なぜ………こんな事になったのだろう?
 自問自答するが、答えは見つからない。
 小さな店を囲む、小さな花輪たち。
 ………。
 縁起悪いのも、いくつか混じってるな。

「では、みんな〜。アタシたちの台所。一皿(ひとさら)亭の新しい旅立ちを祝いまして〜」
「うるせぇ、源次(げんじ)。煽んな」

 てゆーかうちの店、そんな名前だったのか。

「かんぱーい!」
「かんぱーい!!!」

 誰も俺の話しなど、これっぱかしも聞いちゃいねぇ。
 店の前で、大量のグラスと大量のオカマたちが踊り出す。
 それにつられて、常連のサラリーマンも大はしゃぎだ。
 営業妨害も、はなはなだしい。
 店の前は一応公道なのだが、今は誰も通れない状態だ。
 弁当屋の常連が占拠してるから。
 てゆーか、警官まで参加してるしな。
 てめぇら……みじん切りにして弱火であめ色になるまで炒めるぞ、こんちくしょう。

「いやー。陣ちゃんがお店を持つようになるなんてねー。めでたいわー」
「………いや、あの、みさおさん………そんな大層なものじゃねーから……」

 看護婦姿のみさおさんが、紙コップに入ったオレンジジュースを差し出してくれる。
 そういえば、喉乾いたな。
 怒りで。

「じゃあ、今日のメインディッシュ。お姫様から花束の贈呈ですー」
「うるせぇ源次。胸毛を剃れ、胸毛を」
「ああん!? 貴様、ワシらの好意が受けとれんっちゅーんか、ええっ!?」

 怖っ。
 ついさっき人を食い終わったような、真っ赤な唇が迫ってくる。
 もう酔っ払ってんのかよ、このオカマ。

「いえ、そんなことないです」

 恐怖で、思わず敬語になる。
 こんなオカマに食いつかれるくらいなら、大人しくなった方がましだ。
 店の入り口から見える水槽の中のグッピーたちも、そう言ってる気がする。
 多分。
 俺の態度に納得したのか、オカマが大口歪めて笑った。
 いやもう、かけね無しに怖い。

「解かれば良いのよ〜。じゃあ、お姫様、カモン♪」

 常連のサラリーマン達が左右に別れたかと思うと、白い二つの影が現れた。
 手にはどこかの店の余りものっぽい、大きな花束を持っている。
 本来祝い事には向かない、彼岸花が混じってるのがその証拠だ。

「あのぉ〜。か、開店おめでとうございますぅ〜」
「うけとれ」

 頬を染めた早智子(さちこ)と、面倒臭そうな美帆(みほ)
 態度の違う二人が、花束を差し出してくれる。

「いや、別にこんなことしてもらわなくても」
「で、でもぉ。陣太さんがお店のご主人になったぁ、お祝いですからぁ」
「だつぜいに、はげむように」

 励まねーよ。
 そうなのだ。
 この秋、俺は親父から店を任された。
 といっても学園があるので、昼間は従業員を雇うのだが。
 その従業員と言うのは、おふくろだったりする。
 しかも無給。
 ついでに言うと、仕入れも経理もお袋任せ。
 どこがこの店の主人なのかと問われれば、口を開くことが出来ない現状である。
 それでも店舗の名義上、この店は俺の物になった。
 親父が事故にあって、保険金と見舞い金がかなり入ったので、第二店舗を作る事になったからだ。
 第二店舗と言っても、店を構えるわけじゃない。
 この店で弁当を作って、車で売り歩くのだ。
 近くの港には、倉庫や工場も多いしな。
 その間、この店が空いてしまうと言う事で、俺に白羽の矢が突き刺さったのだ。
 他の人間雇えばいーじゃねーかと反論する俺に、拳なみの矢が。
 ちょっとした反論だったのだが、奥歯が二本折れた。
 そんな流れで各種手続きを済ませ、俺に店が譲渡された訳である。
 青春を謳歌したい俺にとって、バイト以上の責任は背負いたくないんだけどな。

「なにかお手伝い出来ることあったらぁ、わたし、手伝いますからぁ」
「そのかわり、ごうかなめしを」
「美帆ぉ!」

 でも親父の言いたいことは解かる。
 目の前に居る、二人の少女。
 美帆が事故に遭ってから、一つの季節を越えた。
 今じゃ元気を取り戻し、毎日弁当屋に通っている。
 早智子も経済的事情で大学進学を諦め、ティッシュ配りのバイトをしながら就職先を探している。
 みんな、この街で懸命に生きていた。

「大丈夫だよ、陣ちゃん♪」
「そーそ。アタシたちも一生懸命、買いに来るからね〜」

 いや、手伝えよ。
 懸命に生きている、看護婦のみさおさんが笑った。
 毒々しく、だけど優しいオカマも笑う。

「俺も残業してる時は、買いに来るぞー」
「僕は夜勤の時、必ず買いに来ます。鮭弁当が好みです。公務員ですから」

 健ちゃん、警察官だろ。
 仲間に入って酒飲んでないで、全員しょっ引けよ。
 店の前で上がる歓声。
 営業妨害なんだけど………それでも。

「アタシなんか、お客さんの前で弁当食べちゃうもんね〜」
「どんなプレイだ、そりゃ」
「あーっはっはっは」

 口々に、勝手な事を言う常連達。
 この街の住人達。
 サラリーマンとか風俗嬢とか、スナックのオカマとか公務員とか。
 一人身とか夫婦で共働きとか、現在別居中とか離婚調停中とか。
 優しくて寂しくて、だけど強い人達。

「陣太さぁん。頑張りましょぉ〜」
「たまにみせさきなど、はいてやらんこともない」
「………ああ。そうだな」

 親父の言いたいことは解かる。
 俺の大好きなこの街。
 俺たちの生きる街。
 俺に優しくしてくれたこの街に、俺なりの恩返しをしてみせろって。
 そういうことなんだろ、親父。

「取り敢えず全員、店の前でたむろって無いで、注文しやがれ」

 お礼を言うのは照れくさいので、いつものように言い放った。

「ひどい〜。せっかくお祝いに来たのにね〜」
「ああ、よしよし。オカマなんだから泣かないの」
「ちょっとみさおちゃんっ! オカマって言わないで!」
「ありゃ、ごめん。でもオカマは生まれついてのオカマだし」
「酷いわぁ〜。美帆ちゃん、慰めてぇ!」
「とりあえずオカマはほっといて、おこさまらんちを、おおもりおおいそぎでつくれ」
「美帆ぉっ!」

 大騒ぎするみんなを尻目に、店の暖簾(のれん)をくぐる。
 なんでだろうな。
 頬が弛んでくるのを止められない。

「……………」

 いつものエプロンに袖を通し、いつもの位置につく。
 包丁もまな板も、鍋もフライパンもいつもの位置だ。
 そして店先には、いつもの人たち。

「アタシ、からあげカレー!」
「ん〜。ミックスフライ弁当〜。院長先生の分もお願い〜」
「僕は……しゃけ弁。公務員なので」
「おこさまらんち。ちちゅうかいふう」
「できねーよ」

 いつものように差し出される、1枚のコインたち。
 俺は、弁当を作ることしか出来ないけど。
 せめてこのコインが、色あせないように。
 せめて飯食うときくらい、笑顔で居られるように。
 枯葉の降る日。
 転がり続ける日々。
 いつもと変わらない吹き溜まりの中、そんな風に思った。

















                   ワンコイン・2―――しあわせに―――










 ダッシュで到着すると、店の前では小さな白いボールがうずくまっていた。
 俺の方をちらりと見るが、すぐにそっぽを向いてしまう。

「………なにやってんだ、美帆?」
「……………」

 なぜに、いきなり拗ねてんだよ。
 聞いても答えてくれないので、取り敢えず店を開ける。
 といっても、鍵が掛かってる訳じゃないので、店先に暖簾を出すだけだ。
 施錠など無駄だと知っているから、誰もがこの街では無頓着。
 お袋はもう、親父と一緒に出たらしいな。
 焼き台の上に乗っている鍋に、メモ用紙が張ってある。
 今日は玉葱が安かったらしい。
 湯がいて、中華風サラダでも作るか。
 基本的な付け合わせは、市場の値段によって決められる。
 常連だと、その人の好みに合わせることも有るが。

「………………」

 店の外ではまだ、ボールが転がっている。
 て言うか、転がって行ってしまった。

「おいおい」

 いくらこの街の住人とは言え、いきなり子供が転がってきては驚くだろう。
 通行人が目を丸くしている。
 しょーがねーので、急いで追いかけた。

「美帆。どーしたんだよ」
「……………」

 無言で歩道を転がって行く。
 見事な前転だ。
 スピードも乗ってきた。
 って、感心してる場合じゃないな。
 歩道だから車の心配は無いが、自転車とかに引かれる………。
 脳裏に、数ヶ月前のことが甦る。
 白い服。
 赤い点。
 泣き叫ぶ早智子。
 呆然と立ち尽くすことしか出来なかった俺。

「美帆っ!」

 慌ててダッシュし、美帆の回転を止めた。
 まったくこいつは………。
 襟首を掴んで、ボールを持ち上げる。

「なにしてんだよ、お前?」

 なんで拗ねてるか、まったく解からない。
 白いボールはビロビロと展開した後、美帆にチェンジする。
 ああ、子供の頃、こんなおもちゃ欲しかったなぁ。
 俺の買ってもらったおもちゃといえば、奇天烈なキャラクターの台所セットとか、料理人の絵本とか、そんなんばっかりだったからな。
 子供の頃から、アバウトに英才教育。
 洗脳に近いかもしれない。

「腹でも減ってんのか?」
「………じんた………おそい………」

 顔を上げた美帆は……潤んでいた。
 結構長い時間一緒に居たが、初めて見る涙目。
 必死に堪えているのが、美帆らしいが………。
 子供がこんな風に、耐えられるものなんだろうか?
 俺には解からない。
 俺は今でこそポーカーフェイス気取ってるが、子供の頃は泣き喚いて暴れるのが、非常に得意な餓鬼だったからな。
 親父のことバットで殴ったり、ビニール袋に石入れて振りまわしたり、傘の先で顔面狙ったり。
 勿論30倍返しとかされたので、大人しくならざるを得なかった。

「遅いって………そりゃいつもより、遅かったけどよ。高校3年ともなると、いろいろ有るんだよ」
「しんがくもしない……おやのつくったべんとうやに、すっぽりとおさまるくせに、えらそう」
「ほっとけ」

 図星なだけ、ダメージは大きい。
 しかし、なんでこんな生意気なこと言われてるのに、怒らないんだろうな、俺。
 常連の連中もそうだ。
 美帆が放つパンチの効いた台詞に、苦笑いを浮かべるだけ。
 優しくしてる訳じゃないんだけど、なんか怒れないんだよな。
 お得なキャラクターだ。

「じゃあお前、俺が遅くなったから怒ってんのか?」
「………べつに。おこってなどいない。すねてもいない」
「そっか。悪かった」
「おこってない」
「機嫌直せよ。豪華な飯、作るからよ」

 小脇に美帆を抱えて、店まで歩いていく。
 通行人が訝しげな目で見るが、知ったこっちゃねぇ。
 俺の善良そうな顔があれば、誘拐とかには見えないだろう。
 多分。

「なおすきげんなどない」
「解かった解かった」
「そのつらは、わかってない」
「面とかゆーな」
「……………………」

 もうすぐ店だという時、美帆の身体が震え始めた。
 泣いてる訳じゃない。
 冷たいアスファルトは、濡れてない。
 だけど美帆は、震えていた。

「美帆?」
「……………こわかった………」
「ん? なにが………」
「ごはんたべるの……じょうずじゃない………」
「はっ?」

 いきなり話しに脈絡が無い。
 酔ってるのか?

「だから……ごはんのとき……そとにだされた………」
「………………………」

 それは………美帆の過去なんだろう。
 今一緒に暮らしてる、早智子がそんなことするはず無い。
 思いつきもしないだろう。
 早智子と美帆は、叔母と姪の関係だ。
 早智子の姉が、美帆の母だと、あの時言っていた。
 そう言えば早智子は、こうも言ってたな。
『美帆は、虐待されていた』、と。
 躾だって言い張ることも出来るだろう。
 俺だって今の親父には、顔が変形するほど殴られたこともある。
 あれは躾じゃなくて、純然たる報復行為だが。

「……はたかれて……でも………ごはんが……でてこない………」
「………」
「……まってた………さむかったから………でてこなくて……わかんなくなって………」
「つまりお前は腹減って、俺を待ってたわけだな」

 小脇に抱えた美帆を、右肩に座らせる。

「ちがうっ!」

 解かってる。
 解かってるよ。

「待たせてゴメンな。でも俺は、必ず来るから」
「……………」
「この街じゃ、誰もが待ってる。誰もが帰ってくる」
「………………」
「俺も帰って来る」
「………じんた………」
「ん?」
「くさいせりふは、じんたのつらにはあわない」
「うるせーよ」

 店が見えるところまで来ると、腹を減らした人波が見えた。
 どれだけ転がったんだ、このがきゃぁ。
 肩に抱えた美帆を、そっと地面に降ろす。

「さ。飯前に、仕事しようぜ」
「………しごと?」
「お前は店の前を掃いて、躾のなってない常連達を一列に並べろ」
「………………」
「アイツらは、俺らを待ってたんだ。俺と美帆をよ」
「………みほを?」
「ああ。アイツらが転がり出す前に、店を始めよう」
「………………」
「な、美帆」
「うん!」

 一瞬だけ見えた、美帆の笑顔。
 何が嬉しいのか解からないが、美帆は駆け出した。
 笑いながら不平不満を言う常連達に、ちゃんと並べと蹴りを入れている。
 一応お客様なんだけどな、みんな。

「さて」

 俺も働くか。
 どことなく嬉しそうな美帆に、負ける訳にはいかない。
 この店は、俺の店なんだ。
 人の波が途切れて、美帆が腹を減らす前に。
 軽いお子様ランチを作り終えよう。
 早智子がティッシュを配り終える前に。
 残り物と称した、二人分の惣菜を作り終えよう。
 この街が、二人に優しくありますように。
 みんなに優しくありますように。
 そんな風に願いながら、やせ細った泥付きネギを握った。
 安物買いにも程があるぜ、お袋。



















「美帆。そろそろ飯にしろよ」

 水槽の前で絵本を読んでる、小さなボールに声をかけた。
 そろそろ、繁華街勤務常連のラッシュが始まる。
 源次が店に来ると言う事は、そう言うことだからな。
 何故かこの街のオカマは、カレー好きだ。
 忙しくなる前に、飯を食わせておこう。
 既にお子様ランチは完成していた。
 中身がチキンライスなオムレツに、アスパラと人参の豚肉巻き。
 各種緑黄色野菜と、カレー味のから揚げ。
 勿論、ドクロの旗も健在だ。
 美帆は、好き嫌いが無くて助かる。

「うむ」

 なんて偉そうながきんちょだ。
 だけどこれは施しじゃなくて、立派な報酬だからな。
 オードブル用の銀皿を持つと、美帆はまた水槽の前に陣取った。
 源次が物欲しそうに、美帆のお子様ランチを覗き込む。

「あら〜。豪華ね、美帆ちゃん」
「それほどでもない」

 この餓鬼………。
 軽く小麦粉まぶして、高温の油でさくっとからっと揚げるぞこんちくしょう。

「おい、じんた?」
「ん?」

 美帆がお子様ランチを見詰めながら、難しい顔をした。

「このおむらいす……。なんか、かいてあるぞ」
「どれどれ。おねーさんが見てあげる♪」

 そんなに胸毛の濃いおねーさんが、どこに居るってんだ。
 最近スナックの従業員達からプレゼントされた、金色の鎖が胸毛に絡まっていた。
 こんなオカマが、この街の女帝だってんだから、世の中捻じ曲がってる。
 だいたい、『女』じゃない。

「なになに………氾人は、K・・・?」
「どゆいみ?」
「ちょっと陣ちゃん。これなに?」
「ダイイングメッセージ」

 昨日早智子に借りた、推理小説に出て来たのだ。
 この街にいくつ弁当屋があるか知らないが、極太のケチャップノズルでこんな事を書けるのは、俺しかいないだろう。
 こんなこと書く人間も、俺しか居ないのかもしれないが。

「アンタねぇ………食べ物で遊ぶの、止めなさいよ」
「いつもいつも、同じようなお子様ランチじゃ面白くないだろ」
「味は変わらないじゃない! 工夫の仕方が間違ってるのよっ」

 確かに。
 その点は、まったく考えていなかった。

「まったく………。あれ、美帆ちゃん? 何してるの?」

 見ると美帆が、スプーンでオムライスになにかしていた。
 俺の芸術作品に、なにしやがんだ。

「はんのじ、まちがってる」
「………………」
「………………………」

 スプーンで丁寧に直された、『犯』の字。
 間違った俺と、気付かなかったオカマの間に、いやーな空気が流れた。
 そんな嫌な空気を裂くように、店の暖簾が揺れる。

「すみません」

 オカマの脇を抜けて、中年の男が現れた。
 パリっとしたスーツ姿は、この街に似つかわしくない風貌だ。
 こんな高そうなスーツ姿の男が、弁当など買いに来るだろうか?
 細面の、少し神経質そうなビジネスマン。
 第一印象は、それだった。
 それは源次も感じたのだろう。
 少しだけ意外そうな顔をして、場所を譲った。
 まあ、どのような姿だろうと、客は客。

「メニューなら、上にある。どれでも一律500円」
「あ、いや……。弁当を買いに来た訳じゃないのです」
「………」

 弁当を注文する以外、弁当屋に用事があるのだろうか?
 ふと、嫌な予感がする。
 だけどそれも、この街ではあたりまえの事。
 嫌なことは、予告などしてくれない。

「地理案内なら、そこのオカマに聞いてくれ。大通りから妖しげな裏道まで知り尽くしてる」
「ちょっとぉ! オカマって言わないでっ!」
「あ、いや……。ここに、山本美帆が居ると聞いてきたので」
「……………………」

 やま………もと?
 どくんと、心臓が鳴った。
 美帆は興味無さげに、男の顔を見上げる。
 その表情を見て……。
 また、どくんと心臓が鳴った。

「申し遅れました。私、山本美帆の父親で、宏と言います」
「……………………え?」

 目の前の男の台詞が、頭の中にぼーっと響く。
 こんな生活が続けば良いなと思っていた。
 俺は別に、美帆の保護者な訳じゃない。
 ただ飯食らわせてるだけだ。
 だけど、こんな生活が続けば良いなと思っていた。
 学校が終わって、美帆の待つこの店に走ってくる。
 なんのかんのと言い争いながら、仕事に追われる毎日。
 そんな生活。

「私の娘が良くして頂いてる様で、ありがとうございます」

 早智子のバイトが終わって、二人で帰る姿を見送る。
 手をつないで帰る二人を。
 そんな日々が続けば良いななんて、がらにも無いことを思っていた。

「実はお恥ずかしい話しなのですが……あ、いや、他人様にお聞かせする話しでは無いですな」

 男の言葉が、上滑りしていく。
 多分コイツは、本当に美帆の父親なんだろう。
 だけど………。

『わたし達……姉妹もぉ、両親が居ないからぁ……』

 早智子の言葉が、頭の中を駆け巡る。

「福本早智子さんも、アルバイトが終わったら、此方に寄られるとか?」
『でもぉ……その親戚先でぇ……虐待されてたらしくてぇ……わたしが……面倒を見てぇ……』

 この街では、良く有る話し。
 いいや、あんまり無いか。
 俺みたいな境遇の餓鬼が、一度は夢に見る話しだ。
 迎えに来てくれる。
 そんな夢みたいな話し。
 俺には、そんなおとぎ話めいた事は起こらなかった。
 美帆には起こったのだろう。
 良い話しだ。

「それまで待たせてもらって、宜しいでしょうか?」
『おねえちゃんにぃ……美帆の事ぉ……頼むって言われたのにぃ……』

 良い話しだ。
 なのに、何故思ってしまったんだろう?
 嫌なことは、予告などしてくれない、と。

 
 















 この街は、話しが早い。
 展開も早いが、伝わるのも早いのだ。

(………ねえ、陣ちゃん)
「んだよ?」
(こえ、ひそめなさいよっ!)
「………」

 オカマに一喝される俺。
 店のカウンター前には、数人の常連が座り込んでいた。
 営業妨害も甚だしい。
 その筆頭が、源次である。
 源次はカウンターから顔を出して様子を伺ったかと思うと、すぐに顔を引っ込めた。
 まるで、訓練された軍人か特殊警察みたいな動きだ。
 源次は高校を出てから数年間、外国を旅していたと言う噂がある。
 無一文に近い状態で渡航して、帰ってきたらオカマに成っていた。
 それでまでは普通のホモだったらしいが。
 そうして帰って来た時には、この街で店を開くくらいの金は持っていたと言う。

(なんか、雰囲気重くない?)
「しょうがねぇんじゃねぇ?」
(声潜めろって、いっとんのじゃ、このぼけぇ!)
(………はい)

 なぜ、俺の店で、俺がコソコソしなければいけないのだろう?
 店の前を通りかかったサラリーマンが、しゃがんでいる異様な集団を見て、身体を振るわせる。

(でも……美帆ちゃん、大丈夫かしら?)
(……さーな)

 振りかえって、店の奥を見る。
 休憩所として使っている奥座敷では、緊迫した空気が充満していた。
 テーブルの上には、原価25円の緑茶が4本。
 美帆と早智子の分。
 そして、美帆の父と名乗る男の分と、なんか役所から派遣されたと言う女の分。
 あの後父親が何処にか連絡をとって、スーツ姿の中年女が現れたのだ。

(さっきから、一言も話さないわよ?)
(しゃーねんじゃねーの)

 美帆を引き取りに来たと言う、父親の存在。
 それが、どういったものかは、俺には解からない。

(いきなり来て父親ですって言われてもよ。美帆だって早智子だって、どう対処して良いか解からないんじゃないか?)
(そうなんだろうけど……。ね、陣ちゃん?)
(あん?)
(陣ちゃんは……どうした方が良いと思う?)
(俺には関係、ないだろ?)

 それでなくても、店の奥を陣取られているんだ。
 場所を変えて話そうと言う父親に、美帆が動きたくないと言った結果である。
 まあ、店の奥を貸すくらい、なんでもないけどよ。
 だからお茶も出してやったんだ。
 くそっ。
 後から美帆に請求してやる。
 100円玉イッコだな。

(それが関係ないって顔かしらね?)
(…………)

 いらついてるのか、俺?
 別にイラつく必要などない。
 父親が、保護のない子供を見つけて引き取りに来た。
 良い話しなんだからな。
 多分。

(ふぅ。陣ちゃんも、素直じゃ無いんだから)
(でも……口出しする訳には、いかねえだろ?)
(…………そうよねぇ…………)

 ひそひそ話しに触発されたのか、父親が重い口を開いた。
 その瞬間、早智子の肩がぴくりと動く。
 美帆は……変わらない。
 無表情のままだ。

「美帆ちゃんには、悪い事をしたと思っている。だけど、僕も知らなかったんだよ。美帆ちゃんが生まれたの」
「………………」
「早智子ちゃんにも感謝している。いままで美帆ちゃんを、保護してくれたんだからね」
「そんなぁ……か、感謝なんてぇ……。わたし、お姉ちゃんに頼まれたからぁ……」

 細い声で、早智子が呟く。
 美帆は……しゃべらない。

「本当にありがとう。これからは、僕が美帆ちゃんの面倒を見るから。僕が美帆ちゃんを幸せにする。なんたって、血の繋がった親子なんだからね」
「…………で、でもぉ。美帆は、わたしがぁ……」
「あのね、早智子さん」

 父親の隣りに居た中年女が、口を開いた。
 まるで慈愛に満ちた、母親のような笑顔で。
 作った笑顔で。

「あなたもまだ、高校生でしょ? そりゃ法定保護者である親戚さんの虐待から、美帆ちゃんを守った事は立派だと思うわよ。でもね」
「でも……なんですかぁ?」
「貴方がこの先、ずーっと美帆ちゃんを保護していく事、出来ないでしょう?」
「で、出来ますぅ! わたしは、お姉ちゃんと……」
「ちょっと聞いたんだけど、福本さん。まだ就職も決まらないそうじゃない。無理な生活をしていては、美帆ちゃんのために良くないわ。貴方も美帆ちゃんも、幸せになんか成れないわよ?」
「……………………」

 一瞬頑張ったんだけどな、早智子。

「福本さん。貴方にも、負担が大きい事は解かるでしょ? みんな幸せに成るためなのよ?」
「わ、わたしぃ! 美帆のこと……負担なんて、思ったこと、ないですぅ!」

 初めて見た、早智子の怒り。
 テーブルに手をついて、上半身を起こしている。
 どこか危うげな、早智子の怒り。
 美帆は……変わらない。
 目を閉じて、なにもかも拒絶したような表情。
 あいつは、ああやっていたのだろうか?
 親戚の家で。

「だけどねぇ。実際問題として、貴方は未成年でしょ? 保護義務があるのは親戚の人。そしてそれが果たせない場合、それなりの施設に保護してもらうのが、一般て……」
「美帆を、施設になんか入れません!」

 早智子がテーブルを叩いた。
 あのテーブル、どこから拾って来たやつだっけな?
 あんまり丈夫じゃないんだよな。

「だから僕が、美帆ちゃんをわざわざ(●●●●)捜して、ここまで来たんだよ」

 父親と名乗る男が、ここぞとばかりに口を開いた。
 一番効果的なタイミングを狙っていたんだろう。

「さっきも言った通り、僕は美帆ちゃんが生まれた事を知らなかったんだ。裕子は僕に知らせてくれなかったからね」
「おねえちゃん……知らせたって言ってましたぁ……そしたら、連絡取れなくなったってぇ……」
「そ、それは違うよ!」

 父親と名乗る男が、慌てて否定する。
 今のは、激しいロストポイントだな。

「僕は裕子から、なにも聞かされていなかったんだ!」

 死人に口無し、だな。
 この街じゃ、有効な手段。

「そ、それにね……裕子は、僕の前から、黙って姿を消したんだよ。早智子ちゃんに何を言ってたか知らないけど。本当さ。僕も必死に裕子を探したが、行方は解からなかった」
「…………」
「僕は酷く傷ついてね。一時は、仕事も名にも手につかなかった。その頃、僕に思いを寄せている女性が居て、僕に良くしてくれたんだよ。だからなんとか立ち直れたんだよ」
「おねえちゃん……結婚が決まったからぁ、近寄るなって言われたってぇ……言ってましたぁ……」
「そ、それは違うよ!」
「会社の社長さんの娘さんだってぇ……」
「う……」
「おい、早智子」

 思わず口を挟んでしまう。

「じ、陣太さぁん……?」
「美帆の前で、する話しじゃないな」
「…………あっ……」

 みんなの視線が、美帆に集まる。
 当の美帆は……無表情のまま、瞳を閉ざしていた。
 まるで、何かを拒絶するように。

「そ、そうだね。過去の事より、これからの事を考えようっ」

 俺の台詞で、父親と名乗る男が立て直した。
 中年女も、安堵の溜め息を漏らす。
 別にお前等のために、言った訳じゃない。

「僕は今結婚しているし、それなりに社会的地位もある。なんだったら、君の進学のお手伝いも出来るよ」
「し、進学なんてぇ……。わたしは、美帆のことぉ……」
「美帆ちゃんの幸せを考えれば、それが一番だと思う。僕の家はそれなりに広いし、幸か不幸か……僕と妻の間には、子供が居ないんだ」
「………………」
「妻も、僕と血の繋がった子供なら、是非引き取りたいと言ってるし。きっと美帆ちゃんを幸せにしてくれるよ。ああ、勿論、僕も美帆ちゃんの幸せのため、尽力する」
「………………」
「そうよ、福本さん。それが一番、美帆ちゃんの幸せのために良いのよ。貴方も美帆ちゃんも、幸せにならなくちゃね」
「……………………」

 しあわせ、か。

(…………ねえ、陣ちゃん…………)
(あん?)
(…………なんでも、ない……)
(…………ああ)

 源次も、同じ事考えてるんだろうな。
 多分。
 美帆は……瞳を閉じたままだ。
 美帆は……美帆は、何を考えてるんだろうな?
 冷たい空気の中、ふとそんな風に思った。

「わたしとぉ一緒じゃぁ、幸せになれないんですかぁ?」
「そ、そうは言ってないよ。ただね、美帆ちゃんの幸せのことを考えるなら、僕の保護下に有った方が……」
「そ、そうよ。より幸せに成れるのよ。貴方も美帆ちゃんも……」
「わたしはぁ! 美帆とお姉ちゃんを捨てた人が、美帆を幸せに出来るとは思えませぇん!」
「捨てた訳じゃないって、何度も言ってるだろう! 高校生の分際で、子供を育てられる訳無いじゃないかっ! 身の程を知りなさい! こっちは、法廷で争っても良いんだからね!」
「そ、そんな……ほ、裁判なんかで……美帆を……」
「どっちが美帆を幸せに出来るか、法廷で決めようじゃないかっ! 勿論僕の相手は君じゃなくて、親戚の人だけどねっ! 虐待していた親戚と、血の繋がった僕っ! どっちが美帆を幸せに出来るか…………」

 逆上した父親と名乗る男の前で、美帆がそっと立ち上がった。
 父親と名乗る男の怒号が止まる。
 美帆はゆっくりと、小さな瞳を開いた。

「ほうていってところにいけば…………しあわせになれるの?」

 静かに。
 静かに。
 振り絞るような、細い声。

「そこにいけば……しあわせになるかどうか、だれかが、きめてくれるの?」

 だけど、その声は。
 震えたその声は、強くて。
 誰もが息を飲んでいた。

「しらないひとが……みほのしあわせをきめるの?」

 大きくて小さな瞳に、涙を浮かばせながら。
 美帆は、振り絞っていた。

「しあわせって……なに? しあわせって…………なに…………?」
「………………み、美帆ちゃん。あ、あのね。まだ小さいから、解からないかもしれないけど……」
「しあわせってなにぃ!? うれしいこと!? ゆかいなこと!? たのしいこと!?」

 いつの間にか、美帆の瞳から涙が零れていた。
 初めて見る美帆の涙。
 だけど、しっかり前を見て。

「わかてるんならおしえて! しあわせって、わかることなの!? おしえられることなの!?」

 ああ、敵わないな。
 俺より誰より、美帆は……。

「みほはしあわせじゃないの!? じんたのあたたかいめしは、しあわせじゃないの!? さちことてをつないでかえるのは、しあわせじゃないの!?」
「…………………………」

 何故か俺の目にも、涙が滲んでいた。
 俺の下でしゃがんでる連中も、目頭を押さえている。
 この街の住人たち。
 ああ…………。
 ああ、そうだよな。
 幸せなんて、なんだか解からないから、みんな泣いたり笑ったりしてるんだよな。

「それがしあわせじゃないなら、そんなのいらない! このみせにあつまるトンチキなれんちゅうにからかれたり、じんたのたしょうアバウトなめしくったり、さちことせまいふとんでねたりするのがしあわせじゃないなら、そんなのいらない!」

 何気に酷いこと言いやがる。

「いらない!!!」

 誰も口を開くことが出来なかった。
 勿論俺も。
 傍らの水槽だけだけが、ポコポコと音を立てている。
 美帆の叫びに。
 悲しい訳じゃない。
 辛い訳じゃない。
 美帆の叫び。

「じんたっ!」
「は、はい!?」

 いきなりのご指名。

「じんたのうそつきっ!」

 …………はぁ?

「な、なにがだよっ。この鼻水女」
「はなみずなんか、たれてない!」
「じゅるじゅる垂れ下がってるじゃねぇか」
「うるさい、うそつきっ!」
「俺の、どこが嘘吐きなんだよっ」

 自慢じゃないが、嘘は嫌いなのだ。
 本音をさらけ出したほうが、この街ではウケが良い。
 生き易いし。

「じんた、いった!」
「……はぁ?」
「ここでまってれば、おやにあえるって!」
「…………」

 いつ、そんなこと言ったか?
 全然記憶に無い。

「はじめてこのみせにきたとき……じんたいった!」
「………………」

『ここでメシ食ってたら、そのうち親が迎えに来てくれるからな』

 …………確かに言った。

「むかえにきてくれるって…………じんた、いったっ!」
「そ、そりゃ……」

 言ったけどよ。
 迎えに来たなら、嘘じゃねーじゃん。

「このひとは、おやじゃない!」
「美帆。そりゃ言い過ぎ」
「こどもがうまれてるの、しっててうそつくひと! じぶんにこどもがうまれないってわかってから、わざわざ(●●●●)ひきとろうとするひと! そんなひと、おやじゃない!」
「………………美帆ちゃん…………」
「……美帆」
「おやじゃない!!!」

 父親と名乗った男が、頭を垂れた。
 子供って正直で残酷だよな。

「…………いーじゃねーか」
「…………じんた?」
「いーじゃねーか、美帆」
「な、なにが……?」

 美帆が、自分の袖で鼻を拭った。
 あーあ。
 後から、カピカピになるんだよな。

「その親って名乗ってる男に、ついていけばいーじゃねーか」
「よくない!」
「そんで親の脛かじって、思う存分生きればいーじゃねーか」
「よくない!」
「そんで不満が有ったら、ぶつけてやれば良いじゃねーか。夜中にバイク乗りまわしたり、家の中でバット振りまわしたり。万引きしたり、男遊びしたり、人を殺したり」
「…………それ、じんたのむかし……」
「うっせーよ」

 一つ咳払いして続ける。
 てゆーか、人殺しはしてない。

「この街じゃ、良くある話しだ。不満があるなら、そうすればいいじゃねーか。あんたの与えてくれようとした幸せってのは。そーゆーものだったんだって。思い知らせてやれば、いーじゃねーか」
「…………」
「突然来て、早智子たちと引き離した結果がこーだったって……。あんたが与えてくれた物は、これなんだって。そう、教えてやればいーだろ。それだけの話しだ」
「こ、子供に何が解かる!」

 父親と名乗る男が、顔を真っ赤にして立ち上がった。

「少なくともそんな未来が来た時、あんたが美帆の責任を取らなくちゃいけないことは解かる」
「…………な…………に…………」
「でも美帆が決めたことは、美帆だけの責任。今あんたが大人の事情振りかざして美帆を連れ去れば、それはあんたにも責任が生まれる。それだけの話し」
「………………」
「美帆はどーしたい?」
「…………」
「美帆?」
「…………さちこと、いっしょにいたい…………。じんたのあばうとなめし、くいたい……」

 アバウトって言うな。

「…………ここ……すきだから…………」

 そう言って美帆は、涙をポロポロと零した。
 この街じゃ、よくある茶番。
 だけど、そんな茶番の中で。
 みんな、泣いたり笑ったり。
 別に探してるわけじゃないけど。
 辛いこととか嫌なこととか、沢山有るけど。
 それでもみんな、転がっていく。
 泣いたり笑ったりしながら、いつのまにか、その空気に包まれた自分に気づくんだ。
















「また来るってよ」
「…………うん。そういってた」
「今度は、もっと面倒臭くなるかも知れんな。民生員とか連れてくるとか言ってたし」
「…………うん…………」
「ま、大丈夫じゃねーの。知らんけど」
「……うん」
「………………」
「……………」
「………………」
「せきにん、とれよ、じんた」

 美帆の小さな手が、俺の脇腹を叩く。
 弱々しくて、強いパンチ。
 ああ、そうだな。
 なんの責任か、知らんけど。

『親とはぐれたんなら、俺が連れてってやる』

 ああ、そんなことも言ったっけ。
 軽い一言だったんだけどなぁ。
 でもまあ……嘘吐きは嫌いだ。

「偉そうに」
「…………はらへった」

 美帆の父親と名乗る男が、夜の街に消えていくのを見送りながら……。
 俺は美帆の頭を撫でた。




















 ………………………………………………………。
 ………………………………………。
 …………………………。

「ちょっと陣ちゃん、早くしなさいよ!」
「うるせ。黙って待ってろ、源次」
「待ってらんないわよっ! 貸し切りバスは待ってくれないのよ!」

 貸し切りバスが待ってくれないで、なにが待ってくれると言うのだろう?
 心の中で突っ込みながら、大量のアジフライをパットに移す。
 少しくらい油が残ってても、肌に浮かんで良いだろう。
 多分…………って、駄目か。
 総勢60名のオカマが、全員油まみれ。
 胸焼けしそうだし、バスの運ちゃんも可愛そうだ。

「まったくもう……やっぱ、和風ハンバーグカレーにすれば良かったわぁ」
「ゲテモノカレーだろうと幕の内だろうと、いきなり言われて直ぐに出来るか。60個も」
「だ〜ってウチの娘たち、ど〜しても陣ちゃんのお弁当じゃなきゃヤだっていうんだもん〜♪」
「だもんじゃねぇ。だったら予約くらい入れておけ」

 まったく、飛び込みで幕の内風折り詰弁当、60個。
 二人で作れる量じゃない。
 今日はなんでも、源次の店の慰安旅行らしいのだ。
 朝から、みょーにケバい服装が目に付くなぁと思ってたが。
 まさか、全国から集まった、源次の弟子達とは思わなかった。
 ちなみに源次はあれから、全国チェーンのゲイバーを開いた。
 源次に徹底的に教え込まれた下品な弟子達が、この街に集まった訳だ。

「それをすぐ作るのが、陣ちゃんじゃな〜い。大将の名が泣くわよ♪」
「てめえ……それ以上騒ぐと、全員切り取って、ドライアイスに積めてお持ちかえりさせるぞ」
「ああ、それは出来ないわよ。もう付いてない娘も、居るからね♪」
「………………」
「あ、あなたぁ……店先でぇ、そういう会話はぁ……」
「……ああ」

 隣りでは、早智子が苦笑いしながらかまぼこを切りだした。
 最初はどうなることかと思ったが、今じゃすっかり板についている。
 かまぼこだけに。

「な、なんでしょうぉ?」

 俺の視線に気付いたのか、早智子が動きを止める。
 まさか、俺の下らないギャグが伝わってしまったのだろうか?

「いや、なんでもない」
「あれは、なにか下らないギャグでも思いついた顔よ。ね〜、お魚ちゃんたち〜♪」

 このオカマ、心まで読めるのか?
 水槽のグッピーに指を当てながら、源次が嫌な笑いを浮かべた。
 事業は成功させる、政財界にまでコネクションは持つ、相変わらず胸毛は濃い。
 嫌なオカマだ。
 最近はオカマの事を、ニューハーフなどと言ったりするが……。
 やっぱり源次は、オカマである。
 この街で、一番愛されているオカマ。
 俺は愛してなど居ないが。
 愛してなどは居ないが……。
 俺と早智子の結婚のときや、美帆のことなどで色々世話に成ったので、尊敬はしている。

「あなたぁ、ご飯、炊き上がりましたぁ」
「ああ。じゃ、俺が詰めるから、早智子は袋詰めしてくれ」
「解かりましたぁ」
「揚げ物まだ熱いから、気をつけてな」
「はいぃ〜♪」
「…………あのね。いちゃついてないで、早くして欲しいんだけど。熱海につくの、夜中に成っちゃうでしょ」
「い、いちゃついてなんかぁ、いませぇん〜」

 顔を赤くして抗議する早智子。
 いつまで経っても、こう言ったからかいには慣れないらしい。
 ……いつまで経っても、か。
 ふと、店の暖簾越しに見える空を見る。
 鮮やかな青空。





 あれから、色んな事があった。
 親父やおふくろは、俺の手で解決しろと言って、手助けしてくれなかったが。
 その分、いろんな人に助けられた。
 辛いことも有った。
 泣かしたことも有った。
 それでもなんとかふんばって、ここまで転がってこれた。
 別にそんな気が有った訳じゃないが……。
 高校を卒業した早智子は、手の足りない弁当屋に就職してくれた。
 高い給料なんかは出せなかったけど。
 それでも笑って、働いてくれている。
 俺も高校卒業して、弁当屋に専念した。
 いつのまにか、早智子が傍にいないことが考えられなくなって。
 俺達は結婚した。
 そして………………。

「どうしたのぉ、あなたぁ」
「ん、いや。そろそろかと思って」
「あぁ〜。そろそろですねぇ」
「そろそろよねぇ」

『ワッセッ、ワッセッ!』

 街に響く、野太い声。
 きやがった。
 毎週土曜日になると、道の向うからやってくる集団だ。
 なんでも最近、名物になってるらしい。
 迷惑なことこの上ないが、一応お客だ。
 余り邪険には出来まい。

「ほらほらー! 声が小さい!」
『オッス』
「近所に、あいさつを忘れんなー!」
『チワッス!』

 …………………………。
 迷惑なこと、この上ない。
 普通の商店ならいざ知らず、ビルから出てくるサラリーマンが挨拶されて、どうなると言うのだろう?
 この間も買いに来たサラリーマンに問われて、答えに困ったものだ。
 しかしこの辺りも、すっかり様代わりした。

「よーし、とうちゃくー!」

 そう言って暖簾を掻き分けて出て来たのは…………。

「陣太、腹減ったっ!」

 美帆だ。
 あのチンケだった美帆は、身長も手足も伸びて、すっかり大人の体型になった。
 体型は、だ。

「ん? どうした陣太?」
「なんでもねえよ。てゆーか、呼び捨てるんじゃねえ」
「陣太は陣太だ。陣太は可笑しなこと言うなぁ。なぁ、陣太」

 わざとだな。
 軽くあぶって、ポン酢と大根おろし掛けて、刻みネギ乗っけるぞ、こんちくしょう。

「陣太、客引きして来たぞ。なんでも良いから弁当、15個」
「なんでも良いって注文が有るか」
「あら〜、アタシの方が先よ、美帆ちゃん」
「あ、まだ居たのか、オカマ。旅行に行ったんじゃなかったの?」
「聞けよ」
「ちょっと美帆ちゃん! オカマって言わないで!」
「オカマはオカマだ」
「きぃ! 妹のしつけ悪いんじゃないの、陣ちゃん!」
「俺はそいつを……」
「従業員に手を出すような男に、しつけられた覚えは無い」
「美帆ぉ!」

 ああ、もう大騒ぎだ。
 道ゆく人も、笑ってこっちを見ている。
 サラリーマンやら、近所の人やら。
 みんな笑ってる。
 この街の住人。
 いつもと同じ笑顔。

「陣太、弁当出来るの、結構掛かる?」
「ああ」
「よーし、じゃあお前等。弁当出来るまでの間、向う30軒両隣まで、掃き掃除はじめー!」
『ウイッス!』

 何故か美帆は、学園で権力者らしい。
 まあわりと可愛いし、なによりオカマから教わった人心掌握術が物を言っている。
 今歩道を掃いている奴等は、運動部系の下僕なんだろう。
 可愛そうに。
 美帆なんかに惚れたら、一生こき使われるぞ。
 早智子と一緒になった俺には解かる。
 女はみんな、優しくて暖かくて強すぎるのだ。

「あなたぁ。早く作らないとぉ、オカマさんたちが暴動を起こしますよぉ」
「ちょっと早智子ちゃん! オカマって言わないで!」
「あ、ゴメンなさいぃ〜。オカマは死ぬまでオカマだってぇ、みさおさんが言ってたもんでぇ」
「あ、そうそう聞いた、源次?」
「ちょっと美帆ちゃん! 本名で呼ばないで!」
「まー、いいから。そのみさおさん、今日から一週間ほど、病院で寝泊りだって。子供連れて」
「またぁ? いーかげん飽きないわよねぇ。で、今度はなんだって?」
「さー? またいつもの、『公務員ですから』が、出たんじゃないの?」
「健ちゃんも懲りないわよね〜」

 ここは井戸端か。
 よっし、出来た。
 はやく追い返さないと、オカマが暴れ出すからな。
 大量の折り詰風幕の内弁当を袋に詰め、カウンターに放り投げる。

「出来たぞ源次。注文のオカ幕の内弁当、60個」
「きさんっ! 掘ったろかっ!」

 それは恐ろしい。

「まーまー、源次。それは後のお楽しみにしといて。お土産待ってるから。大量に」
「…………やっぱ、陣ちゃんの妹よねぇ」
「義理だけどな」

 そう言って源次は、大量のコインをカウンターに置いた。
 こう言う時くらいは札で出せよと思うが、これがこの店のルール。
 弁当一つと、1枚のコインを交換。
 いつまでも変わらない習慣。
 多分、この街がこの街で有る限り。
 俺達が俺達である限り、ずっと変わらない。
 変わらない。
 変わらない。
 変わっていくことすら、ずっと変わらない。
 泣いたり怒ったり笑ったり。
 変わらない。
 ずっと変わらない。

「さて、次はあいつ等の…………っと、その前にっ!」

 美帆が指で、コインを弾いた。
 1枚のコイン。
 変わらない。
 あの頃と変わらないままの笑顔で。
 誰もが変わらない。
 変わっていくことすら、変わらないままに。
 転がり続ける、1枚のコイン達。





「じんた、めしっ!」






 しあわせに。














              END










*****************************************************************

 とまあ、ここまで読んで頂いてありがとうございます。
作品に後書き書くのも、すげーひさしぶりのkyonです。
約一年ぶりの『ワンコイン』続編。
如何でしたでしょうか?

 この作品は、友達の小野寺秀人のHPに送りつけた『ワンコイン』の、その後の話し
になります。
実は『ワンコイン』を書いたとき、この話しのプロットは出来上がってたんですよ。
でも余りに長くなりそうだったから、止めたんですね(笑)。
つまり『ワンコイン』と、この『ワンコイン・2―――しあわせに―――』でワンセット。
まさに完結版ですな。
タイトル見た瞬間、最後の一文は読めたでしょうが(笑)。

 最近色々あって。
主に、俺の心の問題ですが(笑)。
まず、やりたいことからやっていこう、と。
書き続けていけば、なにか見えることも有るんじゃないかと。
別に、お金にならずとも(笑)。

 ではここまで読んで頂いて、本当にありがとう御座いました。
またお会いできたら嬉しいです。


 みんなが元気でありますように。


2004・3・10  kyon


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