台所で涙ながらに皿を洗う静流を爽やかに置き去りにして、俺は家の中をふらふらしていた。
 出かける準備っつっても……静流ごときを連れ回すのに、洒落た格好をする必要は無い。
 そんな服なんか、持ってねーしな。
 つーか……金が無い。
 結局親父からは、一銭も貰ってないし。
 向こうで支給されていた『月のお小遣い』名義の、しょぼくれた(ろく)の残りしか、俺の財布には入ってないのだ。
 静流ごときとはいえ……何かしら食わせないといけないだろう。
 アイツの機嫌を直すには、食い物を与えるのが一番だしな。
 だてに昔から、あやつを操ってきた訳ではないのだ。
 あやつを操る……ぷぷっ♪
 俺、結構おもしれーじゃん。
 コメディアンにでもなるかな、将来。
 下らないことを考えながらふらふらしていると、親父と緋那の後姿発見。
 そこは、昨日蓮霞と緋那に出会った食堂の厨房らしい。
 緋那が白いエプロンをつけて、忙しそうに走り回っていた。

「一応、客が居るんだな」
「あ、お兄ちゃん♪」

 喫茶店風の食堂では、緋那がエプロンを付けて忙しそうに動いている。
 親父はカウンターの中で、何か作っているらしい。
 その脇では蓮霞が皿洗いをしているが、どこか不機嫌そうだ。
 つっても、機嫌の良さそうな蓮霞など見たことが無い。
 昨日初めて会ってから、蓮霞の表情が変わったのは数えるくらいしかないからだ。

「よう。頑張ってるか、ネコ娘♪」
「緋那、ねこさんじゃないよう〜」

 そう言いながらも緋那の頭上で、ネコ耳がピコピコ動いている。
 人前では外した方がよいと思うのだが。

「忙しそうだな」
「うん♪ゴールデンウィーク中は、家族連れのお客さんとか多いから♪」

 ………ゴールデンウィーク?
 そーいえば静流が説明していたが、結局理解できてないな、俺。
 よーするに連休の事なんだろ……と、うろ理解。

「ひなぽん。三番にモーニング、持ってってくれないか」
「あ、はい♪お父さん♪」

 頭に疑問符を浮かべている俺の脇から、親父がトレイを差し出した。
 緋那はそれを受け取って、窓際の方に歩いてゆく。
 ………ネコ耳をピコピコさせながら。
 なんだかなぁ……。

「お待ちどうさまでした♪」
「ありがとうデス♪」

 緋那がテーブルにモーニングを置く。
 その椅子には……女の子が一人で座っていた。
 白い髪の毛に白いワンピース。
 オレンジ色のリボン。
 蒼い瞳。
 どっかで……見た事あるよーな……無いよーな……。

「ぽんぽん♪」

 女の子は嬉しそうに、皿の上の目玉焼きに塩を振りかける。

「あっ!」

 そのトボケた擬音系台詞で俺は思い出した。
 昨日、俺が家の前で黄昏てた時……。
 俺の肩を叩いていった女の子……だと思う。
 嬉しそうにフォークを使って、目玉焼きを頬張る白い女の子。
 だが……何か違和感が有った。

「なあ、親父」
「何かね、大河君?」
「あの子……一人なのか?」

 俺は白い女の子を指差してみた。

「ん?ああ、レイナさんか。そうだよ。一週間くらい前から一人でご宿泊だが、それが?」
「………いや、別に」
「……彼女は『仕事』で、『百地』から預かっているんだよ」

 親父が周囲に聞こえないように声を潜めた。
 と言っても別に、緋那や蓮霞に秘匿している訳ではないだろう。
『伊賀崎』もいちおー、名の有る忍者だからな。
 かなり下っ端忍者だが。
 一般人にならともかく、家族にまで素性を隠すような事じゃない。  
 良くも悪くも、この街はそーゆー街なのだ。

「百地から?」
「そう。二週間だけの依頼だがね」

 俺はその依頼の内容に付いて聞くのは止めた。
 なんとなく面倒くさい予感がしたし、俺が受けた『仕事』じゃない。
 だから俺があの女を気にすることは無い。
 無いのだが………。
 周囲では家族連れが、キャイキャイ言いながら食事をしている。
 連休中との事なので、観光客なのだろう。
 その端っこで白い女の子は、嬉しそうにパンにバターを塗りたくっている。
 一人で。
 決して寂しそうな表情ではない。
 虚勢をはっているんでも無いだろう。
 心からモーニングを楽しんでいる笑顔だ。
 一人で。

「……親父」
「なんだい?」
「……俺にもモーニング一つ。大至急だ」

 別に感傷的に成った訳じゃない。
 迷惑かもしれないしな。

「……え?」
「いいから、モーニング作れって言ってんだ、クソ親父!」

 そう言いながら俺は、喫茶店みたいな食堂の中に入っていった。

「僕は君を、そんな風に育てた覚えは無いんだけどなぁ……」

 親父の呟きが後ろから聞こえてくるが、放っておくことに決定。
 俺も育てられた覚えが無いからだ。
 店の中を歩いていく途中で、緋那とすれ違う。

「あれ?どうしたの、お兄ちゃん?」

 緋那のネコ耳が、ピコンと動いた。
 この耳……いつか絶対、分解して構造を調べる!

「ナンパ♪」
「………………………ええ?」












                    第四話   『レイナとゆー女』












 シルバーのトレイを持ってあたふたしている緋那に構わずに、俺は店の中を歩いていく。
 楽しげな家族の脇を抜けて、窓際のテーブルの前に立った。

「よぉ」
「?」

 白い女の子は、バターのたっぷり塗って有るトーストを咥えたまま、俺を見上げた。
 蒼い瞳は、さして警戒もしていないよーに見える。

「オッス」
「これハ、ご丁寧ニ♪おはようゴザイます♪」

 ………………意外な反応だ。
 警戒されると思ってたのに。
 女の子は、妙な訛りの日本語で挨拶を返してきた。
 トーストを手に持ち替えて下げたあたまの上で、オレンジ色のリボンが、ふさふさと動く。
 なんだか妙なオプションが流行(はや)ってるよなぁ……。
 このリボンも、感情表現するのだろーか?
 そんな女の白いワンピースの胸元から、白い肌が見えた。
 んでも……全然胸がねー。
 胸の谷間なんつーものは、存在してなかった。

「ですが、一つだけ聞きたいコト、ありまス♪」

 顔を上げた女の子は、俺を見詰めてくる。
 蒼い瞳で。
 別に警戒した様子は無い。

「なんだ?」
「ドナタさまでショウ?」

 ……………………。
 ま、当然の疑問だな。

「人に名前を尋ねる時には、自分から名乗れ」

 いきなり目の前に現れといて、かなり乱暴な物言いだが。
 だが、白い女の子は、慌てて頭を下げた。
 白いワンピースの胸元が開くので、思わず覗き込むが……。
 やっぱり胸がねーぞ。
 全然楽しくない。

「こ、これハ失礼デス。レイナ・マクフィールドと申しマス〜」

 そう言いながら、テーブルの淵に手をついた。
 ………丸め込んじゃった。
 つーか、なんでこの女の子……レイナは、古臭い動きをするんだろう?
 しかも変な日本語で。

「うむ。これから気をつけるよーに」

 相手が下手に出ているのを良い事に、思いっきり威張ってみる。

「ハイ♪」

 ………(しつけ)ちゃった。
 なかなか素直な女の子だ。
 つーか、こんなんで社会の荒波を渡っていけるのだろーか?
 荒波に飲まれよ―と俺には関係ないのだが……何と無く心配に成る。

「俺は伊賀崎大河。このペンションのスーパーオーナーだ」

 適当な事を言いながら、レイナの正面の椅子を引いて腰掛ける。
 こーゆーのは、勢いが大事だ。
 まずは自分の会話のペースに引き込む。
 それが大事だ。
 つっても、本当にナンパしようってんじゃない。
 ………んじゃ、何をしようとして居るんだろう、俺?

「そ、それハ凄いデス〜♪スーパーなオーナー様♪」

 …………………信じちゃった。
 台詞のところどころが、インチキ外人風に訛っているが。
 誰から日本語を教わったのだろうか?
 責任者出て来い!って感じだな。

「それデ、そのスーパーオーナーサマが、何用でスカ?」
「………取り敢えず、すーぱーおーなー様と呼ぶのをヤメロ」

 自分で言っておいて何だが、ものすげー違和感。

「な、なぜでショう?」

 レイナが頭に疑問符を浮かべそうな顔で、小首を傾げる。
 取り敢えずオーナーだと信じさせるのは成功したが……
 俺、オーナーじゃないしな。

「実はスーパーオーナーとは、世を忍ぶ仮の姿なのだ。無闇矢鱈(むやみやたら)人前でそう呼ばれるのは、ちょと不味い」
「こ、これハ重ね重ね失礼を〜」

 レイナはそういうと、恐縮して頭を下げた。
 なんかヤな感じの寸劇みたいだ。
 シナリオライター出て来い!って感じだな。

「うむ。以後気をつけるよーに」
「ハイ♪」

 ………また躾ちゃったよ。
 ひょっとして俺って、教師とかに向いてるんじゃ?
 頭の中で、女の子の制服に囲まれた俺を想像する。
 ……いいかも♪

「そ、それデ、本当の正体ハなにデスカ?」

 俺の今後の人生プラン妄想を打ち切って、レイナがワクワクしながら問い掛けてきた。
 せっかく新しい人生が開けるかもしれねーってときに。
 ……って、どっかで似たよーな事が有った気が……。

「よ、ヨロシけれバ、教えてくだサイ〜♪」

 そんなにワクワク聞かれてもなぁ。
 別に語るような正体など無いし。
 取り敢えず、また適当な事を言っておくか。
 って、本当に何をしてるのか解らなくなってきたな、俺。
 ただ単に、話し相手に成ろうとしただけだったのに。
 ……って、そんなつもりだったのか、俺?

「実はな……」
「ハイ♪」
「カゲロウお銀と言う名の……」
「あのユーメーな、カゲロウオギンさんデスカ!?」

 え!?
 本当に居るの!?
 なんか聞いたこと有りそうなリズムの名前を、適当言っただけだったのに……。
 まさか実在するとわ。
 こ、これは参った。

「いつモTVで見てまス〜♪水戸旅〜♪」

 テレビかよ!
 因みに水戸旅とゆーのは、昔から続いている時代劇のシリーズ名だ。
 なんとか時代に実在した、水戸の坊主がお供を連れて世直し旅に出るストーリーだった気がする。
 そういえば昨日のレイナの仕草も、どこか時代がかった感じだった。
 まさかそんな時代劇に、カゲロウお銀なんてトボケた名前のキャラが出てきてるとわ……。

「夕べモ、ふともも、キレイでしタ〜♪」

 太腿?
 なんだか解らんが、Gパンの下がすーっと寒くなる。
 その時代劇に出てくるのは確か……小汚いじじい坊主と、お供の侍二人だけだった筈。
 その太腿が綺麗?
 何故そんなサービスカットが?
 ぜってー見たくねー番組に俺認定。

「今日ハ、いつものミニスカートじゃナイんですネ〜?ドシテですか?」

 ………ミニスカート?
 時代劇なのに?

「あ、デモデモ、そのシャツを脱ぐと、豊かナ胸元にサラシを巻いテ……」
「実はだな!」

 レイナの台詞を慌てて打ち切る。
 これ以上聞くのは怖すぎる。

「な、ナんでショウ?」
「カゲロウお銀ってのも、世を忍びまくっている仮の姿なのだ」
「………仮ノ姿だらけデス……」

 流石におかしいと思ったのか、レイナの表情が沈んだ。
 つーか、よくここまで会話が続いたと感心しちまう。

「せっかク……決め台詞を聞かせて貰おウと思いましたノニ……」

 ………そっち方面で残念がられてもなぁ。
 なんか子供を騙している気に成って来たぞ。

「じゃあ、ホントは何様なのデスカ?世をシノバない姿を教えテ下さイ〜」

 んと……そう言われても、明かすべき正体なんか持ち合わせてないしなぁ。
 自分の会話能力の無さが恨めしい。

「実はな」
「ハイ♪」

 先ほどの事も忘れたが如く、レイナが明るい返事をした。
 その姿が何と無く可愛くて……話しが進まないのは解っているんだが。
 また適当なことを言いたくなる俺。
 つーか、言う事に決定。

「遠く離れた銀河(コスモ)からやって来た……」
「………それモ仮の姿なのデスカ?」

 な、何故解った?
 つーか、ちょっとしつこかったか、俺?
 レイナは一つ溜息を付いた後……俺の両手を握ってきた!?

「な、なにヲするんでスカ?」

 驚きのあまり、インチキ外人風のイントネーションに成る俺。
 いや、そんなに冷静に解説してる場合じゃねーって気もするが。
 公衆の面前……それも身内の近くで、女の子に手を握られるとわ。
 まあ、避ける気だったら、避ける事は出来たんだが。
 あえて手を握られる事を選んだ俺は、ちょっとだけ男らしい♪

「……動かなイデ……今、スーパーオーナー様が何者か当てて見せマス♪」

 スーパーオーナーは止めろ!
 ………って、当てる?
 どうやって?
 俺の疑問を余所に、レイナが俺の手を握ったまま静かに蒼い瞳を閉じた。
 ……何と無く身動きする事が躊躇(ためら)われて……。
 俺はレイナの暖かい手に、感覚を委ねる。
 ………一秒………二秒……。
 レイナが、ゆっくり目を開けた。
 何故か蒼い瞳が、少しだけ潤んでいる。

「………解りまシタ♪」
「ほ、本当か?」
「ハイ♪貴方様は……このペンションのご主人の息子様なのデスネ?」

 ……………なにぃぃぃぃぃ!?
 あ、当たっている。
 まさかテレビで見る、読心術ってヤツか?
 あんなの、フィクションとヤラセばっかりだと思ってたのに……。
 いやいや……この程度では信じる事なんか出来ないぞ、俺。
 あんなの、空想の産物だ。
 忍者の俺が言うなよって感じもあるが。

「そしテ……凄く近イ未来に……ヒドい目に……あいまス……」
「な、なんだとぉ!?」

 ど、読心術だけじゃなく、遠見(とおみ)の術まで出来るのか?
 って、それはフィクションだ、俺。
 落ち着け、俺。
 と、取り敢えず酷い目ってなんだ?
 つーか、なんで信じてる、俺?

「そ、それハどんナ酷い目でショウか?」

 慌ててるので、インチキ外人風のイントネーションに成る俺。

「それはね……………」
 
 はっ!
 後ろから殺気!?
 つーかこの声……静流か?
 後ろから尋常じゃない風切り音!?

「こんな目よ!!!」

 ガード!………と思ったら、両手が握られてるぅ!?
 ガィィィィン……………。
 充分エコーの掛かった打撃音が、俺の後頭部から発生しております。
 そのまま前に突っ伏す俺。
 水色のテーブルクロスが目に優しい♪
 テーブルの硬さは、頭に厳しいけどな。

「なんでアンタは、公衆の面前で女の子の手を握ってんのよ!」

 な、何ででしょう?
 俺にもさっぱり解りません……。
 薄れゆく意識の中で、静流に対して言い訳が出来ないでいる俺。
 テーブルクロスの水玉模様など、意味無く数えてみる。
 いっこ……にこ……さんこ……。

「おはようゴザイます、静流サン♪」
「おはようございます、レイナさん〜♪……ていうか、気をつけなきゃダメですよ、レイナさん……」

 ……よんこ……ごこ……ろっこ……ななこ………ぐ、ぐすん………

「な、ナニをでショウ?」
「今、その意識を失いかけている生き物の事です。そいつは女の敵ですからね……」

 ………ぐすぐす……は、はちこ……って、好きなことを言いやがって!
 誰が女の敵だぁ!
 むしろ味方のつもりなんだが……。
 つーか、なんでレイナと静流が……って、そう言えば親父が言ってたっけな。
 百地の依頼で、レイナを預かっているって。
 知ってて当然か。

「言いましたよね。この家に、危ない生き物が帰ってくるって話は。本当は家に住んで貰うのが一番安全な
 んですけど……家の……その……当主が……」

 静流の声が段々小さくなる。
 そして俺の意識も段々遠くなる。

「ハイ♪この家ニ帰ってクる息子サンのこと、途中で思い出しテきましタ♪」

 ………読心でも、遠見でもねーじゃねーかよ!
 元ネタは有った訳だ。

「そうです♪そこで突っ伏しているのが、危険なケダモノです。近づいちゃいけませんから♪」
「……ケダモノ?また仮ノ姿でスカ?」
「………え?か、仮の姿?」

 あ〜……話が混ぜっ返されていく〜……。
 混乱収拾のために一時閉幕……と思った瞬間、俺の手に鋭い痛みが走った。

「熱っ!」

 打撃や刺痛(しつう)系の痛みじゃない。
 これは……熱による皮膚の焼けた痛みだ。
 俺は慌ててレイナの手を離す。
 突っ伏していたテーブルから頭を離して、静流を睨み上げた。

「オマエ、気をつけろ!!」
「な、なにがよ?」
 
 静流は突然の俺の剣幕に、少しだけビビってるようだ。
 俺は静流の持ってるトレーに目をやった。
 さっきから匂いで、静流が俺用のモーニングセットを持っていることは解っていた。

「今、そのトレーから何か零しただろう!? 俺の愛くるしいお手々にかかったぞ!」

 そう言いながら自分の人差し指を見てみる。
 俺の『いー仕事をする』指は、体育館で転んでやけどした膝の如くツルツルになってた。
 俺の鍛えた指の皮膚を焼くとは……。
 ペンション『大巨人』のモーニング、恐るべし温度。
 つーか、そんな温度の飲み物、飲めねーよ!。

「そ、そんな言いがかり言わないでよ! アタシがそんなドジな事、するわけ無いじゃない!」

 ……そう言えばそうだな。
 こんなプルンプルンな胸をしていても、一応静流は忍者なのだ。
 忍者たるもの、この程度の攻撃を発してもバランスを崩す事など有り得ない。
 胸と忍者の因果関係は秘密だ♪

「オマエならワザとやりかねない」
「やるんなら、頭から掛けるわよ!」

 平然と恐ろしい事を言ってのける女だ。
 つーか、何でこんなに怒ってるんだ、静流のヤツ?

「あ、あノ……ごめんなサイ……」

 何故かレイナが、突然謝ってきた。
 済まなそうにテーブルの下に手をやって………って違うか?
 何か隠そうとしているような仕草。
 もしかして……。

「レイナ……おまえ?」
「ええ!? バ、バレたのでスカ?」

 当たり前だ。
 そんな風にあからさまに隠したんじゃ、俺の感覚を欺く事は出来ない。

「静流に気を使わなくて良い。レイナも手に火傷したんだろ?」

 静流を庇おうとして、手を隠しているに決まっている。
 なかなか気の優しい女の子だ。

「零してないって言ってるでしょ!!!」

 ………そういえばそーだな。
 んじゃなんで手を隠してるんだ?

「ゴメンなさイ……ちょっと調子にノリ過ぎまシタ……」

 とか言いながら、レイナが段々小さくなっていく。
 いや、その謝っている……。

「ああっ! レイナさんは謝らなくていいんですよ〜。悪いのはとらですから〜」

 ……理由が知りたくねーのか、静流は!?
 つーか、俺は悪くない!

「せっかク……話し掛けテくれたノニ……ごめんなサイ……とらサン……」
「え? そうなの、とら?」

 なにがそうなのかは解らんが、取り敢えず……。

「レイナ。俺のことは大河と呼んでくれ。その代わり俺はオマエのことをレイナと、爽やかに呼び捨ててやる
 から」
「何が爽やかなのよ……」
 
 静流の呆れた声も、今の俺にはどーでも良い事だ。
 俺はとらなどと呼ばれるのが、あんまり好きじゃない。

「デモ……静流サンは、とらサンのことをとらサンと……」 

 ……わざとじゃないだろうな?
 とらとら連呼すんなよ。

「ま、こいつは言っても聞かねーから。せめてレイナだけでも、俺のことは名前で呼んでくれ♪」

 レイナは少し考えた後、元気良く頷いた。

「ハイ♪」
「んじゃ、朝飯再開といこーぜ。静流、俺の朝飯、よこせよ」

 少しだけ首を後ろに捻って静流の視線を移すと……何故、赤面している?

「あ、あ………うん♪はい、とら♪」

 何故、機嫌が良い?
 ニコニコしてる不気味な静流から、恐る恐るモーニングの乗ったトレーを受け取る。

「って、ていうか、何で朝ご飯食べた後に、モーニング頼んでるのよ?」

 そして何故、すぐ怒る?
 感情表現の激しいヤツだ。

「いや、なんかレイナの見てたら、食いたくなってさ」
「あっ!!!」

 突然レイナが、悲鳴を上げた。
 俺と静流は、戦闘態勢に入る。
 静流はスカートの内側から、短めの苦無(くない)
 白い太腿が良い感じだった♪
 カゲロウお銀だな。
 見たことねーけど。
 俺はとっさにGジャンを跳ね上げて、背中に貼り付けてある(みさご)に意識を集中する。
 俺の忍具の中では、一番の破壊力を持つ武器だ。
 この(みさご)とは……。

「目玉焼き……冷めて固クなっちゃいマシタ……」

 俺の持つ主戦武器で……って?
 ………目玉焼きが硬いくらいで、そんな悲鳴を上げんなよ。
 しかも、そんなに心底哀しそうな顔をしなくても。
 何と無く……話し掛けた俺が悪いみたいじゃねーか。
 しょうがねー。

「そんな顔すんな!俺のを特別に分け与えてやるから」
「………本当でスカ?」

 レイナの青い瞳が見開かれたと思うと、一瞬で表情が明るくなる。
 目玉焼き一つで、このはしゃぎようとわ……。

「なにを偉そうに……大体とらが話し掛けたりしなければ、レイナさんの目玉焼きが冷める事、なかったん
 じゃない」

 うるせー、静流。
 いませっかく、そのことを誤魔化そうとしたのに……。

「ぽんぽん♪」

 ………って、いつの間にか俺のトレーの上に有った目玉焼きが、レイナの皿に移動している。
 レイナはその目玉焼きに、嬉しそうに塩を振っていた。
 ヤな感じの擬音を口に出しながら。

「………ま、レイナさんが嬉しいなら、それで良いけどね………」

 ああ、そうだな。
 そういう事にしとけ。
 そう思いながらも俺は、なにか釈然としないものを抱えていた。
 指に残った熱と共に。









「大体、なんでレイナさんの手なんか握ってたのよ?」
 
 お出かけのおべべに着替えてペンションの入り口でたたずむ俺に、静流がいきなり噛み付いてきた。
 まあ、噛むのくらいは構わないが、歯なんか立てないで欲しい。
 って、なんの話か全く解らないよ、ボク♪
 これから俺たちは、なんかを買うために街まで行くらしい。
『なんか』とか、『らしい』ってのは、俺は出かける理由が解ってないからだ。
 自分のことなのに……とらちゃん、さみしいよ……。

「知るか!あっちから握ってきたんだ。俺に避ける術など無かったのだよ……」
「逃げるのだけは得意なくせに……」
 
 むっ!
 そりゃ『伊賀崎』の俺としては、逃げるのが得意だけどよ。

「……ね♪『五遁(ごとん)の大河』ちゃん♪」
「うるせー」
 
 静流の揶揄(やゆ)にむっとする。
 俺は体裁上、伊賀崎の忍者なのだ。
 下手に戦って、己のスペックの高さを誇示する訳には行かない。
 伊賀崎は下忍の家だから。
 三大大忍とか言われて、鼻を高くしている『百地』などには解るまい。
 ちなみに『百地』は大忍では有るが、忍者の位としては中忍である。
 決して上忍などではない。
 名前が世間に知れ渡っている上忍など、この世の中には存在しないのだ。

「………何、ニヤニヤしてんの?気持ち悪いなぁ……」
「失礼なヤツだな!この笑顔で、『仕事』先の女性を次から次から魅了した俺に対して」
 
 ま、同じ従業員のおばちゃんばっかりだったけどな。
 つーか、俺、ニヤニヤしてた?
 感情のコントロールが甘くなってるかも知れん。
 いくら生家に帰ってきて、幼馴染と歩いているとはいえ、少し気を抜きすぎだな、俺。

「そ、そうなの?」

 静流が俺の顔を、横から不安そうに覗き込んでくる。
 そんな顔されても、どう反応していいか解らん。

「あ、あれ、レイナじゃねーか?」

 取り敢えず、己の軽口を誤魔化しておけ。
 俺は海岸の土手に居た、白いワンピースを指差した。
 話題を逸らしただけでは有るが、少し気に成ったのも本当。

「あ、本当だ。何してんだろうね、あんなトコで?」

 それは俺も気に成る。
 まだ泳ぐには早い大分季節だし、飛び込み自殺するには土手は滑らか過ぎる。
 レイナの後姿しか見えないので、その感情までは解らんが……。
 なんとなく寂しそうに見えるのは、俺が感傷的に成っているからだろうか?
 とらちゃんは感受性が豊かだと、言い換えても良い♪
 言い換える必要性は見当たらんが。

「……誘ってみるか?」
「………え?誰を、何処に?」
「レイナを街にだよ。あんなトコで黄昏(たそがれ)ているよりはマシだろ?」

 それに……昨日の礼もしたいしな。
 慰められはしかなったが、慰めてくれようとしたのは解ってるつもりだ。

「あ、あたしは別に………構わないけど……」

 構わないんだったら、何故にそんな暗い声を出す?
 帰ってきてから……なんか静流の様子がおかしい気がするなぁ。
 月日の流れは矍鑠(かくしゃく)として……って、カクシャクってどんな意味だ?
 ま、下らない事を考えないで、レイナに声でも掛けてみよう。
 静流の憂いの事は、爽やかに忘れて♪
 俺は気配を殺しつつ、レイナに後ろから接近する。
 静流も、『やめなよ〜』って表情を浮かべながらも、足音を殺して着いて来た。
 基本的に俺たちは悪戯っこなのだ。
 やがて俺とレイナの距離が『至近戦闘距離』まで詰まった。
 フフッ……俺の隠形(おんぎょう)の技の凄い事よ。
 つーか、レイナだったら、普通に近づいても気付かれない可能性が高い気がする。

「ふんふふ〜ん♪ るらら〜♪」

 トボケた鼻歌を歌いながらも、なにか遠くを見詰めるレイナの後姿。
 ううっ!
 後ろから、乳を鷲掴みにしてぇ!
 だが……。

「ふんふふ〜ふふん♪ るらららぁ〜♪」

『レイナの〜乳は、薄い乳〜♪』

 ……なので、鷲掴みにしても、あまり楽しく無い気がする。
 って、レイナの鼻歌に合わせて、トボケた歌を完成させる俺。
 なかなかのリズム感だ。
 ま、それはともかく。

「うりゃ♪」

 オレンジ色のリボンの中央を、後ろから指先でちょんとつついてみる。
 付き合いの長さから考えたら、このくらいのお茶目が適切なはずだ。
 ちなみに幼馴染レベルの付き合いの長さだったら、後ろから思いっきり乳を揉み倒す!
 なんだったら下着の中に手を突っ込んで、乳首だって摘まんでみせる!
 ………って……………。

「ころころころころころ〜〜〜〜〜〜〜〜」
「きゃぁぁぁ! れ、レイナさん!!!」 
「あっ………」
 
 俺が突付いた瞬間、レイナは前のめりになったかと思うと……。
 ヤな擬音を口にしながら、海岸の土手を転げていった。
 砂浜まで縦回転でのんすとっぷ・ざ・レイナ。
 なんか映画のタイトルみたい。

「見事な回転だ……」
「とら! 感心してる場合じゃないでしょ!」

 静流が叫びながら、土手を駆け下りていく。
 土手を駆け下りていく再に、静流の長いスカートが捲れて水色のパンツが見えたが……確かにそれどころ
 じゃない気がする。
 なぜなら、縦回転したレイナの白いワンピースからも、白いパンツが見えたからだ。
 って、パンツのことはどーでもいいのか?
 いま、俺の考える事は……。

「と、とら〜! レイナさん、目を回してるよぉ! ど、どうしよう?」

 証拠隠滅……か?

「そのまま海に流しちまえ〜」
「馬鹿言ってないで、手伝ってよ!」
「く、くるくるくるくる〜〜〜〜」

 慌てふためいた静流と、妙な擬音を口にしたままぐったりしているレイナの元に……駆け寄りたくない
 なぁ、俺。










「ひ、酷いデス、大河サン〜」

 なんとか湾曲した世界からの脱出を果たしたレイナが、俺に非難の蒼い瞳を向けてきた。
 静流は海で濡らしたハンカチをレイナの額に当てて、介抱している振りをする。
 けっ、偽善者が!

「ごめんなさい、レイナさん〜。あたしが付いていながら、こんな目に〜」
「あたしが付いていながらって……オマエだって足音殺して、近づいたぢゃねーか! 自分一人、良い格好す
 んな!」
「そ、そんなことしてないですよ、はい♪」

 オマエの敬語は怪しすぎる。
 どうやら静流は、誤魔化したい事が有ると、妙な敬語をつかうよーだ。
 また一つ、静流の妙な生態を発見。

「そ、それデ、ワタシになにようでスカ〜?」

 くらくらした頭を振りながら、レイナが問い掛ける。
 その際に白いワンピースの胸元から白い肌が覗けたのだが……やっぱり胸の谷間などと言うものは存在
 していなかった。
 つまんね。

「あ、あのね。もしレイナさんが暇だったら、あたし達と一緒に、街で買い物でもしないかなって思って。ね、と
 ら♪」
「お、おう」

 まるで自分が言い出したような口調で、静流がにこやかに言う。
 さっきは渋ったくせに。
 だが俺たちの会話を聞いて、レイナは俯いた。

「せっかくデすが……遠慮させて頂きたク存知まス……」

 丁寧だが、陰りの在る返事。

「なんでだ?そのの暴れアニマルなら、噛み付きやしないぞ……餌さえ与えておけば」
「誰がアニマルよ!アンタこそケダモノのくせに!」
「誰がケダモノだ!」

 俺たちのやり取りを聞いて一瞬笑顔を作ったレイナだったが、すぐにまた俯いた。
 レイナの気持ちを高揚させるミッション、失敗。

「ワタシ……誰かと仲良くスル資格なんか……ナイのデス……」

 ………え?
 ど、どういう意味だ?

「……どうして、レイナさん?」
 
 それは静流も同じ気持ちだったらしい。
 レイナは、静流の方を向いたかと思うと……細い笑みを浮かべた。
 白くて細い身体そのままの、細い笑み。
 その笑みがあまりにも哀しくて……。

「ワタシ……昔かラ……」
「昔に何があったか知らねーが、仲良くするのに資格云々が必要なのか?」
「………………エ?」

 何と無く俺は面白くなかった。
 俺だって立派な過去の持ち主なんかじゃない。
 むしろ……誰とも仲良くする資格が無いのは、俺の方かも知れない。
 だが……それじゃ寂しいだろ?
 例えそれが自己弁護だとしても。

「過去に何があったか知らんが、俺が許してやる! ………無論、静流もだ」

 俺の台詞に、静流が優しく頷いた。
 こーゆーときは、息が合ってて助かる。

「………だけド……」
「むしろ、俺の過去を許してくれるとありがたい。……さっき突き飛ばした事とか、目玉焼きが冷めた事とか
 な♪」
「………………あ………………アハハ♪」

 俺の台詞を聞いて……レイナが笑った。
 先ほどの細い笑みとは違って。
 その顔は、女の子の笑顔だった。










「デモ……ホントに良いのデスカ?」
 
 三人で街まで歩く途中、いきなりレイナが口を開いてきた。
 結構しつこいな。
 つーか、ただ単に遊びに行くだけなのに、そんなにこだわる事は無いと思うのだが……。
 よっぽど昔、悪い事をしてきたんだろう。
 例えば……改造バイクを乗り回して、付近の住人を睡眠不足のどん底に陥れたとか。
 パン屋のシャッターに、『コンビニのパン、最高!』とスプレーで落書きしたとか。
 ……………それだったら俺のほうが、よっぽど酷い事をしてるな。

「大丈夫ですって♪ あたしもとらも、滅多な事じゃ幻滅なんかしませんから♪」

 静流が勤めて明るく言う。

 こいつも『百地』だから、俺よりは多くの情報を持っているのかも知れんが……。
 聞いても多分教えてはくれないだろうなぁ……。
 海から吹き付ける風が、レイナのオレンジ色のリボンをサワサワと揺らす。
 レイナの憂いを表現するかのように。

「そーだそーだ!」

 だから俺も勤めて明るく言う。
 こーゆー暗い雰囲気は、俺たちは苦手なのだ。

「………………………………!?」

 一瞬笑顔になったレイナだったが……いきなり後ろを振り返った。
 俺も思わず後ろを振り向くが……何も無い。
 ………いや………微かに………人の気配………そして………血の臭い?
 これは……何だ?

「どうしたの? 二人で後ろ向いちゃ……………………何?」

 ようやく静流も気付いたらしい。
 と言っても肉眼で何かが見えたわけではない。
 なのにレイナは俺たちより早く気付いた。
 この………『敵』の気配に。

「やっぱリ……離れちゃダメでシタ……ごめんなサイ……ふたりとモ……」

 レイナが蒼い瞳を閉じた。
 離れてって………誰から?
 まさか………親父からか!?
 親父からってことは……この仕事は『楯岡』の物か?
 それはちと不味い。
 俺だけだったら凌げるかもしれないが……静流とレイナが一緒では……。
 俺が『楯岡』になるわけには行かないのだ。

「大河サン………アリガトウ♪」
「な、なにがだ!?」

 段々殺気が近づいてくる。
 だが……肉眼では見えない。

「ワタシのこと……ワタシの昔を許してクレるって言ってクレテ……嬉しいデス♪」

 俺は全面の殺気に意識を集中する。
 その背後で………レイナが呟く。

「デモ……多分………」

「なんだよ!!!」
 
 今それどころじゃねーだろ………って………。



 
 振り返った俺が見たものは………蒼い瞳から………涙をポロポロ流しているレイナだった。


 
 海からの風が、レイナのリボンと……涙を揺らす。



 そんな場合じゃないのに………俺は思わず見とれてしまった。

 
 
 涙を流しながら………細く笑うレイナに………。



「大河サン………ワタシの昔を許してくれるってイッテくれまシタ………♪」



 それは静流も同じ気持ちだったのだろう。


 
『百地』である静流も……。



『楯岡』である俺の動きをも止めてしまうほどの……………。



 哀しい笑顔。



 哀しい言葉。











「………ワタシの未来も………許してくれマスカ?」
 












 ………な、なに?
 その瞬間、何箇所かの地面の砂が、上空に舞い上がった。
 そこから出てきたのは、見慣れた黒装束。
 それは………忍者。











END






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