静流(しずる)康哉(こうや)を置き去りにしつつ、俺は家へ続く道を歩いていた。
 無駄な時間、食ってしまった。
 まあ、今晩のオカズを手に入れたと思えば腹も立たない。
 ある意味、狩人な俺。
 まさか静流がオカズになるとは、夢にも思わなかったが……。
 アイツ……成長したなぁ♪
 昔はただの鼻水たらしたガキだったのに……って、俺もそうか。
『仕事』で行ってた家じゃ常に監視カメラが光ってたので、おちおち自分で処理する事も出来なかったから
 なぁ。
 家の構造を調べたときに見つけた覗き穴くらいしか、オカズもなかったし。
 青少年にはきつい仕事だった。
 ま、今晩から思う存分………静流で?
 かなりヤなんだけど、あの感触は捨てがたいなぁ♪
 かなり柔らかかったし……最後にアイツが見せた表情……。
 あれ、OKって事なんじゃないッスか?
 つーか、知り合いをネタにするのは、何と無く罪悪感が……。
 なんて下らないことを考えながら、家に続く海岸沿いの坂道を登っていく。
 俺の家は海岸のすぐ脇にある、古い日本家屋だ。
 でかいだけが取り得の、ぼろい家。
 もうすぐ見えて来る筈の家を思って、少しブルーになる。
 少しずつ道の脇に立っている、細い枝を着けた松の木が増えてゆく。
 子供の頃から、鬼ごっこやかくれんぼに最適だった松林。
 その中でも、特に太い松の木が目に止まった。
 ああ、懐かしい〜!
 この太い松の木に、静流とか括り付けて遊んだっけなぁ。
 泣き叫ぶ静流。
 怒り狂う康哉。
 優しく微笑む茉璃(まつり)ねーさん。
 逃げ惑う俺。
 懐かしくて、美しい思い出だ。
 少しずつ、家に帰ってきた実感も湧いて来た。
 あのカーブに差し掛かれば、俺の家が見えてくるはずだ。
 帰ったら先ずは親父に色々なことを報告して、それからゆっくり休もう。
 百地(ももち)の仕事の事。
 もう一つの『仕事』の事。
 ゆっくり休むのはそれからだな。
 裏山に有る温泉に入るも良いな♪
 海が近いせいか、裏山の温泉は少しだけ塩っ気が強い。
 入ってくるのは猿とか、鹿のたぐ……………………………い?

「な、なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 目の前に広がる光景を見て、俺は思わず走り出した。
 カーブに差し掛かった瞬間、俺の見たもの………
 なんか丸太で出来た、ピンクのログハウス調の家。
 二階建て。
 その場所に立っていたのは、俺の家だったはず………。
 頭の中で俺の懐かしい家のイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていった。
 まさか………人手に渡ったのか?
 いやいや、そんな筈は無い。
 仕事を終わったと告げたとき、連絡役は何も言ってなかった。
 つーか、なんか含み笑いしてるとは思ったのだが………こーゆー事か………。
 目の前のピンク色の家の前に架かる、『ペンション大巨人(だいきょじん)』の看板。
 間違いない。
 この馬鹿げたセンスは、トボケた親父の物だ。
 俺の居ない五年の間に………五年って長いんだなぁ。
 そりゃあの静流も女の子っぽくなりますわ。
 あの古い日本家屋が、こんなにもファッショナブルに生まれ変わるなんて♪
 ………………納得できるかぁ!!!

「あの………くそ親父………」

 ナニが、ぺんしょんだいきょじんだ。
 つまらねーこと、この上ない。
 俺だったらもっとナイスな名前を付ける。
 そーねー……例えば………って違うぞ、俺!
 今ショックを受けるのは、ネーミングの事じゃねぇ!
 下らない事を考えながらも、脱力感で膝を着く。
 お袋に買ってもらったサンドバッグも、ドサリと言う音を立てて着地した。
 目の前に広がる地面。
 どー言った事情が有るのかは知らんが……俺たち家族の家を……コロす!
 俺の全身全霊をかけて、大巨人狩りだ!
楯岡(たておか)』の技術をフル動員して………。

「ぽんぽん♪」

 親父をコロ………す?
 膝を着きうな垂れている俺の肩を、柔らかい何かが叩いた。
 が、俺はそれどころじゃねー。
 地面を見詰めながら、親父の抹殺計画を練らねば。
 なんだったら、二十年ローンで百地の人員を借りても良い。
 百地に仕事を依頼すると高いからなぁ。
 俺のところまで回ってくる禄は少ないが。

「………ぽんぽん♪」

 また肩を叩かれる。
 つーか、この『ぽんぽん』って擬音は何だ?
 女性の声のようだが、どこか訛っている感じの………。

「旅の娘サン♪ 持病のシャクですカ?」

 俺の頭上から、英語で訛った感じの女性の声が聞こえてきた。
 いわゆるソプラノボイスってやつだ。
 俺は頭を上げずに答えてみる。

「………娘って………娘に見えんのか、俺?」

 俺の体形は185cmの75kg。
 上下デニムに、刈り上げた髪型。
 別に乳が有る訳じゃない。
 どっからどー見ても、娘さんには見え辛い。
 多分。

「見えまセン♪」

 やっぱり。
 弾んだような楽しげな声。
 その声が、俺の感情を逆なでする。
 心を冷静に落ち着けろ、俺。
 頭の中で、声の主を必至に検索する。
 この声の主は………知らない筈だ。

「でハ、持病のシャクサンですか?」
「………人の名前を勝手に決めるな!」

 俺には一応、大河って格好良い名前が有るのだ。
 ま、とらとか呼ぶ奴も、二人ほど居るけどな。

「でハ、なぜ地面を見詰めて居るのですカ? TVではこういうとき、持病ダト言ってましタ♪」

 変なテレビ、見てんじゃねーよ。
 つーか、今時そんな時代劇って有るかぁ?
 時代劇なんて見ないから解らん。

「放って置いてくれ………今、人生で二番目くらいに落ち込んでいるんだ……」

 顔も上げずに、そう答える。
 頭上の声は、

「そデスか♪ じゃ、ごゆっくり♪」

 そういって俺の傍を離れ………たのだが、気配が戻ってきた。
 視界の端っこに映る白いサンダル。
 細くて白い足の指。
 ピンク色の爪。
 美人………な足だ。

「ぽんぽん♪」

 綺麗な足の持ち主の気配は、俺の肩を叩いて離れていった。

「……………………」

 なんだったんだ?
 俺は頭を少しだけ上げてみる。
 視界の端に映る、白い色の長いスカート。
 上下繋がってるってことは、ワンピースってジャンルの服だろう。
 寒くないのだろーか?
 もう既に雪は解けてるとはいえ、この地の気温はまだまだ低いのだが……。
 髪の毛も白かった。
 白くてフワフワした、ロングの白髪。
 大きなオレンジ色のリボンが、頭の上を飾っている。
 白い髪が潮風にひるがえって……去っていった。
 総合的に推測すると……多分………異人さん。
 赤い靴を履いてないのが幸いだった。
 もし履いてたら、連れてかれちゃうからな。
 ……………ホント、なんだったんだ?
 叩かれた肩が、少しだけ熱い。
 白い後姿は……もう見えなかった。














                    第二話   『……刃の下に……』











「さて………」

 膝の土を払いつつ、腰に力を入れて立ち上がる。
 目の前には、ピンクのお城『ペンション大巨人』。
 低いレンガ塀に囲まれている。
 巨人の居城にしては、あまりにもファンシーすぎる作りだ。
 頭痛がしてきた……。
 さっきまで気付かなかったが、ペンションの脇には古い道場が残っている。
 俺が小さな頃から修行してきた道場。
 どっちかってゆーと、道場の方を潰して欲しかったぜ。
 この道場には、辛い思い出しかないからなぁ。
 泣いても喚いても、親父もお袋も容赦しなかったっけな。
 茉璃ねーさんの膝に抱きついて、ワンワン泣いたもんだ。
 茉璃ねーさんの良い匂いが、頭の中に蘇る。
 俺の、初恋の人。
 ………ま、それはひとまず置いとこう。
 あのトボケた親父を成敗せねば!
 ペンションの入り口に続く白い階段を、重い足取りで登る。
 ピンクの扉に設置された可愛い感じのカウベル♪
 ……イラつく!
 せっかく静流の乳など揉んで、気分爽快になったのに。
 電車の中で感じていた、イライラした気持ちが蘇る。
 つーか、増幅されている。
 あーのクソ親父………いったい何考えてやがんだー!
 扉を右手で思いっきり開けて、中に飛び込んでいく。
 気持ち的には、遠い国の特殊部隊のノリで。

「親父! 何処だ! 出てきやがれ!!!」

 入ったと同時に、魂から叫んでみる。
 こんなに怒ったのは久し振りかもしれねーな。
 俺は普段温厚なので、あまり怒る事は無いのだが……。
 しかし俺の叫びに答える者は居なかった。
 店内は、これでもかと言わんばかりの少女趣味。
 窓に飾られたピンクのレースカーテン。
 白いテーブルに、水色のクロス。
 勿論、椅子も白いね♪
 ……何のつもりか知らんが、カウンターまで作ってやがる!
 ペンションってゆーよりは、喫茶店みたいだ。
 そんな少女趣味の店内に、何故か『ラーメン始めました♪』の張り紙。
 かなり異質な感じだ。
 思わず、

「……始めんなよ」

 とか突っ込みたくなる。
 つーか、突っ込んだ。
 大して広くは無いが……ま、統一感は有るインテリア。
 少女趣味に統一されてるとしても。
 ………つーか、なんで誰も出て来ない?

「おぉやぁじぃ!!! 隠れてねーで出てきやがれ!!!」

 再び叫んでみる。
 白だのピンクだのが氾濫してる、居心地悪い店内に流れる俺の怒号。
 んでも答えるものは……。

「良く来たわね………」

 ビクゥ!
 ………居ました。
 突然背後から掛けられたハスキーな声に、肩が10cmくらい上がる。
 全然気配が掴めなかった。
 怒りは感覚を曇らせるというが……そんなレベルじゃない。
 全く人の気配がしなかったのだ。
 俺は恐る恐る振り返ってみる。
 そこには……なんつーか………黒い女が立っていた。
 黒いスタンドカラーのブラウス。
 引きずりそうなくらい長い、漆黒のスカート。
 真っ黒で長いストレートの髪。
 なんか………怖っ!

「………早く座りなさい………」

 女は窓際のテーブルを指差した。
 あまりの衝撃に、俺の毒気は完全に抜かれてしまっている。
 さっきまでの怒りが、何か別の感情に変わっていた。

「………聞こえないの? 座りなさい………」

 再び女が、窓際のテーブルを指差した。
 女の声が、暗い深淵(しんえん)からの呟きのよーに聞こえてくる。
 思わず拳を握ってしまう。
 これは………俺、怯えてるのか?
 今までの実戦で得てきた経験が大合唱を奏でる。
『危険』の唄を。
 今までの記憶をフル動員して、対処法を探す。
 ………打つ手なし。
 人は異形(いぎょう)と出会った時、ただ呆然と立ち尽くすという。
 今の俺は、まさにそんな感じだ。

「………どうしたの? 座りなさい………」

 女が何の抑揚(よくよう)も無い声で呟く。
 この俺が………気圧されているとは。
 俺は口の中に溜まった唾液を飲み込んで、なんとか呟く。

「こ、ここっ……ここに俺の……」
「座りなさい」
「はい」

 俺のどもった台詞を遮った女の呟きに、思わず素直に従う俺。
 慌てて白い椅子を引いて、慌てて腰掛ける。
 既に春だというのに、俺の体内温度は極寒だ。
 自分の家に帰ってきて、なんでこんな目に……。
 いや、そもそもここは、俺の家なのか?
 考えてみれば看板に『大巨人』の名前が有っただけで、別に親父が改築したとは決まってない。
 ……もしかしたら俺の家は、本当に人手に渡ってしまったのかもしれない。
 親父が賠償モンの失敗をして、それで家を売却。
 ………それじゃ看板の説明が付かない。

「………注文は?」

 ビクゥ!
 突然目の前に置かれたコップにビビって、またもや肩を10cmくらい上げる俺。
 肩こりが解れて良いカンジ♪
 ………じゃなくて!
 俺は椅子に座ったまま、黒い女を見上げた。
 女はなんか蔑んだ目で俺を見下ろしている……気がする。
 普段の俺だったら怒るところなのだが………。
 何故かビビる俺。

「………注文は?」

 女が先ほどと同じ台詞を呟く。
 俺は自分の喉が渇いていくのが解った。
 恐怖。
 そう言ってもいいと思う。
 物理的、心理的な恐怖じゃない。
 もっとなにか別な………言い知れぬ不安とゆーか……。

「………聞こえないの?」

 俺と見詰め合ったまま、黒い女が呟いた。
 いや、聞こえてるけどさ……。
 別に飯食いに来たんじゃないんだよな、俺。
 何の感情も持っていないような、無表情な女が三度呟いた。

「………注文は?」
「いや、俺、飯食いに……」
「注文は?」
「ラーメンお願いします」

 俺の質問を遮った女に対して、思わず頭を下げてしまった。
 なんか魂が折れた感じ。
 負けたようで、かなり悔しい。
 つーか、負けてるぞ、俺。

「………解ったわ。味噌ラーメンね」

 黒い女が、背を向けた。
 思わず俺は、いつもの感じで言ってしまった。
 しかし、それは言うべきではなかったのだ。
 言うべきじゃ無かったよ、お袋。

「んにゃ、醤油」

 俺の台詞を聞いて、立ち去ろうとしていた女が立ち止まる。
 振り向かないのだが……身体から、なにか黒いもやのような物が見えた気がした。
 禍禍しいオーラといえば良いのだろうか?
 思わずジャケットの内側にある苦無(くない)に、戦闘意識を集中する。
 先に動かないと………殺られる………。

「………何ですって?」

 え?
 俺、なんかまずい事言った?

「今……なんて言ったの?」
「なんて………って?」

 振り向かない女の気配が膨れ上がる。
 これは………なんだ?

「今、何ラーメンって言ったのかしら?」

 あ、そういう事ね。
 聞き逃しただけか。
 ホッと胸を撫で下ろした。
 しかし、ラーメンの種類を聞き逃しただけで、そんなに恥ずかしがらなくて……。

「醤油」
「………醤油? 醤油ですって?」

 ……も……って、どうやら違うみたいです。
 殺気というか、邪気というか……。
 んと………怖い♪

「貴方、ここを何処だと思っているのかしら?」

 どこって………俺の家。
 もしくは俺の家の跡地。

「この雄大な大自然に囲まれた、本場名産の味噌ラーメンを食さないつもりなのかしら?」

 ……一理有るような無いような。
 つーか、俺、醤油の方が好きなんだよね。
 一番好きなのは、ケチャップの掛かったオムレツなんだけど。
 んでも最近、美味いオムレツって食った記憶無いなぁ。
 なんか昔、すごーく美味いオムレツを食った記憶が……。

「……死に値するわね」

 ……あるんだけど……。

「……って、一寸待てぇい!」

 女の台詞に、思わずカチンと来る。
 何でラーメンの種類ごときで、死を宣告されなくちゃならねーんだ!?
 俺の台詞に、女がゆっくり振り向いた。
 さっきと同じ、無表情な白い顔。
 だが、先ほどとはあからさまに違う感情が読み取れる。
 その感情の名は……殺意。

「私に突っ込むなんて、良い度胸ね……何故私に突っ込むのかしら?」

 振り返った黒い女が、静かに呟く。
 ここで負けて成る物か。
 丹田に力を込めて、気合を入れる。
 何と無く、その時点で負けている気もするが。

「気が短いのに、突っ込む理由まで覚えてるか!」
「………気が合うわね」

 え?………って怖っ!
 なんか何処となく微笑んでいるよーに見えるのだが、その表情が……怖っ!
 つーか、オマエとなんか、絶対気なんか合わねー!………です。
 何故か心の中ですら、敬語になる俺。

「私も………気が短いのよ………」

 女の呟きに、背筋まで凍った気がした。
 このままだと………魂が抜かれる。
 醤油ラーメンを注文したせいで。

「……注文は?」
「味噌ラーメンお願いします♪」
「解ったわ………」

 精一杯可愛く言った俺の注文に満足したのか、黒い女は再び振り返って去っていった。
 負けた。
 負けたよ、お袋。
 この俺が………負けた。
 悪魔と契約した学者って、こんな気持ちだったんだろうなぁ。
 身体中を蝕む敗北感。
 これと言うのも………そいえば、親父のことをすっかり忘れていた。
 気が付けば、握った拳の中が汗だくだ。
 デニムの上着で、汗を拭く。
 なんか生死の境目にいた気がするな、俺。
 喉がやけに渇く。
 俺は目の前の水に手を伸ばした。
 何と無く飲むのがヤだったが、まさか毒なんて入ってないだろう。
 毒殺される覚えなんて……あの黒い女には無いし。
 他の女にだったら有るけど♪
 俺はコップの水に唇をつけ、一口飲み干そうと……。

「………お待たせ」
「ぐはっ!」

 コップの中で、水が逆流。

「………何をしてるのかしら?」

 呟いた女と、目の前に置かれた味噌ラーメンを交互に見る。
 訝しげな瞳と、思わず見詰め合ってしまった。

「………なにかしら?」
「なんか……やけに早くない……スか?」

 何と無く敬語で訊ねてしまう。
 さっき注文してから、一分と経ってないはずだ。
 しかも近寄られた気配に、全く気付かなかったぞ!
 俺の腕……鈍ったんじゃね―だろーな。

「………早く食べなさい」

 女は静かに呟いた。
 質問には答えてもらえないようです。
 俺は諦めて、テーブルの味噌ラーメンを見詰めた。
 普通の味噌ラーメンと、どこか違う。
 色が………黒い。
 イカ墨でも入ってるかの如く、黒い。
 別に黒い格好してるからって、ラーメンまで黒くする必要はねーだろ。
 黒味噌なんて味噌、有ったっけかなぁ?

「………早く食べなさい」

 黒い女が、再び呟く。
 そのあまりの抑揚の無さが、かえって怖いっス。
 俺は無言のまま、箸を割って味噌ラーメンに突き刺した。
 グニュ。
 ………ヤな感触だ。
 そのまま俺は、麺を持ち上げる。
 なんだか固まりのまま、麺が箸に着いて来た。

「………………」

 本当はこのまま店を去りたいが、黒い女の視線がそれを許してくれないらしい。
 俺は覚悟を決めて、麺を口の中に放り込む。
 数回咀嚼(そしゃく)した後、涙目で飲み込んだ。
 すげー食感と後味。
 表現し辛い。

「………やっぱりな」

 思わず呟いてしまった。
 俺の台詞聞いた女が、俺を見下ろすよ―に訪ねてくる。

「何が………かしら?」

 いや、これ以上のコメントは避けさせていただきます♪
 つーか、異常に不味い。
 箸で恐る恐るラーメンを分解してみる。
 気持ち的には、腕利きの爆弾処理班のノリで。
 神のごとき腕を持つ、超医者(すーぱーどくたー)でも可。
 何も……おかしな物は入っていない。
 もしかしたら異形の何かが入っているのかとも思ったのだが。
 どーやら見知らぬ食材は入っていないようだ。
 つ−ことは、普通の食材でこの味を出してる、と。
 恐ろしい腕だ。
 この女一人で、世界の軍事バランスが壊れるかもしれない。
 まさに最終兵器。

「………どうして食さないのかしら?」
「いや、食いますとも♪」

 そう言いながら、涙目で箸を動かす。
 グニって感触が、俺を涅槃(ねはん)に誘ってる気がする。
 お袋に会うのも、そう遠い事ではなさそうだ。
 一口すすると、口の中に広がる悪味。
 背筋まで凍りつくような感覚。
 俺はそれらを我慢して飲み込んだ。
 こーゆーとき、心から思う。
 ああ、俺、忍者に生まれて来て良かった、と。
 本来、忍者の任務は影に潜ること。
 諜報と謀略が主たる任務。
 その為には、長い期間潜伏するなんて事はありがちだ。
 ターゲットがそこを通るまで、気配を殺して潜まなければならない。
 今でこそ野山で潜伏……なんて事も少なくなったが、それでもそういった任務が無くなった訳じゃない。
 空腹で動けなくなる事を避けるために、毒草を承知で腹に収めることも在るのだ。
 毒は耐えれば、やがて中和できるから。
 俺はまだ無いが、先達方の中には自分の指や肉を食らって任務を遂行した強者も居るのだ。
 しかし、それを誇る事は無い。
 忍者と言うゆーものは、そーゆーものだから。
 そんな心構えを胸に、俺は目の前のラーメンを処理していく。
 耐えるのだ、大河(たいが)
 自分の腕に塩かけて食うよりは………食った方がマシだな。
 本当は目の前の味噌ラーメンを破棄したいが、黒い女がトレーを持ったまま仁王立ちしているので、それも
 不可能。
 俺はしかめっ面しながら、苦行のような食事にチャレンジする。
 忍者って辛いね、お袋♪





  カランコロ〜ン。
 俺が地獄のよーなラーメンに挑んでいると、背後でカウベルが鳴り響いた。
 因みに俺が仕事で行ってた町には『地獄ラーメン』なるラーメン屋があったが、ここは正にラーメン地獄だ。
 食っても食っても減らないラーメンの前での贖罪(しょくざい)
 俺、前世でさぞかし悪いことをしたのだろう。
 謝るから許してください♪

「あ〜〜〜! 居たぁ!」

 背後で可愛らしい女の子の声が聞こえた。
 俺の正面で仁王立ちしていた黒い女も、その声に反応する。

「……お帰りなさい、緋那(ひな)

 黒い女が呟いた。
 が、俺はそれどころじゃねー。
 この黒い味噌ラーメンを早く処理して、この地から逃げださねば。
 もう俺の故郷だの、親父の事だのどーでもいい。
 早く黒い女の視線から逃れたい……。

「ただいま、お姉ちゃん♪ ………って違うの〜」

 そうだ!
 爽やかにこの家を逃げ出して、茉璃ねーさんの所に逃げ込もう。
 茉璃ね―さんのことだ。
 苦笑いしながらも、俺を優しく迎えてくれるに違いない。

「………どうしたの?」

 もしかしたら……18禁の展開も有るかもしれない♪
 初恋の人が、童貞を捧げる人か。
 なかなかドラマチック。
 しかし、不味いなぁ、このラーメン……。

「お兄ちゃんを待ってたんだけどね。駅に居なかったの〜」

 ここまで不味い食物に遭遇した記憶が無いぞ。
 親父と山篭りしたときに食った熊の生肉ですら、ここまでじゃなかった。
 ある意味、未知との遭遇を果たしている俺。
 ドンブリの中に在るのは……宇宙。
 この世の中には、まだまだ科学では解明出来ない何かが有るんです。

「ってことで♪」

 なんて、心霊番組のナレーションを入れて、強引に幕を下ろそうと思っている俺。
 現実逃避もいい加減に……。

「お〜か〜え〜り〜な〜さ〜い〜♪」
「ぐはぁ!」

 突然背後から首を締められる。
 細くて白い腕が、的確に気道と頚動脈を閉めている。
 良い極枝(きょくし)だ。
 因みに極枝とは、陰忍(いんにん)の中の関節技の事を指す。
 特に背後からの極枝は、捕縛の際の重要な技だ。

「初めまして〜、お兄ちゃん♪」

 可愛い声が耳元から聞こえる。
 捕縛って意味では、俺の両腕がフリーなのがマイナスポイントだが、この締め技なら問題は無いだろう。
 数秒で落とせるから♪

「……………お兄ちゃん?」

 目の前の黒い女が、(いぶか)しげに呟いた。
 視界が赤く染まる。

「そだよ♪ ね、お兄ちゃん♪」

 耳元で何かが呟いてる………。
 視界が黒く染まってゆく。
 って、落ちちゃ駄目だろ、俺。

「お兄ちゃん? 後、数秒で絶命しそうな、その土気色した生き物が?」

「………え?」

 耳元で驚きの声が、きこえ、きこ………。
 聞こえてくる〜♪
 ああ、お袋……そこに居たんだね〜♪
 会いたかったよ〜………。

「きゃぁ!」

 突如俺の身体が、前方のテーブルに投げ出された。
 そのままラーメン丼に顔を突っ込む。
 あー……顔中で食っても不味いなぁ、このラーメン………。

「………なんて、知ってたわ。その生き物の正体を」

 ……………………。
 どっから突っ込んだらいいか解らないくらいボケ倒すなー!
 と突っ込みながら、俺は意識を失った。
 忍者刑事。
 殉職。
 音楽ぷりーず。





「つーことでだ」

 意識を取り戻した俺は、正面に座っている女二人を(にら)んだ。
 何がつーことかは解らんが。

「………なにが『つーこと』なのかしら?」

 同じ事を思ってる奴が居た。
 黒い女が、黒く突っ込む。
 しかしここで、話を混ぜっ返すわけにはいかねー。
 顔面の火傷と引き換えに、手に入れた話し合いの場だ。

「………先ず自己紹介しておこう。話はそれからだ」
「いいよ〜♪ んじゃまず緋那(ひな)からね♪ いいよね、お姉ちゃん?」

 正面向かって右の女の子が、にこやかに話し始める。
 ピンクのワンピースの女の子……ショートカットに八重歯の女の子が緋那、と。
 イチゴみたいな髪飾りが特徴、と。
 なんで頭の上に触角みたいな髪の毛が跳ねてるんだ?
 最近の流行なのだろーか?
 ピンクのワンピースの上に、白い長袖のカーディガンを羽織っていた。
 この寒いのに、その薄着とは……元気なこった。

「………じゃあ、その次は私……蓮霞(れんげ)ね」

 緋那の台詞を継いで、黒い女……蓮霞が話す。
 お姉ちゃんと呼ばれているって事は、この二人は姉妹なんだな。
 俺の知りたいことは、もう既に話してもらいました♪
 もう結構です。
 名前以外は重要項目じゃねーし。
 つーか、蓮霞……オマエ、わざとだろう?
 正面左に座った蓮霞は、俺よりも少しだけ年上っぽく見える。
 黒くも見えるしな。
 肌の色とかは白いんだが……なんでこんなに黒く見えるのだろう?

「そして俺が大河、と。以上で自己紹介を終わります」
「え〜?緋那、まだ何にも言ってないよぉ!」

 緋那が正面で頬を膨らませた。
 かなりのお子ちゃまだ。

「……私もまだ、告白していない事が山ほど在るわ……」
「……………………」

 聞きたくねー。
 そんな黒そうな告白なんて、聞きたくねー。

「実はお二人に、お聞きしたい事があります。いいですね?」

 学園の先生みたいな口調で、二人に話し掛ける。
 問題児を優しく諭す熱血教師のノリで。

「はーい♪」

 俺の台詞を聞いて、緋那が手を上げた。
 ピンクのワンピースの(えり)から、白い肌が覗く。
 だが……俺にお子ちゃま趣味は無い。
 前菜にもなりゃしねー。

「………どうして貴方が仕切るのかしら?」

 納得行っていないのか、蓮霞が苦々しく呟いた。
 だが、その表情は変わらぬままだ。

「ま、それは置いといて」
「置く〜♪」
「………置かないわ」

 意見が分かれました。
 だが、このままだと話が進まない。
 俺は敢えて、蓮霞の視線を無視した。

「では緋那に質問だ。お兄ちゃんってダレ?」

 緋那は俺のことを指差して、明るく笑った。

「お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ〜♪」
「俺はオマエのような妹を持った記憶を持ってない」
「……持っているのか持っていないのか、はっきりして欲しいわ……」

 持ってねーって言ってんだろ!
 だがここで突っ込み返すと、話がおかしくなる。
 我慢して話を続ける事に決定。

「なあ、緋那? なんで俺をおにーちゃんと呼ぶのか、その訳を説明してくれないか?」
 
 因みに俺は『人のことを名前で呼び捨てにする派』だ。
 勿論社会的に目上の立場の人間には、それなりの敬称を使うが。
 どんな人間でも、瞬時に呼び捨てる事が出来る。
 ……あまり意味をなさない能力だ。

「え〜? だってお兄ちゃんはお兄ちゃんでしょ?」

 緋那が首を傾げた。
 口の中で八重歯がきらりと光る。
 ま、可愛いっちゃ可愛いが……質問の答えには成っていない。

「……緋那の言う通りよ……お兄ちゃん……」

 ぐぁぁ!
 蓮霞の台詞に、背筋まで凍るような感覚を覚える。

「蓮霞……オマエはお兄ちゃんと呼ぶな……」
「あら、どうしてかしら?………………お兄ちゃん」

 くぉぉぉ〜……。
 こ、怖っ!

「……というか……馴れ馴れしいのね、貴方……」

 蓮霞が(うつむ)き加減で呟いた。
 尚も話し続ける蓮霞の瞳が……光った?
 黒髪の奥で、怪しく光る瞳。
 隣に居る緋那ですらビビってる。

「……私を呼び捨てる者など……居ないわ……」

 だが、ここで負けて成るものか!
 既に一回屈服した後だけどな。
 同じ相手に連続で負ける程、俺は甘くは無い!

「んじゃ、俺が第一号だ。光栄に思え♪」
「………この世にはね………」

 俺と蓮霞の台詞が被った瞬間、再び蓮霞の瞳が輝いた。
 思わず俺はツバを飲み込む。
 二人の間の空気が凝縮していく。
 ここで恐怖に負けては行けない。
 殺るか……。
 苦無(くない)程度で、この異形を倒せるとは思えない。
 ジャケットの背中裏に貼り付けてある(みさご)に意識を集中する。
 俺の忍具のなかで、一番の破壊力を持つ(みさご)……。
 俺がジャケットを跳ね上げ、蓮霞が衿に手をやる!
 戦闘開始だ!

「あ、あの〜……ほ、ほら、二人とも♪ せっかく会えたんだから、もっとニコってして、ニコって♪」

 ………………。
 緋那の台詞に、俺と蓮霞の動きが止まった。

「ね、ね♪ 二人とも♪ ………ケンカしちゃ……やだよぉ……うっ……ううっ……」

 緋那の瞳が潤んできた。
 見る見る間に、涙が盛り上がってくる。

「……わ、わかったわ……緋那……ごめんなさい……」

 お?
 蓮霞がうろたえている。
 なんか蓮霞の弱点を見たような気がした。
 妹には弱いんだな……。
 その蓮霞の恨みがましい視線が、俺をザクっと突き刺す。
 ………解ったよ。

「お、俺も……悪かったな、緋那」

 つーか、何で俺が謝らなくてはいけねーんだ?
 まだ何一つ重要な事を聞いていないのに。
 泣きたいのは俺のほーだっつーの。

「……もう……ケンカしない?」

 緋那の台詞に、俺と蓮霞は同じタイミングでコクコクと頷いた。 
 その瞬間、緋那の表情に笑顔が戻る。

「良かったぁ♪ 緋那、お兄ちゃんとお姉ちゃんがケンカするの、イヤだよ〜♪」
「………………」

 もしかして……意外に強者なんじゃなかろーか?
 泣き顔に騙されたのかもしれない………そんな敗北感を感じる。
 この街に帰ってきて、二勝二敗か。
 康哉をひれ伏せて、静流の乳を揉んで……。
 蓮霞に屈服して、緋那に騙されて。
 勝率、五割、か。
 野球選手だったら立派な成績だが……って、そーじゃねーよ!
 いつの間にか、緋那と蓮霞の存在を許容している自分に突っ込んでみる。
 俺って、こんなに突っ込み担当だっだっけかなぁ?
 久し振りに『俺』に戻ったんで、すっかり忘れちまった。

「良かった。みんな仲直りしたんだね♪」

 びくぅ!
 突然聞こえてきた野太い声に、思わず10cmくらい肩が上がる。
 今日一日で、俺の心臓に掛かった負担が懸念された。
 寿命……縮むなぁ……。
 声の聞こえてきた方向は……俺の横。
 窓の外からだ。
 激しく痛むこめかみを押さえて、窓の外を覗いてみる。
 そこには……男の胸が窓のフレームいっぱいに広がっていた。
 はみ出してんじゃねーよ。
 その巨体は紛れも無く、俺の親父だった。

「……何してやがる?」

 怒りを押さえながら、窓の外に問い掛ける。

「はっはっは。大河君の剣幕が怖くて、外に避難していたのだよ」

 ………………。
 もう、突っ込むのも疲れちゃった。
 このまま静かに眠りたいなぁ。

「あ、お父さん♪ ただいま〜♪」

 緋那が窓の外に向かって手を振る。
 ……って、お父さん?
 俺の親父が?
 ……緋那のおとーさん?

「お帰り、ひなぽん♪ 無事、大河君を連れてきてくれたんだね」

 ………ひなぽん……。

「ううん。緋那、お兄ちゃんを見つけられなくてね。駅前で回ってたの〜」

 ……………そっか。
 駅前で見た、クルクル回るピンク色の物体。
 あれは緋那だったのか。
 つーか、回ってて何か解決すんのか?

「んでね、仕方なくしょんぼりして帰ってきたら、お兄ちゃんが帰ってきてたの♪」
「そうだったんだね。緋那のお兄ちゃんは偉いね」
「うん♪」

 緋那が瞳を輝かせながら呟いた。
 親父と緋那の会話に、何と無く違和感を感じて首を捻る。
 ……なんだろう?

「……お兄ちゃん?」

 緋那の問いかけによって、俺はその違和感に気付いた。
 お兄ちゃん……か。

「……親父、ちょっと話が在る」
「何かな?」

 窓の外で、親父の胸が隆起する。

「……………取り敢えず中に入って来い………」
「はっはっは♪ 君は怒ると怖いから、このまま外で話を聞かせてもらう……」
「いいから入ってきやがれ、クソ親父!!!」

 俺の台詞を聞いて、緋那が怯えた表情を見せた。
 あ、やばいか?
 緋那はちょっと泣きそうに成っていた。
 蓮霞の方は別に何も変わっていないが。
 窓の外の親父は、

「僕は君の事を、そんなに口の悪い子に育てた覚えは無いよ」

 とブツブツ呟きながら、正面の玄関の方に回った。
 つーか、アンタに躾られた覚えはねー。
 子供の頃から、俺の修行以外は家に寄り付かなかったくせに。
 俺はお袋と……茉璃ねーさんに育てられたよーなもんだぜ。
 忍者としての俺を育ててくれた事には……まあ、ほんのちょびっと感謝はしてるけどな。







「さて、僕に話というのは何かな?」

 正面の扉から入ってきた親父が、誇らしげに胸を張った。
 なんでこんなに堂々としてやがるんだ?
 イライラする…………。

「……まず色々突っ込むポイントは在るのだが……取り敢えずこの娘どもの素性を聞いておこう」

 俺は痛むこめかみを押さえながら、正面に座っている二人に顎を流した。

「緋那だよ♪」
「………蓮霞」

 ………。

「自己紹介はもう結構です」

 二人を優しくたしなめる。
 悪戯をして叱られ項垂れている子供に、優しく微笑みかける母親のノリで。

「まあ、君の聞きたいことも解る。はっきり言うとね、僕は君の居ない間に、黙って再婚したのだよ。はっはっ
 は♪」

 ………この、くそ親父……。
 ナニ笑ってやがる……。

「俺は……聞いてない」

 親父のあっけらかんとした態度に、段々怒りが湧いて来た。

「俺は……聞いてない」

 同じ台詞を、もう一度呟く。
 俺は何も聞いていなかった。
『仕事』が終わるまで知らなかった。
 親父が再婚した事も。
 ……お袋が死んだ事も。
 俺の台詞に怒りが篭っているのが解ったのだろう。
 いつもなら親父のことを構って遊ぶのだが、今はそんな気になれなかった。
 俺の表情を見て、緋那も蓮霞も押し黙っている。
 その表情は暗い。
 基本的に、女の子の暗い表情を見るのは苦手な俺なのだが……今はそれどころじゃねー。

「説明……しろ」

 俺の呟きに、親父が喉を鳴らした。
 親父には解ったのだ。
 俺の『本気』が。

波夜(はや)が亡くなったのを知らせられなくて……済まない」

 波夜とは、俺のお袋のことだ。
 長い黒髪で……優しかった。

「……俺が聞きたいのは、そんなことじゃねぇ……」

 久し振りの、本気の怒りが台詞に篭る。
 お袋が死んだのを知らせることが出来ないのはしょうがないだろう。
 俺は仕事中だったからな。
 それは解っている。 
 俺だって忍者だからな。
 だが……。

「なぜ……再婚などした?」

 別に俺に黙っていた事が腹立たしい訳じゃない。
 じゃあ、何に怒っているのかと訊ねられても、答える事は出来ない気がする。

「………………それは」
「それは何だ!? なんだってんだよ!!!」

 テーブルを叩いて、その反動で立ち上がる。
 その音を聞いて、緋那の肩が震えた。
 が、そんなことも構わずに、正面に立って親父を睨みつけた。
 親父と俺の身長差は、40cmを越えてるので、俺からは親父の胸しか見えないが。
 久し振りで……本気で怒っていた。
 何に対してかは解らない。
 自分でも解っていない。
 だけど俺は、己の内から湧き出る怒りを抑える事が出来なかったのだ。

「………済まない」
「何、謝ってやがる!? 謝らなくちゃいけないことでもしたのかよ、ええ!?」

 親父の胸倉を掴んで、絞り上げる。
 といっても親父と俺の身長差で、俺は腕をかなり上に向けなくてはいけないのだが。
 構図的にはかなり間抜けだ。

「大河君……」
「何か言い訳してみろよ!それとも何か? 言い訳出来ないほど悪いことしたと 思ってんのか、ええ!?」

 親父の胸倉を掴んで怒りを吐き出しているうちに、俺は自分の怒りの正体に気付いた。
 俺は多分、親父とお袋に憧れていたんだろう。
 親父は厳しかったし、お袋も甘やかしはしなかった。
 だが……仲の良い夫婦だったと思う。
 ふと視線を合わした瞬間、微笑み合う両親が好きだった。
 あんな夫婦に憧れていたんだろう。
 そんな両親の元に帰って来たいと……思っていたんだ。
 その家庭は無くなっていた。
 お袋の死によって。
 親父の再婚によって……。
 俺の知らないところで、俺の知らないうちに……。
 大事だったものが失われていた。

「親父……何とか言えよ……言ってみろ!!!」

 俺の叫びに答えたのは……蓮霞だった。

「………私の父様も……貴方の母様と同じく………亡くなっているの……」

 俺は親父の胸倉を掴んだまま、蓮霞を見やった。
 蓮霞はその表情を変える事無く、淡々と話を続ける。

「……私の母様は……弱い人で……前の父様が帰ってこないと知ったとき………心が壊れそうになった
 わ。それを救ってくれたのが……同じく伴侶(はんりょ)を無くした……今の父様だった……の……」

「……あたしもおねえちゃんもね……何にも出来なかった。お母さんが壊れていくのに……何にも出来な
 かったんだよ?」

 蓮霞の台詞を、緋那が継いだ。
 緋那の瞳からは、大粒の涙が零れていく。
 きらきらと。
 俺は思わず親父の胸倉から手を離す。
 何故離してしまったかは……俺にも解らなかった。

「大河君……君に許してもらう事は出来ないかもしれない。ただ、一つだけ。僕は同情なんかで(さくら)と一緒に
 成った訳じゃない。お互いに必要だったんだ。刃の下に……お互いを置いたんだよ、大河君」

 親父が静かに呟いた。
 その言葉が、俺の胸に突き刺さる。

 







 ………………刃の下に……………。









  それは親父にとって……いや、俺にとっても重い言葉だった。
 それは……『楯岡』の命題だから。
 一生を掛けて答えを導き出す命題。

「そっか……」

 俺は全身を白い椅子の上に投げ出した。
 ファンシーな椅子ってのは、もの凄く座り心地が悪いぜ。
 俺の趣味じゃねーな。
 思わず全身の力が抜けていく。
 別に親父の答えに納得した訳じゃない。
 ………この部屋に広がるファンシーさに、毒気を抜かれただけだ。
 本当だ。

「大河君?」
「それでその母親は、ドコに居るんだよ?」

 親父の台詞も無視して問いかける。
 蓮霞と緋那が、お互い見詰めた後、俺の方を訝しげな目で見た。
 失敬な姉妹だぜ。
 こんなヤツラが、俺の姉妹に成るのか……。
 先が思いやられる。

「……お兄ちゃん?」
「まさか……貴方……母様に何かするつもりじゃ? ……いくら貴方でも……そんなことしたら……」

 本当に失敬な姉妹だ!
 俺の事、何だと思ってやがるんだ?
 ……って、お互いのキャラを把握するほど、時間は経ってないのか。
 ま、これからゆっくり解っていけばいいんじゃねーか?
 時間は有る……と思う。
 でもそんな台詞は言いたくねー。
 俺のキャラじゃないし。

「……息子が帰ってきて、母親に挨拶するのがそんなことか?」

 蓮霞にニヤ付きながら言ってみる。
 俺の台詞を聞いて、緋那どころか蓮霞も目を丸くした。

「……貴方……」
「………お兄ちゃん♪」

 何故か嬉しそうな姉妹。
 気恥ずかしい……。
 何故そんな台詞が俺の口から出てきたのかも解っていないしな、俺。
 多分……拗ねてる自分が格好悪いからだろう。

「あ、ありがとう大河君!」

 親父が膝を着いて、俺の手を握ってきた。
 膝を着いて、ようやく椅子に座っている俺と同じくらいの高さだ。
 大巨人が!

「うるせ! 手を握んな、気色悪い!」

 照れ隠しに、親父の顔面に蹴りなど入れてみる。
 親父は膝を着いたままの姿勢で、後ろに倒れた。
 おおっ、見事なブリッジ!

「あ〜、お兄ちゃん、酷い〜♪」

 緋那が嬉しそうに俺を非難した。
 俺の怒りが解けたと思っているのだろうか?
 ま、この場は無難に納めただけなのだ。
 それに……基本的に俺は、親父の決定事項に逆らえない。
 俺は、『楯岡』だから。
 そんな事情も、この二人の姉妹は知っているのだろうか?
 知ってるわきゃねーよなぁ。
 静流も茉璃ねーさんも知らない、俺のもう一つの名前。
『楯岡』の事を。

「……私の父様に、何をするのかしら?」

 緋那に続いて、蓮霞も俺を非難する。
 その呟きには、先ほどの怖さは無かった。

「うるせぇ! これはお前等の親父かも知れんが、俺の親父でも有るんだ!親父を蹴り飛ばしてナニが悪
 い!?」

 悪いに決まっている。

「大河君。僕は君を、そんな野蛮な子供に育てた覚えは無いよ?」

 ブリッジしながら親父が呟く。
 つーか、アンタに育てられた覚えは無い。
 野蛮な事を教えてもらった記憶は有るが。

「……自分の父様なら、蹴り飛ばしても良いのかしら?」
「良いに決まってるじゃねーか♪」
「……覚えておくわ………」
「……覚えておかないでくれないか、蓮霞君」

 俺と蓮霞の会話に、ブリッジしたままの親父が突っ込んできた。
 つーか、いい加減ブリッジ解きやがれ。

「あ、あは……あははっ♪」

 緋那が俺達を見ながら、満面の笑顔を浮かべた。
 その顔を見て、蓮霞も少しだけ柔和な表情を浮かべる。
 この場は、こいつらのこの表情を見れただけでも良しとしよう。

「ま、これから……よろしくだな」

 俺は二人の新しい姉妹に、笑ってみせた。

「うん♪」

「……そう……ね」

 満面の笑みを浮かべる緋那。
 どことなく戸惑っている蓮霞。
 ブリッジしたままの親父。
 何と無く面白くない俺。
 そんな俺達を、この部屋のファンシーな色使いが包んでくれた気がした。
 つーか……俺の趣味じゃねー。







END






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