「十哉ちゃ〜ん。ちょっとちょっと〜」
「ん?」

 久しぶりに家で套路とうろを練っていた時、突然母さんが土間から顔を出した。
 もうちょっと。
 もうちょっとで何か掴めそうだったんだけどな。
 最近、何気に実戦を経験しているので、套路の意味も変わってきている。
 石川流、七つの套路……その中には、まだ俺の知らない技が隠されていそうなのだ。
 今までは解からなかった動きが、一つの技を形成していく。
 熟知しているつもりだったが……流石、石川五右衛門が開祖の忍術だ。
 無駄とも思えるほど奥が深い。
 せっかく興が乗ってきたところなのに止められたので、いささか不満げな顔を作りながら、母さんに近づいた。

「なに?」
「ちょっと来なさい〜」
「なんでよ?」
「いいからいいから〜」

 一体なんだってんだ、まったく。
 土間から上がろうとしたが嫌な顔をされたので、俺は裏庭から裏口に回り、むき出しの水道で軽く汗を流した。
 用意していた手ぬぐいで顔を拭く。
 掴みかけていたものが逃げていくような感覚。
 全く腹立たしい。
 何とか記憶に留めようと、廊下で空振りをしながら、居間の戸を開いた。
 軽い抵抗と共に―――この家も古いからなあ―――電灯の明かりが差し込んでくる。

「どうした……」

 最後まで言う事が出来なかった。
 居間の座敷には、厳しい顔の親父が鎮座していたからである。
 珍しいな、帰ってたのか。
 この家で親父を見ることは、結構珍しい部類に入る。
 そういう意味でも、忍者らしい。
 全然関係ないが透の家では、全員屋根裏で食事をするとか。
 忍者らしいを通り越して、変態である。

「……十哉。座れ」
「はっ」

 墨染めの着物を着たアナクロ親父が、目を瞑ったまま、俺を誘った。
 隣には母さんがちょこんと座っている。
 不思議なもんだ。
 以前はこんなシーンがあっても、母さんが無理矢理座らされて居ると思ったもんだが、俺の早とちり……というか誤解だと解かってみると、そう見えるんだもんな。
 俺の目の前に座った二人は、紛れも無く夫婦であった。 

「何用でしょう、父上」

 一応アナクロな親父に合わせて、こちらも昔っぽい言葉で付き合う。
 じゃないと突然、過酷な訓練とか申し渡されちゃうからな。
 この人も中々、理不尽な生物なのだ。

「うむ。修練ご苦労」
「……はあ。ありがとう御座います」

 こりゃまた珍しい。
 親父が俺を労うなど、あまり無い事だ。
 小さい頃から、問答無用で叩き込まれた、石川の技。
 その意味も解からずに。
 今もあんまり解かってないんだけどよ。

「何か掴めたか?」
「……ご覧になったのですか?」
「うむ」

 こりゃまた、さらに珍しい。
 何が珍しいって、アドバイス的なニュアンスが感じ取れたからだ。
 親父は昔から、套路を見せてくれる事はあっても、それについて事細かに教えてくれる事は無かったからだ。
 評価はいつも、是か非か。
 全ては自分で考えるしかなかったのである。
 師匠の教えはもっと酷い。
 技を繰り出し、俺を痛めつけて、それとは別の説教を始める。
 師匠から教わった……と俺が思い込んでいる概念は、全て俺解釈だ。
 そうでも思わないと、耐え切れない。

「そのまま続けていけば、遠からずして届くであろう」
「……」
「最近の実戦も、無駄ではないと言う事だ」
「……」

 解かんねえ。
 何処に届くと言うのであろう?
 確かに掴みかけたものはあるんだけど……届く?

「まあ、それは良い」

 いいのかよ。
 そこら辺事細かく教えてくれると助かるんだが……まあ、この人たちにそれを期待しても、無駄かもな。

「お前に一つ、話しが有るのだ。それ……」
「その前に〜。私から〜」
「……」
「……」

 親父の腰が、見事に折られた。
 近年稀に見る、ナイスタイミング。

「これなんだけど〜」

 そう言って母さんが、後から出したのは……。
 見覚えはあるが濡れ衣の、一冊の本。
『週刊ロリエクスプレス・6月号―――夏直前の特大号! 今、中等部のふくらみが熱い! 冬の間成長しなかった希少種をゲットせよ』だった。
 タイトルまで覚えてる俺も俺だが、記憶術は忍者の基本。
 水面に反射した月明かりで照らし出された秘忍書を、一瞬で記憶する。
 それが忍者というものだ。
 決して、打ち捨てられたエロ本を街頭の下で熟読するために、身に付けたわけではない。
 そんなことするのなんて、師匠くらいだからだ。

「あのね〜十哉ちゃん」
「言っても無駄かも知れんが、誤解です、母さん」
「年頃だから、こ〜ゆ〜の見たがる気持ちは解かるの〜……てゆ〜か、奈那子さんって呼びなさい〜」
「やっぱ無駄ですか。ていうか、突っ込みはそこですか」

 まあこんなものを台所に隠しておく―――隠したわけじゃないんだけど。馬鹿らしかったので、放置しておいただけなんだが―――時点で、俺の有罪は確定なのだろう。

「でもね〜。十哉ちゃんの年でロリは良くないと思うわ〜。真っ向勝負で犯罪確定じゃない〜」
「誰と勝負するか解りませんが……まあ、誤解なんです」
「……十哉。母さんの話をちゃんと聞け」
「あなた〜。奈那子って呼んでください〜」
「……ああ」

 まさかこの年になって、こんなことで両親から説教されるとは思わなかったぜ。
 それは親父も同じ気持ちだったのだろう。
 苦虫を噛み潰したような顔になった。

「十哉。誤解だというなら……現物を押さえられて、それでも言い訳すると言うなら、きちんと説明してみろ、話はそれからだ」
「……ですから……樹の件があったじゃないですか」
「ふむ」

 俺の弟分……黒姫様の息子、いつきが逃避行を企てた事件の事だ。
 あの後、数日入院した樹は―――数日の入院で済んだのは、俺が手加減して斬ったからだ。まあ斬らなくても良かったと身内からは非難されたが……俺の本気を見せる必要が有ったのだ。今度逃げようとしたら、本当に処分すると言う、俺の本気を―――元の鞘に納まった。
 柘植衆に詫びを入れ、あの少女とも上手くやっているらしい。
 この間など、ふと立ち寄った本屋の本棚の影で、なにやら抱き合っていた。
 正真正銘、馬鹿番いの誕生である。

「話の成り行き上……伴太郎ばんたろう衆を抑えるため、菊乃という少女を、俺のめかけにすると交渉したのですが……」
「その話は聞いている。本日未明、伴太郎衆から祝いの品が届いた」
「……」
「だから今日は、鯛づくしなの〜♪」
「……」

 なるほど。
 伴太郎衆から届いた貢物を調理しようとして、あのエロ本―――中にはDVDも入っているが―――が見つかったわけな。
 という事は、今の説教は全て樹のせいだと言う事だ。
 後から泣くほどしごいてやる。
 ……それにしても、貢物、ねえ。
 話が大きくならなければ……いや、もう手遅れか。

「……まあそれで、その話を……学園に広められまして……」
「どの話をだ?」
「……俺が……中等部の少女を……妾にする話しです……」

 全く持って憤慨やるせない事である。
 良かれと思って……良かれと思ってやったのだ。
 それなのにゴールデンウイークが明けた学園では、俺がロリコンだと言う噂が一気に広まっていた。
 今まで、わりと人気があったほうだと思う。
 成績も良いし、器量も悪いほうじゃない。
 そしてなにより石川流……忍者では名家だ。
 情けない話だが、イメージを崩さないよう作りこんできた部分のある。
 にも関わらず、最近の摩理の破壊工作と、若宇の欺瞞情報操作により、俺の権威は一気に失墜したといって良いだろう。
 食堂じゃ、真田が飯を売ってくれない。
 階段を歩くと、女生徒が悲鳴を上げて駆け上っていく。
 廊下を歩けば、奇異な目でにらまれる。
 校庭で佇んでいれば、『そんな人だとは思わなかった』とか言われて頬を叩かれる。
 クラスじゃ女子から、純やらみに近づいてはいけないと禁止令を出される。
 挙句に透から、マニアックなエロ本を押し付けられ……。

「誤解が迫害を生み、誹謗が中傷を育み、流言蜚語がいじめを助長させ、坐郷の透からそのような本を押し付けられたのです。俺は潔白で健全です」
「……ふむ。話は解かっ……」
「いいのよ、十哉ちゃん〜。言い訳しなくても〜。お父さんも昔、こ〜ゆ〜本、買ってたんだから〜。眼鏡めがね特集とかってゆ〜本」
「な、奈那子。それは誤解だと……」
「…………」

 けっ。
 説教できる立場か、この眼鏡っ娘好きが。
 俺に視線に気付いた親父が、珍しく声を荒げた。

「あれは大河から無理矢理渡されたのだっ!」

 ……まあ、あの人ならやるだろうな。
 俺たち、親子だねえ。
 俺と母さんの訝しげな視線に気付いたのか、親父は一つ咳払いをして身を正した。

「まあ良い。男子たるもの、多少の異なる趣味の一つも持ち合わせていよう」
「それは自己弁護ですね、父上」
「……本題……というか、わしの話はそれではないのだ」

 まあそうだろうな。
 親父がわざわざ俺を招いたんだから、エロ本如きの話ではないのは解っている。
 俺がただでは済まない事も。

「戦闘準備をしろ」
「……はぁ……」
「これより、伊賀崎邸に乗り込む」
「了!」

 理由は解らなかったが、俺は意気揚々と答えた。
 良く解らんが、戦闘準備ということは、あの親子に鉄槌を下すに決まっている。
 待ち望んでいた瞬間だ。

「父上! 俺は黒姫様より授かった、血風塵筒アマランスを準備します! 半径1m内の生物を死滅させ、範囲外には微塵の影響も与えない、奇跡の毒物であります!」
「うむ。よくぞ手に入れた。わしは永らく封印しておいた、虎爪と竜爪の封を解こうぞ」
「虎爪と竜爪とは何ですか、父上!」
「うむ。石川流に伝えようと思っている秘忍具でな。貴様に双爪を譲ったのは良いが、どうにも腰が寂しいので、わしが打った忍刀だ」
「勝手に秘忍具を作るとは、流石父上!」

 無闇にテンション上げまくる俺たちを、哀しそうな瞳で見つめた母さんが、ポツリと呟いた。

「大河ちゃん親子と仲が悪いのって〜。結局、似たもの同士だからなんだよね〜」
「……」
「……」

 俺と親父が、最も言われたくはない一言だった。













第十二話 『一歩手前』













「……で、なんだってー?」

 二十分後、師匠親子の返り討ちに合った俺たちは、居間の上に正座していた。
 目の前では師匠と若宇が、母さんの入れてくれたお茶を飲んでくつろいでいる。
 無闇矢鱈とテンション上げた結果がこれだ。
 ちなみに戦闘で負けたのは俺だけ。
 親父は静流様に一喝され、我に返ったのだ。
 俺は……師匠と若宇のツープラトン攻撃を食らって、あえなく撃沈。
 卑怯な親子だ。
 もう顔、ボコボコ。

「なんか言ってみ、康哉。人んちの食後の団らんを騒がせた罪は、サボテン川よりも深いぞー」
「……何処の川だ、何処の」
「その食後のケーキを作ったのは、俺なんスけど……」
「親子で突っ込んでんじゃねー」
「……」
「ぐふっ!」

 ……何故だ。
 何故親父を狙った師匠の蹴りが、俺の腹に突き刺さってるのだ?
 というか、親父の位置がずれ、俺がその場所にいるのは何故だ?
 もしかして、『達磨だるますべり』か?
『達磨すべり』とは、正座したまま腕力で隣に座っているものを引き寄せ、自分の身体にぶつけた反動で位置をずらす陰忍で、変わり身術の一つである。
 しかし俺には引き寄せられた感覚も、親父にぶつかった衝撃も感じなかった。
 相変わらずハイスペック……というか、自分の息子を変わり身に使う親って、どおよ?

「まあ、それは良い。大河」

 全然良くはない。
 親父は気を取り直したのか、凛と立ち上がり、静流様と師匠の前の椅子に腰掛けた。
 その隣には既に母さんが鎮座している。
 俺だけ床に正座。
 こんな事が許されて良いのだろうか?

「今日はお前に話が在って来た」
「……んじゃなんで、人んちで刀振り回してんだ?」
「……今迄の恨みの深さが、俺たちを誘惑したのだろう。人の業とは誠に深きものよ」
「お前等親子には、わりと親切にしてきたんだけどなー。感謝されても、恨まれる覚えなんか、これっぱかしもねーんだけど」
「!」

 刀を抜こうとした親父の手が、母さんに止められた。
 飛び掛ろうとした俺も、床に寝転んでいた若宇のパンツ丸見えの蹴りで撃墜されて、床に這いつくばる。
 かかか、感謝だと、親切だとぉ!
 久々にカチンときたぜ。

「あなた〜。冷静に、冷静に〜。いっつ・あ・くーるびずよ〜」
「……うむ」

 クールビズじゃあねえだろ、親父。
 親父はようやく本題に戻ろうと思ったのか、瞳を閉じて精神統一した後、重く口を開いた。

「実は大河。今日は貴様に礼を言いに来た」
「…………はぁ。それはごてーねーに」

 たっぷり間合いを取った師匠が、訝しげに頷く。
 それはそうだろう。
 自分の今までの所業を鑑みれば、なにか裏があると思うのが普通だ。
 自分のことは自分が一番解っているのだから。

「今まで十哉のことを、よく鍛えてくれた。おかげでそこそこの力は付いたし、己の命くらいは護れるようになった。石川の剣士としては、越線だと言えるだろう」
「……はぁ。そっすねー」
「先ほど、十哉の修練を見た。石川の套路だ。あれはまるで……」
「……何が言いたいのか、さっぱり解らねーんだよー。お前は昔から前置きがなげーんだよ」

 俺の目の前に、異様な光景が広がっていた。
 師匠と親父の会話を見たのは、俺が師匠に弟子入りする時以来だ。
 いつも親父が煙に巻かれてキレて、師匠に玩ばれる。
 それが普通の光景だったのだ。
 この二人の間に普通の会話が成り立つなんて、想像もしなかった。
 しかも親父が主導権を握っている。

「実はだ。石川家の諸事情により、十哉の月謝を払うのが困難になった。今月で打ち切らせてもらう」
「なにぃ!」

 約三名が絶叫した。
 師匠、静流様、俺、だ。

「ちょと待てお前。俺がお前から貰う金を、どれだけ当てにしてるか解ってんのかー!」

 これは師匠だ。

「……ちょっと待ってよ、とら。あんた、康哉からお金貰ってたの……? あんなに偉そうな事言ってて……信じらんない……」

 これは静流様。
 師匠がどんな偉そうな事を言ったのか知らんが、きっと素晴らしい戯言だったのだろう。
 怒りで顔が真っ赤だ。

「……師匠。金取ってたんですか……金取ってて、あの指導……」

 勿論これは俺の台詞なのだが、あまりにショックで、自分の口から出た気がしない。
 金取ってて、あの指導……。
 親父は百地の若忍を指導する役についている。
 月謝は一人15万とか。
 そのうち10万が親父の懐に入り、5万が育成機関に支払われる。
 親父は厳しいが、何気に信望もあるそうだ。
 飴と鞭を上手く使い分けているのだろう。
 一方、俺の師匠は……。
 自分で飴を設定しないと、とても着いていけない15年だったと言い切れる。
 この親子……というか師匠に関しては、最大限な好意的解釈をしないと、振り落とされるからだ。
 そして俺は知っている。
 多分……本当に多分だが、好意的解釈が的を得ている事を。
 そうであって欲しいと、心から願っている。

「……まあ、待て待て皆の者ども。冷静に落ち着いて、道端に捨てられた哀れな濡れ子犬を遠目から見つめるような生暖かい心で、話を始めようじゃないか」

 師匠が娯楽番組の司会者のような身振り手振りで、全員を諌め始めた。
 実はこの時点で、俺は諦めているのだ。
 長年付き合った師匠の事だ。
 さぞかし見事な詭弁を弄して、煙に巻くのだろう。
 俺以上に師匠と長く付き合っているはずの、親父や静様ですら煙に巻いてしまう、素晴らしい詭弁が。
 ふと横を見ると、若宇が床に寝転がったまま、袋菓子を貪っている。
 こいつはどう思っているのだろう?

「まず静流。お前の言いたい事はよく解る」
「……解ってるんだ……本当に……?」
「うむ。まあアレだ。自分の娘の運命がアレだから、なんとかしてやりたいと思ってたところに、康哉からアレみたいな話しを持ちかけられ、コレ幸いと物心ついてない餓鬼にアレを押し付けようとした事実は、お前も知るところだよな?」
「……まあ……そういう言い方、嫌いだけどね……」

 アレとかコレばっかりで、良く解らん。
 要するに若宇のお守り俺に押し付けたってことだろ?

「その見返りに、康哉から毎月10万円ほど援助してもらっていたのだ」
「……ぜんぜん説明になってないじゃないっ!」
「いやでもよー。これは康哉のほうから言い出したことなんだぜ」

 ほう?
 親父のほうを見ると、黙って瞳を閉じていた。
 肯定の沈黙だ。

「本当なの、康哉?」
「……その通りです、静流様」
「なんで? コイツにお金なんか持たせたら、ろくでもない事するに決まってるじゃない」
「……」
「あのね〜静流。康哉さんに提案したのは、わたしなの〜」
「奈那子?」

 沈黙していた親父に代わって、母さんが口を開いた。
 相変わらず、絶妙のタイミングだ。
 時々思ったりする。
 本当は母さん、忍者の話芸を習得しているんじゃないだろうか?

「康哉さんは話し辛いだろうから、私から話すね〜」
「……うん……」
「実はわたし達〜大河ちゃんたちに弱みを握られて脅迫されてたの〜」
「……」
「……」
「……」

 ……。

「ほらわたし達、木羽と石川だったじゃない〜。デートするにも、人目とかあって侭ならなかったでしょ〜。だから康哉さん、大河ちゃんに相談したんだって〜。今思うと、かなりテンパってたと思うの〜。だって一番危険な人に、一番危険な事言ってるんだもん〜」
「……」
「……」
「……」

 ……。

「それでまあ、大河ちゃんのアドバイスを愚かにも鵜呑みにした康哉さんと、結ばれたじゃない〜。大変だったのよ〜。だって木の上とか体育館裏とか水の中とかなんだもん〜。私、結婚するまで、布団の上で抱かれた事無かったんだから〜」
「……」
「……」
「……」

 ……。

「で、時が流れて、わたし達も静流達も結婚したじゃない〜。御互い子供を授かって〜。……それで……まあ……色々あったじゃない〜。康哉さんが十哉ちゃんを大河ちゃんに預けるって言い出したんだけど、それとは別に、わたし達困ってたの〜」
「……」
「……」
「……」

 ……。

「だって大河ちゃんたら、事あるごとに、アレが欲しいだのコレが必要だのって、康哉さんにタカってたんだよ〜。康哉さんもなんだか断り辛いみたいだし〜。ほら〜、アレとかコレとかの事もあったでしょ〜。ほんと〜に二人に感謝はしてるんだけど〜、しょっちゅう家に来られても大迷惑でしょ〜」
「……」
「……」
「……」

 ……。

「で、十哉ちゃんを預けることだし、一々アレコレ言われるのもウザったいし〜、十哉ちゃんの教育費って形で、お金を渡すことにしたの〜。やっぱお金で解決できることは、お金で解決したいじゃない〜」
「……」
「……」
「……」

 ……。
 駄目だ、この人たち。
 こんな人たちに囲まれて、よくもまあ俺はこんなにも、素直に育ったもんだ。

「……まあ……奈那子の話の印象は兎も角、ですが……」

 親父が取り直した。
 どうでも良いけど、両親の下の話はあまり聞きたくない。

「大河は……静流様知っての通り……強い。強いですが……弱点が無いわけでも無いのです。それは、経済力」

 ……情けねえ。
 どんな英雄だよ。

「確かに大河に金銭を与えるのは、危険極まりない所業です。ですが当時……大河は真田の娘を保護していました。静流様にも、百地にも秘匿したまま」
「……」

 へえ。
 初めて聞く事実だ。
 真田のことを保護したのが師匠だということは知っていたが、静流様にも百地にも内緒だったなんてな。

「大河の欲しがっていた桃色電動遊具や洋物書籍のためなら、渡しませんでした。ですが下らない男の下らない一生の中で、唯一といっても良い善行のためです。ましてやこの男のこと。善行のためなら悪行を重ねることも厭わないこの男のことは、静流様もよくお知りでしょう」
「まあねえ」

 納得されちゃってるよ。

「様々な事情を鑑みた結果、大河に金銭を渡すことを決意しました。苦渋の選択でしたが、ある程度の金銭を所持していた方が危険度は少ないと判断してのことです」
「……そっか……辛い選択させて……ごめんね、康哉……」
「いえ……静流様が心を痛めませぬよう……全ては我らの呪われた運命ゆえ。この男と関わった、我らの」
「……」
「……」

 ここまでボロカス言われる師匠って、ある意味凄いよな。

「なんだかしこりが残りまくったが、御丁寧な説明ありがとう、石川夫婦。で、次に説明するのは……ペケ。お前だ、が……まあ、別に良いか」
「良くねえ」

 ようやく回ってきた俺の番を、ばっさりと切り捨てやがった。

「心配すんな。お前には月10万円分の打撃しか与えて無いから。よかったなー。月20万貰ってたら、お前、死んでたぞー」
「そんなことは心配してないっての。てゆうか、月十万も貰ってるんだったら、きちんと指導しろよ」
「で、最後の疑問は俺だ」
「……無視だ」
「なんで金銭的援助の打ち切りなんだ?」

 場の空気が固まった。
 解釈は二種類あるだろう。
 金銭以外の援助は実行してくれるんだろうな的な恫喝と、もう一つ。
 今更ながら打ち切るという事。
 そして……。
 今、何故、俺たちにこの事実を開示するのかということだ。
 俺と若宇の居る、この場所で。

「……」

 親父は瞳を閉じたまま、なにも語らない。
 それは自分で考えろと言っているのだ。
 俺に。
 でなければわざわざ俺の前で、こんな話を聞かせる必然は無い。
 ……。
 少し考えてみよう。
 俺の家は、所謂名家だ。
 日本の忍者を束ねる百地。
 その百地の第一の側近として、長年伝えてきた家系だ。
 色々とやっかみも多いが、石川家と肩を並べられる家は存在しないといっても良い。
 もっとも、権力という意味じゃないのだが。
 石川家は、百地を守るためにだけ存在している。
 執政は範疇外だ。
 政治家みたいな役割の忍者も居るが、俺たちは違う。
 だがそれだけに、石川家の禄は破格だと言えるだろう。
 俺も一応、石川家の台所を預かる人間だ。
 財政状況は良く知っている。
 一度家の預金通帳―――勿論銀行は百地の系列だ。今の時代、個人情報を秘匿しようと思ったら、銀行くらい作らなくちゃな―――を見て、愕然とした覚えがある。
 毎年宝くじの一等に当たってるようなもんだ。
 だから……この話に裏があることは、容易に推測できる。
 たかだか月10万程度の金子を払えないような、情けない家系ではない。
 月10万を当てにするような忍者ではないのだ。
 という事は……。
 師匠の収入源を断って、なにかをしようとしている?
 それは……なんだ?
 だが……親父が知ってるかどうかは知らないが、俺は知っている。
 師匠には別ルートの小遣い稼ぎ仕事があることを。
 たまに学園の講師を休むのは、そのせいだ。
 だから……10万の定期収入がなくなるのは、確かに痛いだろうが……真田がこの家で養われている今、師匠が定期収入を必要とする理由は無いと思われる。
 故に金銭的援助を打ち切る。
 筋が通ってそうで、先細りな推測だ。
 そうすると、考えられるのはもう一つ。
 師匠が定期的収入を必要とする理由が、真田の事以外に……。

「まあいーだろ。くれねーって言うもの、しょーがねー」

 師匠が何か、愉快そうな表情を浮かべた。
 ……あの顔は、見たことがある。
 何かをたくらんでいる証拠だ。

「んじゃ若宇」
「んあ?」

 寝転んで菓子を貪り食っている若宇が、パンツ丸出しで顔を上げた。

「お前の小遣い、今月からなし」
「……なんですとーっ!?」
「あたりまえだろー。お前の小遣いは、石川基金から捻出されていたんだから」
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと、おとーちゃんっ!」

 ……。
 なるほ……ああ、そうか。
 そう言う事か。
 馬鹿面丸出しで、必死に抗議している若宇には解るまい。
 まったく……。
 芝居がかった大人たちだ。























「とゆー事で、きんきゅー事態勃発だー」
「……解ったけど、私たちが集められた理由は〜?」

 摩理の言葉に、真田と透が頷いた。
 それはそうだろう。
 全ての事情を理解している―――若宇すら気付いていない理由を理解している―――俺なら兎も角、透や摩理や真田が、この馬鹿を顔を突きつけてしゃがんでいる必然性は無い。
 というか、レイナさんが嫌な顔をしていた。

「アのー若宇ちゃん? 迷惑センベイなんですけどー?」
「……迷惑……千万です……レイナさん……」

 ここは喫茶店なのだ。
 放課後、俺たちは若宇に呼び出されて、喫茶店の隅っこに集められた。
 普段は観葉植物がディスプレイされているこの場所で、俺たちはしゃがんだまま、真田のツッコミを聞いてるのだ。
 無表情を浮かべつつも、きっちりツッコミいれたり、メイド服でしゃがんだりするところが、律儀な真田らしい。

「お前ら、わかってんのかー? あたしの小遣いが無くなる、大ハプニングだぞー?」
「……ハプニングかなあ?」

 透が顔をしかめるのも無理は無い。
 若宇の小遣いがなくなっても、透や摩理は全く困らないからだ。
 まあ、諦めてくれ。
 もし若宇が集めなければ、俺が相談していたのだから。

「小遣いが無くなったらー……駄菓子も麩菓子も洋菓子も和菓子も……その……買えなくなるんだぞー! 哀しいだろうがー! せつねーだろうがー! 泣きたい夜には枕を濡らすだろーがーっ!」

 途中で菓子の付くものが思いつかなくなったな、馬鹿め。
 師匠や若宇は、上手い台詞回しを考えすぎるあまり、言葉に詰まるときがある。
 そして出てこない自分の責任を人に押し付けて、キレるのだ。
 ちいせえねえ。

「だから……若宇ちゃん。それは気の毒だと思うけど、僕たちを呼んだ、理由を教えてよ」
「……」

 真田が透の言葉に頷いた。

「うむ、解ったー」

 偉そうに。

「おとーちゃんに小遣いナッシング宣言をされて、あたしは昨日、必死に一晩考えた。小遣いがなくなるのは不味い。じゃーどーする? 答えは難解だったが、あたしはふと気付いたのだ。お金がなければ、働けばいいじゃない」

 宮廷貴族風に言っても、当たり前すぎる事には変わりない。
 ふと気付かなければ、その程度の答えも出てこないのか、馬鹿め。
 口元を隠した手が情けないわ。

「……つまり……どう言う事……若宇?」
「良い質問だ、ゆっきー。つまり、この五人で……お金を稼ごうと思う!」
「……」
「……」

 透と摩理がそれぞれ、全員を指差し確認し、自分が含まれていることに気付いてうな垂れた。
 うむ、良く解るぞ。
 これからの展開が、手に取るように理解できたのだろう。
 伊達に、言い出したら退かないこの馬鹿の幼馴染として、周囲から認知されているわけではない。
 まあ、諦めてくれ。
 親父風に言うと……全ては我らの呪われた運命ゆえ……この馬鹿と関わった、我らの。

「なあ、ゆっきー。オマエもお金ほしーだろ?」
「……」

 真田が思いっきり頷いた。
 恥じることも無い肯定は、逆に清々しい。
 しかし、なんで真田は金に固執するんだろうな?
 確かに過去、生活は苦しかっただろうが、今は解消されているはずだ。
 レイナさんと20円しか変わらない時給ももらってるはずだし。

「とーるは?」
「……僕は別に、今の禄で満足してるし、若宇ちゃんに巻き込まれると、なんだが厄介なことになりそうだし、てゆうか、赤字必死な気がするし、端的に言ってヤ……」
「百地系女忍者全リスト。携帯から住所、スリーサイズまで載ってる。しかも着替え写真付き。写真の端っこをこすったら、匂いまで発生」
「……なわけないじゃない! 僕たち、友達だもんねっ!」

 馬鹿が馬鹿に陥落した。
 何でそんなもの欲しがるかなあ?
 生身の女性とも関係してるくせに。
 リストを手にした透が、笑顔で立ち上がった。

「ね、若宇ちゃん! トイレ借りるね、トイレ! 早速オナニーしなくちゃ! 色んな写真を交互に眺めたり、ちょっと下から覗いたり、舌先で感触を想像しながら舐ったりして、オナニーしなくちゃっ!」
「……」
「……」
「……」

 晴れやかな笑顔を浮かべて、透が足早にトイレに駆け込んだ。
 あんの……馬鹿……。
 なんで俺は、あんなのと幼馴染なんだろう?
 言い訳にしても、もうちょっと別の言い方があるだろうに。

「……」
「……」
「……」

 みろ、この重い空気を。
 こんなの残して、一人で逃げやがって。

「ま、まー。そんで摩理はー?」
「私、千代女の方で忙しいし〜。別に生写真とか欲しくな……」
「年中無休千客万来。ペケの無限セクハラ券発行。縛りアリ」
「し、しば……それは、私が縛ってもらえるの〜? そ、それとも、縛ってもいいの〜?」
「……どっちゃでもお好きにー」
「やる〜! 私が居ないと、仕事とってこれないもんね〜♪」

 色ボケはともかく、確かに摩理は必要な人材だ。
 百地の中でも、超党派の千代女衆の一員である摩理は、この手の情報を伝達する任務も請け負っている。
 取るに足らないフリーな仕事は、通常流れ透破などに振り分けられるが、摩理の采配次第で俺たちに回すことも可能だろう。
 陥落の条件は気に入らないが、まあ摩理も解ってるだろう……と、思いたい。

「じゃあ若宇ちゃんチームでお仕事するんだよね〜?」

 事務手続き的に思い出した摩理が、興奮を抑えながら若宇に尋ねる。

「あー。チーム名は、忍者探偵団とゆーことで」
「いや、チーム名とかはいらないんだけど〜」
「ん? どこかに登録とかひつよーなのかー?」
「どこかにって言うか、私に必要なの〜」

 確かに摩理は俺への伝達係を担当しているが、それだけが仕事な訳ではない。
 千代女衆としての仕事や、その他の仕事の割り振りなども担当している。
 自分の中で区分するため、登録が必要なのであろう。

「一応私も、百地に書類とか提出してるんだから〜」
「ふむ。じゃー、チーム名は……」
「チーム名はいいから〜」

 摩理は苦笑いを浮かべた。
 若宇の気持ちは解る。
 忍者探偵……そのラインもアリかもしれないと、俺も思ったからだ。
 まあ実際のところ、探偵業務なんか、どうやったら良いか解らないが。

「んじゃー、何が必要なんだー?」
「責任者〜。はっきり言うと、リーダーだよね〜」
「……」

 摩理の言葉に、若宇が押し黙った。
 まあ、若宇の頭の中なら、大抵の事は想像が付く。
 そういったしち面倒くさい事は本来、俺の役目だろう。
 しかし……。

「リーダーは……あたしがやる」
「若宇ちゃんが〜?」
「……」

 身勝手なリーダー宣言だが、摩理も真田も意外だったのだろう。
 いつもの若宇なら、俺に押し付けるはずだと思ったのだ。
 それくらい理解できる、付き合いの長さではある。

「……あたしが仕切らないと、自分勝手なことをする奴が居るからなー」

 一番自分勝手なお前には言われたくはないが、そうだろう。
 若宇の頭の中には、SIKビル襲撃事件のことがよぎったに違いない。
 あの時チームのリーダー―――いただきは、俺が受け持った。
 その忌まわし記憶と屈辱は、身体に刻まれている。
 責任を取るのは面倒臭いが、俺に好き勝手言われるよりはマシだと判断したのだ。

「ふ〜ん……」
「あんだよ、摩理ー?」
「なんでもない〜」

 摩理がなにやら画策しているように、意味有り気な表情を浮かべた。
 リスクとリターンを秤に掛けているのだろう。

「ね若宇ちゃん〜」
「ん?」
「フリーのお仕事を回すのは構わないんだけど〜。それなりの準備は、勿論揃えてあるんだよね〜?」
「お、おう。当然だー」

 嘘だ。
 お前さっき、一晩で考えたっていったじゃねえか。
 摩理もそれが解っているから、底意地悪げに微笑んだに違いない。

「じゃあ、ちょうだい〜」
「……あにを?」
「保証金だよ〜」
「……ほしょうきんー?」
「そうだよ〜。フリーのお仕事は、百地のお仕事と違って、失敗しても責任取って消されちゃう事は無いんだけど〜。その分、金銭的な損失が出るんだよ〜。『百地』の若宇ちゃんなら、解ってるでしょ〜」
「お、おう。勿論だー」
「じゃあ頂戴〜」
「……」

 なるほど。
 摩理は若宇がリーダーなら、仕事を回したくないと判断したらしい。
 何故なら、フリーの仕事の保証金なんて制度は、百地の中……いや忍者の世界には、存在し無いからだ。
 若宇がその手の知識には疎いと知っていて、難癖つけている。
 だいたい小遣い欲しさに仕事しようなんて奴が、保証金など準備できるはずが無い。
 流石千代女衆だと言えるだろう。
 若宇の性格や経済状況、知識などを判断して、一番効果的な手段を取ったわけだ。
 甘いけどな。
 若宇の傍らに居る、俺の事まで読まなくちゃ。
 いや、読んだつもりなんだろうけど、な。

「しょ、しょーがねー。ペケ。お出しして差し上げなさいー」
「……」

 普段なら……誰が出すか、この馬鹿女……そう思うだろうが。
 俺は黙って上着の内ポケットから、一枚のカードを差し出した。

「どうぞ若宇様」
「お、おう……って、これっ!?」

 若宇ですら見るのは初めてか。
 名の有る忍者でも、このカードを持つものは少ない。
 俺も出すのは初めてだ。

「と、十哉ちゃん〜?」
「不満か、摩理?」
「う、ううん。だけど〜……」

 俺が差し出したカード。
 それは……無宝むほうと呼ばれるカードだ。
 近代に合わせてカード化されては居るが、正真正銘、家系の命綱である。
 このカードを持つものは、無制限の借入が出来る。
 本当にいくらでも、だ。
 提示されたものは、どんな犠牲を払っても、求められた金額を揃えなければならない。
 だが返済できない時は……その血筋全てが、弁済に当たらなければならない事になっている。
 全ての血筋がだ。
 言ってみれば、全ての親戚が保証人になってくれているという、その証のカードである。
 忍者も一般人も関係ない。
 預貯金は元より、所有地、証券各種、生命保険から家財道具。
 命や人権、服に着いているボタンの一つまでが対象となっている。
 つまり、このカードを人に渡すという事は……一族の命運を預けるという意味に他ならない。
 本来なら金銭だけ引き出背売いんだろうが……俺の本気を伝える必要が在った。

「……本当にいいの〜、十哉ちゃん〜」
「ああ。言っておくが、きちんと明細は出せよ。無駄遣いや横領すれば……どうなるか解るだろ?」

 俺の笑顔を見て、摩理が喉を鳴らせた。

「う、うん……」

 俺の決意に飲まれたのだろう。
 久しぶりに見る、畏怖の表情。
 俺は摩理の幼馴染でも在るが、なにより石川流なのだ。
 百地最強の流派。

「ペケ……」
「仕事の禄は、若宇様の口座に振り込んでもらってください。それが頂というものです」
「あ、ああ……あ、でも、あたしの口座、今封鎖されてるんだけど……」

 これもまた珍しい。
 若宇が俺に伺いを立てている。
 まあこのくらい真剣になってくれなくちゃ、俺も本気を出す意味が無い。
 師匠や親父たちに、わざわざ演技をしてもらった事だしな。

「では新しく開設なされば宜しいかと」
「あ、あー……そーだなっ!」

 どうやら気を取り直したらしい。
 若宇が瞳を輝かせはじめた。

「心配すんな、ペケ! 引き出した金は、色つけて返してやるからさ!」
「期待しております」

 俺の言葉を聴いた若宇は、摩理の手を掴んで立ち上がった。
 摩理も若宇に逆らう事無く立ち上がる。
 流石に空気を読むのは早いな、摩理。
 まあ二人で、俺の心境変化について話し合ってくれ。
 どうせ答えなんか導けないとは思うが。

「じゃあ摩理。一緒に口座作りに行くぞー」
「うん、解った〜」

 そう言って二人が、足早に店を飛び出していく。
 まあ解らんでもないがな。
 そこまであからさまに逃げられると、かえって気持ちが良い。
 これからの展開を考えると、やはり気が重くなる。
 俺は店の隅っこから、壁際のソファーへと移動した。
 クリーム色のソファーに深く腰をかけて、そっと目を閉じる。
 あー。
 現段階で……読めるところまでは来た。
 だが、それだけだ。
 これからさらに深くまで読んで行動する必要が有る。
 あの馬鹿は当てに成らないから……。

「……」
「ん?」

 ふと気付くと、目の前のテーブルにカップが置かれていた。
 中には琥珀色の何か。
 気配を殺して運んできた真田に、首を傾げてみせる。

「頼んでないぜ」
「……おごり……」

 そう言えば真田ときちんと話すのも、随分と久しぶりの気がする。
 摩理のセクハラ攻撃とか樹の幼女妾疑惑とかで、避けられてたからな。
 完全無欠に誤解なんだが。

「珍しいな。真田のおご……」
「……レイナさんの……」
「……」

 俺は黙ってカップに口をつけた。
 上目遣いに成った瞬間、カウンターの奥にレイナさんの『エエッー!?』って顔が見えた気がしたが、見なかったことにする。
 砂糖もミルクも入れないコーヒーは、これからの俺を気遣ってくれるように優しい味だった。
 人様のおごりともなれば、癒し効果も一入だ。

「……石川十哉……」
「ん?」
「どういう……事……?」
「なにが?」
「……」

 真田の疑問をはぐらかしてみる。
 俺も確証の掴めない話だから。
 だが……多分、そうなのだろう。
 師匠と親父の企みなんか、この身に染みまくっている。

「素直に若宇ちゃんの提案を受け入れた事だよ」

 お?
 俺の背後から、写真片手の透が現れた。
 揉めるのが嫌で、下らない言い訳して逃げ出した卑怯者。
 それにしても、どいつもこいつも気配なんぞ消しやがって。
 それとも、俺の感覚が鈍ったのだろうか?
 これからのプレッシャーで。
 情けねえ話しだ。

「いつものことだろ?」
「違うよ。いつものとーやなら、諌めるじゃない」
「そうか?」
「そうだよ。だって……おかしいよね、この話し。間違いなく裏があるでしょ。なのにとーやがそれに気付かないはず無いよ」
「……」

 透の疑問に、真田も頷いた。
 まあその程度には信頼されているってわけか。

「いつものとーやなら、嫌がって抵抗して、それでも巻き込まれて酷い目に合うのがパターンでしょ」
「……」

 真田が真剣な顔して頷いてやがる。
 なんかムカつく理解のされ方だぜ。
 まあ良い。
 ある程度の手の内を明かしておかないと、理解も得られないだろう。
 セクハラ目当ての摩理なら兎も角、透には色々と調達してもらわなくてはいけないからな。
 真田もそうだ。
 真田の性格からして、金銭目当てなのは間違いないだろうが、それだけに命がけのミッションには参加してもらえそうも無い。
 それでは困るのだ。
 俺たちが集まって、ギリギリの成功確立をクリアするくらい、難易度の高いミッションでなくては。

「……夕べな。お袋から聞いたんだ」
「……」
「奈那子さんから?」

 俺は頷きもせずに、カップに口をつけた。
 一呼吸おいたのは、なにももったいぶっている訳じゃない。
 俺もあまり話したくないことなのだ。

「お袋が、SIK社の開発局を首に成ったらしい」
「……え?」
「表向きは、新商品の開発凍結って事らしい。既存の商品で、この苦境を乗り切るんだとさ」
「苦境?」
「ああ。忍具販売の世界に、SIK社以外が関与する事になったんだと」
「……」

 透はおろか、真田までも神妙な面持ちになった。
 事の重大さが解ったのだろう。
 百地から委託されて忍具を販売するSIK社。
 それはつまり忍者の世界が、政府のコントロール下に置かれている事を意味する。
 勿論新規参入の会社―――何処だかは知らんが―――も、政府の許可を得て……つまり、百地の許可を得て、忍具の販売をするのだろうが。
 問題はそこじゃない。
 百地が、SIK社……木羽から片手を離そうとしているってことだ。
 今までがっちりと握っていた両手を。
 さらに深読みすれば、石川とも。

「……でも……変じゃない……?」
「ん?」

 真田がトレーを持ったまま首をかしげた。
 トレーに押されて、たわわな乳が形を変える。
 危なく思考が反れる所だったぜ。

「新規産業があるなら……尚更……新商品の開発は……必要なんじゃ……?」
「……」

 流石真田。
 誰も気付かないところにツッコんでくるよな。

「だから表向きなんだろ」
「……」
「俺のお袋は、木羽の家の出だ。SIK社の会長の家系だ。それが外されたってことは……二つ。ただの役立たずを雇っている余裕がなくなったか……」
「……SIK社から木羽を排除しようとしている?」
「それに百地も手を貸そうとしているって事だ」

 俺に付け足された透が喉を鳴らした。
 それがどういうことか解っているんだろう。
『百地』は確かに百地家の世襲制だが、百地家だけで動かせるわけじゃない。
 その執政には、有力な家系が名を連ねているのだ。
 何らかの力が……。

「百地の中でも、何かが動いてるって事だな」

 そして外でも。
 頭の中に、木戸の憎たらしい顔が浮かんできた。
 百地に……俺に敵対しようとしている勢力の存在。

「……」
「……」

 沈黙する二人に、俺は無理矢理笑いかけた。
 今この二人をビビらせても、何かが変わるわけじゃない。

「まあ、いきなりどうのこうの成るわけじゃない。百地源牙様も健在だし、何かあれば静流様や親父も動くだろう。だから今日の話は、それじゃない」

 そうなのだ。
 取り敢えず、急を要する事態が起こったわけじゃない。

「師匠が若宇の小遣いを止めた理由。それはこういう発想をするって思ったからだろう」
「……こういう……発想……?」
「若宇なら小遣いを稼ぐために、『仕事』をしようとするって事だ。そしてそれに俺たちが巻き込まれるって事も、当然織り込み済みだろう」

 俺と親父が師匠宅に乗り込む前に、話は出来上がってたんだろう。
 お袋がSIK社を首になったから、師匠に資金援助が出来ない。
 だから師匠は若宇の小遣いを払えない。
 なるほど、一応の筋は通っている。
 親父や静流様に収入が無ければ、な。
 そして俺がそれに気づく事も、予想済みってわけだ。
 そう説明すると、二人は一応納得したようだ。

「でも……」

 真田が上目遣いで疑問を投げかけてきた。
 納得してないのか?

「そこまでして……あの人……は、若宇になにを……させたいの……?」

『あの人』の部分で顔を赤くした真田に、胸が締め付けられる。
 あの人なんて上等なもんかよ。
 いい加減で貧乏でお調子者でエロで……親馬鹿で。
 俺はカップの底にへばり付いていた、苦いコーヒーを飲み干しながら、そっと呟いた。
 苦難の始まりへの宣言のように。

「実戦経験だろ。俺たちに……若宇に、生き残るための実戦を経験させるため」

 夏間近の太陽が、窓から覗き込んでいる。
 俺たちをあざ笑うかのような、夏間近の日差し。







END

















5月15日 (晴れ)


 いきなり小遣いカットされちった。あたし戦後最大の危機。でもさすが、あたしはあたし。ナイスすぎるアイデアが浮かんできたので、皆を喫茶店に集めて秘密会議をした。お金が無ければ働けばいいじゃない。てゆーか、お金がないと切なすぎる。摩理やとーるには、もうこれ以上借金は出来ないし、ゆっきーは……お財布の中に10円玉三枚と5円玉一枚しかなかったので、借りるのはムゴすぎる。
 いろいろ準備して、目論みどーりに事が進んだ。ほんとーはらみっちや純ちゃんも誘いたかったんだけど、けっこう危険な事になるかもしれないし、第一人数が増えたら、分け前が減っちゃうもんね。

 だから今回は、忍者だけを集めた秘密戦隊を結成。ネーミングも考えていたんだけど、摩理に却下された。なんでも版権と世界観の関係上ってことだけど、どーゆーこと? 二人で口座を作って、そこに摩理から借りた準備資金を振り込んだ。なんとなくこの時点でお金持ちになってる気もしたんだけど、これは借金だもんね。それにしても、借金まみれのあたしと、ビンボーなゆっきー。こんなヒロインじゃ、視聴者の声援は得られない気がする。白と黒で変身したら、ちょっとはファンが増えるかも。

 それにしても……ペケは何を考えているんだろう? 摩理に預けた、あのカード。あたしも初めて見た。家系の命ともいえる、無宝の書。多分コレが無ければ、摩理は仕事を回してはくれなかった。回してくれても、あたしたちが実戦と呼べるような仕事にはならなかっただろう。まさか……ペケは気づいている?
 おとーちゃんと康哉さんが、あたしたちに実戦を経験させようとして仕組んだってこと。……それは無いか。あいつはニブチンだから、気付いているはず無いもんね。

 何かが動き出そうとしている。でも、あたしはあたし。あの人に誓った、静かな世界に向かって歩くだけ。
 いつか届くまで。


 おわり。



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