台所で涙ながらに皿を洗う静流を爽やかに置き去りにして、俺は家の中をふらふらしていた。
出かける準備っつっても……静流ごときを連れ回すのに、洒落た格好をする必要は無い。
そんな服なんか、持ってねーしな。
つーか……金が無い。
結局親父からは、一銭も貰ってないし。
向こうで支給されていた『月のお小遣い』名義の、しょぼくれた
静流ごときとはいえ……何かしら食わせないといけないだろう。
アイツの機嫌を直すには、食い物を与えるのが一番だしな。
だてに昔から、あやつを操ってきた訳ではないのだ。
あやつを操る……ぷぷっ♪
俺、結構おもしれーじゃん。
コメディアンにでもなるかな、将来。
下らないことを考えながらふらふらしていると、親父と緋那の後姿発見。
そこは、昨日蓮霞と緋那に出会った食堂の厨房らしい。
緋那が白いエプロンをつけて、忙しそうに走り回っていた。
「一応、客が居るんだな」
「あ、お兄ちゃん♪」
喫茶店風の食堂では、緋那がエプロンを付けて忙しそうに動いている。
親父はカウンターの中で、何か作っているらしい。
その脇では蓮霞が皿洗いをしているが、どこか不機嫌そうだ。
つっても、機嫌の良さそうな蓮霞など見たことが無い。
昨日初めて会ってから、蓮霞の表情が変わったのは数えるくらいしかないからだ。
「よう。頑張ってるか、ネコ娘♪」
「緋那、ねこさんじゃないよう〜」
そう言いながらも緋那の頭上で、ネコ耳がピコピコ動いている。
人前では外した方がよいと思うのだが。
「忙しそうだな」
「うん♪ゴールデンウィーク中は、家族連れのお客さんとか多いから♪」
………ゴールデンウィーク?
そーいえば静流が説明していたが、結局理解できてないな、俺。
よーするに連休の事なんだろ……と、うろ理解。
「ひなぽん。三番にモーニング、持ってってくれないか」
「あ、はい♪お父さん♪」
頭に疑問符を浮かべている俺の脇から、親父がトレイを差し出した。
緋那はそれを受け取って、窓際の方に歩いてゆく。
………ネコ耳をピコピコさせながら。
なんだかなぁ……。
「お待ちどうさまでした♪」
「ありがとうデス♪」
緋那がテーブルにモーニングを置く。
その椅子には……女の子が一人で座っていた。
白い髪の毛に白いワンピース。
オレンジ色のリボン。
蒼い瞳。
どっかで……見た事あるよーな……無いよーな……。
「ぽんぽん♪」
女の子は嬉しそうに、皿の上の目玉焼きに塩を振りかける。
「あっ!」
そのトボケた擬音系台詞で俺は思い出した。
昨日、俺が家の前で黄昏てた時……。
俺の肩を叩いていった女の子……だと思う。
嬉しそうにフォークを使って、目玉焼きを頬張る白い女の子。
だが……何か違和感が有った。
「なあ、親父」
「何かね、大河君?」
「あの子……一人なのか?」
俺は白い女の子を指差してみた。
「ん?ああ、レイナさんか。そうだよ。一週間くらい前から一人でご宿泊だが、それが?」
「………いや、別に」
「……彼女は『仕事』で、『百地』から預かっているんだよ」
親父が周囲に聞こえないように声を潜めた。
と言っても別に、緋那や蓮霞に秘匿している訳ではないだろう。
『伊賀崎』もいちおー、名の有る忍者だからな。
かなり下っ端忍者だが。
一般人にならともかく、家族にまで素性を隠すような事じゃない。
良くも悪くも、この街はそーゆー街なのだ。
「百地から?」
「そう。二週間だけの依頼だがね」
俺はその依頼の内容に付いて聞くのは止めた。
なんとなく面倒くさい予感がしたし、俺が受けた『仕事』じゃない。
だから俺があの女を気にすることは無い。
無いのだが………。
周囲では家族連れが、キャイキャイ言いながら食事をしている。
連休中との事なので、観光客なのだろう。
その端っこで白い女の子は、嬉しそうにパンにバターを塗りたくっている。
一人で。
決して寂しそうな表情ではない。
虚勢をはっているんでも無いだろう。
心からモーニングを楽しんでいる笑顔だ。
一人で。
「……親父」
「なんだい?」
「……俺にもモーニング一つ。大至急だ」
別に感傷的に成った訳じゃない。
迷惑かもしれないしな。
「……え?」
「いいから、モーニング作れって言ってんだ、クソ親父!」
そう言いながら俺は、喫茶店みたいな食堂の中に入っていった。
「僕は君を、そんな風に育てた覚えは無いんだけどなぁ……」
親父の呟きが後ろから聞こえてくるが、放っておくことに決定。
俺も育てられた覚えが無いからだ。
店の中を歩いていく途中で、緋那とすれ違う。
「あれ?どうしたの、お兄ちゃん?」
緋那のネコ耳が、ピコンと動いた。
この耳……いつか絶対、分解して構造を調べる!
「ナンパ♪」
「………………………ええ?」
第四話 『レイナとゆー女』
シルバーのトレイを持ってあたふたしている緋那に構わずに、俺は店の中を歩いていく。
楽しげな家族の脇を抜けて、窓際のテーブルの前に立った。
「よぉ」
「?」
白い女の子は、バターのたっぷり塗って有るトーストを咥えたまま、俺を見上げた。
蒼い瞳は、さして警戒もしていないよーに見える。
「オッス」
「これハ、ご丁寧ニ♪おはようゴザイます♪」
………………意外な反応だ。
警戒されると思ってたのに。
女の子は、妙な訛りの日本語で挨拶を返してきた。
トーストを手に持ち替えて下げたあたまの上で、オレンジ色のリボンが、ふさふさと動く。
なんだか妙なオプションが
このリボンも、感情表現するのだろーか?
そんな女の白いワンピースの胸元から、白い肌が見えた。
んでも……全然胸がねー。
胸の谷間なんつーものは、存在してなかった。
「ですが、一つだけ聞きたいコト、ありまス♪」
顔を上げた女の子は、俺を見詰めてくる。
蒼い瞳で。
別に警戒した様子は無い。
「なんだ?」
「ドナタさまでショウ?」
……………………。
ま、当然の疑問だな。
「人に名前を尋ねる時には、自分から名乗れ」
いきなり目の前に現れといて、かなり乱暴な物言いだが。
だが、白い女の子は、慌てて頭を下げた。
白いワンピースの胸元が開くので、思わず覗き込むが……。
やっぱり胸がねーぞ。
全然楽しくない。
「こ、これハ失礼デス。レイナ・マクフィールドと申しマス〜」
そう言いながら、テーブルの淵に手をついた。
………丸め込んじゃった。
つーか、なんでこの女の子……レイナは、古臭い動きをするんだろう?
しかも変な日本語で。
「うむ。これから気をつけるよーに」
相手が下手に出ているのを良い事に、思いっきり威張ってみる。
「ハイ♪」
………
なかなか素直な女の子だ。
つーか、こんなんで社会の荒波を渡っていけるのだろーか?
荒波に飲まれよ―と俺には関係ないのだが……何と無く心配に成る。
「俺は伊賀崎大河。このペンションのスーパーオーナーだ」
適当な事を言いながら、レイナの正面の椅子を引いて腰掛ける。
こーゆーのは、勢いが大事だ。
まずは自分の会話のペースに引き込む。
それが大事だ。
つっても、本当にナンパしようってんじゃない。
………んじゃ、何をしようとして居るんだろう、俺?
「そ、それハ凄いデス〜♪スーパーなオーナー様♪」
…………………信じちゃった。
台詞のところどころが、インチキ外人風に訛っているが。
誰から日本語を教わったのだろうか?
責任者出て来い!って感じだな。
「それデ、そのスーパーオーナーサマが、何用でスカ?」
「………取り敢えず、すーぱーおーなー様と呼ぶのをヤメロ」
自分で言っておいて何だが、ものすげー違和感。
「な、なぜでショう?」
レイナが頭に疑問符を浮かべそうな顔で、小首を傾げる。
取り敢えずオーナーだと信じさせるのは成功したが……
俺、オーナーじゃないしな。
「実はスーパーオーナーとは、世を忍ぶ仮の姿なのだ。
「こ、これハ重ね重ね失礼を〜」
レイナはそういうと、恐縮して頭を下げた。
なんかヤな感じの寸劇みたいだ。
シナリオライター出て来い!って感じだな。
「うむ。以後気をつけるよーに」
「ハイ♪」
………また躾ちゃったよ。
ひょっとして俺って、教師とかに向いてるんじゃ?
頭の中で、女の子の制服に囲まれた俺を想像する。
……いいかも♪
「そ、それデ、本当の正体ハなにデスカ?」
俺の今後の人生プラン妄想を打ち切って、レイナがワクワクしながら問い掛けてきた。
せっかく新しい人生が開けるかもしれねーってときに。
……って、どっかで似たよーな事が有った気が……。
「よ、ヨロシけれバ、教えてくだサイ〜♪」
そんなにワクワク聞かれてもなぁ。
別に語るような正体など無いし。
取り敢えず、また適当な事を言っておくか。
って、本当に何をしてるのか解らなくなってきたな、俺。
ただ単に、話し相手に成ろうとしただけだったのに。
……って、そんなつもりだったのか、俺?
「実はな……」
「ハイ♪」
「カゲロウお銀と言う名の……」
「あのユーメーな、カゲロウオギンさんデスカ!?」
え!?
本当に居るの!?
なんか聞いたこと有りそうなリズムの名前を、適当言っただけだったのに……。
まさか実在するとわ。
こ、これは参った。
「いつモTVで見てまス〜♪水戸旅〜♪」
テレビかよ!
因みに水戸旅とゆーのは、昔から続いている時代劇のシリーズ名だ。
なんとか時代に実在した、水戸の坊主がお供を連れて世直し旅に出るストーリーだった気がする。
そういえば昨日のレイナの仕草も、どこか時代がかった感じだった。
まさかそんな時代劇に、カゲロウお銀なんてトボケた名前のキャラが出てきてるとわ……。
「夕べモ、ふともも、キレイでしタ〜♪」
太腿?
なんだか解らんが、Gパンの下がすーっと寒くなる。
その時代劇に出てくるのは確か……小汚いじじい坊主と、お供の侍二人だけだった筈。
その太腿が綺麗?
何故そんなサービスカットが?
ぜってー見たくねー番組に俺認定。
「今日ハ、いつものミニスカートじゃナイんですネ〜?ドシテですか?」
………ミニスカート?
時代劇なのに?
「あ、デモデモ、そのシャツを脱ぐと、豊かナ胸元にサラシを巻いテ……」
「実はだな!」
レイナの台詞を慌てて打ち切る。
これ以上聞くのは怖すぎる。
「な、ナんでショウ?」
「カゲロウお銀ってのも、世を忍びまくっている仮の姿なのだ」
「………仮ノ姿だらけデス……」
流石におかしいと思ったのか、レイナの表情が沈んだ。
つーか、よくここまで会話が続いたと感心しちまう。
「せっかク……決め台詞を聞かせて貰おウと思いましたノニ……」
………そっち方面で残念がられてもなぁ。
なんか子供を騙している気に成って来たぞ。
「じゃあ、ホントは何様なのデスカ?世をシノバない姿を教えテ下さイ〜」
んと……そう言われても、明かすべき正体なんか持ち合わせてないしなぁ。
自分の会話能力の無さが恨めしい。
「実はな」
「ハイ♪」
先ほどの事も忘れたが如く、レイナが明るい返事をした。
その姿が何と無く可愛くて……話しが進まないのは解っているんだが。
また適当なことを言いたくなる俺。
つーか、言う事に決定。
「遠く離れた
「………それモ仮の姿なのデスカ?」
な、何故解った?
つーか、ちょっとしつこかったか、俺?
レイナは一つ溜息を付いた後……俺の両手を握ってきた!?
「な、なにヲするんでスカ?」
驚きのあまり、インチキ外人風のイントネーションに成る俺。
いや、そんなに冷静に解説してる場合じゃねーって気もするが。
公衆の面前……それも身内の近くで、女の子に手を握られるとわ。
まあ、避ける気だったら、避ける事は出来たんだが。
あえて手を握られる事を選んだ俺は、ちょっとだけ男らしい♪
「……動かなイデ……今、スーパーオーナー様が何者か当てて見せマス♪」
スーパーオーナーは止めろ!
………って、当てる?
どうやって?
俺の疑問を余所に、レイナが俺の手を握ったまま静かに蒼い瞳を閉じた。
……何と無く身動きする事が
俺はレイナの暖かい手に、感覚を委ねる。
………一秒………二秒……。
レイナが、ゆっくり目を開けた。
何故か蒼い瞳が、少しだけ潤んでいる。
「………解りまシタ♪」
「ほ、本当か?」
「ハイ♪貴方様は……このペンションのご主人の息子様なのデスネ?」
……………なにぃぃぃぃぃ!?
あ、当たっている。
まさかテレビで見る、読心術ってヤツか?
あんなの、フィクションとヤラセばっかりだと思ってたのに……。
いやいや……この程度では信じる事なんか出来ないぞ、俺。
あんなの、空想の産物だ。
忍者の俺が言うなよって感じもあるが。
「そしテ……凄く近イ未来に……ヒドい目に……あいまス……」
「な、なんだとぉ!?」
ど、読心術だけじゃなく、
って、それはフィクションだ、俺。
落ち着け、俺。
と、取り敢えず酷い目ってなんだ?
つーか、なんで信じてる、俺?
「そ、それハどんナ酷い目でショウか?」
慌ててるので、インチキ外人風のイントネーションに成る俺。
「それはね……………」
はっ!
後ろから殺気!?
つーかこの声……静流か?
後ろから尋常じゃない風切り音!?
「こんな目よ!!!」
ガード!………と思ったら、両手が握られてるぅ!?
ガィィィィン……………。
充分エコーの掛かった打撃音が、俺の後頭部から発生しております。
そのまま前に突っ伏す俺。
水色のテーブルクロスが目に優しい♪
テーブルの硬さは、頭に厳しいけどな。
「なんでアンタは、公衆の面前で女の子の手を握ってんのよ!」
な、何ででしょう?
俺にもさっぱり解りません……。
薄れゆく意識の中で、静流に対して言い訳が出来ないでいる俺。
テーブルクロスの水玉模様など、意味無く数えてみる。
いっこ……にこ……さんこ……。
「おはようゴザイます、静流サン♪」
「おはようございます、レイナさん〜♪……ていうか、気をつけなきゃダメですよ、レイナさん……」
……よんこ……ごこ……ろっこ……ななこ………ぐ、ぐすん………
「な、ナニをでショウ?」
「今、その意識を失いかけている生き物の事です。そいつは女の敵ですからね……」
………ぐすぐす……は、はちこ……って、好きなことを言いやがって!
誰が女の敵だぁ!
むしろ味方のつもりなんだが……。
つーか、なんでレイナと静流が……って、そう言えば親父が言ってたっけな。
百地の依頼で、レイナを預かっているって。
知ってて当然か。
「言いましたよね。この家に、危ない生き物が帰ってくるって話は。本当は家に住んで貰うのが一番安全な
んですけど……家の……その……当主が……」
静流の声が段々小さくなる。
そして俺の意識も段々遠くなる。
「ハイ♪この家ニ帰ってクる息子サンのこと、途中で思い出しテきましタ♪」
………読心でも、遠見でもねーじゃねーかよ!
元ネタは有った訳だ。
「そうです♪そこで突っ伏しているのが、危険なケダモノです。近づいちゃいけませんから♪」
「……ケダモノ?また仮ノ姿でスカ?」
「………え?か、仮の姿?」
あ〜……話が混ぜっ返されていく〜……。
混乱収拾のために一時閉幕……と思った瞬間、俺の手に鋭い痛みが走った。
「熱っ!」
打撃や
これは……熱による皮膚の焼けた痛みだ。
俺は慌ててレイナの手を離す。
突っ伏していたテーブルから頭を離して、静流を睨み上げた。
「オマエ、気をつけろ!!」
「な、なにがよ?」
静流は突然の俺の剣幕に、少しだけビビってるようだ。
俺は静流の持ってるトレーに目をやった。
さっきから匂いで、静流が俺用のモーニングセットを持っていることは解っていた。
「今、そのトレーから何か零しただろう!? 俺の愛くるしいお手々にかかったぞ!」
そう言いながら自分の人差し指を見てみる。
俺の『いー仕事をする』指は、体育館で転んでやけどした膝の如くツルツルになってた。
俺の鍛えた指の皮膚を焼くとは……。
ペンション『大巨人』のモーニング、恐るべし温度。
つーか、そんな温度の飲み物、飲めねーよ!。
「そ、そんな言いがかり言わないでよ! アタシがそんなドジな事、するわけ無いじゃない!」
……そう言えばそうだな。
こんなプルンプルンな胸をしていても、一応静流は忍者なのだ。
忍者たるもの、この程度の攻撃を発してもバランスを崩す事など有り得ない。
胸と忍者の因果関係は秘密だ♪
「オマエならワザとやりかねない」
「やるんなら、頭から掛けるわよ!」
平然と恐ろしい事を言ってのける女だ。
つーか、何でこんなに怒ってるんだ、静流のヤツ?
「あ、あノ……ごめんなサイ……」
何故かレイナが、突然謝ってきた。
済まなそうにテーブルの下に手をやって………って違うか?
何か隠そうとしているような仕草。
もしかして……。
「レイナ……おまえ?」
「ええ!? バ、バレたのでスカ?」
当たり前だ。
そんな風にあからさまに隠したんじゃ、俺の感覚を欺く事は出来ない。
「静流に気を使わなくて良い。レイナも手に火傷したんだろ?」
静流を庇おうとして、手を隠しているに決まっている。
なかなか気の優しい女の子だ。
「零してないって言ってるでしょ!!!」
………そういえばそーだな。
んじゃなんで手を隠してるんだ?
「ゴメンなさイ……ちょっと調子にノリ過ぎまシタ……」
とか言いながら、レイナが段々小さくなっていく。
いや、その謝っている……。
「ああっ! レイナさんは謝らなくていいんですよ〜。悪いのはとらですから〜」
……理由が知りたくねーのか、静流は!?
つーか、俺は悪くない!
「せっかク……話し掛けテくれたノニ……ごめんなサイ……とらサン……」
「え? そうなの、とら?」
なにがそうなのかは解らんが、取り敢えず……。
「レイナ。俺のことは大河と呼んでくれ。その代わり俺はオマエのことをレイナと、爽やかに呼び捨ててやる
から」
「何が爽やかなのよ……」
静流の呆れた声も、今の俺にはどーでも良い事だ。
俺はとらなどと呼ばれるのが、あんまり好きじゃない。
「デモ……静流サンは、とらサンのことをとらサンと……」
……わざとじゃないだろうな?
とらとら連呼すんなよ。
「ま、こいつは言っても聞かねーから。せめてレイナだけでも、俺のことは名前で呼んでくれ♪」
レイナは少し考えた後、元気良く頷いた。
「ハイ♪」
「んじゃ、朝飯再開といこーぜ。静流、俺の朝飯、よこせよ」
少しだけ首を後ろに捻って静流の視線を移すと……何故、赤面している?
「あ、あ………うん♪はい、とら♪」
何故、機嫌が良い?
ニコニコしてる不気味な静流から、恐る恐るモーニングの乗ったトレーを受け取る。
「って、ていうか、何で朝ご飯食べた後に、モーニング頼んでるのよ?」
そして何故、すぐ怒る?
感情表現の激しいヤツだ。
「いや、なんかレイナの見てたら、食いたくなってさ」
「あっ!!!」
突然レイナが、悲鳴を上げた。
俺と静流は、戦闘態勢に入る。
静流はスカートの内側から、短めの
白い太腿が良い感じだった♪
カゲロウお銀だな。
見たことねーけど。
俺はとっさにGジャンを跳ね上げて、背中に貼り付けてある
俺の忍具の中では、一番の破壊力を持つ武器だ。
この
「目玉焼き……冷めて固クなっちゃいマシタ……」
俺の持つ主戦武器で……って?
………目玉焼きが硬いくらいで、そんな悲鳴を上げんなよ。
しかも、そんなに心底哀しそうな顔をしなくても。
何と無く……話し掛けた俺が悪いみたいじゃねーか。
しょうがねー。
「そんな顔すんな!俺のを特別に分け与えてやるから」
「………本当でスカ?」
レイナの青い瞳が見開かれたと思うと、一瞬で表情が明るくなる。
目玉焼き一つで、このはしゃぎようとわ……。
「なにを偉そうに……大体とらが話し掛けたりしなければ、レイナさんの目玉焼きが冷める事、なかったん
じゃない」
うるせー、静流。
いませっかく、そのことを誤魔化そうとしたのに……。
「ぽんぽん♪」
………って、いつの間にか俺のトレーの上に有った目玉焼きが、レイナの皿に移動している。
レイナはその目玉焼きに、嬉しそうに塩を振っていた。
ヤな感じの擬音を口に出しながら。
「………ま、レイナさんが嬉しいなら、それで良いけどね………」
ああ、そうだな。
そういう事にしとけ。
そう思いながらも俺は、なにか釈然としないものを抱えていた。
指に残った熱と共に。
「大体、なんでレイナさんの手なんか握ってたのよ?」
お出かけのおべべに着替えてペンションの入り口でたたずむ俺に、静流がいきなり噛み付いてきた。
まあ、噛むのくらいは構わないが、歯なんか立てないで欲しい。
って、なんの話か全く解らないよ、ボク♪
これから俺たちは、なんかを買うために街まで行くらしい。
『なんか』とか、『らしい』ってのは、俺は出かける理由が解ってないからだ。
自分のことなのに……とらちゃん、さみしいよ……。
「知るか!あっちから握ってきたんだ。俺に避ける術など無かったのだよ……」
「逃げるのだけは得意なくせに……」
むっ!
そりゃ『伊賀崎』の俺としては、逃げるのが得意だけどよ。
「……ね♪『
「うるせー」
静流の
俺は体裁上、伊賀崎の忍者なのだ。
下手に戦って、己のスペックの高さを誇示する訳には行かない。
伊賀崎は下忍の家だから。
三大大忍とか言われて、鼻を高くしている『百地』などには解るまい。
ちなみに『百地』は大忍では有るが、忍者の位としては中忍である。
決して上忍などではない。
名前が世間に知れ渡っている上忍など、この世の中には存在しないのだ。
「………何、ニヤニヤしてんの?気持ち悪いなぁ……」
「失礼なヤツだな!この笑顔で、『仕事』先の女性を次から次から魅了した俺に対して」
ま、同じ従業員のおばちゃんばっかりだったけどな。
つーか、俺、ニヤニヤしてた?
感情のコントロールが甘くなってるかも知れん。
いくら生家に帰ってきて、幼馴染と歩いているとはいえ、少し気を抜きすぎだな、俺。
「そ、そうなの?」
静流が俺の顔を、横から不安そうに覗き込んでくる。
そんな顔されても、どう反応していいか解らん。
「あ、あれ、レイナじゃねーか?」
取り敢えず、己の軽口を誤魔化しておけ。
俺は海岸の土手に居た、白いワンピースを指差した。
話題を逸らしただけでは有るが、少し気に成ったのも本当。
「あ、本当だ。何してんだろうね、あんなトコで?」
それは俺も気に成る。
まだ泳ぐには早い大分季節だし、飛び込み自殺するには土手は滑らか過ぎる。
レイナの後姿しか見えないので、その感情までは解らんが……。
なんとなく寂しそうに見えるのは、俺が感傷的に成っているからだろうか?
とらちゃんは感受性が豊かだと、言い換えても良い♪
言い換える必要性は見当たらんが。
「……誘ってみるか?」
「………え?誰を、何処に?」
「レイナを街にだよ。あんなトコで
それに……昨日の礼もしたいしな。
慰められはしかなったが、慰めてくれようとしたのは解ってるつもりだ。
「あ、あたしは別に………構わないけど……」
構わないんだったら、何故にそんな暗い声を出す?
帰ってきてから……なんか静流の様子がおかしい気がするなぁ。
月日の流れは
ま、下らない事を考えないで、レイナに声でも掛けてみよう。
静流の憂いの事は、爽やかに忘れて♪
俺は気配を殺しつつ、レイナに後ろから接近する。
静流も、『やめなよ〜』って表情を浮かべながらも、足音を殺して着いて来た。
基本的に俺たちは悪戯っこなのだ。
やがて俺とレイナの距離が『至近戦闘距離』まで詰まった。
フフッ……俺の
つーか、レイナだったら、普通に近づいても気付かれない可能性が高い気がする。
「ふんふふ〜ん♪ るらら〜♪」
トボケた鼻歌を歌いながらも、なにか遠くを見詰めるレイナの後姿。
ううっ!
後ろから、乳を鷲掴みにしてぇ!
だが……。
「ふんふふ〜ふふん♪ るらららぁ〜♪」
『レイナの〜乳は、薄い乳〜♪』
……なので、鷲掴みにしても、あまり楽しく無い気がする。
って、レイナの鼻歌に合わせて、トボケた歌を完成させる俺。
なかなかのリズム感だ。
ま、それはともかく。
「うりゃ♪」
オレンジ色のリボンの中央を、後ろから指先でちょんとつついてみる。
付き合いの長さから考えたら、このくらいのお茶目が適切なはずだ。
ちなみに幼馴染レベルの付き合いの長さだったら、後ろから思いっきり乳を揉み倒す!
なんだったら下着の中に手を突っ込んで、乳首だって摘まんでみせる!
………って……………。
「ころころころころころ〜〜〜〜〜〜〜〜」
「きゃぁぁぁ! れ、レイナさん!!!」
「あっ………」
俺が突付いた瞬間、レイナは前のめりになったかと思うと……。
ヤな擬音を口にしながら、海岸の土手を転げていった。
砂浜まで縦回転でのんすとっぷ・ざ・レイナ。
なんか映画のタイトルみたい。
「見事な回転だ……」
「とら! 感心してる場合じゃないでしょ!」
静流が叫びながら、土手を駆け下りていく。
土手を駆け下りていく再に、静流の長いスカートが捲れて水色のパンツが見えたが……確かにそれどころ
じゃない気がする。
なぜなら、縦回転したレイナの白いワンピースからも、白いパンツが見えたからだ。
って、パンツのことはどーでもいいのか?
いま、俺の考える事は……。
「と、とら〜! レイナさん、目を回してるよぉ! ど、どうしよう?」
証拠隠滅……か?
「そのまま海に流しちまえ〜」
「馬鹿言ってないで、手伝ってよ!」
「く、くるくるくるくる〜〜〜〜」
慌てふためいた静流と、妙な擬音を口にしたままぐったりしているレイナの元に……駆け寄りたくない
なぁ、俺。
「ひ、酷いデス、大河サン〜」
なんとか湾曲した世界からの脱出を果たしたレイナが、俺に非難の蒼い瞳を向けてきた。
静流は海で濡らしたハンカチをレイナの額に当てて、介抱している振りをする。
けっ、偽善者が!
「ごめんなさい、レイナさん〜。あたしが付いていながら、こんな目に〜」
「あたしが付いていながらって……オマエだって足音殺して、近づいたぢゃねーか! 自分一人、良い格好す
んな!」
「そ、そんなことしてないですよ、はい♪」
オマエの敬語は怪しすぎる。
どうやら静流は、誤魔化したい事が有ると、妙な敬語をつかうよーだ。
また一つ、静流の妙な生態を発見。
「そ、それデ、ワタシになにようでスカ〜?」
くらくらした頭を振りながら、レイナが問い掛ける。
その際に白いワンピースの胸元から白い肌が覗けたのだが……やっぱり胸の谷間などと言うものは存在
していなかった。
つまんね。
「あ、あのね。もしレイナさんが暇だったら、あたし達と一緒に、街で買い物でもしないかなって思って。ね、と
ら♪」
「お、おう」
まるで自分が言い出したような口調で、静流がにこやかに言う。
さっきは渋ったくせに。
だが俺たちの会話を聞いて、レイナは俯いた。
「せっかくデすが……遠慮させて頂きたク存知まス……」
丁寧だが、陰りの在る返事。
「なんでだ?そのの暴れアニマルなら、噛み付きやしないぞ……餌さえ与えておけば」
「誰がアニマルよ!アンタこそケダモノのくせに!」
「誰がケダモノだ!」
俺たちのやり取りを聞いて一瞬笑顔を作ったレイナだったが、すぐにまた俯いた。
レイナの気持ちを高揚させるミッション、失敗。
「ワタシ……誰かと仲良くスル資格なんか……ナイのデス……」
………え?
ど、どういう意味だ?
「……どうして、レイナさん?」
それは静流も同じ気持ちだったらしい。
レイナは、静流の方を向いたかと思うと……細い笑みを浮かべた。
白くて細い身体そのままの、細い笑み。
その笑みがあまりにも哀しくて……。
「ワタシ……昔かラ……」
「昔に何があったか知らねーが、仲良くするのに資格云々が必要なのか?」
「………………エ?」
何と無く俺は面白くなかった。
俺だって立派な過去の持ち主なんかじゃない。
むしろ……誰とも仲良くする資格が無いのは、俺の方かも知れない。
だが……それじゃ寂しいだろ?
例えそれが自己弁護だとしても。
「過去に何があったか知らんが、俺が許してやる! ………無論、静流もだ」
俺の台詞に、静流が優しく頷いた。
こーゆーときは、息が合ってて助かる。
「………だけド……」
「むしろ、俺の過去を許してくれるとありがたい。……さっき突き飛ばした事とか、目玉焼きが冷めた事とか
な♪」
「………………あ………………アハハ♪」
俺の台詞を聞いて……レイナが笑った。
先ほどの細い笑みとは違って。
その顔は、女の子の笑顔だった。
「デモ……ホントに良いのデスカ?」
三人で街まで歩く途中、いきなりレイナが口を開いてきた。
結構しつこいな。
つーか、ただ単に遊びに行くだけなのに、そんなにこだわる事は無いと思うのだが……。
よっぽど昔、悪い事をしてきたんだろう。
例えば……改造バイクを乗り回して、付近の住人を睡眠不足のどん底に陥れたとか。
パン屋のシャッターに、『コンビニのパン、最高!』とスプレーで落書きしたとか。
……………それだったら俺のほうが、よっぽど酷い事をしてるな。
「大丈夫ですって♪ あたしもとらも、滅多な事じゃ幻滅なんかしませんから♪」
静流が勤めて明るく言う。
こいつも『百地』だから、俺よりは多くの情報を持っているのかも知れんが……。
聞いても多分教えてはくれないだろうなぁ……。
海から吹き付ける風が、レイナのオレンジ色のリボンをサワサワと揺らす。
レイナの憂いを表現するかのように。
「そーだそーだ!」
だから俺も勤めて明るく言う。
こーゆー暗い雰囲気は、俺たちは苦手なのだ。
「………………………………!?」
一瞬笑顔になったレイナだったが……いきなり後ろを振り返った。
俺も思わず後ろを振り向くが……何も無い。
………いや………微かに………人の気配………そして………血の臭い?
これは……何だ?
「どうしたの? 二人で後ろ向いちゃ……………………何?」
ようやく静流も気付いたらしい。
と言っても肉眼で何かが見えたわけではない。
なのにレイナは俺たちより早く気付いた。
この………『敵』の気配に。
「やっぱリ……離れちゃダメでシタ……ごめんなサイ……ふたりとモ……」
レイナが蒼い瞳を閉じた。
離れてって………誰から?
まさか………親父からか!?
親父からってことは……この仕事は『楯岡』の物か?
それはちと不味い。
俺だけだったら凌げるかもしれないが……静流とレイナが一緒では……。
俺が『楯岡』になるわけには行かないのだ。
「大河サン………アリガトウ♪」
「な、なにがだ!?」
段々殺気が近づいてくる。
だが……肉眼では見えない。
「ワタシのこと……ワタシの昔を許してクレるって言ってクレテ……嬉しいデス♪」
俺は全面の殺気に意識を集中する。
その背後で………レイナが呟く。
「デモ……多分………」
「なんだよ!!!」
今それどころじゃねーだろ………って………。
振り返った俺が見たものは………蒼い瞳から………涙をポロポロ流しているレイナだった。
海からの風が、レイナのリボンと……涙を揺らす。
そんな場合じゃないのに………俺は思わず見とれてしまった。
涙を流しながら………細く笑うレイナに………。
「大河サン………ワタシの昔を許してくれるってイッテくれまシタ………♪」
それは静流も同じ気持ちだったのだろう。
『百地』である静流も……。
『楯岡』である俺の動きをも止めてしまうほどの……………。
哀しい笑顔。
哀しい言葉。
「………ワタシの未来も………許してくれマスカ?」
………な、なに?
その瞬間、何箇所かの地面の砂が、上空に舞い上がった。
そこから出てきたのは、見慣れた黒装束。
それは………忍者。
END
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