鶏肉を適当かつアバウトに揚げつつ、付け合せのブロッコリを湯立った鍋の中に放りこむ。
 どうしてこんな進化を遂げてしまったか解からない緑色の球体が、一気に踊り出した。
 その間も隣りの鍋では、1人分のカレーが香ばしい匂いを立てて焦げて行く。
 ………………焦げる?

「おとと」

 慌てて鍋を、業務用コンロから下ろす。
 ま、多少焦げても死にはしないだろう。
 俺は。

「ちょっと陣ちゃん! 今、アタシのカレー、焦げたんじゃない?」

 金髪で長髪で赤い口紅の赤いドレスが、カウンター越しに口を開いた。
 胸元が大胆に開いてるものの、覗く気になどなれやしない。
 胸毛出てるし。
 カウンタの隣りに設置された大型水槽の中で、色鮮やかな魚達も吃驚して逃げ出そうとしている。
 水槽の中だから、逃げられないんだけどな。
 多分。

「うるせ。黙って待ってろ、源次」
「ちょっと、本名で呼ばないでよ! レイカおねーさまと呼びなさい、おねーさまと!」
「うるせーぞ、源次。それ以上騒ぐと、切りとって煮込んでやる」

 最近見なくなった、古いタイプのニューハーフに毒づきながらも、手早くから揚げを網の上に上げる。
 油が適当に落ちれば、OKだ。
 ステンレスのカウンタに、スチロール製の器をひとつ並べた。
 一番下にキャベツの千切りを引いて……刻みキャベツはどこだ?
 刻みキャベツの入ってる筈のタッパーの中には、しおれた切りカスしか残っていない。
 今日は揚げ物が多かったから、もう切れたのか。
 焼き台の下の発砲スチロールボックスから、丸ごとのキャベツを取り出して二枚葉を剥いだ。
 これで消毒OK。
 多分。

「ま、怖いわぁ……」

 俺はお前の化粧の方が怖い。
 この顔で、この辺じゃ一番売れっ子のニューハーフなのだから……。
 ニューハーフってゆーよりは、オカマだ。
 こんな時代も怖いな。
 源次は俺の高校の先輩だった。
 一回り以上違うので、学校での面識はないが。
 数々の伝説は聞いたことが有る。
 学校に攻め入ってきた他校の生徒を15人ほど瞬殺し、ついでに全員掘ったとか。
 ……俺の代に居なくて、本当に良かった。
 などど思いつつ、高速でキャベツを刻んでいく。
 軽快な音と共に、包丁がキャベツを刻みつつ俺の指をかすめた。
 多少俺の肉片が入っても構うもんか。
 サービスだ。

「あー、かわいそ、かわいそ♪」
「えーん、みさおちゃぁん。陣ちゃんが苛めるのー」
「駄目だよ、陣ちゃん。オカマは傷つき易いんだから。その何気ない一言が、オカマを作り出すのよ?」

 何気ない一言で、傷つき易い奴がみんなオカマになるんなら、世界も平和になるよな。
 赤いドレスの源次を抱きしめた白衣の女性。
 看護婦のみさおさんが、俺をたしなめる。
 俺のこともその豊満な胸に埋めてくれたら、簡単にたしなめられるのだが。
 この辺は風俗やらスナックやらも多いが、みさおさんはモノホンの看護婦だ。
 断じてコスプレとかってヤツじゃない。
 少しだけくすんだ白衣が、その激務を表している。
 これから夜勤に入るんだろう。
 みさおさんは、この近くに有る小さな病院に勤めているのだ。
 俺の親父も世話になってる。
 夜勤前にはいつも買いに来てくれているので、そのへんのオカマともすっかり顔なじみ。
 俺的には辛い激務でも笑顔を絶やさないこの人を、少しだけ尊敬してるので………。
 誰にも内緒で、新鮮フルーツなどオマケしてみる。

「ちょっとみさおちゃん……。オカマって言うのよしてくれない?」
「ありゃ、ごめん。でもオカマはオカマでしょ?」
「オカマって言わないで!」

 野太い声と清んだソプラノ声が言い合いをしていた。
 非常にマニアックな組み合わせで面白そうだ。
 見物したいが今はそれどころじゃない。
 俺の代わりに、水槽の中のグッピー達が見物してくれるだろう。
 現在、PM6:00。
 この店が一番混む時間だ。
 手早く客をさばかないと、次のお客が離れてしまう。
 店のカウンタ、狭いしな。
 胸毛の生えたオカマに構ってる場合じゃない。
 水槽の魚に指を食わせようとしているみさおさんは、ちょっと構いたかった。
 グッピーはメダカだから、肉は食わないが。
 多分。

「……おい、兄ちゃん。カツ丼弁当一つ」

 突然店内に響く、ドスの効いた声。
 振り向くとグラサンをかけた男が、オカマとみさおさんを押し退けて店に入ってきた。
 どこにでも居る、背中に絵が描いてあるタイプだ。
 こっからじゃ見えないが、オカマとみさおさんの後ろに並んでいる客も押し退けてきたのだろう。

「列の最後に並んだらな」
「………なんやと?」

 ここらへんじゃ聞かないイントネーション。
 関西系のヤンチャか。

「聞こえなかったか? 列の最後に並べってんだ」
「誰に口きいてんねん! ワシャ、ちとは名の知れた……」
「うっせえ」

 びいん……。

 俺の投げた果物ナイフが、カウンタに突き刺さる。
 また穴開けちまった。
 オフクロに怒られるな、こりゃ。
 刃物の煌きにたじろぐグラサン。
 大した男じゃねーな。
 そりゃヤンチャのくせに、弁当買いに来るわ。

「てめーに食わせる飯はねぇ。とっとと帰りやがれ」
「な、なんやと……」

 びびりながらも、なんとか声を振り絞る。
 そりゃそうだよな。
『男』を売ってる商売なんだから、高校生のバイト程度に退くわけには行かないよな。
 弁当を売ってる商売のくせに、『食わせる飯は無い』と言い放つ俺も俺だが。

「ちょっとアンタ!」

 源次が恐ろしい形相で、グラサンに詰め寄った。
 グラサンの奥の瞳が、いっそうびびる。

「な、なんや、きっしょく悪い……。なんの用じゃい、オカマ!」
「………おう、チンピラ……」

 源次の顔が、急に『男』になる。
 俺の情報に間違いがなければ、源次は空手と柔道と合気道合わせて15段くらい持ってるはずだ。
 コイツと喧嘩するのだけは嫌だな。
 色んな意味で。
 むなぐらとか掴み辛いし。
 色んな意味で。

「………な、なんや……」
「この街で……吹き上がってたら……いてまうど、ごぉるぁ………」

 怖っ!

「……」
「ウチとこの子に、手ぇ出したらなぁ……。全国のオカマが、押しかけるど……」

 それは別の意味で怖っ。
 てゆーか、なんで源次まで関西弁なんだよ?
 源次の迫力にびびったのだろう。
 グラサンは何も言わずに、一瞥をくれてすごすごと帰って行った。
 ちょっと同情。
 今晩うなされる事、確定だな。
 源次の顔を、あんなにアップで見たんじゃ。
 俺なら、疳の虫で泣き出すかも。
 そんな時は、熱帯魚が良いらしい。
 荒んだ心を癒してくれる、魔法の魚。
 水槽の中に入ってるグッピーは、値段も手ごろだ。
 レッド・スポッテッド・ディスカスやアジアアロワナみたいに、バカ高い訳じゃない。
 国内産グッピーなので、外国産よりは多少高いけどな。

「………かっこいい……♪」

 隣りで平然と見ていたみさおさんが、パチパチと手を叩いた。
 それにつられて、後方からも歓声が上がる。
 グッピー達も何故か喜んでいるようだ。
 多分。
 薄くて青いつばさを、ひらひらさせている。
 この街では、あまりにも日常な諍いだった。

「あらやだ……アタシったら……♪」
 
 そう言って源次は、頬を染めて身体をくねらせた。
 その表情が、一番怖っ!
 水槽に映った表情で、再びグッピー達が逃げ出した。
 水槽の中だから、どこにも逃げられないんだけどな。
 多分。

「はい、みさおさん。から揚げミックス弁当上がったよ」

 グラサンとオカマがにらみ合ってる間にも、俺の手はきびきびと弁当を作っていた。
 俺もこの街の住人なのだ。

「……陣ちゃんも、大物よねぇ……」

 そうかな?
 苦笑いを浮かべながらみさおさんが、小脇に抱えていた小さなバッグから財布を取り出した。
 中から、銀色の硬貨を一枚取り出す。

「はい。おべんと代」
「あいよ。みさおさん、仕事頑張ってな。また来いよ」

 そう言って一枚硬貨を受け取る。
 確認もせずに、傍らに置いてあるブリキのバケツに放りこんだ。
 鈍い音がして、硬貨がバケツに収まる。
 一人前、一律500円。
 計算の苦手な俺には、ナイスな料金設定だ。

「うん♪ レイカさんもお仕事頑張ってね〜♪」
「ありがと♪」
「源次の分も上がったぞ。オカマカレー1人前」

 手早くカレー専用パックにカレーを詰めて、福神漬けを添える。
 いつもより、カレーも飯も福神漬けも多めだ。
 別に、今助けてもらった故の感謝じゃない。
 この街で、疲れた人たちを下品なトークと安酒で癒している。
 俺はこのオカマを、ちょっとだけ尊敬してるからだ。

「オカマカレーって、どんなメニューよ!」

 怒った顔を作りながら、源次が高そうなバッグの中から、高そうな財布を出した。
 普通のホステス………?………なら、客に買ってもらっただろうバッグと財布。
 だけどあれは、源次が自分で買ったものだ。
 源次はお客に何か買ってもらうことを好まない。
 そんな金が有るんだったら、浴びるほど安酒飲んでもらったほうが嬉しいと言っていた。
 男らし過ぎるオカマだ。
 
「新メニューだ。ゲテモノだけどな」
「………はい、お弁当代」

 苦虫を噛み潰したようなシブイ表情で、源次が硬貨を一枚出す。
 銀色に光る、一枚のコイン。
 どんなに高そうな弁当でも、同じ500円。
 客はつり銭の無いように、一枚の硬貨を用意するのがこの店のルールだ。
 一番材料費の安い『のりコロッケ弁当』でも、それは同じ。
 そのかわり、100円のジュースがサービスとなっている。
 ジュースもどれでも100円。
 一枚の硬貨は、同じだけの価値。
 それがこの店のルール。
 この街のルール。
 誰もが同じ価値。

「あいよ。源次も頑張れよな。また来いよ」
「………本名で呼ばないで」

 苦笑しながら、源次が弁当の袋をぶら下げて去って行った。
 手を振ったオカマが、夕暮れの雑踏の中に消えていく。
 次の客も、腹を空かせているだろう。
 俺も腹減った。
 このラッシュが終わったら、俺とグッピーにエサをやろう。
 カウンタ越しに見える、風俗街の明かりが目に付き刺さった。
 俺の生きている街の息吹。
 いつもと変わらない吹き溜まり。













                        『ワンコイン』

 









「あー、疲れた」
 
 客足の途絶えた、PM8:00。
 俺は店の前に出て、凝り固まった背中を伸ばした。
 店の前では、繁華街に向かう雑踏が忙しく動いている。
 その間を縫うように、黒塗りの車が走り去って行った。
 ティッシュ配りのミニスカートが、人の波に流されていく。
 閉店時間まではあと1時間。
 そろそろ街が、活発に動き始める時間だ。
 帰宅する人と、遊びに行く人が交差する。

「それにしても………いつまで親父のやろー、入院してやがんだよ」

 ふと見上げた、街の明かりのその一角。
 白い建物目掛けて、呪詛を発射する。
 俺のバイトするこの弁当屋は、親父とオフクロの二人で切り盛りしていた。
『いた』って過去形なのは、現在親父が入院してるからだ。
 勤めているみさおさんにセクハラなんかかましやがったら、そのまま葬儀屋に送ってやる。
 まあ、付き添いで泊まりこんでるオフクロが、そんなことはさせないだろうがな。
 親父の入院している病院。
 昼間は看護婦さんが世話してくれているが、夕方から朝にかけては人手が少なくなってしまう。
 普通の入院患者ならそれでも充分ケアしてもらえるのだが、親父は一応瀕死の重症だ。
 13回くらい心臓止まったって言ってたしな。
 今でこそ減らず口を叩けるまでに回復しているが、お袋の手助け無しでは寝返りも打てない。
 だからまあ、お袋が付き添うのは当たり前なのだが……。
 俺の自由時間が減るのは勘弁して欲しい。
 昼間は高校、夕方からはオフクロの代わりに弁当屋。
 チャイムが鳴ると同時に、ダッシュして弁当屋に掛け込む俺。
 こんなんじゃ、学校で彼女の一人も出来る訳がない。
 まあ、男子校なんだけどな。
 源次の二の舞だけは嫌だ。

  小さい頃から弁当屋で遊んでいたせいで、料理は一通りこなせるようになっていた。
 調理師免許なんてものは無いが、この街でそんな事を気にする奴が居るはずもない。
 この弁当屋の常連には、警官もいるのだ。
 勿論、目の前の繁華街、一部風俗街が一番のお得意様。
 小洒落た飲食店も有るのだが、俺んちの弁当は結構評判が良い。
 値段が安くて調理が早くて量が多くて味が大雑把なところが、人気なのだろう。
 だからオフクロも、看病のために泊まりこむのを躊躇っていた。
 俺が手伝うって言わなけりゃ、夕方からは店を閉めるしかなかったもんな。
 親父がこの街に送るもの。
 一枚の硬貨で買える幸せ。
 実に照れくさい言葉だが……。
 なんとなく解かる気がする。
 店の前で車に轢かれて、車を大破させた親父が良く言っていた言葉だ。
 水槽で飼われているグッピーも、店の前で車に轢かれてエンジンを爆発させた親父の趣味。
 俺の親父は、本当に人間なのだろうか?

「さて、飯でも食うか」

 俺だけの特権。
『見た目は豪華だが材料費は200円くらい』弁当の時間だ。
 仕事中だが、この時間に食わないと帰ってTVを見る暇が無くなってしまう。
 このために、激務をこなしたと言っても良いのだ。
 あ、グッピーにもエサ、やらな……………。

 びくっ!

 水槽の前に……なんか居る?
 カウンタの脇に設置された大型水槽を、椅子に登った何かが覗きこんでいた。
 ピンク色のワンピースに、大きな白いリボン。
 どっからどうみても……小学生の女の子だった。
 だけど、さっきは居なかったはずなのに……。

「………?」

 後ろ姿をじっと見詰められて、気付いたのか?
 女の子は、ゆっくりと振り向いて………。

「……………」

 また水槽を覗きこんだ。

「おい」
「………………」

 返事は帰ってこなかった。
 なんか言えよ。

「おい、がきんちょ。何してやがる?」
「………」

 ようやく俺の声に反応した。
 女の子はゆっくり振り向いた。
 後ろ手に水槽を指差しながら……。

「はな?」

 とだけ言いやがった。
 そんな事、聞いてるんじゃねぇ。
 大体、水槽の中に花なんか活けるわけねぇじゃねぇか。
 水槽の中には、親父自慢のグッピー。
 オールドファッション・ファンテールとかって長ったらしい名前の魚で、結構珍しいらしい。
 ブルーで、長い尾ひれが特徴的なグッピーだが、所詮メダカの仲間。
 鬼瓦みたいな顔して、意外にメランコリックな親父だ。
 時速80kmで暴走する車に、正面からぶつかっても死なないくせに。
 ま、それはともかく。

「ちげーよ。魚だ、魚」
「くらうの?」
「食いもんじゃねーよ」

 どこをどう見たら、食用に見えるんだ?
 食っても………不味いはず………。
 多分。

「そか」

 そうだけ言うと女の子は、また水槽を覗きこんだ。
 その姿は、全然寂しそうじゃ無い。
 この辺りでは見ないがきんちょなので、多分、迷子かなんかだと思うんだが。

「おい、がきんちょ。親とはぐれたんだろ?」

 ………返事無し。
 女の子は相変わらず、じっと水槽を見詰めていた。

「おいっての」

 ………無視。
 こんなに無視されたのは、ここ数年では記憶に無い。
 なんとなく意地になって呼びかける。

「おい、がきん……」
「みほ」

 ………なにが?

「みほ。がきんちょじゃない」

 ………。
 ああ、名前な。
 どんな漢字を書くのかは解からんが、目の前の白リボンはみほと言うらしい。
 だが俺の聞きたいのは、そんなことじゃねぇ。

「おい、みほ。親とはぐれたのか?」
「………」

 ……無反応。
 このがきゃぁ……。
 中華鍋で、甘辛く煮つけるぞ、こんちくしょう。

「おい、み……」
「なまえ」

 ………?

「なまえをなのらないやつに、こたえるこたえはない」
「………」

 あーそーかい。
 非常にしっかりとした躾のお子さんですこと。
 泳いでるポーズで、串に刺してこんがり焼くぞ、こんちくしょう。

「……俺の名は、高橋陣太【じんた】。これでいいだろ?」

 なんとなく、何かに負けた気がする。
 俺の名を聞くとみほは、椅子の上から飛び降りた。
 俺の半分くらいしかない背丈。
 みほは、自分のことを指差しながら口を開いた。

「みほ」
「それは知ってる。お前の親はどこだ?」
「……………」
「親。解かるか?保護者だよ、保護者。お前をこの街に連れてきた人間」

 みほは一瞬しかめっ面をしたが、すぐに外を指差した。
 小さな桜貝のような爪先に有るのは……風俗街のネオン。
 ああ……そーゆーことか。
 別に珍しい訳じゃない。
 だけど……。
 子供はこの街に連れてきて欲しくないって思うのは、大きなお世話なんだろうな。
 といっても、このままみほをここに置いておく訳にはいかない。
 みほを発見してから、10分くらい。
 母親は、あと40分くらいはお仕事だろう。
 この街の平均タイムは、そんなもんだ。

「まあなんだ……。親とはぐれたんなら、俺が連れてってやる」
「どこに?」
「んと……交番だ。気の弱い警官が一人居るだけだから、気兼ねすることはないぞ」
「そこにいくと、おやにあえるの?」
「少し時間は掛かるかも知れんが、迎えに来てくれるはずだ」

 そう言ってみほの手を引こうとしたとき……。

 ぐぅ。

 と、情けない音が鳴った。
 俺の腹の虫じゃない。
 隣りに居る、ちんまいがきんちょからだった。
 ……………………はぁぁぁ。
 しょうがねぇ。
 俺はみほの手を引いて、水槽の椅子に前に座らせた。

「?」

 きょとんとするみほを置き去りにして、厨房の中に入っていく。
 みほに聞こえないように、こそこそしながら手早く電話を掛けた。
 すぐに出た警官の健ちゃんに、用件のみを伝えて黒電話を叩き切る。
 これで、交番に迷子探しが来ても、すぐに対応できるはずだ。
 それまでは……少し時間が有るな。

「なにしてる、じんた」

 いきなり呼び捨てかよ。

「ん? 彼女に電話だ」
「かのじょのいるつらには、とうていみえない」

 ……………。
 卵つけてパン粉まぶして、キツネ色になるまでカラリと揚げるぞ、こんちくしょう。
 正解なだけに、余計に泣きたかった。

「………みほ」
「ん?」
「なんか食いたいもの、あるか?」

 エプロンを身に付けながら、カウンタから顔を出す。
 みほは目を丸くしたまま、固まった。
 本当に揚げるわけねぇじゃねぇか。
 そんなに怖がるなよ。

「………………」
「無いのか? んじゃ、適当に作るぞ?」
「なんで?」
「なにがよ?」
「なんで……。くわしてくれるの?」

 ………なんでだろ?
 まあ、俺のやることにいちいち理由なんか存在しない。

「俺も食うんだよ。ついでだ」
「………」

 まだ何か納得行って無いようだったが、これ以上時間を取られるわけには行かない。
 母親が来るまでに、飯は食わせてやりたいもんな。
 別にそんなことをする必要も理由も無いんだが……。
 子供が腹を好かせているのは、なんとなく気に食わない。
 特に……夕飯時なんかは。

「ほら。食いたい物無いのか?」
「これ」

 そう言ってみほは、水槽を指差した。
 水槽の中で泳いでいたグッピーが、必死の形相で離れていく。
 青い羽で、食欲を感じ取ったのだろう。

「それは食い物じゃねぇ」
「ひじょうしょく?」
「備蓄してどーすんだ。愛玩するんだよ」
「?」
「……難しかったか。まあ、いい。食いたい物ないんなら、適当につく……」
「おこさまらんち」

 言い終わる前に、オーダーが入った。
 しかし、お子様ランチとは……。
 メニューに無いんです、お客様。

「しかもはたつき」

 ……………。
 ははっ♪
 旗付きかよ。
 旗付いてようが、付いてなかろうが、メニューには無いんだが……。
 はははっ♪
 なんか……おもしれー、がきんちょだ。

「了解だ、がきんちょ」
「みほ」
「それは知ってる。ここでメシ食ってたら、そのうち親が迎えに来てくれるからな」
「……ほんとう?」
「ああ。ほんとーだ」

 そう言いながら、ポケットに手を突っ込んで銀貨を一枚取り出す。
 俺の無け無しの500円玉。
 普通はただ飯食らうんだが、今日は……。
 会計専用のバケツに、コインを一枚放りこむ。
 鈍い音がして、バケツがコインを飲み込んだ。
 そして俺は、メニューに無いお子様ランチを作り始める。
 ただそれだけのこと。
 交番から、健ちゃんが迎えに来るか親が来るまで。
 俺達は向かい合って飯を食う。
 ただ、それだけのことだった。










「美帆ぉ!」

 銀皿の上に乗っている、チキンライスオムレツを解体するみほの手が止まった。
 真っ青な顔の女性が、いきなり飛び込んできたからだ。
 年の頃は……俺と同い年に見えるが。
 ショートの髪に、小柄でふくよかな胸。
 こいつがみほの母親か。

「さちこ?」
「早智子じゃないでしょぉ! すっごく探したんだからぁ!」

 そう言ってみほの母親……早智子はみほに飛びついた。
 派手な色のミニスカートが翻る。
 こんな美人が、風俗で働いてるのか……。
 こんど給料入ったら、行ってみるかな?
 でも、風俗で童貞捨てるのはなぁ。
 一応夢とか希望とか欲望とか有るからな。
 相手的には申し分無いが。

「ごめん。ほのかなよいにおいにさそわれて」
「もう! ずっと私の隣りに居なさいって言ったでしょぉ!」

 それはヤなプレイだ。
 法律どころか、倫理にも禁忌にも引っ掛かるじゃねぇか。

「だけど、そのおかげでただめしがくえた」
「………ただ……めしぃ?」

 みほの母親……早智子はみほの持っている、銀皿に気付いたようだ。
 てゆーか、今まで気付いていなかったんだな。
 俺渾身のお子様ランチ。
 鳥のから揚げとウインナーとミニハンバーグを周りに配置しつつ、チキンライスを卵で包んだ作品。
 旗は、爪楊枝にボール紙で作ってみた。
 中央には、毒々しい髑髏のマーク。
 渾身の一品だ。

「うまいぞ。さちこもくらう?」
「あっ……」

 早智子は後ろに居た俺に視線を向けた。
 お子様ランチ以上に、気付いて貰えなかったらしい。
 俺の存在って、悲しいな。

「あ、あの……その……ごめんなさいぃ!」

 早智子は風を切るほどの勢いで、頭を下げた。
 思わずビビって体が反る。

「私の姪がぁ……ご迷惑を!」
「………姪? みほの母親じゃねぇの?」

 一瞬の沈黙。
 そして恨みがましそうな視線。

「わたしぃ……この子を産んだような年に見えますかぁ?」
「全然」

 とは言うものの、見た目と年齢が一致する生き物じゃないはずだ。
 女ってのは。
 この街に居ると、そのくらいの知識はつく。
 ………まてよ。
 風俗嬢の年齢じゃないのか?
 てことは……ああ、そう言うことか。

「解かった。なにも言わなくていい」
「………はぁ?」
「年を誤魔化して風俗で働いてても、俺には関係無いから。警察にチクったり脅したりする気も無い」
「……………」

 恨みがましい視線が、殺気を帯びた。

「わたしぃ、風俗嬢に見えますかぁ?」
「それは解からん」

 見た目と職業が一致する生き物じゃないからな。
 女ってのは。
 俺は別に、風俗嬢に偏見有る訳じゃないし。
 職業に貴賎無し。
 この街に居ると、それくらいは解かる。
 人は誰も、同じ価値なのだ。

「わたしぃ、そこの交差点でティッシュ配りのバイトしてるんですぅ」

 ………。
 そう言えば、居たな。
 早智子の着ている、派手な衣装のミニスカート。
 どっかで見覚え有ると思ってたんだよな。
 白くて長い足に見とれてたから、思い出せなかった。

「4時間だけだからぁ、美帆を連れてバイトしてたんですけどぉ……何時の間にか居なく成っちゃってぇ」
「そうして俺んちで、飯を食ってたわけだ」
「……そうみたいですぅ。気付いて交番に駆け込んだらぁ、ここに居るって言われてぇ」

 やっぱり連絡してて良かった。
 しかし……間延びした喋り方をする女だ。
 完璧な標準語なんだが……。
 なんか面白い。

「おいくらでしょぉ?」
「何が?」
「美帆の食べているぅ、お子様ランチですぅ」
「………実はだな」

 声を潜めて耳打ちする。
 無論、みほにも聞こえるくらいに。

「みほの食ってるお子様ランチは、メニューには無いんだ。だから売り物じゃない」
「え? ……で、でもぉ……」
「あまり物で作ったしな。しかも賞味期限が、ヤバいくらい切れてる」
「ぶっ―――――!」

 ……………。
 俺の顔についた、オムライスの破片。
 しかも唾液だらけ。
 早智子を避けて、俺にだけ顔面シャワーとわ……。
 やるな、みほ。
 俺の顔半分に漂う、甘い卵の匂いが切なかった。
 ケチャップの匂いも切ない。

「み、みほぉ……」
「すまん。じょうだんだとわかっててはきだしてしまった」

 確信犯かよ。
 普段なら、『食い物を粗末にするんじゃねぇ』と怒る所なのだが。
 原因が俺に有るとなると、怒るわけにも行くまい。

「あ、あのぉ……。重ね重ね済みません……。これぇ、使って下さいぃ……」

 間延びした早智子が、黄色のハンカチを差し出してきた。
 あまりにも使いこんだ感のあるハンカチ。
 年頃の娘が持つ持ち物とは思えない。
 ……生活……苦しいのかな?

「あ、いや。かまわねーよ」

 俺は厨房まで歩いて行って、蛇口をひねり顔を洗う。
 タオルなんか用意してないので、エプロンで顔を拭く。
 こんなにすっきりした気持ちは、何年ぶりだろう?
 ついでにモップなど持っていく。
 黄色で赤い床を拭くためだ。

「きんべんだな、じんた」
「うっせーよ」

 よくそーゆー言葉、知ってるよしかし。
 俺なんて、漢字に変換できないもんな。
 きんべん。

「ふぅ……。ごちそうさま」

 床が綺麗に成った頃、みほが銀皿を差し出した。
 何一つ残っていない皿の上。
 なんとなく……嬉しかった。

「ああ。美味かっただろ?」
「まあまあ」

 くそがきんちょ。
 イースト菌加えて揉み込んで、一晩冷蔵庫で寝かせるぞ、こんちくしょう。
 だけど……。
 だけど、なんとなく嬉しかった。
 皿の上が空だったから。
 みほの腹が、ぽこんと膨れたから。

「美帆ったらぁ……。すみません、しつけが成ってなくてぇ……」
「気にすんな。俺も成ってないから」

 真っ赤に成って俯く早智子に、笑顔で答える。
 俺も、実にアバウトに育ってしまった。
 この街の子供だからな、俺。

「あのぉ……やっぱりぃ、料金を払わせてくださいぃ……」
「いやだから、気にする事ねーって。勝手に俺がやっただけだから」
「でもぉ……」
「ん」

 ………。
 俺と早智子が向かい合ってるその下で、みほが手を出してきた。
 紅葉のような手に乗ってるのは……。
 10円玉。
 赤錆びた10円玉。

「美帆ぉ! そんなんじゃぁ!」
「………たりないか?」

 ますます顔を赤くする早智子と、少しだけ切ない顔のみほ。
 そのコントラストが、なんとなく面白くて……。

「………はははっ♪」

 思わず笑い出してしまう。

「じんた?」
「いや、充分だ」

 みほの手から、赤い硬貨を摘み取る。
 おそらくみほの持っている、数少ないワンコイン。
 そりゃ、金額的には足りないけどよ。
 だけど……。
 だけどさ。

「毎度ありがとう御座います、がきんちょ」
「みほ」
「それは知ってる」
「それに、まいどじゃない。はじめてきた」
「それも知ってる」

 自慢じゃないが、俺は一度来た客は全員顔を覚えている。
 みんな同じような疲れた顔で、同じような空腹を抱えて。
 弁当を買いに来てくれる客は、誰もが同じ。
 だけど、同じ人なんか一人も居ない。
 同じような違う人々。
 同じワンコインを握り締めて、この店を訪れてくれる。
 だから俺も、いつもと同じ台詞。

「みほ……頑張れよな。また来いよ」
「……………またきてもよいの?」
「ああ」

 みほは少しだけ考えた後……。

「うん!」

 そう言って頷いた。
 とびっきりの笑顔で。









 ……………………………
 ………………………
 ………………
 それから何日も、みほの弁当屋通いが続いた。
 いつも赤い硬貨を握り締めて。
 早智子に持たされたらしい500円玉を握ってくる事も有ったが、俺は受け取らなかった。
 俺が勝手にやってる事だからだ。
 みほの数少ない小遣いを巻き上げられれば、それで充分。
 早智子がバイトを終えるまでに、みほの腹が膨れれば……。
 それで充分だった。

  みほはいつも、、水槽を見ている。
 お子様ランチの出来る間。
 客足の途絶えるまでの間。
 食い終わって早智子が迎えに来るまでの間。
 何が面白いか解からんが、ずーっと水槽を見ていた。
 俺はみほの事情を知らない。
 どうして早智子のバイトに着いて来るのか。
 どうして家に居ないのか。
 聞くつもりもない。
 俺が知ってるのは……。
 小生意気な口調。
 コインを握り締めて走ってくる事。
 水槽の前で大人しくしている事だけだ。
 最初は俺の子供かとかからかっていた店の常連達にも、みほはすっかり馴染んでいた。
 馴染んだと言っても、話し掛けられた事に対して面倒臭そうに相槌を打つだけだが。
 水槽を見詰めながら。
 それでも常連達は、みほを気に入ったらしくて。
 何かとちょっかいをかけている。
 とうのみほは、気にした様子もなく水槽を見詰めているだけだが。
 そんな日が続いた。
 もしかしたら、こんな日が続くんじゃないか。
 みほが駆けて来て、水槽の前に陣取る。
 客足が途絶えた頃に、俺が飯を出す。
 早智子のバイトが終わる頃、食い終わる。
 そして笑顔。
 二人が手を繋いで帰っていくのを見届けて、俺もラストスパート。
 んで、明日のお子様ランチの具材を考えながら、家まで走って帰る。
 そんな日が続くと思っていた。

 ……………………………
 ………………………
 ………………
 
 
 
 
 

 


 


「ちょっと陣ちゃん! 遅いわよ!」

 店の前で、オカマが髪を振り乱して叫んでいた。
 お袋が病院に行ってしまったので、店には誰も居ないのだ。
 戸締りとかしてないから、自分で作りゃあいいのに。
 この街で戸締りとかしても無駄なのは知ってるから、誰もが無頓着だ。

「わり。買い物しててよ。今すぐ作る」
「買い物って……その袋?」

 さすがオカマ。
 袋とかには敏感だ。
 源次は俺の持っている袋を指差しながら、店の入り口をくぐった。
 同時に俺も入り口をくぐる。

「今日、バイト代が入ったからな。散財だ」

 そう言いながら、水槽の前に置いてある椅子の上に、紙袋を放り投げる。
 見事なコントロールで、数冊の本が収まった紙袋が着地した。

「なーに、エロ本? そんなコトしなくても、おねーさんが相手になってあげるのに♪」
「お前が本物のおねーさんだったらな。オカマはごめんだ」

 毒づきつつ、エプロンに首を通す。
 本当は着替えてから調理に入るのだが、オカマが腹空かせてるんじゃな。
 さっさとメシ作って追い返さないと、精神的に怖い。
 腹の空いたオカマは、なんでも食うって言うから。
 空腹に耐えかねて齧られでもしたら、たまんねーし。

「まっ、失礼ね。こんなに綺麗なおねーさん捕まえて」

 お前の美的感覚だけは、この世のものとは思えん。

「んで、源次。何食うんだ?」
「本名で呼ばないでって、何回言ったら解かるの?」
「いいいから注文しやがれ」
「最近の若い子は、口が悪いわねぇ。んと……イカリングカレー一つ♪」

 オカマだけあって、妙なものを食いたがる。

「了解」
「ね、陣ちゃん。この本見ても良い?」
「好きにしな。だけどお前の好きそうな男の裸とかは載ってないぞ」
「それは今晩たっぷり見るから良いのよ♪」

 嫌な今晩だ。
 今日は早く帰って、厳重に戸締りをしよう。
 厳重に戸締りをして、酒とかタバコとかするんだ。
 オカマに攻め入られるのなら、悪い子になってナマハゲに襲われたほうがましだもんな。
 多分。

「あ、どっちかって言うと、見せるのかな?」

 訂正しなくても良い。
 思わず想像しちまったじゃねーか。
 お前の胸毛は、男らしすぎるんだよ。
 胸のむかつきを押さえつつ、お袋が仕込んでいってくれたカレー用の大鍋から一人前を小さな鍋に移す。
 全部暖めるには、時間が掛かるからだ。
 鍋を火にかけて、冷蔵庫からイカを一杯取り出す。
 アバウトに切断しながら、フライの準備を………手、洗うの忘れた。
 まあ、食うのはオカマだしな。
 全人類が死んでも、オカマだけは生き残るとか言ってたし。

「あら♪」

 突然源次が奇声をあげた。
 その声に怯えて、水槽の中の魚達が逃げ出そうとする。
 水槽の中だから逃げられないんだけどな。
 多分。

「陣ちゃん、この本……。みほちゃんに?」
「ああ」

 寸分の狂いは有るイカを、油鍋に投入する。
 水切りも忘れたので、油が弾く弾く。

「良いトコ有るのね、陣ちゃん。そういうの、アタシ、好きよ♪」

 オカマが持っているのは、さっき購入してきた絵本だ。
 みほが何歳か解からんが、おそらく小学生前だと見た。
 何が良いか迷ってこの時間になってしまったが……。
 俺が少ない脳細胞をフルに動かして買ってきた、数冊の絵本。
 どれもこれも、魚の話し。

「お前には好かれたくねーよ」
「誉めてるんだから、素直になりなさいって」

 みほは約4時間、この店で魚を見て過ごす。
 夕方の4時から、早智子のバイトが終わる8時まで。
 ずっと水槽を見て過ごしているが、それは他に見るものが無いせいじゃないかと思ったのだ。
 別にそんなものを買う理由も無いのだが……。
 俺のやる事に、いちいち理由なんか無いしな。

「アタシが断言してあげる。陣ちゃんは将来、絶対幸せになれる。陣ちゃんに好かれてるみほちゃんもね♪」
「ちょいまて。別に俺はロリコンとかじゃないぞ」

 カラリと上がったイカを、油きりの上に乗せる。
 くだらねーこと言ってると、イカの中に輪ゴムとか混ぜるぞこんちくしょう。

「あら、そうなの? じゃあ、早智子ちゃん狙い?」
「……………………」

 否定できない面もあったりする。
 確かに早智子は、美人だもんな。
 話し方も面白いし……第一、みほや俺に優しい。
 だけど別に、誰を狙ってるとか誰に媚びてるって訳じゃなくてよ。
 なんつーんか、こう……。
 言い訳してる自分が悲しいな。

「それでも良いから、みほちゃんには優しくしてあげなさい……」
「ん?」
「アタシ解かるの。あの子、寂しいのよ。この街じゃ……ありふれた話しだけど」
「………」

 俺も薄々は感じている。
 だけど、それを言葉に出す事は無い。
 ありふれた話しだから。
 俺も……そうだから。

「ね、陣ちゃん♪」
「ああ」

 オカマの説教は、いつでも暖かい。
 口は悪いし、下品だが。
 それでも、疲れたオッサンやおねーさんたちが源次の元を訪れる理由が解かる。
 見掛けは醜悪なオカマだが、源次は無条件で優しいのだ。
 妙な雰囲気が店内に流れ……。


 ききぃぃぃぃっ!


 突然店の前の交差点に響く、ブレーキ音。
 そして………。


 どふんっ!


 聞いた事の無い、衝突音。
 まるで、なにか柔らかい物が………。
 まさか!?

「源次! 火、止めておいてくれ!」
 
 そう叫びながら、エプロンのままカウンターを飛び越す。

「え、あ?」

 きょとんとしたオカマと魚を置き去りにして、俺は道路に飛び出した。
 すごく……。
 凄く嫌な予感がした。
 我を忘れて走り出す。
 数秒後、交差点に辿りつくと………。






 膝を着いて泣き叫ぶ早智子。





 白衣で何か指示を出しているみさおさん。





 真っ青な顔をして立ちすくんでいる、若い男。




 
 ごったがえす野次馬。





 人の波の間から………。





 そして……。





 そして。





 横たわる白リボン。





 み………ほ……………?







「みほ!?」
「触らないで!」

 駆け寄ってみほを抱き起こそうとした俺を、みさおさんが一喝する。
 思わず身を竦めて、手が止まった。

「今、病院からストレッチャー持って来るようにお願いしたから! 今は動かさないで!」

 見たことの無い、みさおさんの顔。
 その顔が……この状況の危険度を物語っていた。
 見下ろしたみほは……真っ白な顔をして。
 ぴくりとも動かない。
 くりくりした目も、閉じられている。
 生意気な事しか言わない口からは……一筋の血流。
 少しだけ動いている、小さな胸。
 しぼんだままの腹。
 食い終わった後の笑顔も、今は見えない。

「美帆ぉ! 美帆ぉぉぉぉ!」

 早智子がみほの脇に膝を着いて、顔を覆っていた。
 両手の間からは、滝の様に涙が零れている。
 俺は何もする事が出来ずに……。
 そっと早智子の肩を抱いた。
 震えた細い肩。
 俺も……泣き出しそうだった。

「どうして……こんな……」
「わ、わたしぃ……みほにぃ………みほにぃぃ………走っちゃ駄目ってぇぇ………」

 言葉に成らない早智子の慟哭。
 その間もみさおさんは、必死の形相でみほに応急手当を施していた。

「そ……そうしたらぁ……あの………黒い車がぁ………」
「お、俺は悪くないぞ。あのガキがいきなり飛び出してき」

 ごきぃ。

「ぐぁ!?」

 若い男の台詞が最後まで終わらないうちに、俺の拳は俺より年上に見える若い男の顎を捕らえていた。
 路上に白いものが何本も転がる。
 
「が……はっ……」

 男の歯だった。
 人のことを本気で殴ったのは、いつ以来だろう?
 多分、親父を『親父』と呼ぶことになった、あの殴り合い以来だな。

「てめぇ……言いたいのはそれだけか……」
「止めてぇ、高橋さん!」

 男の胸倉を掴んでいる俺を、ぐしゃぐしゃの顔で早智子が止める。
 コイツを殴っても、みほは起き出さないが……。
 やってみなくては解からない。
 もう二三発殴って息の根を止めようとした時、みさおさんが叫んだ。

「そんな事してる場合じゃないでしょ! 陣ちゃん! 手伝って!」
「あ………え………?」
「みほちゃんの足を持って! ゆっくりだよ!」
「あ……ああ……」

 男を路上に投げつけて、みほの足元に寄っていく。
 みほの白くて短い足は、ピクリとも動いてない。
 跳ね飛ばされた時に、すりむいたのだろう。
 膝からおびただしい血が流れていた。

「ぼっとしないで! 静かに持ち上げるんだよ!」
「あ、ああ」

 何時の間にか到着していた、看護用の滑車付きベッド。
 みさおさんはみほの頭の上で、必死の形相。
 何か俺に出来ることはと考えても、上手く思考がまとまらなかった。

「いくよ! いち……にの……さん」

 静かな掛け声とともに、みさおさんがみほの頭、俺はみほの足を持って持ち上げる。
 あまりにも軽い身体。
 この身体で……全てを受けとめているんだ。

「陣ちゃん! わたしはこのまま運ぶから、あとお願い!」

 そう言うとみさおさんは、静かにベッドを動かして行った。
 早智子が小走りで着いていく。
 それを見届けた野次馬が、徐々に離れていった。
 少しすると交番から健ちゃんがやってくるだろう。
 それまで俺は………。
 俺は?
 俺は何をすれば……いいんだ?
 しゃがみこんだ男を見下ろす。

「ひっ!?」
「動くな……」
「………」
「動くと………ぶち殺す………」

 怯える男を、じっと睨みつける。
 コイツを殺しても、どーにもならんのかもしれんが。
 やって見なければ解からないかもしれない。

「………?」

 ふと視界に、赤いものが映った。
 みほの流した血液の中で、ぽつんと落ちている。
 それは……。
 赤いコイン。
 しゃがんで、つまんでみる。
 まだ少し暖かかった。

「………くっ………」

 みほの笑顔が浮かんでくる。
 あの生意気な声が聞こえてきそうな温もり。
 だけど消えかかる。
 温もりが。
 笑顔が。
 俺は何も出来ないまま。
 じっと10円玉を握り締めていた。
 この街ではよくある事。
 だけど……。
 だけど。













 ………………………………………………………
 ………………………………
 …………………

 気がつくと俺は、白い病室の前にいた。
 俺の背中に持たれかかる様にして、早智子が嗚咽を漏らしている。
 俺は何も出来ずに。
 馬鹿みたいに突っ立っていた。
 
  幸いみほの怪我は軽かった。
 正面衝突した親父と違って、車の端っこに当っただけらしい。
 だから外傷は少ない。
 外傷は、だ。

「……わたしぃ……おねえちゃんに、なんて言って謝ったらいいかぁ………」

 俺の背中で、早智子が泣いている。
 誰に聞かせるわけではないんだろう独白が、俺に突き刺さった。

「おねえちゃんにぃ……美帆の事ぉ……頼むって言われたのにぃ……」

 白い扉は閉じられたまま。
 中ではみさおさんが、年寄りの院長先生と何か話している。
 俺は何も喋らない。
 話す事が出来ない。
 馬鹿丸出しで突っ立ってる事しか出来ない。

「美帆は……おねえちゃんの子なんですぅ……。おねえちゃん……2年前にぃ……亡くなったんですぅ……」

 背中に爪が食い込む。
 白い扉は閉じられたまま。

「最初は親戚に預けられてたんですぅ……。わたし達……姉妹もぉ、両親が居ないからぁ……」

 この街ではよくある話し。
 早智子やみほが、この街の出身かどうかは知らないが。
 白い扉は閉じられたまま。

「でもぉ……その親戚先でぇ……虐待されてたらしくてぇ……わたしが……面倒を見てぇ……」
「なんで……俺にそんな話しを?」
「美帆……美帆ぉ……。た、高橋さんの事……凄い気に入ったって………」

 なんでだろ?
 メシ食わせたからかな?
 餌付けってヤツか?

「美帆ぉ……学校でもぉみんなに馴染めなくてぇ……。高橋さんに優しくしてもらったのがぁ……」
「優しくなんかしてねー」
「………え?」
「アイツが……みほが腹減らしてたから……それだけだ」
「で、でもぉ……」
「俺も……腹減らしてたんだ」
「え?」

 思い出す昔の事。
 夕暮れ時。
 人の波。
 空腹。
 離れてしまった手。
 迎えに来ない。
 来るはずも無い。
 捨てられたのだから。

「俺も腹減らして、歩いてた。良い匂いがするから、弁当屋に飛び込んだ。金も持ってないのにな」
「……………」
「夕飯時でよ。人が一杯並んでてよ。でも注文できねーんだ。金持ってないから。ずっと水槽の魚見てた」
「……高橋……さん?」
「しばらくぼーっとしてたら、今の親父が……メシ食わせてくれた。それだけだ」
「…………………」
「嬉しかった。てゆーか、あん時メシ食わせてもらわなかったら、死んでたかもな」
「………ううっ……」

 背中に食い込む爪。
 何時の間にか流れる涙。
 閉じられた白い扉。

「だから、みほにもメシ食わせた。それだけだ」
「たか………は………さぁん………」

 きぃ。

 軽い音がして、病室のドアが開いた。
 中からみさおさんが、暗い顔のまま出てくる。
 その脇をすり抜けるようにして、年寄りの院長先生が出ていった。

「院長先生!」
「……陣ちゃん。わたしが説明するから」

 詰め寄った俺を遮るように、みさおさんが道を塞いだ。
 俺も別に、院長先生にまで殴りかかるつもりは無い。
 先生やみさおさんは、必死にやってくれてるんだもんな。

「聞いて早智子さん。陣ちゃんもね。みほちゃんは、命には別状は無いの」
「命……には……?」
「どういう……事ですかぁ?」
「意識が……意識が戻らないの。頭を打ったせいだと思うけど……。今はなんとも」
「そ……ん……なぁ……」

 力の抜けた早智子の腰を支える。
 支えてるつもりだったが、寄りかかってるのは俺のほうかもしれない。
 そのくらい、力が入らなかった。

「精密検査しても、異常が見付からないの。勿論、これからも検査するんだけど」
「いつ……いつ目覚めるんだ?」
「……解からない。わたしたちも……。ううん。解からないの。ごめんなさい……」

 みさおさんが言い澱んだこと。
 みさおさん達だって、必死になってくれている。
 頑張ってるって言いたかったんだろう。
 だけど、それを言う事が出来なかったんだ。
 みほは……目覚めていないんだから。

「でもね、そんなに長い間じゃないと思うんだ。意識は戻ってないけど、話しはしてるしね」
「……話してる?」
「うん。まだ、うわ言だけどね。だから大丈夫だって院長先生もおっしゃって……」
「みさおさん!アイツは……みほは、なんて?」
「え? あのね……繰り返すようにね。『はな、はな』って」

 みさおさんの言葉を聞いた瞬間、俺は走り出した。
 きょとんとした涙目で、早智子が俺を見る。

「……高橋さぁん?」
「花、買ってくる! 待っててくれ!」

 俺の声が白い廊下に響く。
 ま、花買ってきたくらいで目覚めるとは思えないけどよ。
 自己満足なんだろうけどよ。
 みほにしてやれるのは……この位しかないんだろう。
 そんな思いで、走りだす。
 外は既に夕闇だった。





















「……………はぁ……………………」

 疲れた身体を投げ出して、アスファルトの上に座った。
 そりゃそうだよな。
 花買ったくらいで意識が戻ったら、病人なんて居なくなるよな。
 背中に弁当屋の壁が当る。
 何時の間にか俺は、弁当屋まで戻ってきてたのか。
 時間は……解からん。
 人通りが全然見えないところを見ると、もうすぐ朝なのかな。
 そういえば空も白んできている気がする。
 足と頭が痛い。
 
  あれから俺は、街中の花屋を走りまわった。
 みほが欲しがっている花がどういったものか解からないので、数本ずつ買ったのだ。
 だけどみほの意識が戻ってくる事は無かった。
 そりゃそうだよな。
 そんな陳腐なドラマみたいな事、起こる訳無いよな。
 閉店時間を過ぎても、花屋は快く花を分けてくれた。
 話を聞きつけたみんなが、花屋に話しを通してくれてたのだ。
 だけど、みほの意識は戻らなかった。
 そりゃそうだよな。

「陣ちゃん……」

 背中から聞こえた、ハスキーな声。

「あんだ、源次。店は?」
「……みほちゃんのこと……聞いたから……」

 壁の脇から、赤いドレスが現れた。
 その顔は不安で真っ白だ。
 俺も相当酷い顔してるだろうな。

「そか……」
「みほちゃん……戻ってきた?」
「いや……」
「みほちゃん……。お花欲しがってるんですって?」
「ああ。だけど、どの花を欲しがってるのかが解からん」

 俺の買ってきた花を、早智子が病室に運んで行っても、みほは無反応だったらしい。
 そりゃそうだよな。
 そんな陳腐なドラマみたいな事、起こるはずが無い。
 特にこの街ではな。

「てゆーか……みほが花を欲しがってるかどうか……解からないんだよな」
「………そうかもしれないけど」
「みほ………戻ってくるのかな?」

 ばきぃ!

「なっ!?」

 突然の打撃とともに、俺の体が吹き飛んだ。
 頬に走る、鋭い痛み。
 唇が切れて、口内に血の味が充満する。

「立てや、陣太ぁ!」

 立ちあがる暇も無く、俺の身体が持ち上げられる。
 源次が襟首を掴んで、俺の身体を引き起こしたのだ。

「な、なんだよ……」
「目ぇ見ろ!」

 俺……目を逸らしてたか?

「貴様、それでも男かぁ!」
「……………」
「貴様が信じなくてどうする! 誰があの子に優しくしてやれるんだ!」
「………………」
「………お前のことは、この街の人間だったら誰でも知ってる」
「………………」
「だから……お前は優しくしてやれるだろうがぁ! あの……悲しい子に」
「だけど……」
「言い訳するなぁ!」

 ばきっ!

 二発目だよ。
 口の中で、奥歯が歪む。
 恐ろしい力だ。

「思い出せ!」
「………?」
「あの子のこと……。初めて会った時のこと」

 最初みほは、水槽の前で発見した。
 何を聞いても答えない。
 自分の名前を名乗って、生意気な口を効いていた。

「ずっと店で一緒だっただろうが!」

 客足が途絶えるまで、みほはじっと待っていた。
 恐らく腹も好かせていただろうに。
 だけどそれを顔に出すこともなく。
 じっと水槽の前に座っていた。

「お前にとって……あの子はお前だろうが!」

 そうなんだ。
 俺は別に優しくしてあげたかったわけじゃない。
 俺もみほと同じ頃、腹を空かせていた。
 寂しかった。
 誰かに優しくして欲しかった。
 そして俺はそうしてもらった。
 この街で。
 だから……そうしてあげたかった。
 腹を空かせているみほが、あの頃の俺と重なったから。

「偽善でも良い! 同情でも良いだろうが! お前が……お前があの子に優しくしてやれぇ!」
「……………………」
「思い出せ! あの子との思い出! 短いだろうけど……思い出してよ。陣ちゃん……」
「…………」
「アンタが……諦めてどうすんのよ……」

 源次の目にも、涙が流れている。
 きっと俺にも。

「ああ、そうだな。サンキュ」
「そうよ。街の花屋さんに無かったら、全国のお花屋さんからかき集めるくらい……いつもの陣ちゃんなら」
「……するよな。」
「するでしょ♪」
「花買って目覚めるとは限らないけど……」
「陣ちゃんなら買うでしょ? 全種類」
「買うよな」

 オカマと見詰め合って笑い合う。
 夜明け前の、弁当屋の前で。
 かなり嫌な雰囲気だったが……気を持ち直した。
 世話掛けるな、源次。

「そうそう、その意気よ!」
「ああ。解かったよ」

 俺は立ちあがって、店のドアをくぐった。
 店内には、源次の手書きらしいポップが飾られている。
『本日、カレーのみ』
 ………店やっててくれたのか、このオカマ?
 思わず源次を見る。

「………だってしょうがないでしょ! アタシお料理できないんだもん」
「いや、感謝してるんだ」
「……あ、そう♪ ついでにお魚にもエサあげといたわよ♪」
「ああ、さんきゅ……」

 水槽の中では、青い羽を揺らせたグッピー。
 オールドファッション・ファンテールとかって偉そうな名前の魚が揺れていた。
 ずっとみほが見詰めていた魚たち。
 飽きもせず、ただずーっと。
 水槽の中でゆらゆら揺れている。
 色鮮やかな青いつばさ……。
 まるで……。
 水の中に咲く花のように!

「てい!」

 水槽の中に手を突っ込んで、捕獲する。
 逃げ惑う魚達がパニックを起こしているが、しったこっちゃない。

「な、なにしてんのよ、陣ちゃん?」
「いいから、源次! その棚においてある小さな水槽とってよこせ!」
「え……?」
「早くだ!」
「わ、解かった……」

 オカマが背伸びして小さな水槽を探してる間にも、テキパキと青いグッピーを捕獲する。
 確かみほは言ってた。

『はな?』
『ちげーよ。魚だ、魚』

 俺の言ってたことが理解されていなかったのが哀しいな。
 そして、みほの言ってたことを思い出せなかったのが悔しい。

「はい、陣ちゃん」
「おう、サンキュ、源次!」

 源次から受け取った水槽の中に、数匹のグッピーを入れる。
 お前ら、ちょっと引越しだ。
 俺の……ダチのためだ、我慢してくれ。

「ど、どうすんのそれ?」
「花束だ」
「……もしかして、みほちゃんに?」
「ああ」

 数匹入れて、水を補給。
 ついでに予備のエアプレッシャーをぶち込んだ。
 病室で魚を飼う事が出来ると良いが。

「そう……行ってらっしゃい♪」
「応! サンキュな、源次!」
「………本名で呼ばないで!」

 拗ねるオカマを後に残して、俺は夜明けの道を走り出した。
 こんなんで戻ってくるとは思わないけどよ。
 偽善かも……自己満足かもしれないけどよ。
 予感みたいなものも有った。





















「……………はな………………」
「ほら美帆ぉ。高橋さんが持ってきてくれたよぉ」
「………………はな………」
「美帆ぉ………」

 ちゃぷん。

「……………」
「……………み……………ほぉ………?」
「………うっ……………ううん……………」
「美帆ぉ!」
「あれ……さちこ?」
「早智子じゃないでしょぉ! すごくぅ……心配したんだ………」
「はな?」
「………え?」
「それ……じんたのはな………」
「そうだよぉ……高橋さんがぁ持って来てくれたんだよぉ………みほのためにぃ……」
「くらうの?」


 食いもんじゃねーよ。















 ……………………………
 ………………………
 ………………
「ちょっと陣ちゃん! アタシのカレー焦げてるんじゃない?」
「おとと」

 慌てて小鍋を、業務用コンロの上から落とす。
 本当に、鼻の利くオカマだ。
 口は減らない、鼻は利く、胸毛は濃い。
 嫌なオカマだ。

「しっかりしてよ、もう!」
「うるせ。忙しいんだからしょうがねえだろ」

 などと言いつつ、他の客の注文した紅鮭を網の上から下ろす。
 オカマのカレーは焦げても食えるが、鮭はちとまずい。
 適当かつアバウトに焼き色をつけて、あとは中まで火が通っている事を祈るだけ。
 まあ、生で食っても死なないだろう。
 多分。

「そんなことじゃ……」
「それ以上騒ぐ、切り取って東京湾に流すぞ」
「ま、怖いわぁ」

 俺はお前の化粧の方が怖い。
 こんなオカマでも、一応尊敬してるんだからなぁ。
 気味と気色の悪い仕草は止めて欲しいもんだ。

「でさ、陣ちゃん」
「切り替え早いな、オカマ」
「オカマって言わないで! 話しの腰も折らないで! カレーは早くして!」
 
 注文の多いオカマだ。

「で、なんだよ」
「みほちゃん……退院したのかしら?」
「さあな」

 みほの意識が戻った朝。
 俺は病室の外から会話に突っ込んで、それきりだ。
 見舞いに行くことも無かった。
 有る意味、俺のせいでも有るからな。
 顔が合わせ辛いってのもある。
 だけど……。
 だけど。

「冷たいのね、陣ちゃんは」
「ああ、その通りだ。源次のゲイカレー、上がったぞ」
「ゲイカレーって……どんなメニューよ!」
「新商品だ。ゲテモノだけどな」

 苦笑いを浮かべながら、源次がバッグから500円玉を取り出す。

「はい、お弁当代」
「あいよ、源次も仕事頑張ってな。また来いよ」
「きたぞ」

 ………………………。
 ……………………。
 ………………はい?
 カウンターを下に見下ろすと……。
 そこにはピンクのワンピース。
 白いリボン。
 生意気そうな面。

「……みほ?」
「おこさまらんちひとつだ、じんた。しかもはたつき」

 前口上抜きで、いきなり注文かよ。
 見るとみほの後では、早智子が微笑んでいた。
 その隣りには、みさおさんとオカマ。
 みんな笑っている。
 俺も思わず……笑ってしまった。

「了解だ、がきんちょ」
「みほ」
「それは知ってる」
「かねもってきた」
「それはびっくり」
「きゃくにたいして、おうへいなたいどはいかんな」

 みほの投げた、一枚のコイン。
 空中で受け取る。
 同じだけの価値。
 この街では、だれもが同じ価値。
 理不尽に突き飛ばされる事も有るけど。
 悲しい事とか、無くならないけど。
 自分が必要じゃないと、誰もが思うけど。
 誰もが一枚のコイン。
 同じ価値。
 同じ重さの命。
 この街の。
 この世界の理。
 待っててくれる人がいて。
 待ってる人がいて。
 みんな、同じ。
 同じなんだ。


「悪かったな、がきんちょ」
「みほ」



 誰もが、一枚のコイン。










              END





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