なぜ………こんな事になったのだろう?
自問自答するが、答えは見つからない。
小さな店を囲む、小さな花輪たち。
………。
縁起悪いのも、いくつか混じってるな。
「では、みんな〜。アタシたちの台所。
「うるせぇ、
てゆーかうちの店、そんな名前だったのか。
「かんぱーい!」
「かんぱーい!!!」
誰も俺の話しなど、これっぱかしも聞いちゃいねぇ。
店の前で、大量のグラスと大量のオカマたちが踊り出す。
それにつられて、常連のサラリーマンも大はしゃぎだ。
営業妨害も、はなはなだしい。
店の前は一応公道なのだが、今は誰も通れない状態だ。
弁当屋の常連が占拠してるから。
てゆーか、警官まで参加してるしな。
てめぇら……みじん切りにして弱火であめ色になるまで炒めるぞ、こんちくしょう。
「いやー。陣ちゃんがお店を持つようになるなんてねー。めでたいわー」
「………いや、あの、みさおさん………そんな大層なものじゃねーから……」
看護婦姿のみさおさんが、紙コップに入ったオレンジジュースを差し出してくれる。
そういえば、喉乾いたな。
怒りで。
「じゃあ、今日のメインディッシュ。お姫様から花束の贈呈ですー」
「うるせぇ源次。胸毛を剃れ、胸毛を」
「ああん!? 貴様、ワシらの好意が受けとれんっちゅーんか、ええっ!?」
怖っ。
ついさっき人を食い終わったような、真っ赤な唇が迫ってくる。
もう酔っ払ってんのかよ、このオカマ。
「いえ、そんなことないです」
恐怖で、思わず敬語になる。
こんなオカマに食いつかれるくらいなら、大人しくなった方がましだ。
店の入り口から見える水槽の中のグッピーたちも、そう言ってる気がする。
多分。
俺の態度に納得したのか、オカマが大口歪めて笑った。
いやもう、かけね無しに怖い。
「解かれば良いのよ〜。じゃあ、お姫様、カモン♪」
常連のサラリーマン達が左右に別れたかと思うと、白い二つの影が現れた。
手にはどこかの店の余りものっぽい、大きな花束を持っている。
本来祝い事には向かない、彼岸花が混じってるのがその証拠だ。
「あのぉ〜。か、開店おめでとうございますぅ〜」
「うけとれ」
頬を染めた
態度の違う二人が、花束を差し出してくれる。
「いや、別にこんなことしてもらわなくても」
「で、でもぉ。陣太さんがお店のご主人になったぁ、お祝いですからぁ」
「だつぜいに、はげむように」
励まねーよ。
そうなのだ。
この秋、俺は親父から店を任された。
といっても学園があるので、昼間は従業員を雇うのだが。
その従業員と言うのは、おふくろだったりする。
しかも無給。
ついでに言うと、仕入れも経理もお袋任せ。
どこがこの店の主人なのかと問われれば、口を開くことが出来ない現状である。
それでも店舗の名義上、この店は俺の物になった。
親父が事故にあって、保険金と見舞い金がかなり入ったので、第二店舗を作る事になったからだ。
第二店舗と言っても、店を構えるわけじゃない。
この店で弁当を作って、車で売り歩くのだ。
近くの港には、倉庫や工場も多いしな。
その間、この店が空いてしまうと言う事で、俺に白羽の矢が突き刺さったのだ。
他の人間雇えばいーじゃねーかと反論する俺に、拳なみの矢が。
ちょっとした反論だったのだが、奥歯が二本折れた。
そんな流れで各種手続きを済ませ、俺に店が譲渡された訳である。
青春を謳歌したい俺にとって、バイト以上の責任は背負いたくないんだけどな。
「なにかお手伝い出来ることあったらぁ、わたし、手伝いますからぁ」
「そのかわり、ごうかなめしを」
「美帆ぉ!」
でも親父の言いたいことは解かる。
目の前に居る、二人の少女。
美帆が事故に遭ってから、一つの季節を越えた。
今じゃ元気を取り戻し、毎日弁当屋に通っている。
早智子も経済的事情で大学進学を諦め、ティッシュ配りのバイトをしながら就職先を探している。
みんな、この街で懸命に生きていた。
「大丈夫だよ、陣ちゃん♪」
「そーそ。アタシたちも一生懸命、買いに来るからね〜」
いや、手伝えよ。
懸命に生きている、看護婦のみさおさんが笑った。
毒々しく、だけど優しいオカマも笑う。
「俺も残業してる時は、買いに来るぞー」
「僕は夜勤の時、必ず買いに来ます。鮭弁当が好みです。公務員ですから」
健ちゃん、警察官だろ。
仲間に入って酒飲んでないで、全員しょっ引けよ。
店の前で上がる歓声。
営業妨害なんだけど………それでも。
「アタシなんか、お客さんの前で弁当食べちゃうもんね〜」
「どんなプレイだ、そりゃ」
「あーっはっはっは」
口々に、勝手な事を言う常連達。
この街の住人達。
サラリーマンとか風俗嬢とか、スナックのオカマとか公務員とか。
一人身とか夫婦で共働きとか、現在別居中とか離婚調停中とか。
優しくて寂しくて、だけど強い人達。
「陣太さぁん。頑張りましょぉ〜」
「たまにみせさきなど、はいてやらんこともない」
「………ああ。そうだな」
親父の言いたいことは解かる。
俺の大好きなこの街。
俺たちの生きる街。
俺に優しくしてくれたこの街に、俺なりの恩返しをしてみせろって。
そういうことなんだろ、親父。
「取り敢えず全員、店の前でたむろって無いで、注文しやがれ」
お礼を言うのは照れくさいので、いつものように言い放った。
「ひどい〜。せっかくお祝いに来たのにね〜」
「ああ、よしよし。オカマなんだから泣かないの」
「ちょっとみさおちゃんっ! オカマって言わないで!」
「ありゃ、ごめん。でもオカマは生まれついてのオカマだし」
「酷いわぁ〜。美帆ちゃん、慰めてぇ!」
「とりあえずオカマはほっといて、おこさまらんちを、おおもりおおいそぎでつくれ」
「美帆ぉっ!」
大騒ぎするみんなを尻目に、店の
なんでだろうな。
頬が弛んでくるのを止められない。
「……………」
いつものエプロンに袖を通し、いつもの位置につく。
包丁もまな板も、鍋もフライパンもいつもの位置だ。
そして店先には、いつもの人たち。
「アタシ、からあげカレー!」
「ん〜。ミックスフライ弁当〜。院長先生の分もお願い〜」
「僕は……しゃけ弁。公務員なので」
「おこさまらんち。ちちゅうかいふう」
「できねーよ」
いつものように差し出される、1枚のコインたち。
俺は、弁当を作ることしか出来ないけど。
せめてこのコインが、色あせないように。
せめて飯食うときくらい、笑顔で居られるように。
枯葉の降る日。
転がり続ける日々。
いつもと変わらない吹き溜まりの中、そんな風に思った。
ワンコイン・2―――しあわせに―――
ダッシュで到着すると、店の前では小さな白いボールがうずくまっていた。
俺の方をちらりと見るが、すぐにそっぽを向いてしまう。
「………なにやってんだ、美帆?」
「……………」
なぜに、いきなり拗ねてんだよ。
聞いても答えてくれないので、取り敢えず店を開ける。
といっても、鍵が掛かってる訳じゃないので、店先に暖簾を出すだけだ。
施錠など無駄だと知っているから、誰もがこの街では無頓着。
お袋はもう、親父と一緒に出たらしいな。
焼き台の上に乗っている鍋に、メモ用紙が張ってある。
今日は玉葱が安かったらしい。
湯がいて、中華風サラダでも作るか。
基本的な付け合わせは、市場の値段によって決められる。
常連だと、その人の好みに合わせることも有るが。
「………………」
店の外ではまだ、ボールが転がっている。
て言うか、転がって行ってしまった。
「おいおい」
いくらこの街の住人とは言え、いきなり子供が転がってきては驚くだろう。
通行人が目を丸くしている。
しょーがねーので、急いで追いかけた。
「美帆。どーしたんだよ」
「……………」
無言で歩道を転がって行く。
見事な前転だ。
スピードも乗ってきた。
って、感心してる場合じゃないな。
歩道だから車の心配は無いが、自転車とかに引かれる………。
脳裏に、数ヶ月前のことが甦る。
白い服。
赤い点。
泣き叫ぶ早智子。
呆然と立ち尽くすことしか出来なかった俺。
「美帆っ!」
慌ててダッシュし、美帆の回転を止めた。
まったくこいつは………。
襟首を掴んで、ボールを持ち上げる。
「なにしてんだよ、お前?」
なんで拗ねてるか、まったく解からない。
白いボールはビロビロと展開した後、美帆にチェンジする。
ああ、子供の頃、こんなおもちゃ欲しかったなぁ。
俺の買ってもらったおもちゃといえば、奇天烈なキャラクターの台所セットとか、料理人の絵本とか、そんなんばっかりだったからな。
子供の頃から、アバウトに英才教育。
洗脳に近いかもしれない。
「腹でも減ってんのか?」
「………じんた………おそい………」
顔を上げた美帆は……潤んでいた。
結構長い時間一緒に居たが、初めて見る涙目。
必死に堪えているのが、美帆らしいが………。
子供がこんな風に、耐えられるものなんだろうか?
俺には解からない。
俺は今でこそポーカーフェイス気取ってるが、子供の頃は泣き喚いて暴れるのが、非常に得意な餓鬼だったからな。
親父のことバットで殴ったり、ビニール袋に石入れて振りまわしたり、傘の先で顔面狙ったり。
勿論30倍返しとかされたので、大人しくならざるを得なかった。
「遅いって………そりゃいつもより、遅かったけどよ。高校3年ともなると、いろいろ有るんだよ」
「しんがくもしない……おやのつくったべんとうやに、すっぽりとおさまるくせに、えらそう」
「ほっとけ」
図星なだけ、ダメージは大きい。
しかし、なんでこんな生意気なこと言われてるのに、怒らないんだろうな、俺。
常連の連中もそうだ。
美帆が放つパンチの効いた台詞に、苦笑いを浮かべるだけ。
優しくしてる訳じゃないんだけど、なんか怒れないんだよな。
お得なキャラクターだ。
「じゃあお前、俺が遅くなったから怒ってんのか?」
「………べつに。おこってなどいない。すねてもいない」
「そっか。悪かった」
「おこってない」
「機嫌直せよ。豪華な飯、作るからよ」
小脇に美帆を抱えて、店まで歩いていく。
通行人が訝しげな目で見るが、知ったこっちゃねぇ。
俺の善良そうな顔があれば、誘拐とかには見えないだろう。
多分。
「なおすきげんなどない」
「解かった解かった」
「そのつらは、わかってない」
「面とかゆーな」
「……………………」
もうすぐ店だという時、美帆の身体が震え始めた。
泣いてる訳じゃない。
冷たいアスファルトは、濡れてない。
だけど美帆は、震えていた。
「美帆?」
「……………こわかった………」
「ん? なにが………」
「ごはんたべるの……じょうずじゃない………」
「はっ?」
いきなり話しに脈絡が無い。
酔ってるのか?
「だから……ごはんのとき……そとにだされた………」
「………………………」
それは………美帆の過去なんだろう。
今一緒に暮らしてる、早智子がそんなことするはず無い。
思いつきもしないだろう。
早智子と美帆は、叔母と姪の関係だ。
早智子の姉が、美帆の母だと、あの時言っていた。
そう言えば早智子は、こうも言ってたな。
『美帆は、虐待されていた』、と。
躾だって言い張ることも出来るだろう。
俺だって今の親父には、顔が変形するほど殴られたこともある。
あれは躾じゃなくて、純然たる報復行為だが。
「……はたかれて……でも………ごはんが……でてこない………」
「………」
「……まってた………さむかったから………でてこなくて……わかんなくなって………」
「つまりお前は腹減って、俺を待ってたわけだな」
小脇に抱えた美帆を、右肩に座らせる。
「ちがうっ!」
解かってる。
解かってるよ。
「待たせてゴメンな。でも俺は、必ず来るから」
「……………」
「この街じゃ、誰もが待ってる。誰もが帰ってくる」
「………………」
「俺も帰って来る」
「………じんた………」
「ん?」
「くさいせりふは、じんたのつらにはあわない」
「うるせーよ」
店が見えるところまで来ると、腹を減らした人波が見えた。
どれだけ転がったんだ、このがきゃぁ。
肩に抱えた美帆を、そっと地面に降ろす。
「さ。飯前に、仕事しようぜ」
「………しごと?」
「お前は店の前を掃いて、躾のなってない常連達を一列に並べろ」
「………………」
「アイツらは、俺らを待ってたんだ。俺と美帆をよ」
「………みほを?」
「ああ。アイツらが転がり出す前に、店を始めよう」
「………………」
「な、美帆」
「うん!」
一瞬だけ見えた、美帆の笑顔。
何が嬉しいのか解からないが、美帆は駆け出した。
笑いながら不平不満を言う常連達に、ちゃんと並べと蹴りを入れている。
一応お客様なんだけどな、みんな。
「さて」
俺も働くか。
どことなく嬉しそうな美帆に、負ける訳にはいかない。
この店は、俺の店なんだ。
人の波が途切れて、美帆が腹を減らす前に。
軽いお子様ランチを作り終えよう。
早智子がティッシュを配り終える前に。
残り物と称した、二人分の惣菜を作り終えよう。
この街が、二人に優しくありますように。
みんなに優しくありますように。
そんな風に願いながら、やせ細った泥付きネギを握った。
安物買いにも程があるぜ、お袋。
「美帆。そろそろ飯にしろよ」
水槽の前で絵本を読んでる、小さなボールに声をかけた。
そろそろ、繁華街勤務常連のラッシュが始まる。
源次が店に来ると言う事は、そう言うことだからな。
何故かこの街のオカマは、カレー好きだ。
忙しくなる前に、飯を食わせておこう。
既にお子様ランチは完成していた。
中身がチキンライスなオムレツに、アスパラと人参の豚肉巻き。
各種緑黄色野菜と、カレー味のから揚げ。
勿論、ドクロの旗も健在だ。
美帆は、好き嫌いが無くて助かる。
「うむ」
なんて偉そうながきんちょだ。
だけどこれは施しじゃなくて、立派な報酬だからな。
オードブル用の銀皿を持つと、美帆はまた水槽の前に陣取った。
源次が物欲しそうに、美帆のお子様ランチを覗き込む。
「あら〜。豪華ね、美帆ちゃん」
「それほどでもない」
この餓鬼………。
軽く小麦粉まぶして、高温の油でさくっとからっと揚げるぞこんちくしょう。
「おい、じんた?」
「ん?」
美帆がお子様ランチを見詰めながら、難しい顔をした。
「このおむらいす……。なんか、かいてあるぞ」
「どれどれ。おねーさんが見てあげる♪」
そんなに胸毛の濃いおねーさんが、どこに居るってんだ。
最近スナックの従業員達からプレゼントされた、金色の鎖が胸毛に絡まっていた。
こんなオカマが、この街の女帝だってんだから、世の中捻じ曲がってる。
だいたい、『女』じゃない。
「なになに………氾人は、K・・・?」
「どゆいみ?」
「ちょっと陣ちゃん。これなに?」
「ダイイングメッセージ」
昨日早智子に借りた、推理小説に出て来たのだ。
この街にいくつ弁当屋があるか知らないが、極太のケチャップノズルでこんな事を書けるのは、俺しかいないだろう。
こんなこと書く人間も、俺しか居ないのかもしれないが。
「アンタねぇ………食べ物で遊ぶの、止めなさいよ」
「いつもいつも、同じようなお子様ランチじゃ面白くないだろ」
「味は変わらないじゃない! 工夫の仕方が間違ってるのよっ」
確かに。
その点は、まったく考えていなかった。
「まったく………。あれ、美帆ちゃん? 何してるの?」
見ると美帆が、スプーンでオムライスになにかしていた。
俺の芸術作品に、なにしやがんだ。
「はんのじ、まちがってる」
「………………」
「………………………」
スプーンで丁寧に直された、『犯』の字。
間違った俺と、気付かなかったオカマの間に、いやーな空気が流れた。
そんな嫌な空気を裂くように、店の暖簾が揺れる。
「すみません」
オカマの脇を抜けて、中年の男が現れた。
パリっとしたスーツ姿は、この街に似つかわしくない風貌だ。
こんな高そうなスーツ姿の男が、弁当など買いに来るだろうか?
細面の、少し神経質そうなビジネスマン。
第一印象は、それだった。
それは源次も感じたのだろう。
少しだけ意外そうな顔をして、場所を譲った。
まあ、どのような姿だろうと、客は客。
「メニューなら、上にある。どれでも一律500円」
「あ、いや……。弁当を買いに来た訳じゃないのです」
「………」
弁当を注文する以外、弁当屋に用事があるのだろうか?
ふと、嫌な予感がする。
だけどそれも、この街ではあたりまえの事。
嫌なことは、予告などしてくれない。
「地理案内なら、そこのオカマに聞いてくれ。大通りから妖しげな裏道まで知り尽くしてる」
「ちょっとぉ! オカマって言わないでっ!」
「あ、いや……。ここに、山本美帆が居ると聞いてきたので」
「……………………」
やま………もと?
どくんと、心臓が鳴った。
美帆は興味無さげに、男の顔を見上げる。
その表情を見て……。
また、どくんと心臓が鳴った。
「申し遅れました。私、山本美帆の父親で、宏と言います」
「……………………え?」
目の前の男の台詞が、頭の中にぼーっと響く。
こんな生活が続けば良いなと思っていた。
俺は別に、美帆の保護者な訳じゃない。
ただ飯食らわせてるだけだ。
だけど、こんな生活が続けば良いなと思っていた。
学校が終わって、美帆の待つこの店に走ってくる。
なんのかんのと言い争いながら、仕事に追われる毎日。
そんな生活。
「私の娘が良くして頂いてる様で、ありがとうございます」
早智子のバイトが終わって、二人で帰る姿を見送る。
手をつないで帰る二人を。
そんな日々が続けば良いななんて、がらにも無いことを思っていた。
「実はお恥ずかしい話しなのですが……あ、いや、他人様にお聞かせする話しでは無いですな」
男の言葉が、上滑りしていく。
多分コイツは、本当に美帆の父親なんだろう。
だけど………。
『わたし達……姉妹もぉ、両親が居ないからぁ……』
早智子の言葉が、頭の中を駆け巡る。
「福本早智子さんも、アルバイトが終わったら、此方に寄られるとか?」
『でもぉ……その親戚先でぇ……虐待されてたらしくてぇ……わたしが……面倒を見てぇ……』
この街では、良く有る話し。
いいや、あんまり無いか。
俺みたいな境遇の餓鬼が、一度は夢に見る話しだ。
迎えに来てくれる。
そんな夢みたいな話し。
俺には、そんなおとぎ話めいた事は起こらなかった。
美帆には起こったのだろう。
良い話しだ。
「それまで待たせてもらって、宜しいでしょうか?」
『おねえちゃんにぃ……美帆の事ぉ……頼むって言われたのにぃ……』
良い話しだ。
なのに、何故思ってしまったんだろう?
嫌なことは、予告などしてくれない、と。
この街は、話しが早い。
展開も早いが、伝わるのも早いのだ。
(………ねえ、陣ちゃん)
「んだよ?」
(こえ、ひそめなさいよっ!)
「………」
オカマに一喝される俺。
店のカウンター前には、数人の常連が座り込んでいた。
営業妨害も甚だしい。
その筆頭が、源次である。
源次はカウンターから顔を出して様子を伺ったかと思うと、すぐに顔を引っ込めた。
まるで、訓練された軍人か特殊警察みたいな動きだ。
源次は高校を出てから数年間、外国を旅していたと言う噂がある。
無一文に近い状態で渡航して、帰ってきたらオカマに成っていた。
それでまでは普通のホモだったらしいが。
そうして帰って来た時には、この街で店を開くくらいの金は持っていたと言う。
(なんか、雰囲気重くない?)
「しょうがねぇんじゃねぇ?」
(声潜めろって、いっとんのじゃ、このぼけぇ!)
(………はい)
なぜ、俺の店で、俺がコソコソしなければいけないのだろう?
店の前を通りかかったサラリーマンが、しゃがんでいる異様な集団を見て、身体を振るわせる。
(でも……美帆ちゃん、大丈夫かしら?)
(……さーな)
振りかえって、店の奥を見る。
休憩所として使っている奥座敷では、緊迫した空気が充満していた。
テーブルの上には、原価25円の緑茶が4本。
美帆と早智子の分。
そして、美帆の父と名乗る男の分と、なんか役所から派遣されたと言う女の分。
あの後父親が何処にか連絡をとって、スーツ姿の中年女が現れたのだ。
(さっきから、一言も話さないわよ?)
(しゃーねんじゃねーの)
美帆を引き取りに来たと言う、父親の存在。
それが、どういったものかは、俺には解からない。
(いきなり来て父親ですって言われてもよ。美帆だって早智子だって、どう対処して良いか解からないんじゃないか?)
(そうなんだろうけど……。ね、陣ちゃん?)
(あん?)
(陣ちゃんは……どうした方が良いと思う?)
(俺には関係、ないだろ?)
それでなくても、店の奥を陣取られているんだ。
場所を変えて話そうと言う父親に、美帆が動きたくないと言った結果である。
まあ、店の奥を貸すくらい、なんでもないけどよ。
だからお茶も出してやったんだ。
くそっ。
後から美帆に請求してやる。
100円玉イッコだな。
(それが関係ないって顔かしらね?)
(…………)
いらついてるのか、俺?
別にイラつく必要などない。
父親が、保護のない子供を見つけて引き取りに来た。
良い話しなんだからな。
多分。
(ふぅ。陣ちゃんも、素直じゃ無いんだから)
(でも……口出しする訳には、いかねえだろ?)
(…………そうよねぇ…………)
ひそひそ話しに触発されたのか、父親が重い口を開いた。
その瞬間、早智子の肩がぴくりと動く。
美帆は……変わらない。
無表情のままだ。
「美帆ちゃんには、悪い事をしたと思っている。だけど、僕も知らなかったんだよ。美帆ちゃんが生まれたの」
「………………」
「早智子ちゃんにも感謝している。いままで美帆ちゃんを、保護してくれたんだからね」
「そんなぁ……か、感謝なんてぇ……。わたし、お姉ちゃんに頼まれたからぁ……」
細い声で、早智子が呟く。
美帆は……しゃべらない。
「本当にありがとう。これからは、僕が美帆ちゃんの面倒を見るから。僕が美帆ちゃんを幸せにする。なんたって、血の繋がった親子なんだからね」
「…………で、でもぉ。美帆は、わたしがぁ……」
「あのね、早智子さん」
父親の隣りに居た中年女が、口を開いた。
まるで慈愛に満ちた、母親のような笑顔で。
作った笑顔で。
「あなたもまだ、高校生でしょ? そりゃ法定保護者である親戚さんの虐待から、美帆ちゃんを守った事は立派だと思うわよ。でもね」
「でも……なんですかぁ?」
「貴方がこの先、ずーっと美帆ちゃんを保護していく事、出来ないでしょう?」
「で、出来ますぅ! わたしは、お姉ちゃんと……」
「ちょっと聞いたんだけど、福本さん。まだ就職も決まらないそうじゃない。無理な生活をしていては、美帆ちゃんのために良くないわ。貴方も美帆ちゃんも、幸せになんか成れないわよ?」
「……………………」
一瞬頑張ったんだけどな、早智子。
「福本さん。貴方にも、負担が大きい事は解かるでしょ? みんな幸せに成るためなのよ?」
「わ、わたしぃ! 美帆のこと……負担なんて、思ったこと、ないですぅ!」
初めて見た、早智子の怒り。
テーブルに手をついて、上半身を起こしている。
どこか危うげな、早智子の怒り。
美帆は……変わらない。
目を閉じて、なにもかも拒絶したような表情。
あいつは、ああやっていたのだろうか?
親戚の家で。
「だけどねぇ。実際問題として、貴方は未成年でしょ? 保護義務があるのは親戚の人。そしてそれが果たせない場合、それなりの施設に保護してもらうのが、一般て……」
「美帆を、施設になんか入れません!」
早智子がテーブルを叩いた。
あのテーブル、どこから拾って来たやつだっけな?
あんまり丈夫じゃないんだよな。
「だから僕が、美帆ちゃんを
父親と名乗る男が、ここぞとばかりに口を開いた。
一番効果的なタイミングを狙っていたんだろう。
「さっきも言った通り、僕は美帆ちゃんが生まれた事を知らなかったんだ。裕子は僕に知らせてくれなかったからね」
「おねえちゃん……知らせたって言ってましたぁ……そしたら、連絡取れなくなったってぇ……」
「そ、それは違うよ!」
父親と名乗る男が、慌てて否定する。
今のは、激しいロストポイントだな。
「僕は裕子から、なにも聞かされていなかったんだ!」
死人に口無し、だな。
この街じゃ、有効な手段。
「そ、それにね……裕子は、僕の前から、黙って姿を消したんだよ。早智子ちゃんに何を言ってたか知らないけど。本当さ。僕も必死に裕子を探したが、行方は解からなかった」
「…………」
「僕は酷く傷ついてね。一時は、仕事も名にも手につかなかった。その頃、僕に思いを寄せている女性が居て、僕に良くしてくれたんだよ。だからなんとか立ち直れたんだよ」
「おねえちゃん……結婚が決まったからぁ、近寄るなって言われたってぇ……言ってましたぁ……」
「そ、それは違うよ!」
「会社の社長さんの娘さんだってぇ……」
「う……」
「おい、早智子」
思わず口を挟んでしまう。
「じ、陣太さぁん……?」
「美帆の前で、する話しじゃないな」
「…………あっ……」
みんなの視線が、美帆に集まる。
当の美帆は……無表情のまま、瞳を閉ざしていた。
まるで、何かを拒絶するように。
「そ、そうだね。過去の事より、これからの事を考えようっ」
俺の台詞で、父親と名乗る男が立て直した。
中年女も、安堵の溜め息を漏らす。
別にお前等のために、言った訳じゃない。
「僕は今結婚しているし、それなりに社会的地位もある。なんだったら、君の進学のお手伝いも出来るよ」
「し、進学なんてぇ……。わたしは、美帆のことぉ……」
「美帆ちゃんの幸せを考えれば、それが一番だと思う。僕の家はそれなりに広いし、幸か不幸か……僕と妻の間には、子供が居ないんだ」
「………………」
「妻も、僕と血の繋がった子供なら、是非引き取りたいと言ってるし。きっと美帆ちゃんを幸せにしてくれるよ。ああ、勿論、僕も美帆ちゃんの幸せのため、尽力する」
「………………」
「そうよ、福本さん。それが一番、美帆ちゃんの幸せのために良いのよ。貴方も美帆ちゃんも、幸せにならなくちゃね」
「……………………」
しあわせ、か。
(…………ねえ、陣ちゃん…………)
(あん?)
(…………なんでも、ない……)
(…………ああ)
源次も、同じ事考えてるんだろうな。
多分。
美帆は……瞳を閉じたままだ。
美帆は……美帆は、何を考えてるんだろうな?
冷たい空気の中、ふとそんな風に思った。
「わたしとぉ一緒じゃぁ、幸せになれないんですかぁ?」
「そ、そうは言ってないよ。ただね、美帆ちゃんの幸せのことを考えるなら、僕の保護下に有った方が……」
「そ、そうよ。より幸せに成れるのよ。貴方も美帆ちゃんも……」
「わたしはぁ! 美帆とお姉ちゃんを捨てた人が、美帆を幸せに出来るとは思えませぇん!」
「捨てた訳じゃないって、何度も言ってるだろう! 高校生の分際で、子供を育てられる訳無いじゃないかっ! 身の程を知りなさい! こっちは、法廷で争っても良いんだからね!」
「そ、そんな……ほ、裁判なんかで……美帆を……」
「どっちが美帆を幸せに出来るか、法廷で決めようじゃないかっ! 勿論僕の相手は君じゃなくて、親戚の人だけどねっ! 虐待していた親戚と、血の繋がった僕っ! どっちが美帆を幸せに出来るか…………」
逆上した父親と名乗る男の前で、美帆がそっと立ち上がった。
父親と名乗る男の怒号が止まる。
美帆はゆっくりと、小さな瞳を開いた。
「ほうていってところにいけば…………しあわせになれるの?」
静かに。
静かに。
振り絞るような、細い声。
「そこにいけば……しあわせになるかどうか、だれかが、きめてくれるの?」
だけど、その声は。
震えたその声は、強くて。
誰もが息を飲んでいた。
「しらないひとが……みほのしあわせをきめるの?」
大きくて小さな瞳に、涙を浮かばせながら。
美帆は、振り絞っていた。
「しあわせって……なに? しあわせって…………なに…………?」
「………………み、美帆ちゃん。あ、あのね。まだ小さいから、解からないかもしれないけど……」
「しあわせってなにぃ!? うれしいこと!? ゆかいなこと!? たのしいこと!?」
いつの間にか、美帆の瞳から涙が零れていた。
初めて見る美帆の涙。
だけど、しっかり前を見て。
「わかてるんならおしえて! しあわせって、わかることなの!? おしえられることなの!?」
ああ、敵わないな。
俺より誰より、美帆は……。
「みほはしあわせじゃないの!? じんたのあたたかいめしは、しあわせじゃないの!? さちことてをつないでかえるのは、しあわせじゃないの!?」
「…………………………」
何故か俺の目にも、涙が滲んでいた。
俺の下でしゃがんでる連中も、目頭を押さえている。
この街の住人たち。
ああ…………。
ああ、そうだよな。
幸せなんて、なんだか解からないから、みんな泣いたり笑ったりしてるんだよな。
「それがしあわせじゃないなら、そんなのいらない! このみせにあつまるトンチキなれんちゅうにからかれたり、じんたのたしょうアバウトなめしくったり、さちことせまいふとんでねたりするのがしあわせじゃないなら、そんなのいらない!」
何気に酷いこと言いやがる。
「いらない!!!」
誰も口を開くことが出来なかった。
勿論俺も。
傍らの水槽だけだけが、ポコポコと音を立てている。
美帆の叫びに。
悲しい訳じゃない。
辛い訳じゃない。
美帆の叫び。
「じんたっ!」
「は、はい!?」
いきなりのご指名。
「じんたのうそつきっ!」
…………はぁ?
「な、なにがだよっ。この鼻水女」
「はなみずなんか、たれてない!」
「じゅるじゅる垂れ下がってるじゃねぇか」
「うるさい、うそつきっ!」
「俺の、どこが嘘吐きなんだよっ」
自慢じゃないが、嘘は嫌いなのだ。
本音をさらけ出したほうが、この街ではウケが良い。
生き易いし。
「じんた、いった!」
「……はぁ?」
「ここでまってれば、おやにあえるって!」
「…………」
いつ、そんなこと言ったか?
全然記憶に無い。
「はじめてこのみせにきたとき……じんたいった!」
「………………」
『ここでメシ食ってたら、そのうち親が迎えに来てくれるからな』
…………確かに言った。
「むかえにきてくれるって…………じんた、いったっ!」
「そ、そりゃ……」
言ったけどよ。
迎えに来たなら、嘘じゃねーじゃん。
「このひとは、おやじゃない!」
「美帆。そりゃ言い過ぎ」
「こどもがうまれてるの、しっててうそつくひと! じぶんにこどもがうまれないってわかってから、
「………………美帆ちゃん…………」
「……美帆」
「おやじゃない!!!」
父親と名乗った男が、頭を垂れた。
子供って正直で残酷だよな。
「…………いーじゃねーか」
「…………じんた?」
「いーじゃねーか、美帆」
「な、なにが……?」
美帆が、自分の袖で鼻を拭った。
あーあ。
後から、カピカピになるんだよな。
「その親って名乗ってる男に、ついていけばいーじゃねーか」
「よくない!」
「そんで親の脛かじって、思う存分生きればいーじゃねーか」
「よくない!」
「そんで不満が有ったら、ぶつけてやれば良いじゃねーか。夜中にバイク乗りまわしたり、家の中でバット振りまわしたり。万引きしたり、男遊びしたり、人を殺したり」
「…………それ、じんたのむかし……」
「うっせーよ」
一つ咳払いして続ける。
てゆーか、人殺しはしてない。
「この街じゃ、良くある話しだ。不満があるなら、そうすればいいじゃねーか。あんたの与えてくれようとした幸せってのは。そーゆーものだったんだって。思い知らせてやれば、いーじゃねーか」
「…………」
「突然来て、早智子たちと引き離した結果がこーだったって……。あんたが与えてくれた物は、これなんだって。そう、教えてやればいーだろ。それだけの話しだ」
「こ、子供に何が解かる!」
父親と名乗る男が、顔を真っ赤にして立ち上がった。
「少なくともそんな未来が来た時、あんたが美帆の責任を取らなくちゃいけないことは解かる」
「…………な…………に…………」
「でも美帆が決めたことは、美帆だけの責任。今あんたが大人の事情振りかざして美帆を連れ去れば、それはあんたにも責任が生まれる。それだけの話し」
「………………」
「美帆はどーしたい?」
「…………」
「美帆?」
「…………さちこと、いっしょにいたい…………。じんたのあばうとなめし、くいたい……」
アバウトって言うな。
「…………ここ……すきだから…………」
そう言って美帆は、涙をポロポロと零した。
この街じゃ、よくある茶番。
だけど、そんな茶番の中で。
みんな、泣いたり笑ったり。
別に探してるわけじゃないけど。
辛いこととか嫌なこととか、沢山有るけど。
それでもみんな、転がっていく。
泣いたり笑ったりしながら、いつのまにか、その空気に包まれた自分に気づくんだ。
「また来るってよ」
「…………うん。そういってた」
「今度は、もっと面倒臭くなるかも知れんな。民生員とか連れてくるとか言ってたし」
「…………うん…………」
「ま、大丈夫じゃねーの。知らんけど」
「……うん」
「………………」
「……………」
「………………」
「せきにん、とれよ、じんた」
美帆の小さな手が、俺の脇腹を叩く。
弱々しくて、強いパンチ。
ああ、そうだな。
なんの責任か、知らんけど。
『親とはぐれたんなら、俺が連れてってやる』
ああ、そんなことも言ったっけ。
軽い一言だったんだけどなぁ。
でもまあ……嘘吐きは嫌いだ。
「偉そうに」
「…………はらへった」
美帆の父親と名乗る男が、夜の街に消えていくのを見送りながら……。
俺は美帆の頭を撫でた。
………………………………………………………。
………………………………………。
…………………………。
「ちょっと陣ちゃん、早くしなさいよ!」
「うるせ。黙って待ってろ、源次」
「待ってらんないわよっ! 貸し切りバスは待ってくれないのよ!」
貸し切りバスが待ってくれないで、なにが待ってくれると言うのだろう?
心の中で突っ込みながら、大量のアジフライをパットに移す。
少しくらい油が残ってても、肌に浮かんで良いだろう。
多分…………って、駄目か。
総勢60名のオカマが、全員油まみれ。
胸焼けしそうだし、バスの運ちゃんも可愛そうだ。
「まったくもう……やっぱ、和風ハンバーグカレーにすれば良かったわぁ」
「ゲテモノカレーだろうと幕の内だろうと、いきなり言われて直ぐに出来るか。60個も」
「だ〜ってウチの娘たち、ど〜しても陣ちゃんのお弁当じゃなきゃヤだっていうんだもん〜♪」
「だもんじゃねぇ。だったら予約くらい入れておけ」
まったく、飛び込みで幕の内風折り詰弁当、60個。
二人で作れる量じゃない。
今日はなんでも、源次の店の慰安旅行らしいのだ。
朝から、みょーにケバい服装が目に付くなぁと思ってたが。
まさか、全国から集まった、源次の弟子達とは思わなかった。
ちなみに源次はあれから、全国チェーンのゲイバーを開いた。
源次に徹底的に教え込まれた下品な弟子達が、この街に集まった訳だ。
「それをすぐ作るのが、陣ちゃんじゃな〜い。大将の名が泣くわよ♪」
「てめえ……それ以上騒ぐと、全員切り取って、ドライアイスに積めてお持ちかえりさせるぞ」
「ああ、それは出来ないわよ。もう付いてない娘も、居るからね♪」
「………………」
「あ、あなたぁ……店先でぇ、そういう会話はぁ……」
「……ああ」
隣りでは、早智子が苦笑いしながらかまぼこを切りだした。
最初はどうなることかと思ったが、今じゃすっかり板についている。
かまぼこだけに。
「な、なんでしょうぉ?」
俺の視線に気付いたのか、早智子が動きを止める。
まさか、俺の下らないギャグが伝わってしまったのだろうか?
「いや、なんでもない」
「あれは、なにか下らないギャグでも思いついた顔よ。ね〜、お魚ちゃんたち〜♪」
このオカマ、心まで読めるのか?
水槽のグッピーに指を当てながら、源次が嫌な笑いを浮かべた。
事業は成功させる、政財界にまでコネクションは持つ、相変わらず胸毛は濃い。
嫌なオカマだ。
最近はオカマの事を、ニューハーフなどと言ったりするが……。
やっぱり源次は、オカマである。
この街で、一番愛されているオカマ。
俺は愛してなど居ないが。
愛してなどは居ないが……。
俺と早智子の結婚のときや、美帆のことなどで色々世話に成ったので、尊敬はしている。
「あなたぁ、ご飯、炊き上がりましたぁ」
「ああ。じゃ、俺が詰めるから、早智子は袋詰めしてくれ」
「解かりましたぁ」
「揚げ物まだ熱いから、気をつけてな」
「はいぃ〜♪」
「…………あのね。いちゃついてないで、早くして欲しいんだけど。熱海につくの、夜中に成っちゃうでしょ」
「い、いちゃついてなんかぁ、いませぇん〜」
顔を赤くして抗議する早智子。
いつまで経っても、こう言ったからかいには慣れないらしい。
……いつまで経っても、か。
ふと、店の暖簾越しに見える空を見る。
鮮やかな青空。
あれから、色んな事があった。
親父やおふくろは、俺の手で解決しろと言って、手助けしてくれなかったが。
その分、いろんな人に助けられた。
辛いことも有った。
泣かしたことも有った。
それでもなんとかふんばって、ここまで転がってこれた。
別にそんな気が有った訳じゃないが……。
高校を卒業した早智子は、手の足りない弁当屋に就職してくれた。
高い給料なんかは出せなかったけど。
それでも笑って、働いてくれている。
俺も高校卒業して、弁当屋に専念した。
いつのまにか、早智子が傍にいないことが考えられなくなって。
俺達は結婚した。
そして………………。
「どうしたのぉ、あなたぁ」
「ん、いや。そろそろかと思って」
「あぁ〜。そろそろですねぇ」
「そろそろよねぇ」
『ワッセッ、ワッセッ!』
街に響く、野太い声。
きやがった。
毎週土曜日になると、道の向うからやってくる集団だ。
なんでも最近、名物になってるらしい。
迷惑なことこの上ないが、一応お客だ。
余り邪険には出来まい。
「ほらほらー! 声が小さい!」
『オッス』
「近所に、あいさつを忘れんなー!」
『チワッス!』
…………………………。
迷惑なこと、この上ない。
普通の商店ならいざ知らず、ビルから出てくるサラリーマンが挨拶されて、どうなると言うのだろう?
この間も買いに来たサラリーマンに問われて、答えに困ったものだ。
しかしこの辺りも、すっかり様代わりした。
「よーし、とうちゃくー!」
そう言って暖簾を掻き分けて出て来たのは…………。
「陣太、腹減ったっ!」
美帆だ。
あのチンケだった美帆は、身長も手足も伸びて、すっかり大人の体型になった。
体型は、だ。
「ん? どうした陣太?」
「なんでもねえよ。てゆーか、呼び捨てるんじゃねえ」
「陣太は陣太だ。陣太は可笑しなこと言うなぁ。なぁ、陣太」
わざとだな。
軽くあぶって、ポン酢と大根おろし掛けて、刻みネギ乗っけるぞ、こんちくしょう。
「陣太、客引きして来たぞ。なんでも良いから弁当、15個」
「なんでも良いって注文が有るか」
「あら〜、アタシの方が先よ、美帆ちゃん」
「あ、まだ居たのか、オカマ。旅行に行ったんじゃなかったの?」
「聞けよ」
「ちょっと美帆ちゃん! オカマって言わないで!」
「オカマはオカマだ」
「きぃ! 妹のしつけ悪いんじゃないの、陣ちゃん!」
「俺はそいつを……」
「従業員に手を出すような男に、しつけられた覚えは無い」
「美帆ぉ!」
ああ、もう大騒ぎだ。
道ゆく人も、笑ってこっちを見ている。
サラリーマンやら、近所の人やら。
みんな笑ってる。
この街の住人。
いつもと同じ笑顔。
「陣太、弁当出来るの、結構掛かる?」
「ああ」
「よーし、じゃあお前等。弁当出来るまでの間、向う30軒両隣まで、掃き掃除はじめー!」
『ウイッス!』
何故か美帆は、学園で権力者らしい。
まあわりと可愛いし、なによりオカマから教わった人心掌握術が物を言っている。
今歩道を掃いている奴等は、運動部系の下僕なんだろう。
可愛そうに。
美帆なんかに惚れたら、一生こき使われるぞ。
早智子と一緒になった俺には解かる。
女はみんな、優しくて暖かくて強すぎるのだ。
「あなたぁ。早く作らないとぉ、オカマさんたちが暴動を起こしますよぉ」
「ちょっと早智子ちゃん! オカマって言わないで!」
「あ、ゴメンなさいぃ〜。オカマは死ぬまでオカマだってぇ、みさおさんが言ってたもんでぇ」
「あ、そうそう聞いた、源次?」
「ちょっと美帆ちゃん! 本名で呼ばないで!」
「まー、いいから。そのみさおさん、今日から一週間ほど、病院で寝泊りだって。子供連れて」
「またぁ? いーかげん飽きないわよねぇ。で、今度はなんだって?」
「さー? またいつもの、『公務員ですから』が、出たんじゃないの?」
「健ちゃんも懲りないわよね〜」
ここは井戸端か。
よっし、出来た。
はやく追い返さないと、オカマが暴れ出すからな。
大量の折り詰風幕の内弁当を袋に詰め、カウンターに放り投げる。
「出来たぞ源次。注文のオカ幕の内弁当、60個」
「きさんっ! 掘ったろかっ!」
それは恐ろしい。
「まーまー、源次。それは後のお楽しみにしといて。お土産待ってるから。大量に」
「…………やっぱ、陣ちゃんの妹よねぇ」
「義理だけどな」
そう言って源次は、大量のコインをカウンターに置いた。
こう言う時くらいは札で出せよと思うが、これがこの店のルール。
弁当一つと、1枚のコインを交換。
いつまでも変わらない習慣。
多分、この街がこの街で有る限り。
俺達が俺達である限り、ずっと変わらない。
変わらない。
変わらない。
変わっていくことすら、ずっと変わらない。
泣いたり怒ったり笑ったり。
変わらない。
ずっと変わらない。
「さて、次はあいつ等の…………っと、その前にっ!」
美帆が指で、コインを弾いた。
1枚のコイン。
変わらない。
あの頃と変わらないままの笑顔で。
誰もが変わらない。
変わっていくことすら、変わらないままに。
転がり続ける、1枚のコイン達。
「じんた、めしっ!」
しあわせに。
END
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とまあ、ここまで読んで頂いてありがとうございます。
作品に後書き書くのも、すげーひさしぶりのkyonです。
約一年ぶりの『ワンコイン』続編。
如何でしたでしょうか?
この作品は、友達の小野寺秀人のHPに送りつけた『ワンコイン』の、その後の話し
になります。
実は『ワンコイン』を書いたとき、この話しのプロットは出来上がってたんですよ。
でも余りに長くなりそうだったから、止めたんですね(笑)。
つまり『ワンコイン』と、この『ワンコイン・2―――しあわせに―――』でワンセット。
まさに完結版ですな。
タイトル見た瞬間、最後の一文は読めたでしょうが(笑)。
最近色々あって。
主に、俺の心の問題ですが(笑)。
まず、やりたいことからやっていこう、と。
書き続けていけば、なにか見えることも有るんじゃないかと。
別に、お金にならずとも(笑)。
ではここまで読んで頂いて、本当にありがとう御座いました。
またお会いできたら嬉しいです。
みんなが元気でありますように。
2004・3・10 kyon
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