………………………………………



 ………………………



 ………………

「報告せよ!」

 家の脇に残されていた道場の中で、俺と親父は対座(たいざ)する。
 緋那(ひな)蓮霞(れんげ)と親父との夕食の後。
 突然呼び出されたのだ。
 俺が帰ってきた本来の目的。
 親父への……いや、楯岡(たておか)道座(みちざ)への報告のためだ。
 正面であぐらをかいている親父の前で、俺は膝着いてた。
 親父は鎖帷子に朱色の額当。
『楯岡』の頭首の証、『朱鷺(とき)』だ。
 親父がこの装束を(まと)うとき、親父は親父で無くなる。
『楯岡』の頭首、楯岡道座だ。
 そして俺も伊賀崎大河(たいが)でなく、楯岡の忍びと成る。
 伊賀崎とは違う、もう一つの俺の顔。

「はっ!」

 俺は頭を下げた。
 因みに俺も忍装束を纏っている。
 普段伊賀崎として行動するときは私服なのだが、『楯岡』となれば話は別だ。
 真っ黒な忍装束。
 この黒装束は布の中に細い鋼糸(こうし)を縫いこんだ物で出来ており、防刃効果もある。
 かなり重いが、俺はこれを着て任務にあたって来たのだ。
『楯岡』として。

「かの地の政治家の、その暴挙を暴きました」
「そんな事は聞いておらん!」
「……………」

 そりゃそうだ。
 百地の仕事の内容なら、普段の親父にすれば良いんだからな。
 今は二人とも『楯岡』なのだ。
 だからって……怒鳴ることはねーだろ。
 親父は『楯岡』の扮装をすると、人が変わってしまう。
 つーか『戻る』のだろうが。
 本来の親父に。
 怖いったらありゃしねー。

「隷属していた『抜け草』三忍の、牙を折りました。復帰の見込みが無いのは確実です……」

 俺は静かに呟いた。











                    第三話   『絶対……許さない』











  百地から依頼されたのは、『政治家の暴挙を止めよ』ということだった。
 百地は昔から政権と共にあるので、その手の依頼が多い。
 今回はその潜伏の手段から、俺にお鉢が回って来たが。
 庭師の息子として潜り込んで、行動を監視されている庭師役の忍びに変わって、俺が動いた。
 五年も掛かっちまったけどな。
 だが百地からの依頼とは別に、俺にはもう一つの『仕事』が有ったのだ。
 政治家に仕えていた、闇の忍びを討つ。
 まあ正確にゆーと、仕えてるように見せて、実はその政治家を操っていた。
 その情報が在ったからこそ、俺の『仕事』は五年も掛かった訳だ。
 百地も知らない、闇の忍び。
 忍び自体が闇っぽいのにって突っ込みはナシだ。
 北日本中の忍びを纏めている百地ですら掴んでいない、忍びの集団。
 闇から権力者を操って、己等の目的のみを成し遂げようとしている。
 俺達『楯岡』は、その忍びの集団を討つために存在しているのだ。
 誰にも知られること無く。
 俺達『楯岡』はそいつ等を『抜け草』と呼んでいるが、本当の名前も有る。
 因みに『牙を折る』というのは、相手の戦闘力を削ぐ事だ。
 具体的には両腕の腱を斬る。
 つーか燃やす。
 繋がらないくらいにこっ酷く。
 別に殺しても構わないと思うのだが……。
『楯岡』は基本的に殺しはしない。
 ただ二度と、その忍術を使えなくするだけだ。
 一生。
 法治国家の忍者は辛いなぁ。
 殺した方が、後に憂いを残さないとは思うのだが。
 いくら『牙を折って』も、情報だけは残るし。
 むしろ恨みに思って、復讐のファイトを燃やす奴が出てくる気がする。
 しかし『楯岡』の掟で、殺しはしないことになっているのだ。
 その理由を尋ねても、楯岡道座は答えてくれない。
 答えてくれない事は……自分で考えるしかないって事だ。

「……初めてにしては、良くやった」

 俺のモノローグを打ち切って、親父が珍しく俺を誉めた。
 伊賀崎として誉められた事は有っても、『楯岡』として誉められた記憶は、無い。

「何か問いは有るか?」

 親父が口を開いた。
 俺の問いに答える事が、今回の報酬らしい。
 五年も掛けた仕事の(ろく)が、これだけか……。
 ショボすぎる。
 まあ、(ろく)がもらえるだけマシってことか。

「では……一つだけ……」
「うむ」
「……母の事を……」

 俺の台詞に、親父の肩がピクリと動いた。
 さっき緋那が作ってくれた夕食のときに、今の母親の話は聞かされた。
 新しいお袋も忍者で、今は百地の仕事についているらしい。
 もうすぐ戻ってくるとか。
『お兄ちゃんが戻ってきた事、まだお母さん、知らないんだよ〜』
 緋那が残念そうに説明してくれたのを思い出す。
 忍者だからしょーがねー。
 中には自分の母親が死んだってのに、知らされない奴も居るんだしな。
 忍者なんてそんなもん。
 ま、ともかく新しい母親の事は色々聞かされた。
 親父もそれは知っている筈だ。
 だから俺が問い掛けたのは、新しいお袋のことじゃないのも解っている筈。

「……貴様の母は死んだ」
「解っております」

 いつもの『楯岡』と違う、親父の苦々しい口調。
 話すのを躊躇(とまど)っているらしい。
 数分間の沈黙が流れた後、親父は重く口を開いた。

「……それ以外は無い」

 答える気はねーってことか……。
 だが親父は、俺がお袋のことを探るのまでは禁じなかった。
 もし俺がお袋のことを調べるのを、『楯岡』道座が禁じるつもりだったら……。
『関わるな』
 って言った筈だからな。
 そして『楯岡』の俺だったら、その命令を尊守するしかない。
 俺も『楯岡』なのだ。
 ちなみに俺の戸籍上の名前は『伊賀崎大河』。
 どこをどー調べても『楯岡』の名前が出てくることは無い。
 ………べつにどーでも良いか、そんなこと。

「そのかわり……別なことを教えてやろう」

 下らない俺の思考を遮って、親父が低く呟いた。
 五年も働いてきた部下に、何の(ろく)も無しではきついと思ったのだろう。
 つーか、それは酷い。
 どーせ現金で百地から支給された(ろく)は、親父の懐だろ―しな。
 もしかしたら、ペンションの改装費に廻されているのかも知れない。
 そーだったとしたら……むかつくなぁ。

「……大河。茉璃が()ちたぞ」

 ………ハイ?
 い、いきなりナニ言い出すんだ、このクソ親父!
 ま、茉璃(まつり)ねーさんが……()ちた!?







  忍者と言うのは、自分の私欲の為に動いてはならない。
 それはどの流派でも同じことだ。
 北日本の大多数の忍者をまとめ、全国に数千騎の配下を持つ百地ですらそうなのだ。
 忍者は影となるべき。
 その枠は絶対だ。
 もしその枠をはみ出して、その力を自分の欲望の為に使おうとしたら……。
 それは既に忍者ではない。
『楯岡』の敵となる。
 そのことを『楯岡』では()ちると言う。
 ………って、冷静に解説してる場合じゃねー。

「ま、茉璃ねーさんが……!?」

 俺と茉璃ねーさんは、昔からの幼馴染だ。
 静流と三人で、いっつも遊んでいた。
 海で。
 山で。
 家の中で。
 街の中で。
 松林で。
 春も。
 夏も。
 秋も。
 冬も。
 忍術の修行しか出来ない俺達を、茉璃ね―さんは優しく遊んでくれた。
 俺の事をとらと呼んだのも、茉璃ねーさんが最初だ。
 深緑色の髪の毛が綺麗だった。
 いっつも優しく微笑んで。
 何か有ると、俺や静流や康哉を抱きしめてくれて。
 強くて。
 優しくて。
 はにかんだ笑顔が、本当に綺麗で……。
 俺達の、本当のねーさんのようだった……。
 大好きだった。
 大好きだった。
 あの………。
 あの優しい茉璃ね―さんが……()ちた?
 信じられ無かった。
 信じたく……無かった。

 



「いま、茉璃の行方は解らん。百地の方でも探してはいるらしいが」
「……………いつです……か?」
「貴様が仕事に出て行った、次の日だ。もう五年にもなる」

 ………………。
 俺が仕事に行く日、茉璃ね―さんは見送りには来てくれなかった。
 俺の初めての仕事だと言うのに。
 勿論茉璃ねーさんは『楯岡』の事を知らないので、俺の不安な気持ちなんか解るはずが無い。
 だからしょうがねーっちゃ、しょうがねーと思っていた。
 まさかあの次の日、茉璃ねーさんが()ちたとは……。
 そーいえば、別の誰かが来てたよーな気が……。
 なんか手紙とか貰ったよーな気が……。
 拗ねてたので、あんまり良く覚えてないんだよなぁ。
 って、思考が乱れてるぞ、俺。

「何故です? 何故茉璃ねーさんが?」

 どーせ答えは帰ってこないと思っては居た。
 理由が解るってことは、そのまえに()ちる事を予測できたってことだからな。
 案の定、親父の答えは、

「知らぬ」

 だった。
 だが……。
 親父は何かしら情報を掴んでいる故に、茉璃ねーさんが『()ちた』と断言できている筈だ。
 でも、俺に教える気はない、と。

「知らぬが……()ちたからには『楯岡』の(まと)と成ったわけだ。心して置け」

 ……!?
 そ、そうか……。
 あの茉璃ねーさんが、的になったのか……。
 俺に茉璃ねーさんが斬れるのだろーか?
 片膝を着きながら悩んでいる俺に、親父がポツリと呟いた。

「貴様は、茉璃と仲が良かったな」
「………はい」

 俺と茉璃ねーさんは、生まれた頃からの付き合いだ。
 俺より二つ年上の茉璃ねーさん。
 伊賀崎と同じく、百地に隷属する忍者の家系……『望月(もちづき)』に生まれ 
 た茉璃ねーさんは、忍者の系譜が近い事も有って、よく俺と遊んでくれた。
 俺や静流の、本当の姉のようだった。
 勿論康哉も色々と世話に成っている。
 同年代の俺達にとって、茉璃ねーさんはみんなの『姉』なのだ。
 強くて……厳しくて……優しくて……面倒見が良くて。
 誰よりも忍者らしく、誰よりも忍者らしくない。
 そんな女の人だった。
 俺の初恋の人。

「斬れるか?」
「……………」

 親父の台詞に唾を飲み込む。
『百地一派』から別の忍者集団に移る事は、さほど珍しい事じゃない。
 百地ではそれを『抜ける』と言って、忌み嫌うが。
 北に百地あれば、西にも大きな集団が有る。
 小さな忍群を含めれば、この日本には10や20ではきかないだろう。
『抜ける』だけでは、俺達の的に成る事は無い。
 俺達の的は……天下を闇から操ろうとする集団なのだ。
 時代の影となり、存在してきた忍者とは異質の集団。
 忍者の手法と戦闘力を持ち、表の権力者を操る集団……。
 その忍群に隷属したとき、初めて『楯岡』の的となる。
 茉璃ねーさんは……()ちたのか……。

「……斬ります」

 どういった事情が在るのかは知らねーが、()ちたのなら……俺の的だ。
 『楯岡』で在る俺の。
 俺は茉璃ねーさんのかわゆい弟分のとらちゃんでは有るが……『楯岡』の大河でも在るのだ。

「………望月の茉璃……的と認しました」

 俺は一礼しながら呟いた。
 斬らなくてはいけない。
 あの茉璃ねーさんを。
 俺は……『楯岡』だから。
 俺の呟きに親父は、腕を組んだまま静かに頷いた。 

 

 





「ふぅ……」

 忍び装束を脱いで、ペンション『大巨人』の二階にあるベランダの手すりにもたれ掛かった。
 頭の中で、色々な情報が交錯する。
 百地の事。
 茉璃ねーさんの事。
 新しい家族の事。
 さっきの『楯岡』の話し合い。
 緋那の作った夕食。
 静流の乳の感触。
 ……………エヘ♪

「……どうしてニヤニヤしてるんだい?」

 びくぅ!
 色々なことを反芻する俺の背後に、いつの間にやら親父が忍び寄っていた。
 2mオーバーの巨体で、俺に気付かれずに接近するとわ。
 流石忍者だ。
 ま、俺が妄想に浸っていたせいも在るだろーが。

「……何でもねーよ」

 そう呟く俺の隣に、親父が歩み寄る。
 手すりにのしかかって、遠くの海を見詰めた。

「びっくりしたかい?」
「………何が?」

 俺も親父と同じ姿勢で海を見る。
 沖合いでは漁船の明かりが忙しく動いていた。
 もう10時だと言うのに。
 お忙しい事で。

「ひなぽんや蓮霞君の事。この家の事。……茉璃君の事」

 あ、そういう事ね。
 取り敢えず、親父が忍び寄ってきた事にはビックリしたかな。
 つーか、この年になって、ひなぽんはねーだろ、ひなぽんは……。

「まあ……な」

 驚かないわけない。
 一日でこれだけの情報を詰め込まれたんだ。
 五年て長いんだなぁ。

「……何か聞きたいことは在るかね?」

 ………どーせ答える気、ねーくせに。
 親父が『楯岡』の時に言った事は、普段でも答えてはくれない。
 それは嫌って程理解している。

「……そーだな……新しいお袋の事なんて質問はどーだ?」
「それなら答えるよ」

 それなら……か。
 つっても、あんまり知りたいことなんかねーんだよな。

「取り敢えず……初めてSEXしたときの体位は?」
「それなら普通の正常位だよ」

 躊躇(ちゅうちょ)なく答えるのかよ!
 自分で質問しておいてなんなんだが……知りたくねー。
 さっき夕食の時に見せてもらった、新しい母親の写真。
 その中に映った女性と、親父のSEXシーンを思わず思い浮かべてしまった。
 2mオーバーの巨人に組み敷かれる小柄な女性。
 ……ヤダヤダ。

「なんなら前戯から説明しようか?」
「………ヤメロ」

 親父のSEXシーンの描写なんか、死んでも聞きたくねー。
 冗談のつもりで問い掛けたのに。
 やはり親父は侮れない。

「それは残念だな。話したかったのに」

 ………殺るか?
 この恥知らずな親父を。
 この親父を殺って、俺が『楯岡』の当代に付くか?
 あの朱色の額当……『朱鷺』を我が物に……。
 『楯岡』頭目の証を……。
 だが俺の殺意をよそに、親父は静かに呟き始めた。

「……本当に悪かったね、大河君」
「何が?」
「……再婚の事……それから波夜(はや)の事」

 ああ。
 ちなみに波夜とゆーのは、俺のお袋だ。
 そーいえば新しいお袋の名前、まだ聞いてなかった気がする。
 まあ、お袋でいいか。

「……別に怒っちゃいねーよ」

 今はな。
 昼間は本気で怒っていた。
 つーか、拗ねていた。
 かっこわりーな、俺。

「親父が見つけたってのなら、それでいいさ」
「……ありがとう」

 刃の下に……。
『楯岡』の命題だ。
 一生を掛けて探すべき。


 

  よく忍者小説とかマンガなんかじゃ、『忍びとゆー字は刃の下に心を置く』とか言う。
 別の言い方も有ったな。
『心を刃で隠す』とかなんとか。
 どちらも自分のことを犠牲にするって意味だそーだ。
 それが忍びらしい。
 そんなこと習った覚えはないが。
『楯岡』の命題もそれに近い物はあるが、よくよく考えるとちょと違う。
『楯岡』は、刃の下に何を置くのかを探しているのだ。 
 刃とは、即ち己の事。
 自分が何を守りたいのか。
 己と言う刃の下に、何を置くのか。
 それを探す為に、何世紀もかけて忍者をやっている。
 ついでに日本の平和と、忍者の秩序など守ってたりしている。
 いつか自分の守りたいものが見つかったとき、時代が荒れていないように。
 もしかしたら自分が、今の世界を荒らしてしまうかもしれない。
 刃の下に在るものが、それを望むなら。
 そんな矛盾と戦いながら、それでも俺達『楯岡』は戦っていく。
 刃の下に置く物は、個人個人それぞれだ。
 俺の親父は『家族』なんだろう。
 俺が居ない間に……お袋が死んで見つけられた、新しい『家族』。
 『楯岡』にとって、決して簡単には言えない台詞。
 一生に一度しか口に出来ない言葉。
 刃の下に。
 それだけ重い決意なのだ。
 その決意を否定する事……俺には出来ない。

「親父が見つけたら、それでいいさ」

 もう一度同じ言葉を繰り返す。
 反対する理由も無いしな。
 少しだけ悔しいのは、お袋が親父の刃の下に居なかったってことだ。
 だけどそれは、拗ねたり反抗したりする理由にはならない。
 個人個人だからな。
 ……と、頭で納得するしかねー。

「大河君」
「ん〜?」
「……君は、刃の下に何を置く?」

 親父の突然の問いかけ。
 海を見ながらボンヤリ考えた。
 今までの事。
 これからの事。
 俺は刃の下に、何を置くのだろう?
 一生を掛けて、この命をかけて守る物。
 それは……一体何だろう?

「……………」

 親父ですらようやく見つけたのに、今の俺がそんな答えを出せるわけねー。
 俺は無言で、懐の針袋から一本の飛針(とばり)を取り出す。
 青白く光る針。
 太さ1mm、長さは5cmの飛針(とばり)
 俺が『楯岡』である証の忍具。
 俺が取り出した飛針(とばり)を見て、親父が苦笑を浮かべた。

「……そうい物騒な物を出さないでくれないか。お父さん、怖がるよ?」

 勝手にビビれ!
 俺も苦笑いを浮かべながら、指に飛針(とばり)を挟みこむ。
 この飛針(とばり)の名は、『差羽(さしば)』と言う。
 俺が持つ『楯岡』の飛針(とばり)で、二番目の長さを持つ。
 破壊力も二番目♪
 貫通力はトップだ。

「ま、まさか大河君……その差羽(さしば)で僕を……」

 尚もビビる親父を無視して、海に向かって飛針(とばり)を構える。
 子供の頃から数え切れないほど構えたっけなぁ。
 左足を前に、右足は溜める。
 左指に挟み込んだ飛針(とばり)を、胸の前で捻るように力を入れ……。
 指に力を入れて捻りこみながら……海に向かって……。

「……………!」

 放つ!

「おお!」

 親父が感嘆の声を上げた。
 俺の放った差羽(さしば)は、夜空に青白い光を放ちながら飛んで行った。
 蒼い光の線が、海に向かって飛んでいく。
 まるで流星のように。

「………今はまだ……何も無い……さ」

 親父の問いへの答え。
 今はまだ何も無い。
 俺の刃の下には。
 俺は見つけることが出来るのだろうか?
 この街で。

「……そうか。だが大河君」
「ん?」
「『楯岡』の秘具。気安く使わないでくれないか」

 親父のトボけた台詞に、思わず笑みが零れる。
 ま、俺も格好つけすぎたとは思うけどよ。










  その後俺は、俺の寝床まで親父に案内された。

「隣はひなぽんの部屋だから。悪さしないようにね」

 とか釘を刺されながら。

「するか!」 

 あんなお子ちゃま、俺の趣味じゃねぇ。
 どやら俺の部屋は二階らしい。
 一階部分は客室、二階部分は家族の住居だとか。
 金かかってるなぁ。
 親父が通してくれた部屋には、旧俺部屋の荷物が無造作に積まれていた。
 仕事に行く際に、持っていくことの出来なかった荷物。
 小さい頃に使っていた折り畳みベットが、部屋の隅に展開されている。
 多分緋那が用意してくれてたんじゃねーかな?
 緋那は、結構良く出来た義妹なのかもしれないな。
 新しい……家族……か。
 俺より一つ年上で、今は大学生らしい黒い女を思い浮かべる。
 蓮霞は、結構怖く出来た義姉なのかもしれないな。
 つーか、確実に怖い。
 蓮霞を俺の天敵と認識。
 下らない事を考えながらも、様々な荷物の中から一冊のアルバムを探し出す。
 数分後、雑然とした荷物の中から、目当てのブツを見つけた。
 青い表紙の、薄いアルバム。
 このアルバムには、俺の子供の頃の写真が詰まっている。
 初等部の頃。
 死んだお袋。
 静流。
 康哉。
 ………この眼鏡娘は誰だっけ?
 中等部の頃。
 中等学園の写真……つっても、入学式の写真だけだ。
 この後すぐ、『仕事』に行ったからな。
 忍者修行中の写真。
 家の前での写真。
 縁日での写真。
 海での。
 山での。
 そのどれもに写っていない人物を、俺は探しまくった。
 写ってる訳はねーか。
 いっつもカメラマンだったからな。
 望月茉璃。
 茉璃ねーさん。
 俺や静流たちの写真を撮るのが好きだったなぁ。
 近所の写真屋で焼き増して、俺達に配ってくれてたっけ。

「みんな大事に持っててね♪……私も宝物にするから……」

 そう言って、はにかんでた茉璃ねーさん。
 今は……居ないんだ。
 俺は折り畳みベットの上に、ゴロンと横になった。
 茉璃ねーさんの顔を思い出したかったけど……。
 俺の知ってる顔は、五年前のものだ。
 今はどんな風に成長したんだろう?
 今の俺を見て、ビックリしてくれるかな?

「とらちゃん……大きくなったねぇ♪」

 そう言って、笑ってくれるだろうか?
 茉璃ねーさんは……今……。
 さっきは親父に、偉そうに啖呵(たんか)切ったけど。
 俺は本当に………茉璃ねーさんが斬れるのだろうか?
 茉璃ねーさんは……今………笑っているのかな?
 俺の大好きな笑顔で。











 ……………………………………………



 ………………………



 …………………

「……きて〜……お………ちゃん、起き……」

 ………遠くで何かが……叫んでいる。
 ……なんだ?
 ま、俺には関係ねー。
 もう少し……惰眠を……貪り……。

「起きて起きて〜、朝だよ〜。朝ですよ〜♪」

 身体が揺さぶられる。
 しかし俺は誰のお兄ちゃんでも無い。
 よって起こされているのは俺ではない。
 故にまだ寝てても良い。
 これぞ伊賀崎流忍術、都合の良い三段解釈の術。

「……お兄ちゃん?……も―――しょうがないなぁ♪」

 ………くぅ………。
 ギシギシ……。
 ……くぅくぅ……。
 ブオン!
 空中で何かが回る音。
 そして………殺気?

「せりゃぁ―――♪」
「ぐはぁ!」

 いきなり腹部に、90kg級の圧迫感!
 な、内臓がはみ出るっつーの!
 俺は強制的に覚まされた目を開けてみた。
 そこには……満面の笑みの少女が、八重歯を光らせながら圧し掛かっている。
 俺の身体の上に……って?

「………………」
「おはよ♪お兄ちゃん♪」
「………ダレ?」
「緋那は緋那だよ?……まだ寝ぼけてるの?」

 それ以前の問題だった。
 状況が認識出来ないで居る俺。
 そんな俺に向かって、少女は笑顔で話しかけてくる。
 八重歯がきらりと光った。

「おはよ、お兄ちゃん♪朝ですよ〜。そして朝ゴハン♪」

 ………ああ、そうか……。
 俺……喰代(ほおじろ)に……伊賀崎に帰ってきたんだなぁ。 
 何か夢をみていたはずだが……忘れてる。

「……つーか緋那、何してんの?」
「お兄ちゃんを起こしてるの♪」
「………何で俺の上に乗っかってるんだ?」
「え〜……だって全然起きないから、ひなぽん必殺のファイヤーバードスプラッシュを♪フィニッシュは相手に
 乗っかるもんだよ?」

 ………乗っかるもんだとか言われてもなぁ。
 つーか、ふぁいやーばーどなんちゃらってナニ?

「ちなみにね、ファイヤーバードスプラッシュってのはね、そこのタンスの上から空中で一回転して……」
「………説明はいらねー」

 聞くのが非常に怖い。
 この内臓の痛みはただ事じゃない。
 ……思わず習いたくなるよーな破壊力だ。

「え〜……これからが良い所なのにぃ」

 そう言って拗ねる緋那を押しのけて、上体を起こした。
 雑然と荷物の積まれた部屋。
 帰って……来たんだ。

「起きたんなら着替えて、早く下に降りて来てね〜♪ お客さんにも朝ご飯、出さなくちゃ行けないんだか
 らぁ♪」

 ……お客さん?
 頭にクエスチョンマークの浮かんでる俺を見て、緋那が嬉しそうに微笑んだ。
 クスクス笑いながら、俺の上から飛び降りる。

「家族で朝ご飯は、この家の約束だよ、お兄ちゃん♪」

 人差し指を立てながら、緋那が八重歯を光らせた。
 ぼーっとした俺を残して、部屋を出て行く緋那。
 その後姿に、何と無く違和感を覚える。
 違和感の正体は……解らない。








  爽やかな朝だ。
 うん。
 それは認めよう。
 久し振りの、人数の多い食卓。
 別に嫌いじゃない。
 嫌いではないが……。

「あはは♪ 緋那、これ美味しい♪」
「静流お姉ちゃん、ありがとう〜♪」
「………………」

 目の前ではしゃぐ二人。
 うむ。
 多少五月蝿(うるさ)いが、華やかな感じは出ている。
 良い演出だ。
 つーか、緋那の頭の上でピコピコ動いている耳はナニ?
 猫科の耳らしいが……。
 緋那が首を動かす度、ピコピコ動いている。

「本当にひなぽんの料理は美味しいよ。ペンションのメインコックに任命しようかな?」
「………………」

 ほほう。
 親父殿は、この小動物娘に、敗北宣言すると?

「きゃはは♪ 緋那、学園あるから、お昼ご飯は無理だよぅ♪」
「………………」

 嬉しそうに答える緋那。
 頭の上で、猫科らしい耳が揺れている。
 ……………。
 最近は、こんなアイテムも普通に売られているのか?

「……本当ね。緋那の料理は、凄く……美味しいわ」

 蓮霞がそう言いながら、丼飯をかっ込む。
 朝から凄い食欲ですコト。
 目の前に置かれたオカズが、見る見るうちに消えてゆく。
 俺の記憶に寄れば、蓮霞は既に三杯目の筈だ。

「私も……もっと料理の修行をしなければ………可愛いお嫁さんには成れないわ…………」
「………………」

 蓮霞の呟きに、みんなの動きが止まる。
 どれだけ修行しても、オマエが可愛い嫁に成る事は無い気がする。
 んでも言わねー。
 怖いから。

「………あ、あはは〜♪ そ、そうですよ〜♪ 頑張ってね、蓮霞姉さま♪」
「………………」

 静流の言葉に、蓮霞が丼を持った手でガッツポーズをする。
 無表情の上に飯粒が頬に付いてるので、余計に怖かった。
 つーか……静流と蓮霞は知り合いなのか……そうか。
 なんか仲良さそうだ。

「そ、そういえば蓮霞君。食堂に張られてた『ラーメン始めました』のプレート。あれはなんだい?」
「………………」

 静流が『ゲッ!』と言った表情を浮かべた。
 蓮霞の料理の腕は知っているらしい。
 蓮霞は静かに丼を置くと、俺を指差しながら、

「………歓迎の……セレモニー……ね」

 と無表情に呟いた。
 頬に飯粒を付けたまま。

「………………」

 ほほう。
 あの異常に不味いラーメンが、俺への歓迎の印だと?
 もしかしたら、招かざる客なのかもしれないな、俺。

「………そ、そうなんだ。よ、良かったねぇ、とら♪」

 うろたえながら、静流が俺の肩を叩く。

「………………」

 何も答えられなかった。
 つーか、意図的に発言は控えております、拙者(にんにん)
 口を開くと、一気に突っ込んでしまいそうだったから。
 俺、突っ込みじゃ無いはずなんだけどなぁ。
 どっちかってゆーと、アグレッシブなボケ役な筈なのに……。
 もの凄く突っ込みたいポイントが、幾つも存在するのは何故だろう?

「もうすでに……ポップは外して……有るわ」

 くっ!
 もう終わりか………って危ない危ない。
 思わず突っ込んでしまいそーになる己を、必至に押し留める。
 忍びとは、耐える事と同義語だから。
 どんな事にも、とりあえずノリで耐えておく。
 それが忍び♪

「なんなら……今からもう一度……」
「と、とら〜♪ 今日、ドコに買い物に行く〜?」

 蓮霞の危険そうな台詞を、静流が意図的に遮った。

「………………」

 つーか、そんな約束した覚えはねー。

「え、静流お姉ちゃん、お兄ちゃんと買い物に行くの?」

 緋那の頭上の耳が、ピコっと動く。
 少しだけあのネコ耳に、俺の興味が湧いた瞬間だった。

「そ、そうよ♪ だって、学園に通うのに、何も持ってないんだもの、とら」
「え〜……緋那も行きたいけど、部活が有るしなぁ。残念〜」

 ……………今の会話を噛み砕こう。
 まず……俺は学園に通うのか?
 次に……俺は何も持ってないのか……そうか。
 何も持っていない俺は、少しだけ哀れだ。
 そして緋那は部活に入っている、と。
 新情報ばかりだ。
 俺の事なのに……。

「大河君の事、よろしく頼むよ。静流君」
「任せて、おじさん♪」
「………………」

 静流が小さくガッツポーズを取る。
 そうか……任せられちゃったのか、俺。
 任せられちゃった俺は、少しだけ可愛い。

「本当は僕達が付いて行けば良いのだろうが……どうにも連休中は忙しくてね」
「気にしないで下さい。とらの世話なら慣れてますから♪」
「済まないね。百地の次期頭目に世話を掛けるのは、心苦しいのだが」
「………あはっ……」

 何故だか静流が、少し寂しげに微笑む。
 ま、それはさて置き、状況を理解しよう。
 つーか、連休?
 今、連休なの?
 何の連休?
 そして……とらの世話は、慣れてるのか……静流は。
 家で虎でも飼っているのだろーか?
 (あなど)りがたし、百地。
 静流が次期頭目なだけは有る。
 つーか、一人娘だしな。

「………………」
「お兄ちゃん?どしたの〜?」
「……?」

 何が?
 きょとんとした表情を、緋那に向けてやる。

「さっきから黙っちゃって。緋那のゴハン……美味しくない?」

 少しだけ沈んだ表情の緋那。
 俺は目の前のお茶を、静かに持ち上げて口に含む。
 皆が俺の動きを見詰めていた。

「……………ふぅ………」

 お茶で一息付く俺。
 持ち上げた時と同じスピードで、湯飲みを置く。
 一つ深く深呼吸して………親父を指差す。

「学園に通うのかよ、俺!」

 俺の突っ込みに、親父がたじろいだ。
 いきなり突っ込まれて、ビビってるらしい。

「そ、そりゃ通うと思うよ。既に転入手続きして有るし……」
「聞いてねー! それに蓮霞!」

 俺は丼飯をかっ込んでいる蓮霞を指差す。

「まだ食うのか!? つーか、もっと美味そうに食いやがれ!」
「………………」

 周囲が緊張した。
 蓮霞の怖さを良く知っているのだろう。
 俺はあまり知らないので、続けて突っ込む。

「頬の飯粒も取れ、飯粒!」
「………私に突っ込むとは……良い度胸ね……」

 頬に飯粒を付けたまま、蓮霞が呟く。
 非常に怖い。
 本当はラーメンのことも突っ込もうと思ってたのだが、何と無く止めとこうって気になった。
 蓮霞の視線から逃れるよーにして、緋那を指差す。

「さらに緋那!」
「は、はい!」

 緋那が椅子に座ったまま、背筋を伸ばした。
 頭上のネコ耳も、ピコっと直立する。
 どーゆー仕組みで動いてやがるんだ、アレ?

「朝ご飯、大変おいしゅう御座いました♪」

 にこやかに頭を下げる。
 緋那はホッとした表情で、

「うん♪ ありがとう〜♪」

 と、八重歯を光らせながら笑った。

「だが……その耳はなんだよ、耳は!」
「ひ、緋那の耳だよ〜。可愛いでしょ♪ 3000円だよ♪」

 値段は聞いてねー。
 さらにゆーと……答えに成ってねー。
 ま、嬉しそうにしてるので、このまま放置しておこう。

「最後に、静流!」
「な、なによ!」

 静流は俺に指差されて、少しビビってるようだ。
 それでも虚勢を張って、俺を睨み返してくる。

「何で朝から人んちで、爽やかに飯食ってやがる!」

 自分で言っててなんだが、何と無く『人んち』って単語に違和感を覚えた。
 俺はまだまだ、この家に慣れてないらしい。

「べ、別に良いでしょ! それにアンタのことを、迎えに来てあげたんじゃないの!」
「頼んでねー!」
「な、なによ! そんな言い方しなくても良いじゃない! あたしがせっかく……」

 静流は下を向きながら、ブツブツ言い始めた。 
 昔と違って、言い淀むことが多くなったな、静流。
 昨日、久し振りの再会をしたときもそーだった。
 なんか奥歯に物が挟まったよーな物言い。
 変わったなぁ、コイツ。

「まあ、買い物の案内は頼むけどよ!」

 店の場所も、結構変わっただろーから。
 両手に荷物を、一杯持たせてやろう♪
 俺の台詞を聞いた静流は、

「………しょ、しょうがないなぁ♪」

 と言って、真っ赤になりながら俯いた。

「つーことで、一気に突っ込んでみました♪」

 俺は、皆に向かって頭を下げた。
 少しの沈黙の後、拍手がテーブルの上に流れてくる。

「わ〜♪」
「うむ。良い突っ込みだったね」

 緋那と親父が拍手をしてくれる。
 ………蓮霞も飯粒を付けたまま、手をパチパチ合わせてくれた。
 賞賛……してるのか?
 静流は顔を赤くしたまま、俯いていた。
 面白い女だ。
 そんな感じで、俺の……この家での初めての朝は過ぎていくのだった。
 トボケた音楽ぷりーず。
 ちゃららら、らんらんらんって感じの奴を。








「とら〜。お皿持ってきてくれる〜?」

 台所で皿を洗っている静流が、湯飲みを傾けてくつろいでる俺に向かって叫んできた。
 せっかくまったりとしてるのに……。
 威張りんぼうめ!
 さっきまで賑わっていた食卓には誰も居なくて、ただ食器が並んでいるだけだった。
 主に蓮霞が食い散らかした食器だが。

「聞こえないの〜! お皿、持ってきて〜」

 ………めんどうくせーな。
 だが静流も、人んちで朝飯の後片付けをしてるんだ。
 少しくらい手伝っても……やっぱめんどうくせー。
 俺は無視して、TVのニュース番組に目をやる。
 画面の中ではピンク色のスーツを着た女性が、連休の混雑状況をレポートしていた。
 どこの行楽地も混んでるなぁ……。
 つーか、何の連休なんだ、今?
 ゴールデンウィークとか言ってるが……そんな祝日、有ったっけ?
 少なくとも俺が『仕事』でこの地を後にした時には、無かった気がする。
『仕事』先では学園の類には通ってなかったしなぁ。
 なにせ俺は義務教育が終わったとゆー設定で、使用人の息子として潜り込んでたんだ。
 中等学園に通うわけには行かなかった。
 当時から俺は身長も高かったし、顔も端整だった為に疑われないで済んだが。
 本当は……あの家の娘が、ほんのちょこっと羨ましかった。
 俺と同い年の娘。

「……とらぁ!」
「うがっ!?」

 いきなり目の前に、静流のどアップが突きつけられる。
 黒のTシャツにジーンズ姿の静流は、何のつもりかエプロンなどかけてやがった。
 胸のふくらみが、異常に気に成る。
 ………揉み倒してー。

「聞こえないの! お皿持って来てって言ってるでしょう!」

 ………威張りんぼうめ!
 こーゆーところは、昔から全然変わっていない。

「緋那も蓮霞姉さまも、ペンションの方を手伝ってるんだからね!とらも少しは動きなさい!」 

 静流は俺の目の前で腰に手を当てて、怒りに充ちた顔を突きつける。
 にゃろー……。
 思いっきり唇吸ったろか?

「解った? んじゃお皿持ってきてね♪」

 そう言い残すと静流は、軽やかなステップで台所の方に去っていく。
 なかなかの危険察知能力だな、静流君。
 つーか、ここまで来たんなら、自分で皿を持っていけば良いと思うのだが……。
 無視してTVを見続けようとも思ったのだが、ふと有る事が浮かんだ。
 静流に聞いたほうが早いかも知れんな。
 そうと決まれば早速……。

「っと。……やっぱめんどくせ―……」

 嘆きながらも、食卓の上の皿を一箇所に集める。
 しかし……女の方が多い食卓で、何故にこんなに量が多いのだろう?
 蓮霞のせいなのは確実なのだが。
 蓮霞のあの細い身体の、どこに入るんだろうなぁ……。
 もしかしたらアイツの身体の中は、どこか別の空間と繋がっているのかもしれない。
 ……おっ?
 俺、SF作家に成れるのかも……。
 こんな斬新なアイデアが出てくるなんて♪

「とら〜。早く〜」

 ………無粋な奴め!
 今せっかく、第二の人生の入り口に立っていたかもしれないのに。

「へーへー……」

 適当に返事しながら、重ねた皿を台所に持っていく。
 ビーズの暖簾をくぐった先では、静流が鍋やらフライパンやらを洗っていた。
 その後姿に、ちょっとそそられる。
 あ、あくまでも性欲の対象としてな。
 ……って、ダレに言い訳しているのか解らない。

「ほらよ」
「あ、ありがとう♪ そこに置いてくれる?」

 静流は泡だらけの手で、シンクの上を指差した。

「なあ、静流……」
「なーに?」

 静流は、俺の置いた食器をシンクの中に引っ張り込みながらの生返事。
 洗い物に集中しているらしい。
 思わず後ろから、ガシッ!……っと乳を揉みたくなるのを、必至に我慢する。
 静流の乳はいつでももみ倒せそうな気がするからだ。
 それよりも……。

「康哉の奴はどーしたんだ?」

 静流の手がピタっと止まった。
 ゆっくりと後ろを向く。

 静流は少しだけ沈黙した後……。

「ないしょ♪」

 と笑って誤魔化した。

「また振り切ったな、オマエ」
「い、いやだなぁ。そんなことないですよ、はい♪」

 今度は振り向きもせずに、棒読みで答える。
 こう見えてもコイツは、この地の忍者を束ねる百地のお嬢様だ。
 康哉は静流に四六時中引っ付いて、守護するのが役割。
 だが昔っから静流は、康哉を振り切って遊びに出かける習性が有った。
 康哉も可愛そうに……。
 今頃、無表情だが青い顔をして、色々なところを探し回っているだろう。
 不憫な奴……。
 ざまあみろって気持ちも無いではないが。

「オマエ、百地のお嬢なんだから、ちったぁ大人しくしてろよ」
「………とらには………関係ないよ」

 いきなり静流のトーンが変わる。
 よほど俺に説教されるのが嫌らしい。
 んでも、その言い方は無いと思うんだけどなぁ。

「なあ、静流」
「……なに?」

 振り向かずに、食器をカチャカチャ洗う静流。
 声のトーンは相変わらず沈んだままだ。
 昔と変わらない気がしてたが……何か変わったかもしれねーな。
 ま、五年も経ったんだ。
 変わって当然……か。

「俺の通う学園……知ってるか?」
「………え?」
「だから俺の通う予定の学園だよ。さっき親父が言ってただろ?」

 静流が振り向いた。
 その表情に、笑みが浮かんでいる。

「な、なーに、とら。本当に知らなかったの?」

 話題が変わったので、気を取り直したのだろう。
 こーゆーところは変わってなくて、ちょっとホッとする。
 オマエの扱いには、俺も馴れているのだよ、静流君♪

「知るわけねーだろ」
「もうしょうがないなぁ♪ ……って言っても、そんなに特別な所じゃないんだよ」

 誰も異常な所か? ……なんて聞いた覚えはねー。

「百地の裏山の傍に有ったでしょ? 私立喰代(ほおじろ)高等学園。あそこだよ♪」

 この街、殆どの敷地がオマエんちの裏山じゃねーか!
 ブルジョアめ!
 ………ってゆーと、また静流が沈むから言わない。

「そーか。ちなみに俺は何年なんだ?」

 俺は『仕事』で遠くの街に出稼ぎしてた。
 その間、学園と名のつくものには通ってなかったのだ。
 この年になって、学園に通い直すとはなぁ。
 そーいえば緋那は喰代(ほおじろ)学園の一回生だとか言ってたな。
 まさか同級生になっちまうんじゃ?
 そんな使い古されたラブコメみたいなシチュエーション……ヤダなぁ。

「3年に編入されるんだよ。あたしと一緒♪」

 声を弾ませながら、シンクに向き直って再び茶碗を洗い始める。
 そっか……静流と一緒か……って!

「俺、学園に通った記憶が無いぞ。なのに編入ってなんだよ、編入って!」

 俺の台詞を聞いた静流の手が、ピタっと止まる。
 少しの沈黙の後……。

「そこはほら……お仕事帰りだからじゃない?」

 と、明るい声。
 そして再び、何かを誤魔化すよーに皿を洗う。
 百地の力か。
 この街の至る所に、百地の影響は在る。
 昔から代々続いてきた百地ならではの影響力。
 その影響力を持ってすれば、私立学園に手を回すことくらい朝飯前なのだろう。
 この街で百地に逆らうのは……俺くらいなもんだ。

「オマエまさか……クラスまで一緒にしたわけじゃねーだろうな?」

 ………静流の手が止まった。
 ゆっくり振り向いた後……答えずに……笑いやがったなぁ!
 学園で俺をこき使おうって算段だな!
 俺の怒りが解ったらしい静流が、慌てて手を振った。
 その反動で指についていた洗剤の泡が、台所の床に飛び散る。
 ついでに俺の顔にも飛んできた。

「あ、あたし知らないですよ、はい♪」

 ………嘘つけー!
 オマエの嘘はバレバレなんだっつーの。
 ま、別にそれはそれで良いわ。
 俺のホントに聞きたいことじゃねーからな。

「俺、いつから編入するんだ?」

 俺の台詞にホッとしたのか、静流はシンクに三度向き直る。
 もうそろそろ茶碗洗いも終わりだろう。
 その前に……聞き出さないと。

「連休終わってからだよ。制服もおじさんが注文してるみたいだし。あとから一緒に取りに行こうね♪」
「連休? テレビでも言ってたが、今、何の連休なんだ?」
「………とら……本気で言ってる?」
「うむ!」

 俺は静流の後ろで、腕を組んだまま力強く頷く。
 だけど俺の格好良い仕草を見てくれる者は居なかった。
 ちょっとだけ寂しい。

「ゴールデンウィークも知らないの、とら?」
「聞いたこと無い」
「4月の最後から5月にかけて、祝日が続いているでしょう。その近辺を…………ああ、もう!なんでこんな
 小学生に説明するような事、今更言わなくちゃいけないのかなぁ!」
「キレんなよ。知らねーんだから教えてくれてもいーじゃねーか」
「………ふふっ♪ しょうが無いなぁ♪」
「何故、嬉しそうな声を出す?」
「べっつに♪」
「……んじゃそのゴールデンウィークとかゆーのが終わったら、俺は学園に通うのか?」
「そうなりますねぇ♪」
「オマエと一緒のクラスか?」
「それは知らないですよ、はい♪」
「なんで敬語だ?怪しいぞ、オマエ……」
「あ、怪しくないよ♪」
「茉璃ねーさんが抜けたのは何でだ?」
「………………………………え?」

 俺の台詞に、静流の後姿が完璧に止まった。
 ちっ!
 引っかからなかったか。
 正攻法で聞いても答えてくれねーと思っての、連続話術だったのだが。
 コイツも百地なんだよなぁ。

「………なあ、静流」
「あの女のことは言わないで!!!」

 振り向かないままの、静流の叫び。
 だが……その肩が震えている。

「静流……」

 俺たちは色々な事を茉璃ねーさんに教わった筈だ。
 忍者としてしか生きられなかった俺たちに、子供らしい遊びを教えてくれた。
 ……考え方を……生き方を。
 忍者の育成って意味では、間違っていたのかもしれない。
 だが……。
 だが。

「あたしは……あの女を許さない!!!………絶対………許さない………」

 静流は両手をシンクに入れたまま、肩を震わせている。
 何かを思い出すように………耐えるように。
 茉璃ねーさんの家……『望月』も百地一派の忍者だ。
 百地である静流が、茉璃ねーさんが『抜ける』のを嫌うのはしょうが無い。
 しょうがないが……なんとなく、別な感情が含まれている気がして成らない。
 家同士の繋がりやしきたりじゃなくて……もっと別の感情。
 静流のそんな叫びを聞いたのは初めてだった。
 いくら茉璃ねーさんが『抜けた』からといって、静流が茉璃ねーさんをあの女呼ばわりするとは思えなかっ
 たから。
 そのくらい俺達は、茉璃ねーさんを好きだった。







「解った……もう聞かねーよ……」

 俺は後ろから静流の肩を叩いた。
 本当は乳でも揉みたかったが、なんとなくそれはヤバイ気がしたからだ。
 つーか、それはヤバイ。

「……早く茶碗洗っちまえ。俺を買い物に連れてってくれるんだろう?」

 何と無く情け無い台詞のように思える。
 だが……こう言えば静流が喜ぶ事を、俺は知っているのだ。
 俺の知っている静流だったら、だが。

「……とら………………うん。解った………」

 そう言って静流は、シンクに浸かった洗い物に手を伸ばす。
 俺が触れた肩は、もう震えていなかった。
 心の切り替えを迅速に行うのが、忍者だから。
 俺も静流も……忍者なのだ。

「んじゃ俺はおしゃれしてくる♪」

 俺は取り敢えずこの場を離れる事にした。
 静流が……切り替えるまでに。
 ついでに頭の後ろから生えている、赤い尻尾など引っ張ってみる。
 ……………昔のように。

「お、おしゃれって……んがっ!」

 んがってオマエ。
 女の子なんだから、もうちょっと可愛く言えないもんかね?

「な、何すんのよ!」

 振り向かないで静流が叫んだ。
 俺に見られたくないんだろう。
 今の自分の顔を。

「何って……出かける準備♪」
「それでどうしてあたしの髪の毛を……」
「オマエも……顔洗って、準備しておけ」

 俺の台詞で、静流の文句を堰き止める。
 五月蝿くて敵わねー。

「……………うん」

 頷いた静流の台詞もろくろく聞かずに、俺は台所を後にする。
 ビーズの暖簾が立てるチャラチャラと言う音が……無性にイラついた。
 あの女、か……。











END






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