんっ。

 後ろから覗き込んでいる若宇の額に、拳を突き上げる。

【いでぇっ!?】
【お前は麓、俺が頂。いい加減理解しろ、馬鹿女】

 あからさまに憮然とした瞳だったが、一応は理解したのだろう。
 若宇が文句も言わずに押し黙った。
 ああ、良い気分だ。
 若宇が威張るの、ちょっと解るな。
 だが、理解したとしても、身に付ける訳にはいかないのだ。
 それじゃ、俺まで嫌な奴になってしまう。

【……これから……どうするの……? 石川十哉……】

 一応の決着が付いたと思ったんだろう。
 真田が山彦を介して呟いた。
 まあ真田のも無駄口なんだが、ここは大目に見ておこう。
 作戦概要を伝えてないって負い目も在るしな。

【単純だ。透が屋上で騒ぎを起こす。屋上ってのは、このビルに外部から侵入出来る、唯一のルートだからな。敵がそれに気付いて戦力を分散したところで、各個撃破だ。誘導された戦力を削ると同時に、別働隊が救出に向かう】
【侵入って……どーやってとーるは屋上まで行くんだよ?】
【……………………】

 若宇の質問には答えず、コンソールパネルのスイッチをオフにする。
 まあ、若宇の疑問はもっともだ。
 この裏口エレベーターを除けば、確かに屋上が唯一の侵入ルートではあるのだが、それはほぼ不可能となっている。
 ヘリでも使ってリペリングでもすれば可能だろうが、そんなことしたらバレバレだし。
 輸送機からダイビングって手も在るが、やった事無いしな。
 第一敵もそれを警戒しているだろうから、屋上に人員が配置されていると見て間違いないだろう。
 だから、極秘裏に透を屋上に送り込むのは、ほぼ不可能なのだ。

【無視かよっ】
【……】

 若宇のツッコミも相手にせず、自分の装備を確かめる。
 猫爪と熊爪を、両脇差し。
 両太腿には、打板だばんが10枚ずつ納められたホルスター。
 そして侵入グッツ各種。
 以上が俺の全装備だ。

【……戦力を削ったとして……人質が閉じ込められている場所……確定できているの……?】
【ああ。俺の母さんの他に二名囚われているが、その両方とも見覚えの在る名前だ。二人とも忍具開発室の所員だから、十中八九、開発室が目的地だと思う。もし違ったとしても別に問題は無い。虱潰しに探していけば良いだけの話だから。探索と殲滅。同時に行なうのが今回の肝でもある】
【納得いかねー】
【……何が? 理に適った……作戦だと思うけど……?】
【なんであたしの質問には答えないで、ゆっきーのだけ事細かに答えてるんだ?】
【…………】

 それは、好感度の違いだな。

【じゃあ、作戦の概要を説明するぞ】

 本来ならば、潜入前にブリーフィングするのが一般的なのだろうが、そういった類の話し合いは、忍者の慣例には無い。
 状況を見ないと決められないところが有るし、なにより事前に策を練って漏洩するのが怖いのだ。
 今回は身内だけのミッションとは言え、安心は出来ない。
 若宇は馬鹿だし……真田は……。
 真田は友達に成ったといって良いだろう。
 だが……全幅の信頼を置いているわけじゃない。
 そもそも忍者が、誰かを全面的に信用するなんて事は、あってはならないのだ。
 誰の事も信用するし、誰の事も信用しない。
 それが忍びなのだから。

【これから5分後、透は屋上で一騒動起こせ。派手にやっちまって構わない】
【了】

 手段を尋ねてこないのは、俺が透のことを理解しているという事が、透には解っているからだ。
 透が可能な陰忍は把握している。
 まああ、隠し球の一つや二つ持っているだろうが、それはお互い様だしな。

【白雪と若宇は、一旦屋上に向かえ。その後、3階下の重役フロアまで突っ走るんだ。勿論敵を引き付ける様にだ】
【……敵と……接触した時は……?】

 真田の瞳が輝いている。
 物騒な女だ。
 同情を呼び起こす過去と、透明な雰囲気に騙されそう―――俺だけか?―――だが、この女は転校初日、何の罪も無い道場に殴りこんで、別に敵でもない男たちの骨をポキポキと砕いた女なのだ。
 基本的には、女王様タイプだといえよう。
 びんぼーだけどな。

【不殺撃破】

 おそらく敵は、忍者ではない。
 忍者なら殺しても良いって訳じゃないんだが、死んだとしても何とかなるしな。
 だが通常のテロリストなら、殺してしまうわけには行かないのだ。
 捉えて官憲に引き渡す。
 法的に裁ければ、対峙勢力への圧力にもなる。
 依頼書にも書かれていた不殺指示は、そういう事なんだろう。
 もっとも俺は……指示が無くても、殺すわけにはいかない。

【……了】
【りょー】

 若宇の間延びした応答に、思わずイラってする。
 なんて態度の悪い女だ。
 だがまあ……戦闘力だけは一人前だしな。
 せいぜい敵を引きつけて貰おう。
 真田と若宇なら、テロリストごときに後れを取るとも思えない。
 それに、いざとなれば逃げ出せるポジションでも有るし。
 ……何のかんの言っても、俺……。

【……】

 情けない誇りを胸に、ドアノブを握った。
 この向こうは、会長室だ。
 気配が無いのは確認済みだが、一応用心する。
 後は……。

【あはぁっ!】

 ごぉぉぉんっ……。

 情けない気合と共に、爆音が響いた。
 透が行動を開始したのだ。
 
 ごおぉぉん、ごぉぉん、ごぉん。

 続いて炸裂音。
 爆音が正確に屋上から聞こえてくる。
 相変わらず良い腕だ。
 若手NO3だけの事は在る。

っ!】

 麦食みで山彦に向かって叫ぶと同時に、ドアを開放した。
 真田と若宇が、後に続く。
 薄暗い部屋の中で……。

「!?」

 真っ黒な戦闘服を着た兵士が三人立っていた。
 気配は無かったはずなのに……。
 だが、予想済み。
 罠には乗るのが、俺の信条だ。

【……っ!】

 飛び込みながら、皮当ごと猫爪を抜刀。
 屋上から聞こえてくる爆音に気を取られていたのだろう。
 テロリストたちが握っていたサブマシンガン―――欧州のHKヘルダント・カーレスル社が開発した強襲用サブマシンガン、MPM-7fは、在らぬ方向を向いていた。
 MPM-7fはフラッシュハイダーサイレンサー付きの自動短銃だが、ここで銃声を轟かされるのは不味い。

【!】

 俺は飛び込みながら、テロリストたちの手首を描き切った。
 もっとも皮当ごしなので、斬れはしないのだが。
 俺が駆け抜けると同時に、全員の手首が砕け散る。
 テロリストの一人が持っていた、微弱振動発生機クラクトロ・パニッシャが床に落ちた。
 対忍者用の装置で、微弱な振動と音波で気配を読み辛くする事を目的とした機械だ。
 これのせいで、隣の部屋に何人居るか解らなかったのだ。
 だが……。
 解らなかっただけで、居ないと思っていたわけじゃない。
 この装置があるという事は、そこになんらかなの人の手が加わっていたという証拠なのだから。
 部屋の飛び込んでしまえば、どうとでも対処できる。
 そんな、たかが数年前に開発された手段が、忍びの者をあざむけるか。

【……!】

 後から続いた真田が、二人の首を掴むと同時に前方回転。
 ゴキリという鈍い音。
 二人のテロリストは瞬く間に、床に後頭部を打ち付けられて昏倒していた。
 俺が機先を制していたとは言え、二人を瞬殺か。
 しかも最小限の音で倒している。

【しゃぁっ!】

 それに比べて……この馬鹿女は……。
 残った一人に、若宇が突進した。
 叫び声を麦食みにしたのは、褒めてやっても良いが……。

【っ!】

 残った一人の腹部に、しゃがみながらの肩当。
 突き上げるような靠での打撃なので、テロリストは倒れる事も出来ない。
 棒立ちとなったテロリストの腰を、肩に担ぎ上げ……。

【らあっ!】

 ごぎんっ。

 柔道で言うところの、水車落としだ。
 靠での打撃と同時に伸び上がり、担ぎ上げた相手への反り投げ。
 しかも若宇の場合、逆さまになった相手の首をロックして、垂直に落としている。
 なんていう技か解らんが、俺も師匠に食らったっけなあ。
 やっぱり若宇は、師匠から陰忍を伝授されているのだろう。
 動きの端々が似ている。
 だが……。

【……若宇……】

 ごぎん。

【いだっ!?】

 俺は若宇の頭を、思いっきりシバキあげた。
 頭巾から覗いた若宇の瞳が、思いっきり涙目になる。

【な、なにおっ!?】
【無闇矢鱈、でかい音出すんじゃねえ】

 技のキレは兎も角、今は潜入ミッション中なのだ。
 敵に察知されるのは、陽動に出ている透だけで良い。
 ……普段なら。

【だ、だってよー……せっかくの見せ場、きっちりと……】
【お前の見せ場、地下駐車場に作ってやろうか?】
【……………………】

 先ほど潜入した時、地下駐車場が無人だったのは記憶されているのだろう。
 若宇が不満を押し殺してうつむいた。
 まあ、駐車場なんかに見せ場は無いからな。

【……すみま……せん……】
【応。今度勝手な事したら作戦から外すだけじゃなく、お前がいくつまでオネショしていたか、ばらすからな。しかも報道部に】
【……】

 わが喰代ほおじろ学園報道部は、由緒正しき三流ゴシップ壁新聞を発行している不条理倶楽部である。
 報道部にかかったら、プライベートなんてものは存在しない。
 教師の不祥事から、生徒の恋愛話まで瞬時に壁に張り出されてしまう。
 普通そんな部は存続できないもんだが……。
 まあ、顧問が顧問だしな。
 なんでもその顧問は、教師連中の洒落にならない秘密を握っているため、一種の治外法権と化しているとか。
 壁に張り出されるのは、ギリギリ洒落で済む範囲なので、黙認されているんだろう。
 眼鏡の下で何考えてるんだか、あの人も。

【まあ今後は……】
【……気を……つけます……】
【いや、別にかまわねえ】
【……はぁっ!?】
【さっきも言ったろ、馬鹿女。お前らの仕事は陽動だから、せいぜい派手な音で倒してくれ。そうやって敵を引き付けてもらわんと、こっちがやり辛い】
【……じゃあ……今のは……】
【つい殴っただけだ】
【……………………】
【文句、在るのか?】
【……いえ……ありません……】

 憮然としたまま歩き出した若宇を横目で見た真田が、山彦を取り外して俺に耳打ちしてきた。
 勿論会話は麦食みである。

【……大丈夫なの……?】
【なにが?】
【若宇のこと……追い込み過ぎじゃない……?】

 流石に真田も心配になってきたのだろう。
 まあ自分でも、ちょっとやりすぎと思わない事も無い。

【まあ、少しな】
【……後から……大丈夫なの……とばっちりは……嫌よ……】

 なんだよ。
 心配なのは、自分の事か。
 まあそれも忍びだ。

【ああ。最後のオチのためには、今のうちに追い込んでおかないとな】
【……どんな落ちか解らないけど……あの子が納得するかしらね……?】

 まあ、それは俺も不安なのだが、今更後悔しても始まらない。
 師匠からふざけた書簡を受け取った時、既に火種は蒔かれてしまっているのだから。
 後はどう被害を食い止めるか。
 俺は喉元を指差して、真田を促した。
 俺の意図を汲み取ったのだろう。
 真田は再び、山彦を装着した。

【じゃあ、真田と若宇は、一旦屋上に向かえ。ここからは二階上になる】
【……了】
【……りょ―――お―――っ】
【屋上まで出る必要は無い。屋上は今、酷い事になってるだろうからな】
【……?】

 真田が首をかしげた。
 なかなか可愛い。

【とーるが酷い事にかー?】
【屋上の扉前まで行ったら、そのまま下階し、正面扉から脱出。人質救出は、俺が担当する】
【……】

 自分の問いかけが無視されたのに気付いたんだろう。
 一瞬だけ若宇の瞳が、恨みがましい色を浮かべていた。
 それでもツッコミ入れないところを見ると、学習しているんだろうな。
 普段もこれだけ素直なら、もう少し上手に扱ってやれるんだけど。

【散】

 俺の呟きと同時に、若宇と真田が弾けた。
 会長室の扉を何の警戒もせず、若宇が開けて飛び出す。
 真田は一歩後から着いて行くポジションだ。
 若宇がオフェンス、真田がバックアップか。
 別に打ち合わせした訳でもないのに、己の特性を良く理解している。

【……】

 相変わらず屋上方向では、爆裂音が鳴り響いている。
 会長室の窓から、隣のビルを覗いてみると……。
 常人には不可視なつぶてが、我先にと打ち出されていた。
 流石だな、透。
 俺が透に与えた任務は、屋上への陽動補助だ。
 普通の忍者では不可能な、屋上ビルへのピンポイント爆撃。
 それをあのふざけたエロ忍者は、己の腕だけで成し遂げているのである。
 火球ひだま使いとして有名な、坐郷衆。
 坐郷の『坐』は本来、火を二つに土を組み合わせた漢字だと聞く。
 そんな字無いから、当て字だけど。
 透はその中でも、随一といっても良いほどの狙撃技術の持ち主だ。
 気流を読み、素手で投擲した火球の種は、乱気流舞う隣ビルからの200m狙撃を物ともせず、正確に着弾する。
 屋上に潜入するのは、確かに無理だ。
 しかし透の腕なら、こうした陽動補助が可能なのである。

【さて】

 充分頃合いを見計らって、俺は会長室の扉を開けた。
 会長室から伸びる通路には、数名の戦闘服姿が昏倒している。
 若宇と真田の仕事である。
 手際の良いこった。
 昏倒しているテロリストは、全員ソフトマスクを着用していて、人種までは解らない。
 だが……ソフトマスクから覗く瞳の色や体型から見て……。
 十中八九日本人だろう。
 この日本で、忍者に……木羽に喧嘩を売る馬鹿が居るとはな。
 テロリストどもが所持している武器は、全てMPM-7fだった。
 9mm軍用弾を使用するタイプで、その高性能ゆえ各国に輸出されている名銃である。
 この国の軍隊も採用している。
 しかもレーザーサイト付き。
 金持ってんな。
 統一された戦闘服といい、武装といい。
 ただのチンピラテロリストではないんだろう。
 若干作戦を修正する必要が有るかも知れんな。
 ちなみに俺は別に、銃マニアなどではない。
 昔と違って現代に生きる忍者は、あらゆる武器に精通していなければならないのだ。
 まあカタログ取り寄せれば集められる程度の情報なので、忍者相手よりは遥かに楽なのだが。
 もっとも……最近、日本の玩具メーカーによって、実銃フォルムを完璧に再現したおもちゃが発売されていて、本当にややこしい。
 米軍正式採用銃程度なら兎も角、かなりマニアックな銃までラインナップされていて、気が抜けないのが実情なのだ。
 銃口を見るまで、本物かどうか解らない。
 銃が公害とまで言われている国なら、こんな事も無いだろう。
 まったく、平和な国だよ。
 光の反対側には、闇が眠っているというのに。

【……】

 取り合えず俺は、真田らと逆方向に歩き出した。
 真田たちは階段を上っているが、俺は下りだ。
 母さんたちが監禁されていると思われる開発室は、会長室から4階下に位置している。
 透と真田の陽動で、一部のテロリストは表に出ているだろうが……。
 本命は、監禁場所でカウンター準備を整えているはずだ。
 強襲されたテロリストは主に、待機場所を確保する性質がある。
 本隊を誘き出して各個撃破なんてのは、絵空事でしかないのだ。
 とは言え、テロリストの目的が判明していない今、徐々に戦力を削っていくしかないのも事実。
 真田達は上手くやってくれているだろう。
 透が放つ火球を陽動に、真田達を本隊に見せかけて、俺が救出する。
 古典的な手法だが、これが中々防ぎ辛い。
 敵戦力が判明していない場合、どれが本隊でどれが陽動なのか、判断が付かないからだ。
 俺たちは三班に分かれているが、敵はそれを把握していない。
 何名で強襲されたか解らないので、心理的圧力も掛けられるのだ。
 篭城なんて作戦は容易な反面、成功率が非常に低い事でも知られている。
 特に現代のテロリストは、強襲されるとその場を確保する習性を持つ。
 外に出てくる邀撃部隊は、一種の陽動なのだ。
 邀撃部隊を削りつつ、動かない本隊を探る。
 それが対テロリストの定石なのである。
 ま、今回の場合、どこに本隊が居て要救出者が居るか解っているので、探る必要は無いのだが。
 SIK社の開発室は、俺も良く顔を出しているので、間取り等は解っている。
 この状況では、電子ロックも外されているだろう。
 ビル電源が落ちているので……。

【!?】

 階段を下り始めて直ぐ、サブマシンガンを持ったテロリストと鉢合わせした。
 まさか、ここで遭遇するとは。
 何の為に真田達を屋上に向かわせたのか、解らねえだろ。
 行動の遅い奴め。

【……】
「……!」

 俺も焦ったが、相手も焦ったのだろう。
 一瞬の躊躇の後、銃口を俺の胸に向けてきた。
 レーザーサイトから発っせられたポインターが、俺の心臓位置を照らし出す。
 その瞬間、俺の視界からテロリストが消え去った。

「!?」

 敵が動いたんじゃない。
 俺が銃口から外れるように、横っ飛びしたのだ。
 左腰に結わえてある、猫爪を抜刀。

「……あ……」

 黒のニットマスクが何かを呟く前に、皮当ごと左逆手で抜刀した猫爪を叩きつける。
 首筋の経穴けいけつ―――いわゆるツボだな―――天窓てんそうを押し潰した。

「……ぐっ……」

 テロリストは、僅かなうめき声と共に崩れ落ちた。
 経穴を的確に打撃し、狙った効果を生み出す。
 石川流抜刀術には無い概念の技だ。
 これも師匠の教えの一つである。









 所謂、伝統的な忍者の技。
 陰忍と呼ばれる忍術の殆どは、外部からの破壊を目的としている。
 勿論石川流も、例に漏れない。
 斬ったり殴ったり絞めたり投げたり。
 究極的に言えば、殺すための技だ。
 忍者の戦闘は主に暗殺を目的としているので、それが当然だろうとも思う。
 しかし師匠の教えは……。
 はっきりと明言した事は無いが、まるで殺すのを禁じているかのようである。
 かといって、捕縛術―――敵を捉える事を前提としているわけでもない。
 そう……。
 無力化すること。
 それが目的であるかのようだ。
 石川流抜刀術は、護身の剣。
 自分を護るのではなく、被護者……有体に言えば、百地を護るための剣なのだ。
 そのために敵を殺すのは、至極当たり前だといえる。
 なのに師匠は俺に、数々の名も知らぬ陰忍……いや、概念を叩き込んでくれた。
 師匠から技を教わった事は無い。
 俺が使う師匠の技も、見よう見まね……てゆうか、食らって覚えた技ばかりだ。
 独創的な体躯と、知らなかった概念。
 それがなんの役に立つのかは解らない。
 本来の石川流から離れて行ってるという、疑念も在る。
 それでも……。
 俺は師匠に惹かれている。
 忍者という、闇の種族。
 決して表舞台に出る事の無い、暗き血脈。
 そんな俺たちに見える、一条の光。
 といっても、師匠がその光ってんじゃない。
 師匠は……そう。
 上手に……とても上手に、光と影の狭間を歩くのだ。
 踊るようなステップで。
 子供のようなスキップで。
 なんとなく、そんな感じがするから、俺は師匠を師事しているのだ。
 先ほど放った、天窓への一撃もそう。
 本来の石川流なら、頭蓋破壊を狙って、頭へ撃つのが本来の流技だ。
 わざわざ耳の後ろの骨―――乳様突起から真っ直ぐおろしたラインと、喉仏から水平に引いたラインの交差するポイントを見極め、死なない程度に手加減した斬撃を加える。  そんな必要性は、何処にも見当たらない。
 百地から与えられたのは『指令』ではなく、『依頼』なのだ。
 不殺指示が出ていたとしても、それを遵守する必要は無い。
 だが俺は……石川流であると同時に、師匠の弟子なのだ。
 師匠から教えられたわけじゃない……でも伝わった心。
 俺がどれほど求めているか、他の誰にも解るまい。
 この刀で……。
 この刀で。











 最初の一人を倒した後、誰にも遭遇する事も無く開発室の前に着いた。
 階段に身を潜めて気配を探る。
 ……………………。
 どうやらテロリストは、お馴染みの微弱振動発生機を装備しているようだ。
 誰かが居る事は解っても、何人居るかが解らない。
 まあ、別に構わないか。

【これから俺が突入する。透は合図と共に開発室を撃て。タイミングはお前に任せる。間違っても鉄鋼球てっこうだまなんか撃つんじゃねえぞ】
【了……てゆーか、撃たないよう、そんなのー】

 普通火球というのは、石綿と液状火薬の組み合わせで構成されている。
 着火してから投げる物、時間差で発火する物、様々なタイプが存在するのだが……。
 火球使いとして有名な坐郷衆には、さらに多様な火球が存在する。
 その一つが、鉄鋼球と呼ばれる火球だ。
 時間差で破裂する火薬と、特殊な鍛鉄とを組み合わせた、二段ロケットのような代物だ。
 膨大な火薬で熱したガラスを、冷えた鍛鉄が打ち抜くのである。
 一発で20mmクラスの防弾ガラスや強化ガラスを砕くのは難しいが、透ほどの腕前ならば三発程度で貫通させる事が出来るだろう。
 ……そんな高殺傷能力の塊みたいな火球で、貫通されてたまるか。
 部屋の中には、母さんが居るのだ。

【真田と若宇は、現時点から撤退開始】

 ……階段を下って行くのは、危険が多いかもしれない。
 さっき報告を受けた二人の撃破数は、僅かに6。
 数が少なすぎる。
 もっと陽動に引っかかっても良さそうなもんだが。

【予定を変更して、二人は会長室のエレベーターに向かえ。着いたら、その場を確保】
【なんでだー!?】
【……了……】
【悪いが真田。そこの馬鹿に勝手な行動を取らせるな】
【……ふふっ……了解……】

 多分若宇は、頭に浮かんだ俺を睨み付けているだろうが、知ったこっちゃねえ。
 なんか嫌な予感がするのだ。
 忍者というのは訓練された軍隊や警官と違って、感で動く事が多い。
 殺気や気配なんてもの、感によるところが大きいのだ。
 過酷な訓練を、愚かしいくらい積み重ねて磨き上げる、感覚の刃。
 どんなレーダーや探知機よりも優れた、忍者独特のセンサーなのだ。
 その刃が、俺に告げている。
 警意しろ、と。

【……】

 俺は懐から、小さな円筒形の布を取り出した。
 SIK社で製造された光幕管だ。
 一本2600円。
 まあ、値段はどうでも良い。
 俺は手首だけ出して、静かに放り投げた。
 着弾点は、反対側の廊下の端。
 これは通常の煙幕と違って……。

 ぱっ。

 廊下の向こうが、激しく光った。
 内包された薬品同士が衝撃で混ざり合った瞬間、閃光を放つのだ。
 母さんが開発した中でも、TOPクラスの実用品である。
 他は……あまり評価したくない。

「ふうっ!?」

 その瞬間、俺は廊下に飛び出した。
 逆行の中、三つの影。
 微弱振動発生機のせいで解らなかった人数を、今確認できた。
 閃光に向かって、目を覆っているテロリストたち。
 その背後から……。

【……!】

 背中を向けた中央の人物に、飛込みから抜刀。
 剣尖で『風府ふうふ』を突く。
 風府は頚椎と頭蓋の繋ぎ目に在る経穴で、ぼんのくぼのちょっと上あたりかな。
 この風府とは身体に流れるエネルギーの通り道―――経絡を加速させる経穴で、ここを強く突くと大量の気が脳に流れ込み、一種のオーバーフローを引き起こして、意識のブレーカーが落ちる。
 ま、早い話が気絶するってことなんだが。
 先ほどのテロリストは、首筋の『天窓』を打撃した。
 見た目の効果は同じ気絶だが、実は後遺症が違う。
 風府による昏倒は、覚醒した後も全身の弛緩を誘発するのだ。
 誰にもで一度くらい、鼻血を流した経験があるだろう。
 そんな時良く首の後ろを叩くと良いと言われているが、実はこの風府を刺激して経絡を活性化させているのだ。
 試した事がある人の中で、鼻血が止まった後も、身体のダルさを覚えた人も居るだろう。
 それは風府を加速させすぎた結果なのである。
 まあ俺の場合、覚醒後の効果を狙っての斬撃ではない。
 結果としてそうなるだけで、本来の狙いは意識のブレーカーを落とす事にある。
 目覚めた後まで、考えてやる必要は無い。

【!】

 風府に剣尖が当たった瞬間、身体を右に流す。
 まるで棒高跳びを、横に寝かせたように見えるだろう。
 普通なら不可能な体躯だが、斬撃自体が生み出す抵抗がそれを可能にするのだ。

【シッ!】

 流れた身体の勢いを殺さず、右に居たテロリストに横蹴り。
 つま先を首筋にめり込ませると同時に納刀する。
 蹴りで経穴を突くのは不可能なので、コイツはただ単に気絶する事を願って、首筋を蹴っただけだ。
 ここら辺が俺の適当なところだよな。
 流石師匠の弟子というべきか。
 ちなみのこの技は、石川流の基本技の一つで、鞍馬くらまという。
 刺突から蹴りへの連携。
 石川流の中でも、数少ない蹴りへの発生を持つ技だ。
 そんなに大層なもんでもないけどな。

【らぁっ!】

 首筋を押すように蹴り、最後の男に飛び掛る。
 飛びながら親指で鯉口を切る。 
 居合い抜きの技法だ。
 最近、剣術を題材にした漫画なんかが増えてきたせいで、勘違いしている人も居るのだが。
 居合いとは技ではなく、流派なのである。
 概念と言い換えてもよいかもしれない。
 居合いとは呼んで字の如く、『居』ながら敵を倒す剣技の事だ。
 寝ていようが跪いていようが、抜刀し戦う事の出来る流派である。
 普通の剣術は、刀を抜いた状態から始まる。
 対して居合いは、刀を納めた状態から開始するのである。
 勘違いする人は、『居合い抜き』という抜刀技術が居合い流なのだと思っているようだが、それが落とし穴である。
 居合いは刀を抜くこと自体が、技になっている。
 だがそれだけじゃない。
 居合い術の上級クラスになれば、相手を投げ昏倒させた後、肘や膝で急所を打撃するという、まったく刀を使わない技法まであるのだ。
 まあ、居合い術の始祖の多くは、柔術流派を学んでいた事実を考えれば、当然といえるかもしれないが。
 もっともその柔術は、剣術から発生した部分も多いわけで。
 剣術、柔術、居合い術と、より実戦的に進化していったと言えるだろう。
 じゃあ、俺の石川流は、なんなのか。
 確かに居合い流派にも、間合いの離れた敵を倒す大技はあるわけだし、そういう意味では近いのかもしれない。
 だが……。

【はあっ!】

 右逆手に抜刀した猫爪の柄を、敵の横首筋の経穴―――天窓に叩き込む。

【シッ!】

 納刀したと同時に身体を捻り、左逆手で抜刀。
 ぼんのくぼの両脇に在る経穴―――風池を、皮当付きの刀身で薙ぎ払う。
 テロリストたちは、ほぼ同時に倒れこんだ。
 やがて閃光も止み、周囲に静寂が戻った。
 俺は倒れたテロリストどもに、一瞥をくれる。
 ……………………一般人如きが。
 そうなのだ。
 石川流抜刀術は、居合い術でも剣術でもない。

【……石川流抜刀術、壬生みぶ……】

 忍術なのだ。















 開発室と書かれたドアに、そっと耳を当てる。
 予想されていた微弱振動は、感知できなかった。
 その代わりに……。
 動かない気配が3つ。
 これは……人質か?
 他には何も感じられない。
 おかしいとは思うが、有り得ない事ではない。
 8年前に起こった、某国大使館占拠事件では、日本の特殊部隊が扉の前に居たテロリストを撃破したものの、それから数十時間解決しなかった。
 どうしても開かない扉の向こうに、投降や交渉を持ちかけたものの、一向に中からのコンタクトは無かったのである。
 後から判明した事実だが、大使館の一室には、縛められた人質の他には誰も居なかったのである。
 扉の前に居たテロリストが、総員だったわけだ。
 それに気付かず、ようやく堅固な扉を破砕して突入した時、隊員からは失笑が漏れたという。
 おそらくテロリストたちは、長時間人質と一緒に居る事によって生まれる、奇妙な連帯感を嫌ったものと思われている。
 おかしな話だが、攫った者と攫われた者の間に、親近感が沸く事があるという。
 犯罪心理学で言うところの、ストックホルム症候群シンドロームってやつだ。
 命を握った者と握られた者。
 両者の間にどんな心理状態が展開されるのか、俺には解らない。
 攫われた事も無いしな。
 でもまあ、理解できない事も無い。
 人とはそれこそ、家の周りをうろつく犬猫、壁に付いた染み、道端に転がった石ころにまで、心を預ける生物なのだから。

【……】

 まあ、今は関係ない。
 大事なのは、部屋の中に敵が確認出来ないという事なのだ。
 俺はドアの前にしゃがみ、床に顔を近づける。
 ……。
 腰の後ろに結わえてあったポーチから、プラスチックの小さな筒を取り出して、上部の栓を開封する。
 筒の中に満たされていた、薄緑色の液体を、ドアと床の隙間に流し込んだ。
 ……………。
 普通なら液体は高きから低きに流れるものだが、この中身は違う。
 SIK社でも開発に成功していない、石川流……いや、百地の秘伝なのだ。
 薄緑色の液体は、まるで命を宿しているかのごとく、ドアの縁を伝ってゆく。
 数秒かかって薄緑色の液体は、ドアの縁を一周した。
 ……………………。
 ここまでしても、部屋の中の気配は動かない。
 気配は三つ。
 どれも部屋の中央で、座り込んでいるようだ。
 さて……もうそろそろいいかな?
 俺はドアに顔を近づけて、さっきまで薄緑色だった液体を見た。
 うむ、良いようだ。
 液体は変色し、今は銀色に変わっている。
 百地流陰忍、風見鶏かざみどり
 特殊な液体は、周囲の金属を分子結合を遮断する性質を持つという。
 強酸の類などではない。
 この液体は反応前も反応した後も、無味無臭なのである。
 いや、飲んだ事は無いけど。
 いったいどのような薬品なのか、未だに解明されていない。
 解明されていないって事は、現代の百地でも生成不可能という事なのだ。
 一つの瓶に満たされ、百地の宝物庫に納められた品だけが、この世に現存する最後の風見鶏だという。
 百地の中でも極秘の陰忍だが、俺は守護役を仰せつかった時に、3筒だけ授けられた。
 その貴重な風見鶏だが、使うことに何のためらいも無い。
 別に母さんの救出だからって訳じゃない。
 全ての陰忍には、使いどころが在る。
 意図して外す意味が無いのだ。
 無くなったら……ま、別の手段を講じるまでだ。

【……透……15秒後の着弾……】
【了】

 ドアに掌底を当てて、その時を待つ。
 頭の中に、白い蝋燭が現れた。
 精神統一のイメージだ。
 蝋燭を纏わらせること無く、刃で薙ぐ。
 蝋芯を着火させる事無く、刃で割る。
 速度、技量、統一。
 どれを欠いても成功しない。
 …………静かに…………薙ぐ。
 …………薙ぐ………薙ぐ………。
 …………………………。

【着っ!】

 割る。
 透の合図と共に、蝋燭が点火する。
 同時に俺は、ドアを掌底で吹き飛ばした。

 どわん。

 飛び込んだ俺の目に映ったのは……。
 窓を焼く火球。
 縛められ、猿轡さるぐつわ―――ボールギャグってやつか? SMプレイの道具だぞ―――をかまされた、三人の女性。
 それだけだった。

「あれ?」

 思わず麦食みを使わずに呟いてしまった。
 やはりというかなんと言うか、部屋に居るのは人質とされていた三人の女性だけだ。
 まあ、安心は出来ないだろうが。
 人質に見せかけて、縛めを解いた瞬間後ろから刺す……なんてのは、古典的過ぎる。

【もういい、透。人質を確保。先に撤収しろ】
【了】

 俺は山彦のスイッチを切り、ホッとした表情を浮かべた母さんに近づいた。
 他の二人は……確かに縛められている。
 直ぐ解けるように縛ったロープは、一目見ただけで解るのだ。
 それでも一応用心として、母さんだけを立たせて引き寄せる。
 首の後ろにあった革紐の連結部分を指で弾いて、SMチックな縛具を外した。

「大丈夫、母さん?」
「う、うん〜。十哉ちゃん〜……あのね、あのね〜」
「ああ、よしよし」

 泣きそうな母さんの頭を、軽く撫でてやる。
 本当に母親なのか、この人。

「私のことは、奈那子さんって呼びなさい〜」
「……………………」

 下らない事に拘っているようだが、そう言われる度に俺がヘコんでいるのに、母さんは気付いているだろうか?
『私は貴方の母親ではない』
 なんかそんな風に言われているような気がするのだ。
 勿論、そんな意味ではない事は知っている。
 母親として大事にしてもらっているし、手間も世話もかけてきたはずだ。
 まあ、最近の家事は俺がこなしているのだが。
 まあ、ここでこんな言い合いをしていても始まらない。
 ちなみに身体を縛っているロープは、解かないで置く。
 何らかの暗示がかかっていて、俺を刺し殺そうとするかもしれないからだ。
 しかし……自分の母親を名前で呼ぶのは、どうも気恥ずかしい。

「……な、奈那子さん」
「な〜に〜、十哉ちゃん〜」
「あの二人は、本当に母さんの同僚?」
「そうよ〜。スカちゃんとグッちゃん。昔からのお友達よ〜。スカちゃんは涙もろくて、ちょっと照れ屋さんなの〜。グッさんは若いけど、最近生え際が気になるんだって〜」
「いや、そんな事は聞いて無いから。捕まった時から一緒だった?」
「うん〜。……なんでそんな事、聞くの〜?」
「ふむ」

 少なくとも、二人のうちのどちらかが間者だという確証は得られない。
 元々セキュリティに厳しいSIK社だ。
 社員の身上調査は、特に厳しく行なわれているはず。
 変わり身って事も無いだろうから……。

「母さん」
「奈那子さん〜」
「……な、奈那子さん。この部屋で、敵の姿を見た?」
「ううん〜。私たちを押し込めた後は、誰も見てないわよ〜」

 ……。
 何かがおかしい。
 確かテロリストの要求は、市場からの撤退と金銭要求。
 人質は、交渉のカードだったはず。
 なのに……見張りをつけない?
 あまりやって欲しくは無いが……一人二人殺した方が、交渉はスムーズに行くはずだ。
 その見せしめも無し。

「……」
「……十哉ちゃん〜?」

 可能性は二つ。
 別な目的が有るか、既に目的は達成されているか、だ。
 後者は考えてもしょうがないので、前者だとすると……。
 木羽忍器……いや、SIK社のイメージダウン。
 容易く賊に侵入されたとあっては、業界内でも笑い者だろう。
 あ、いや、それが本来の目的だとすると、既に達成されてしまってるのか。
 じゃあ……。

「十哉ちゃん〜? どうしたの〜?」
「……………………」

 重要機密の奪取?
 忍具製造のノウハウ入手?
 そのどれもが、人質を取るという手段が打ち消してしまう。
 人質を取るよりも、このビルを制圧して探索した方が確実だからだ。
 テロリストは本社ビルを占拠した後、全員の撤退を指示したという百地からの情報もある。
 そこまで手間をかけて、手に入れたいもの……。

 ぱすっ。

「!?」

 俺は母さんを突き飛ばして、自分も身を屈めた。
 背後から声を掛けられたり不審な音が聞こえた時、振り向いてしまうのは人の習性だという。
 俺たちは膨大な訓練によって、その本能を消しているのだ。

 ちゅいん、ちゅいん。

 机に何かがヒットし、兆弾して壁に突き刺さった。
 ……兆弾?

「くっ」

 振り向き様、音の聞こえた地点に向かって打板を投擲する。
 師匠直伝の忍具、打板。
 長さ15cm程度の尖った板だが、俺が投擲すると……。

「っ!」

 腰、肩、肘、手首、指。
 全ての螺旋を、一枚の板に込める。
 打板は一筋の閃光と化し……。

「ふんっ」

 がきん。

 男の持つ銃で弾かれた。
 ……………………。
 男?
 断言しても良い。
 確かにさっきまで、コイツはここに居なかった。
 俺が……石川で有る俺が、気配を見逃すわけは無い。
 どこから湧きやがった?

「……流石石川流。消音機サイレンサー越しでも、発射音が聞こえたか」

 そこに立っていたのは、真っ黒な男だった。
 黒い戦闘服に、黒いジャングルブーツに、黒のHFGハーフ・フィンガー・グローブ
 あろうことか、黒いライン迷彩まで顔に施していた。
 その肌の色からするに、アジア系。
 流暢な日本語から考えても、おそらく日本人だろう。
 手にしているのは、HK社の拳銃、MG−11Tepである。
 通称、ナイトコマンダー。
 9mm軍用弾を使用するスタンダードなタイプだが、耐久力と汎用性がハンパじゃない。
 銃身は160mmと多少長めだが、その分色んな用途に対応できるよう、開発されている。
 段差装填式ダブルカーラムマガジンによって可能になった、21発+1の装填数を生かし、自動射フルオート3点射トリプルバースト単発射ストップショットのスリーモードセレクターを採用している。
 銃身本体には最初からある程度の消音装置が組み込まれているが、消音機サイレンサーを装着する事によって、ほぼ無音発射を実現した。
 しかも防水性に優れており、水深80mでも射撃可能。
 アタッチメントをつければ、無反動てき弾ノーリアクション・グレネードまで撃ち出す事が出来る。
 現在市場に出回っている銃の中でも、名銃との呼び声も高い。
 だが……。

「貴様は何者だ?」
「……それに答えるぅ……」

 この装備で。
 この状況―――百地と縁の深い、木羽の本社―――で。

「忍びが居るのかぁ?」

 忍者が居るのだろうか?
 俺の疑問を嘲笑するかのように、男の口元がにやりと歪んだ。










「忍び……だと?」
「ああ」

 細面の男が、ゆっくりと位置を移動する。
 俺もそれに併せて移動した。
 このままでは射線軸シューティングライン上に、母さんたちが位置してしまう。
 もっともそれが解っているから、男も動いているんだろう。
 母さんたちを狙える位置まで移動した後、ぴたりと動きを止めた。

「目的は何だ?」
「……ん〜」

 男はそっと顎に指を当てる。
 黒くて見えないが、どうやら男にはあごヒゲが生えているらしい。
 銃を構えながらも、反対側の指で自分のヒゲを弄んでいる。

「それに答える忍者はぁ、無能だと思うんだがねえ」
「忍者、ね」

 俺も負けずに腕組みをする。
 男のヒゲ弄りが、俺への挑発だと解っているからだ。
 この状態では抜刀し辛いが、そうすることが必要だった。
 挑発には挑発で返す。
 それも俺の流儀。

「悪いがお前が忍者だとは、とても思えないな」
「なんでえ?」
「ここが何処だか知ってるだろ?」
「木羽忍機だろぉ」

 なんか間延びのした喋り方だ。
 あごヒゲなんか弄るよりも、よっぽどムカつく。

「そこに忍び込むってことが、どういうことか解るだろ」
「解らないなあ♪」
「……百地を敵に回すって事だ」

 にやけた男の顔が、一瞬引き締まった。
 このSIK社を襲撃するってことは、百地流忍軍800を敵に回すって事だ。
 ちょっと想像しただけでも、解りそうなもんだ。
 忍者を敵に回した瞬間、安穏とした時間は消え去ったも同然。
 昼夜問わず、遠距離近距離問わず襲撃されるのだ。
 眠る事も、休む事も出来ない。
 百地によってか、自分でか、その命を散らすまで狙われ続けるのだ。
 もっとも、そんなに長い事ではない。
 今までの記録によれば、最高逃げた奴でも、約8時間。
 百地を……忍者を敵に回すって事は、そういうことなのである。

「そのつもりなんだけどぉ」
「何?」

 百地を敵に回すつもり……。
 正気の沙汰とは思えない。

「僕は別に百地系じゃないしぃ。むしろ百地を潰すためぇ、こんな面倒くさい任を請け負ったって訳ぇ」
「……ああ……なるほど……」
「?」
「馬鹿なんだな、お前」
「失礼だねぇ」

 そう言って男が再び笑った。
 何処の忍者か知らんが、百地に……。
 いや、俺の敵に回って、無事で済むと思うなよ。

「!?」

 そう思った瞬間、男の姿が消えた。
 いや……気配が無い!?

「くっ!」

 ちゅいん、ちゅいん。

 再び俺の目の前の机に、拳銃弾が着弾した。
 軸線上に母さんたちが入らないように、逆方向に横っ飛びする。
 机の間を転がりながら打板を貫くが……。
 気配が掴めない。
 先ほどのような、微弱な振動が邪魔しているわけじゃない。
 この部屋に、そんなものは無い。
 だが事実として……俺は男を見失っていた。
 こんな近距離で?

 ちゅいん、ちゅいん、ちゅいん。

「ちっ!」

 MG-11に装着されているサイレンサーのせいで、マズルフラッシュまで消されている。
 男が何処に居るのか、全く読めない。
 発射されるであろう間隔を予測し、横っ飛びしながら躱していく。
 適当に動いているだけだろうと思うだろうが、実はそうではない。
 銃には、『発見サーチ』『照準ポイント』『発射シュート』という、三つのプロセスが必要なのだ。
 敵を発見し、照準を合わせ、引き金を絞って発射する。
 上級の射撃手は実践でも、約0.5秒で次弾を撃つ事が出来るという。
 俺はその間隔に合わせ、飛んでいるに過ぎないのだ。
 もっともこれは最初のうちしか通用しない。
 俺が予測で飛んでいる事に敵が気付けば、次からは飛んだ後を狙うようになる。
 それまでに、敵の術を見極めねば……。
 術。
 そうか……敵も忍者なんだ。

「っ!」

 転がりながら目を瞑り、懐から発光筒を三発同時に貫き投げる。
 おおよそ的の居る方向に、じゃ無い。
 母さんとが居るのとは、反対側の壁。
 一方向から照らし出し、敵を浮かび上がらせるのだ。

 ちゅいん、ちゅいん、ちゅいん。

「なぁっ!?」

 発光筒が空中で煌いた瞬間、男が呻いた。
 三点射トリプルバーストで全て打ち落とした技術は、立派だと思う。
 取り敢えず飛来した物体を撃ち落すのは、忍者の習性といっても良い。
 それ故、こんな子供だましみたいな手にも引っかかるのだ。
 光の中、男の姿が照らし出される。
 男は部屋の隅、壁際に背をもたれ掛けて、こちらに銃口を向けていた。
 しかし……俺は転がりながらも、その地点を何度も確認していたはずだ。
 ビル全体の電源が落ちているため、この部屋の照明も消えているのだが、俺がこの程度の暗闇で、敵を見逃すわけが無い。
 なんだ……この陰忍は……石川である……百地に一番近い俺が……知らない陰忍……。

「けぇっ!」

 今はそんな事にショックを受けてる場合じゃない。
 俺は机の影から目を瞑ったまま、男に向かって飛び出した。
 見えてはいないが、男の位置は頭の中に入力してある。
 男の位置だけじゃない。
 机やロッカー、テーブルやソファー、何だから解らないアイドルポスターの位置に至るまで、既に記憶済みだ。
 ……あのポスターを貼ったのは、母さんだろうなあ。
 なんとなく、だが。

「ちぃっ!」

 男は閃光に眩んだ目を押さえながら、それでも銃口を正確に向けてくる。
 パターンを読まれたか。
 俺が忍者の習性を利用するのと同じく、男も生物的な本能から来る行動パターンで、俺の動きを予測したのだ。
 忍者の戦いは、読み合いが全て。
 故に奇抜な技や陰忍を多く持っていたものが、勝利するのだ。
 まあたまに、そんな概念を吹き飛ばす強者もいることにはいるのだが。

 ちゅいん、ちゅいん。

 銃口を向けられた瞬間、机を蹴って身体を翻した。
 硬い殺意が、俺の脇を通り過ぎる。
 なんとか躱せた幸運に感謝しながら、俺は熊爪を右逆手で抜刀した。

「ぃえぁっ!」

 横薙ぎの一撃。
 男が背を向け……後ろ蹴り?

「ふっ!」

 足底での後ろ直蹴りが、俺の右拳にヒットした。
 不味い。
 止められた。

「くっ!」

 身を翻すと同時に、さっきまで俺の足が在った地点を、銃弾が掠めていく。

「はあっ!」

 男の裏拳が、俺の顔面を襲う。
 この速度。
 まともに食らえば、骨折程度じゃ済むまい。
 身を屈めて、裏拳を躱す。
 頭巾の下で髪が流れた。

「ちぃっ!」

 しゃがみながら身体を躱す。
 案の定、銃弾が肩を掠めていった。
 これは……。
 射撃と体術の融合。
 こんな陰忍が在るのか。

「!」

 右手で熊爪を納刀した後、今度は右順手で猫爪を抜刀。
 男の脛を砕くつもりで薙ぐ。

「しっ!」

 男が斜め後方に飛んで躱した。
 不味い。

 ちゅいん、ちゅいん、ちゅいん。

 3点射が俺の背中を掠めた。
 ヤバかった。
 銃というのは、中長距離で有利な武器と思われているみたいだが、実はそうではない。
 全距離で有効な……特に近距離では、現存するどの武器よりも優秀だと言えるだろう。
 手首を返すだけで、ほぼ全周をカバーできる攻撃範囲。
 何より、何時如何なる時も、指先だけで最高威力の攻撃を繰り出す事が出来るのだ。
 しかもノーモーションで。
 刀やナイフ、打撃などは、破壊力を生み出すための予備動作が必要になってくる。
 その点銃器は、構えた状態から動く事無く、攻撃が出来るのだ。

 ちゅいん、ちゅいん。

 銃弾が、俺の肩を掠めていく。
 確かに銃器は、個人携帯出来る武器の中で、歴史上最優秀だと言えるだろう。
 対忍者戦……いや、対石川流じゃなければな!

 ちゅいん、ちゅいん、ちゅいん。

 男が着地と同時に、3点射。
 銃弾が、俺の胸に向かって飛来する。
 この間合いで、躱す術は無い。
 頭の中に点灯する、白い蝋燭。
 猫爪を左逆手で抜刀。

 きぃん。

 二発を空中で跳ね上げたものの、一発が肩にめり込んだ。
 まあ、忍衣の内側に縫い付けられた、鉄当てで停まってるがな。
 刃に弾かれた銃弾が、天井の蛍光灯を破壊した。
 きらきらと、ガラスの破片が舞い降りる中で……猫爪を納刀する。
 弾丸を、刀と身体で止める。
 俺が石川である事の証明。

「なあっ!?」

 男にも、この間合いが必殺だという事が解っていたんだろう。
 だから残りの銃弾全てを、俺に叩き込んできたわけだ。
 よく『一流のプロは薬室チャンバーの中に、一発を残してマガジンを交換する』などと言ったりする。
 そうすれば本来の最大装弾数に一発プラスできるし、不測の事態にも対応できるって訳だ。
 しかしそれは、間違ってもいないが必ずしも正解じゃない。
 本当の一流は、弾倉交換に時間など掛けないため、全弾撃ち切る事も珍しくないのだ。
 例えば、実戦射撃コンバットシューティングとは、必ず二発同時に撃つ。
 そうする事によって、一発目が外れても二発目でカバー出来るのだ。
 仕留めるべき瞬間に、一発残してチャンスを潰す事などしない。
 それが一流というものである。
 その一流は、己の放った銃弾が弾かれるなどと、夢にも思って居なかったのだろう。

「くぅっ」

 男が弾倉を交換すべく、ベストに付いているポーチに手を伸ばした。
 同時に銃に付いている弾倉が落ちる。
 とんでもない早さだ。
 恐らく一般人なら、いつ交換したかも解るまい。
 だが……。

「っ!」
「ぐあっ!?」

 猫爪を右順手で抜刀して、男の手首を薙いだ。
 鈍い音と共に、男の甲骨が粉砕する。
 交換作業を大人しく見守るほど、俺は自惚れていない。

「ちえいっ!」

 順手で抜刀していた猫爪を納刀。
 ほぼ同時に、左逆手で猫爪抜刀。
 皮当は外しておく。
 斬り上げで、男の鎧―――防刃戦闘服を斬り裂くためだ。
 手にざらりとした抵抗が伝わる。
 やはり、鋼綿繊維入りだったか。
 最近の防刃服は鋼糸入りよりも、鋼綿入りの方が多い。
 鋼糸よりも軽いし、全面的にカバーできる上、ある程度の打撃も緩衝出来るからだ。
 まあその分、炎に弱いという欠点もあるのだが。

「ぐっ……」

 男の戦闘服が、腰から胸まで裂けた。
 鮮血が、薄暗い部屋に舞う。
 左逆手に猫爪を握ったまま、右逆手で熊爪を皮当ごと抜刀。
 腰を落とし、足の裏を軸に半回転。
 男に対して、背を向ける。

「!」

 猫爪を、右腰の鞘―――先ほどまでは、熊爪が納められていた鞘―――に納刀。
 全く同じ軌道上にあった熊爪が、猫爪の刀身に弾かれる。
 瞬間。
 鍔同士が咬み合い、猫爪が熊爪を加速。

「……ぐ……はぁ……」

 男の胸に、熊爪の切っ先が突き刺さった。
 まあ、皮当越しなので、貫通はしないだろうが……。
 骨の砕ける手応え。
 しかも、この感触は……。
 背を向けたまま胸部の最重要経穴、『巨闕こけつ』を突けたのは、驚愕に値するといってよいだろう。
 決して偶然当たったわけじゃない。
 もっとも、巨闕に当たらなかったとしても、効果は一緒だっただろうが。

「…………」

 俺は振り返って男を見下ろした。
 男はピクリとも動かない。
 そりゃそうだ。
 これで動かれたら、敵は人間じゃないという事になる。
 石川流抜刀術、蓮華れんげ
 納刀する鍔で加速させた、背後への突き。
 しかも巨闕―――胸骨剣状突起から指二本分下にある、心臓と直結した経穴―――を正確に撃ち抜いたのだ。
 心臓は一瞬だが鼓動を拒否し、全身が仮死状態に陥る。
 その名の通り、同名の女性を思い出させる、黒い技だ。
 まあ、ローカルネタなんだけど。
 俺は昏倒した男の腕を背中に回し、小指同士を麻の紐で括り付けた。
 同じく手足首を麻紐で拘束し、三つの輪を麻紐で繋ぎ合せる。
 なんとなくSMチックだが、これで男の動きを完璧に封じられたはずだ。
 もし無理矢理に動こうと足を動かしたら、その瞬間小指が飛ぶ事になる。
 まあそれでも構わないと動く奴も居るだろうが、手の小指が落ちるという事は、戦闘力が霧散するという事だ。
 再び捕らえるのは容易い。
 生命活動が停止しているこの状態では、本当に死んでしまうので、俺は男の背中に膝をあてがい活を入れた。
 胸中線が開き、新鮮な空気が送り込まれると同時に、男が深い息を付く。
 まだ気を失っている状態だが、これでひとまず死ぬ事は無いだろう。
 コイツにはまだ、聞く事がある。
 このまま楽にしてやるほど、俺は……忍者は優しく無い。
 俺は昏倒したままの男を放置し、母さんたちに近づいていった。

「大丈夫、母さん? 終わったよ」
「う、うん〜。ありがとう、十哉ちゃん〜」

 後ろ手に縛られていた拘束を、優しく解いてやる。
 これでまあ、一件落着だろう。
 納得できない部分は多々在るが、今考えていてもしょうがない。
 山彦で皆に連絡しようと、スイッチを入れた時……。

「……へ……へへ……っ♪」

 後ろから嘲笑が聞こえてきた。











「……何が可笑しい?」

 振り向き様、男に問いかけた。
 麻紐は、確かに男を拘束している。
 もっとも、拘束無しでも動ける状態じゃないはずだ。
 俺の蓮華れんげを食らっているのだから。
 ……俺のれんげ……。
 言葉で発するのは、非常に危険だな。
 聴かれた瞬間、俺の未来が黒く染まる。

「……君のぉ……認識の甘さだよぉ……石川十哉ぁ……」
「どういうこった?」

 答える訳ないと思ったのだが、意外にも男は語り始めた。

「……僕が本当にぃ……そのオバサン目当てにぃ……こんなチンケなビルにぃ……忍び込んだと思うのかいぃ?」
「オバサンじゃなくて、奈那子さんって呼びなさい〜!」

 俺が口を開くより早く、苦情が後ろから飛んできた。

「いや、母さん。ちょっと黙ってて」
「うう〜」

 拗ねているようだが、そんな事に構ってはいられない。

「どういうことだ、テロリスト?」
「僕はぁ……木戸きど……。木戸飛鳥あすか……」
「木戸?」

 なんか、聞いた事あるような無いような。
 男―――木戸は、思い出そうとしている俺の表情を見て、苦々しく笑った。

「知らないだろぉ? そりゃそうさぁ……。僕の先祖はぁ、君たちみたいに有名じゃ無いからねぇ」
「……」
「僕の先祖もぉ……織田信長を狙撃しているんだよぉ。それなのに……それなのにぃ……」

 木戸の表情が、赤く染まっていく。
 あれは……怒りだ。

「それなのにぃ……それなのにぃ! 歴史に名を残しているのはぁ、楯岡の方だぁっ! 木戸の弾丸はぁ、信長の額を一寸も抉ったのにぃ! 楯岡なんて、傷一つ付けてないじゃないかぁっ!」

 ……思い出した……ような。
 正式な名はちょっと思い出せないが、木戸という伊賀者が確かにいた……と思う。
 かなりの手練で、一流の鉄砲術と隠遁術の使い手だった……気が。
 確かにそんな名の奴が、信長を襲撃した……筈だ。

「クソがっ! 楯岡のせいでぇ、木戸はいつも日陰者だぁっ! クソがぁっ! クソがぁっ! クソがぁっ! クソがぁっ! クソガァッッッッ!!!」
「……いや……忍者は誰でも日陰者だろ?」
「クソがぁっ! だから僕はぁ、先祖の汚名を晴らしてやるぅっ!」
「俺の話、聞いてねえし」
「百地若宇ぅっ! 苦しめてぇ苦しめてぇっ! 開いた瞳がぁ何も写さなくなるまでぇ犯し抜きぃ、乳を刳り貫いてぇ口に突っ込んでやるぅっ! 肛門から忍刀突き刺して、恥骨を抉り出してやるぅっ!」
「……ちょ、ちょと待て」

 この際、エグい若宇のラストシーンは置いといて……。
 木戸は、楯岡の事を恨み―――まさに逆恨みしているんだよな。
 楯岡といえば、伊賀忍術四十九流の開祖であり、忍び十一士の筆頭、楯岡道順の事だろう。
 俺も文献でしか知らない、神話級の忍者だ。
 確かに楯岡道順は有名な忍びである。
 数少ない、上忍だと口伝されている人物だ。
 その陰に隠れた子孫が、楯岡道順を恨むのも、なんとなく解るような気がする。
 名を売りたい忍者というのも、馬鹿だとは思うが。
 しかし……。

「肌を5分刻みにしぃ、全国の忍びに曝してやるぅっ! 貴様らが崇めている者の末路をぉ、骨の髄に叩き込んでやるぅっ! 百地若宇っ! 若宇ぅぅぅっっっっ!!!」

 しかし、それと若宇とどう繋がる?
 一瞬……頭の中に、一瞬だけ閃くものがあった。
 若宇と真田の願い。
 木戸の呪詛。
 二つの共通するキーワードは……楯岡。
 まさか……。
 だが、それは在り得ない。
 若宇は、全国を統べ、たった一つ生き残った大忍軍の一人孫娘。
 百地の若宇なのだ。
 大忍軍……特に百地は、その血脈を保護する事が最重要だとされている。
 そこに、歴史から名を消した忍びが……連ねる事など、出来やしない。
 若宇が……楯岡の子孫だなどと、在り得ない事なのだ。
 では……何故木戸は……若宇を狙う……。
 ……若宇を狙う?
 若宇を狙う木戸が……何故SIK社を……。
 まさか……いや、それは無い。
 若宇をこの作戦に加えると決めたのは、他の誰でもない、俺なのだ。
 例え若宇を誘き出すため、SIK社を襲撃したのだとしても、俺がそれを拒否する事は充分考えられる。
 いや、俺からすれば……師匠の書簡さえなければ、参加させたりはしなかった。
 それじゃわざわざSIK社を襲撃するなんて、手間を掛ける意味が……。

「貴様……まさかっ!?」
「そうだよぉっ! 今更ながら気付いたかっ、石川十哉ぁっ! 『百地』の守護者ぁっ!」

 俺かっ!
 SIK社は、俺の母さんの実家だ。
 それでなくとも母さんが人質になっているのだ。
 俺がこの任務を受ける事は、充分に……いや。
 俺はこのビルに潜入する時、どうやった?
 堅固な要塞。
 一旦掌握されてしまえば、侵入ルートは無い。
 たった一つ。
 身内のみが……石川のみが知りえた、秘匿の道筋。
 俺以外、誰がこの作戦を成し得るというのだろう。

「若宇を仕留めるのはぁ、我々の目的を達するためぇ、必ず成し遂げなければ成らないぃ! だがぁ、それにはぁっ……貴様が邪魔なのだぁっ!」
「くっ……このっ……」

 俺は木戸に詰め寄り、戦闘服の襟首を掴んで引き寄せた。
 こんな事をしても、何にも成らないのは解っている。
 城崩しろくずし
 たった一人を殺すため、おびき寄せた城ごと砕く陽忍だ。
 スイッチの入っている山彦に向かって、俺は叫んだ。

【若宇、脱出しろっ!】
【……はあっ!?】

 山彦の向こうから、トボけた声が聞こえてきた。
 くそっ。

【……オマエ、いきなり何言ってんだー?】
【いいから早くっ! このビルから、脱出しろっ!】
「……若宇ぅっ!?」

 俺に襟首をつかまれたままの木戸が、にやりと笑った。
 ……しまった。
 コイツも忍者だったのだ。
 当然麦食みでの会話は、理解されてしまう。

「……このビルにぃ……百地若宇が居るのかぁ……? へっへっへ♪ こりゃ手間が省けて、丁度いぃ」
【ちょっとちょっと、とーや? どうしたの?】
【……石川……十哉?】
【あんだよ、ペケー? 何が……】
【逃げろ、若宇っ! 真田っ! 透っ! サポート頼むっ! 若宇をこのビルから逃がせぇっ!】
【さ、サポートって言われても……】
【どうしたの……?】
【なに焦っちゃってんだー、ペケぇー?】

 俺は石川十哉。
 百地の守護者たる、双爪伝承者。
 百地を……若宇を護る事が、俺の……。
 時間が……時間がっ!
 発動条件が……。

「へっへっへ♪ 無駄だよぉ、石川十哉ぁ♪ このビルごとぉ、お前も若宇も死ぬんだぁ♪ 今終わるぅ……百地もぉ……石川もぉ……」

「くそぉっ!」

「楯岡もぉ……全てが終わるのさぁ♪」


 木戸が……首を左右に傾ける。


 延髄の辺りで……カチリと金属音が聞こえた。



「逃げろっ! 逃げてくれっ!」



 俺の叫びは。




「若宇っっっ!!!」




 白い煙の中に、掻き消えた。

































 ………………………………………………。
 …………………………………………。
 …………………………。

「あれ?」

 何も起こらなかった。
 いや、起こってはいたのだ。
 思わず閉じてしまった瞳を、無理矢理こじ開けた時……。
 開発室の中は、白い煙に包まれていた。
 だが……これは……破砕の煙などではない。
 ……………………。
 SIK社製、煙幕筒の匂い。
 定価300円。
 いや、値段はどうでも良いか。

「おいおいおい、どーした十哉ぁ? ビビって目ぇなんか、瞑ってんじゃねーぞー♪」

 白い部屋の中。
 高らかに響く、揶揄った声。
 手に持った、煙幕筒。
 ……し……。

「師匠っ!?」

 そうなのだ。
 死を覚悟した俺の前に居たのは……。
 にやけ面の、師匠だったのだ。

「……ど……どう……して……?」
「その『どーして』が、何処にかかってんだか知らねーけど。何故ここに居るかってんなら、お前らだけに任せておいたら、ビルは壊れる、弟子や娘は死ぬ、挙句に康哉には大好きな嫁が死んだってド突かれる、とてもじゃねーけど、見てらんねーから」
「……貴様……」

 低い呟きの方を見ると……。
 そこに、親父が居た。
 石川康哉。
 前双爪伝承者にして、京都大戦を生き残った英雄の一人。
 墨染めの着物に身を包んで、母さん以外の縛めを解いている。

「あんだよ、ホントーのことじゃねーかー♪」
「……斬るぞ、きさ……」

 そこまで呟いた親父の背中を、母さんが抱きしめた。

「あなたぁっ! 怖かったの〜……怖かったのぉ〜……」
「……ああ。よく耐えたな、奈那子……」

 親父が振り向いて、母さんを……抱きしめたぁっ!?
 初めて見る、両親の抱擁。
 安心した顔の親父と、泣きじゃくる母さん。
 あ、あれ?
 で、でも……。
 あれ?

「怖かったの〜……怖かったのぉ……」
「……お前は……奈那子は……俺が護る。昔、そう言った筈だ」
「うん……うん〜……でも……でもぉ〜」
「……遅くなって……済まなかった」
「信じてた〜……信じてたけどぉ〜……怖かったんです〜……」
「ああ」

 親父の手が、優しく母さんの頬を撫でる。
 ……………………。
 俺は、夢でも見ているのだろうか?
 本当は木戸の仕掛けた陽忍、『城崩しろくずし』で死んで、俺の願望が見せる夢の中なのではなかろうか?
 仲睦まじい両親。
 しかし……目の当たりにすると、かなり違和感があるもんだな。

「おいおいおい、康哉。息子の前で、いちゃついてんじゃねーぞー♪」
「……いちゃついてなど、居ない」
「どこどー見ても、 イチャイチャしっ放しじゃねーか。むしろ愛撫?」
「……貴様……」
「そゆー性教育は、俺に任せとけっていってんだろ。きっちり教育してやっからよー♪」
「……貴様などに教育されたら、度を過ぎた色者になってしまう。お断りだ」
「いや、もう手遅れだし♪」
「貴様……やはり貴様などに、十哉を任せねば良かった」
「テメーから言い出しておいて、なんてー言い草だ♪」

 ……………………。
 完全に置いてけ堀な俺。
 馬鹿面を下げて口を開けたままの俺に、師匠が歩み寄ってきた。

「なー十哉」
「……………………」
「お前、なんか誤解してたみたいだけどよー。康哉は好きでもない女と結婚するほど、馬鹿じゃねーんだぜ。まー、面白いからって、誤解を解かなかった俺も俺だが♪」
「……………………」
「確かに『石川』で、『木羽』だったけどよー。二人はお互いに気持ちを確かめ合って……きちんと愛し合って、結ばれたんだぜ。主に体育館裏で」
「貴様っ!」

 ……………………。
 み、見えなかった。
 親父の放った棒手裏剣も、師匠がキャッチした瞬間も。
 これが……京都大戦を潜り抜けた男たちなのか……。

「んだよっ。本当の事じゃねーか」
「う、煩いっ! あの当時は、色々と事情があったのだっ」
「とまあ、十哉。お前の両親は、お前が思ってるような形だけの夫婦じゃねーってこった」
「無視して纏めるな、貴様!」
「だいたい、見てれば解りそうなもんだけどよー。あんでそんな誤解したんかなー? 青姦好きの康哉の相手なんか、木バナナくらいしか務まらねーって……」
「そんな趣味など……」
「木バナナってゆーなーっ!」

 ごいん。

 師匠と親父、二人の台詞を遮るかのように、母さんの放った椅子が師匠にヒットした。
 額から血を流した師匠が、表情を引き締めて、俺に視線を向けてきた。

「んで、その『どーして』が、何故ビルが爆発しないのかってのに掛かってんなら。そりゃ俺と康哉で、処理したからだ」

 そう言って師匠が、俺の足元に小さなバッグを放り投げた。
 開いたチャック越しに見える、樹脂製の箱とコード類。
 そして砲弾型の金属塊。
 これがビルに仕掛けられてた爆弾なのか。

「おめーらが、バカスカ火球なんか撃ち込むから、ちみっと焦っちまったぢゃねーか。コイツは、振動でも爆炸するんだぜ」

 じゃあそんなもの投げるなよっ!
 腹の中で、声に成らないツッコミを叫ぶ。
 声に成らないのは……もしそれが爆発した時の惨劇を、想像してしまったからだ。
 ビルごと解体する、城崩しろくずし
 俺も母さんも……。
 若宇も、ただの肉塊と化していたのだから。

「なあ十哉」
「…………」
「お前の読みの浅さを、責めるつもりはねー」
「……………………」
「まだ……解ってねーだろ? 自分の背中に乗っかってる荷物の重さが」
「…………………………」
「平和。命。期待。そのどれもであり、どれでもない。俺もまだまだ、お前たちに伝えなくちゃいけない事もある」
「…………………………」
「だがお前は、自分で見付けろ。その手で。その足で。その目で」
「…………………………」
「その刃で」

 いつの間にか、親父たちは開発室から退出していた。
 きっと若宇たちも、ビルの下で待機している事だろう。
 俺は窓から見える、眩い空をにらみつけた。
 俺たちが決別した、光の世界。

「……師匠……」
「あんだよ」
「……楯岡って……なんスか?」
「それもお前が見付けろ」

 眩しいじゃねえか、こんちくしょう。





 END

















4月26日   (晴れ)


 今日は、百地からの依頼を果たした。奈那子さんが攫われたんで、ペケをリーダーにしてのミッション。実はあたし、初めてだったんだよなー。ゆっきーも初めてだったらしく、禄を貰ってホクホク顔だった。
 それにしても、ペケのやろー……威張りクサりやがって。人の事怒鳴るはド突くわ。やりてーほーだい。最初は昔に戻ったみたいで嬉しかったんだけど、だんだんハラ立って来た。
 何が一番頭に来るって、ゆっきーとあたしを差別する事。あのやろー、ゆっきーに惚れてんのかなー? ま、別に惚れてよーが惚れてなかろーが、どっちゃでも構わねーんだけど。
 でもなんとなくムカつく。


 だから、どんなオチが待ってても、ド突きまわすつもりだった。ゆっきーが言ってたっけ。なんかペケがオチを考えてるから、楽しみにしてるって。それがあのやろー……。なにが……。

『若宇様の普段を模倣してみました。どうでしたか? 怒りを覚えましたか? もしかすると若宇様の周りの者も、同じ印象を抱いてるのかもしれないと、お解かり頂けたでしょうか?』

 ……だーっ! ふざけた事言いやがってっ! しかも……。

『ですが、若宇様の将来を案じての窮策だったとは言え、あまりの振る舞い。どうかこの身を、如何様にもご処分下さい』

 ……だとぉーっ! オマエは弁慶かっ! あたしは牛若丸かっ! 牛若丸は弁慶の事を、主人思いの忠臣だと好意的に解釈して、良い子だと許したかもしんねーけど、あたしは許さねーっ!


 ……………………。
 でも……殴らなかった。ペケが……アイツが落ち込んでいるのが、解ってしまったから。おとーちゃんがなんで居たのか、康哉さんがなんで居たのか、解んねーけど。戦場で何があって、あの二人に何言われたか解んねーけど。
 あの時……なんでペケが……十哉が必死に逃げろって言ったのか、解らないけど。
 でも落ち込んでいるのが。本気で落ち込んでるのが解ったから。あたし、殴らなかった。怒鳴ることも、からかうことも出来なかった。

 ホントーは、殴ったほーが良かったのかもしんない。ペケも殴って欲しかったのかもしれない。でもあたし、殴らなかった。……だって。


 アイツはどんなことがあっても、自分で立ち上がる奴だから。


 だから、立ち上がってきたら殴ってやる。それまで、パンチ20発貸しだかんね、ペケ。



●感想をお願いいたします●(クリックするとフォームへ移動します)


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送