俺は取り敢えず緋那に駆け寄った。
 とはいえ、周囲の警戒は怠らない。
 緋那は元気そうに……無駄に元気そーに……見えるが、状況が異常なのは一目瞭然だ。
 なんせ……。

「おにーちゃん〜〜〜。一緒に入ろうよ〜〜〜♪」

 と、ネコ耳少女が、薄乳を一般公開しながら手を振ってるし……

「アセアセ〜。イソイソ〜」

 ……と、隣で脱ぎ始める薄乳は居るし……って!

「なに、誘われるまま、脱衣しよーとしてんだよ!!!」

 既にワンピースの肩紐が片方落ちているレイナに、全力で突っ込む。

「だっテ……お誘イいただいてルのに……悪イじゃないデスか〜」
「……悪くないから。頼むから大人しく、良い子しててくれ」
「………ハイ〜〜」

 レイナは意気消沈しながらも、ワンピースの肩紐を直した。
 しかし……いまさらだけど……レイナ、ブラジャーしてないんだなぁ。
 いや、必要ないのかもしれんが……少し残念。
 俺、風でめくれるパンツとかにはまったく興味ないのだが、ブラジャーは好きなんだよなぁ。
 ………今、考えなくちゃいけないのは、それじゃねぇ。

「レイナ。ここ動くなよ」

 俺は手甲のリングを締めながら、レイナを見た。
 レイナの青い瞳が、少しだけ潤んでいる。
 ムム、やばい。
 あの表情は……俺のことを、心底心配している表情だ。
 レイナは俺に、恋愛感情を抱いてるのかもしれない。
 まあ、これだけ強くてかっちょいい俺に惚れてしまうのも解る気が……。

「……ひトりで入ルのは、ずルいデス〜。ワタシも入りたいデス〜。ぶラり温泉湯煙ボジョウ♪」

 ぶらりなんかしねぇ。
 しかし、恋愛云々は、俺の先走りか。
 そりゃそーだよな。

「お前忘れてないか?緋那は攫われてるんだぞ?」
「………………………アッ!」

 あ、じゃねぇ。

「バスタオル、ないデス〜」

 そうじゃねーよ!
 これだから天然系は始末におえない。
 静流といい、レイナといい……有る意味、蓮華も緋那も天然だな。
 蓮霞の場合は、暗黒面に天然だが。
 これで奈那子(ななこ)でも出てきたら、収拾がつかなくなる。
 ……………久しぶりに思い出したな、奈那子のこと。

「……おとなシク、してマス〜〜〜」

 俺の目の鋭さが解ったのだろう。
 レイナはますます小さくなった。

「頼んだぞ」

 レイナが頷いたのを確認して、緋那の居る温泉に近づく。
 この温泉はさほど広くない。
 もともとただの野泉だし、中央に岩が有るし。
 岩の回りのくぼ地に、お湯が溜まっていると言っても良いくらいの広さなのだ。
 その程度の広さで、緋那は手を振っている。
 実に晴れやかな笑顔で。
 俺に感知出来なかった筈は無いのだが……。















                    第七話   『楯岡』














「おにいちゃん♪ 一緒にはいろ♪」

 温泉の縁までたどり着いても、緋那はご機嫌で手を振っている。
 どこかおかしい。
 まるで壊れたレコードみたいだ。
 同じ言葉を繰り返してる。

「緋那……お前、ここでなにしてる?」

 俺が目の前に居るにも関わらず、緋那は胸を隠そうとはしない。
 湯で温められてるせーか、白い肌がほんのりとピンク色だ。
 薄い胸のちっこい乳首が立ってたりして……ヤバイ。
 俺の股間が暴れアニマルに……。
 俺、胸が大きい方が好みなんだが……属性変更しちゃおっかな?

「温泉に入ってるの〜♪ 一緒にはいろ♪」
「誰に連れてこられた?」
「緋那、自分で来たんだよ?変なおにいちゃん♪」

 お前の方がオカシイ。
 いかに兄とはいえ、俺は義理なのだ。
 薄い乳、プルプル……いや、プルプルはしてねーけど……させて平気な関係じゃないはず。
 ましてや昨日会ったばっかりなのに。

「ね〜ね〜。そんなことより、一緒に入ろうよ〜」

 緋那が俺を手招きする。
 俺との距離は、数十センチ。
 もう少し緋那が手を伸ばせば、届く距離だ。

「入るわけねーだろ。帰るぞ」

 なんでこんな状況かは解らんが、敵の姿が見えないうちに緋那を確保しといた方が良いだろう。

「え〜〜〜。やだ〜〜〜〜〜一緒に入るぅ♪」
「ヤダじゃねぇ」
「だって、ここ、気持ち良いよ? ………ほら、こんなにスベスベ♪」
 
 緋那が自分の胸の上を、愛撫するよーに手を滑らせた。
 一瞬で恍惚とした表情を浮かべる。

「あ………はっ………ね、こんなに……やぁ……き、気持ち良いよ♪」

 ………これは……。

「あん……………はぁっ! ………き、気持ちイイよ……ああん……」

 緋那は乳首を軽くつまんだ。
 これは……もしやぁぁ!
 レイナが週に三回はしていると言われている、アノ行為か?

「やぁん!」

 そのままねじるよーに、こねくり回す。
 緋那の乳首は、完全に勃起していた。

「はっ……はぁん………き、きもち………いいよ♪」

 緋那は……胸が弱点なのか……。
 徐々に緋那の口が、だらしなく開いて行く。
 時折上唇をなめる舌が、異常に艶かしい。
 状況が状況でなかったら、もっと堪能したいのだが……。

「お、おにいちゃん……♪ ……い、一緒に……気持ち……ああっ! 気持ちよく………なろう……よぉ
 ……♪」

 そーしたいのはやまやまだが、そーする訳にも行くまい。
 明らかに今の緋那は、何かに操られているから。
 忍者の用いる丸薬には、媚薬みたいな物も有る。
 発汗を促し、気分を昂揚させるシロモノ。
 しかし、あくまでも『媚薬みたいな物』だ。
 飲んだ対象者が、その気になっていないと、なんの効果も無い。
 性欲を無理矢理引き出す薬……有ったら欲しいが、俺はその存在を確認してはいない。

「はぁ………ああっ!………♪」

 人の感情を一瞬で自在に操れる薬など、この世の中には存在していないのだ。
 洗脳するにしても、長い時間と数々の術式が必要になってくる。
 媚薬効果を生み出すとすれば、まず対象者がエッチな気分になっていないとダメなのだ。
 つまり、性欲増幅薬。
 俺は自前で増幅出来るので、必要無い。

「も、もう……が、我慢できないぃ……♪」

 対象者がエッチな気分になっていたとしても、我を忘れるほど乱れてしまう訳ではない。
 人の心とは、それほど単純に出来ているわけではないのだ。
 一服盛っただけでエッチな気分になるなど、夢のまた夢。
 欲しいけど。

「お、おにいちゃん………触ってぇ♪」

 どこをだよ!
 緋那の艶かしい指の動きが、思考の邪魔をしやがる!
 しょっぼい乳のくせに……中々の色気だ。
 俺の手を握ろうと、緋那が細い指を伸ばしてくるが……。

「きゃぁ!?」

 エロ心をかみ殺し、緋那の手を掴んで……温泉から引き抜いて投げる!
 気持ち的には、やせ細ったゴボウを畑から抜く、熟練の農業人のノリで。
 その農業人は、六代続いた東北農家の跡取りである。
 仕事は実直、周囲の評判も良いが、嫁の来てが無いのが悩みだ。
 裏設定的にゆーと。

「あわわっ!?」

 緋那がバタバタと手足を動かしながら、レイナの方向に飛んで行く。
 緋那の体重が何キロ有るか知らねーが、異常に軽かった。

「はウわ〜〜〜〜。緋那チャンが飛んデ来まス〜〜〜〜」

 レイナが慌てて緋那を受け止めようとする……が!

「にゃぁ!」
「とブるっ!」

 意味不明な叫び声で、レイナが仰け反った。
 緋那はレイナの薄い胸を蹴って、俺の方向に飛んできたのだ。
 いわゆる、三角飛び。
 レイナの胸だったら、さぞかし蹴りやすかっただろう。

「コロコロコロコロ〜〜〜〜〜………」

 蹴られた反動でレイナが転がって行く。
 助けてやりたいが………そうもいかない!
 緋那が全裸のまま、俺目掛けて全力ダッシュしてきたからだ。
 目が……血走っている。
 その迫力に思わず道を開けてしまいそーになるが………緋那の目的地は俺だ!

「にゃぁぁぁ!!!」

 全裸の緋那が、俺目掛けてハイキック!
 空手やキックボクシングの蹴りじゃない。
 見栄えは良いが威力の無い、素人キックだ。
 緋那の秘所(ひしょ)が丸見えになった。

「フッ!」

 俺は(みさご)の腕背で、がちりと受ける。
 二重構造で出来ている手甲の中には、無数の鉄糸が張り巡らされているので、表面上の固さは鉄と変わ
 らないのだが……。

「にゃぁぁぁ!!にゃっ!にゃっ!」

 緋那は大して痛がる様子も無く、奇妙な泣き声を上げながら、連続で蹴りを打ってきた。
 俺は状態を反らして、緋那の『当っても痛く無さそうな』蹴りを(かわ)す。
 蹴りのたびに緋那のネコ耳と、恥毛が揺れていた。
 恥ずかしくないのかね?
 そこまでじっくり見る、俺も俺だが。

「なぁぁ!!!」

 緋那の怒声と共に……見切れぬ程の早さで、右上段蹴りが飛んで来た。
 見きれなかった原因に……物珍しいモノをじっくり干渉していたせいもある。
 くっ!
 なんとかしゃがんで(かわ)す……と、同時に、緋那の膝が顔面に迫る!?
 右蹴りの反動を利用しての、左膝蹴りか。
 一瞬緋那の身体が、宙に浮いた。
 しょうがねー。
 しゃがんだ体勢では(かわ)せないと悟った俺は、緋那の膝に拳を横から打ちこむ!
 女の子を殴るのはヤなんだけどなー。

「にゃぁ……」

 緋那が、殴られた膝を支点に……一回転!?
 そ、そんなに強く、殴ってないぞ、俺。
 攻撃が逸れるくらいに殴ったつもりだったのだが……。
 その焦りが隙を生んでしまった。
 側転状態から着地した緋那は、俺の胴に組みついてきた。
 全裸の少女に抱きしめられる俺。
 状況が状況だったら………って!?

「なぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 そんな妄想してる場合じゃなかった。
 緋那の下半身が俺の両足の間に滑り込んできたかと思うと、緋那の腰を支点に俺の身体が半回転!
 思いっきり後方に投げられる。

「ぐはっ!」

 プロレスでいうところの、フロントスープレックスって技だろう。
 見事な弧を描いて、俺の身体が地面に叩き付けられる。
 何とか受身は成功したものの、全身に強い痛みが走った。

「にゃぁぁ♪」

 放り投げられ、仰向けに寝かされた俺の上を転がって、緋那が馬乗りになる。
 女性上位ってヤツだ。
 男が上になった状況は、マウントポジションと呼ぶ。
 って、冷静にボケてる場合じゃねーよ!

「なぁぁ!!!」

 緋那の拳が、顔面に迫る!
 ………ヤだなぁ。
 だが、俺も黙って殴られる趣味は無い。
 当っても大して痛く無さそうだが、屈辱的だからだ。
 俺は、受けよりは攻めの方が良い。

「セェ!」

 緋那の拳に、左拳を合わせる!
 敵なら(みさご)の方で殴るのだが、緋那相手じゃな。
 ゴキィ……。

「うにゃぁ!?」

 左拳で、緋那のパンチを吹き飛ばす!
 そのまま……緋那の可愛らしいおへその上に……着弾!

「あ………ああ………」

 フック気味にねじりこんだ拳が、緋那を悶絶させた。
 ごめんな、緋那。
 次はもっと色っぽいシーンで、上に乗っかってくれぃ。

「よっ……っと」

 お腹を押さえて苦しむ緋那をどけて、立ちあがる。
 膝を突いて苦しんでる緋那に………。

「せっ!」
「………………あっ!?」

 頚ついに手刀を入れて、止めを刺す。
 って、止めを刺しちゃ、ダメじゃん。
 一応手加減の限りを尽くして、緋那の意識を奪う。
 これ以上蹴りを貰ったり、上に乗っかられたりしたら、勃っちゃうからだ。
 義兄として忍者として男として……それだけは避けたい。
 一応、戦闘中だしな。
 前のめりに崩れる緋那の肩を抱きとめて、そっと地面に寝かす。

「ごめんな。痛くして」

 初めてだったろーに………それは違うな。
 ボケながらも緋那の体に、俺のGジャンを掛けてやる。
 このまんまじゃ、風邪ひいちゃうからな。
 湯冷めは健康の敵だ。
 せっかくの温泉が台無しになる。

「凄いな〜、お前。実の妹に、それだけ加撃(かげき)するか、普通〜?」
「………実の妹じゃねーよ。義理だ、義理」

 楽しげで野太い揶揄の方向を睨みつける。
 開けた草むらに……長身で、スキンヘッドの男が立っていた。

















「驚かないのか……つまらないな」

 浴衣のような薄青色の着物を着た男が、心底つまらなそうに呟く。
 身長は俺より20cmは高い。
 つまり、2m前後。
 着物から覗ける筋肉は、どれも隆々としていた。
 一見して、パワーファイタータイプだと解る。

「そーでもねーさ」

 気配を感じられなかったからな。
 そして………それは今でも……………。
 俺も戦闘体勢を取るが……マズイ。
 マズイですよ、お客さん。
 目の前に居る男の……気配が読み取れないのだ。
 存在しているのは解る。
 それは確かだ。
 が、しかし、それは視覚情報としてだ。
 何と言えば良いのだろう…………。
 見えているのに、その存在が感じられないのだ。
 多分目をつむれば、気配を感じる事が出来なくなる気がする。

「てめーが緋那をさらったのか?」
「厳密に言うと、俺じゃないけどな」

 男は光る頭を撫でながら呟いた。
 その背中からは、黒くて長い柄が出ている。
 グリップに当る部分に、黒い布が巻かれているのが見えた。
 丸みとい、長さといい、得物は……棍か?

「なんのために緋那をさらった?」
「それに答える忍者が居るのか?」

 ニヤニヤしながら男が言う。
 確かにそのとーりだ。
 つーか、忍者なのか、コイツ。
 んじゃ、質問を変えてみるか。

「無駄な抵抗は止める。おまえの言う事を何でも聞くんで、お前の要求を聞かせろ」

 勿論そんなつもりなど、毛頭無いが……。

「………………………」

 男はしばらく沈黙した後………豪快に笑い出した。

「がっはっはっは♪お、オマエ、面白いヤツだなぁ♪」
「そりゃどーも」

 受け答えしながらも、周囲に気をめぐらす。
 伏兵は……居なそうだが、目の前の男の気配が感じられないとなると……あまり当てにならないな。

「俺は藤林朋蔵(ともくら)。要求は……あそこで転がっている白髪の女を手に入れること……らしいな」

 スキンヘッドの男……朋蔵はレイナを指差しながら言った。
 ………藤林忍軍の長か。
 ちょっと厄介な人間まで、敵に回ったもんだ。
 指の先を見てみると、確かにレイナが転がっている。
 緋那に蹴られた衝撃で、倒れているのだろう。
 大した怪我が無い事を祈る。
 ……普通よりダメージは大きそうだがな。

「らしいってのはどーゆーことだよ?」

 本人の意思じゃないって事か?

「俺は別にどうでも良いからな。あんな貧乳」

 それは同意。
 いや、レイナがどうでもよいってポイントにじゃなくて、貧乳って表現に同意。

「どーでも良いんなら見逃せ。ボクタチは帰らせていただきます♪」
「そうは行かないさ」

 朋蔵はにやりと笑った。
 無骨な笑みの奥に、残忍な輝きを放つ犬歯が見える。
 コイツは……マニアだ。
 猫耳マニアとかじゃないのが、緋那にとって救いだったな。
 朋蔵は……飢えている。
 戦いに。
 血と肉片の飛び交う戦闘に。

「伝説の上忍……『楯岡』と戦える機会など滅多に無いからな。むしろ俺の要求は、そっちだ」

 ………………はぁ。
 俺の予想は当ってたものの……『楯岡』の事を知っているのか……。
『楯岡』って……ドコが秘密なんだよ!
 レイナにもばれてるし。

「何故『楯岡』を知ってる?って顔だな♪」
「そうだな。こんな三下家系にまで知られているとは……少しだけショックだ」

 俺の台詞に、朋蔵の眉が釣り上がった。
 三下って個所が気に入らなかったのだろう。
 一応『藤林』も、三大大忍の一つだからな。












 楯岡(たておか)
 現代において、『楯岡』を名乗る忍者は存在しない。
 遠い昔に、忍者の歴史から抹殺されている名前だからだ。
 そのルーツは結構古いが、そんなことはどーでも良い。
 伊賀忍軍の家系はあまた有れど、上忍と呼ばれる家系はほんの一握りだ。
 静流んちの『百地』も、目の前のスキンヘッド野郎、『藤林』も中忍にランクされている。
 理由は簡単。
 名前が世間に知れ渡っている家系など、上忍の資格は無いからだ。
 ましてや『歴史上、三大大忍』などと呼ばれてヘラヘラしてる奴らに、上忍など名乗って欲しくない。
 俺んちはいちおー、上忍にランクされているらしいな。
 月刊『ニンジャ野郎』の調べによると。
 勿論、そんな雑誌など創刊されていない。
 本当の忍者は、誰にも知られる事無く……影と闇に沈んでいる。
 とはいえ、うちも結構有名なんだけどな。
 俺のご先祖様……『楯岡』開祖と口伝されている楯岡道順が、あまりにも派手な活躍をしてしまったから
 だ。
 伊賀甲賀風魔合わせて450機が守護していた織田信長を狙撃した、歴史上唯一の忍者。
 しかも二回も。
 有る時は警護する忍者に悟られる事無く忍びこみ。
 有る時は警護する侍や忍びを、大量に斬って捨てる。
 誰にも知られる事無く。
 信長の首に、手に持つ忍刀を突き付け……命を奪うことなく去って行ったとされているが……何がした
 かったのかは、未だに解らない。
 だが……その状況で信長の首に、命を奪うべき忍刀を突き付けられたのだ。
 海の中を、水に触れることなく泳ぐくらい難しいと言えば、解ってもらえるだろうか?
 不可能を可能にする。
 良く聞く台詞だが、本来そんなことは有り得ない。
 不可能なものは、どーやっても不可能だからだ。
 逆に言えば、可能になった不可能と呼ばれたモノは、最初から不可能でなど無かったのだ。
 しかし楯岡道順は、そのミッションを成功させた。
 後に信長に捕らわれたのだが……そこからすら脱出して、世間から消えた。
 歴史に介入しようとした己を恥じて……………。
 忍者と言うのは、自分の私欲の為に動いてはならない。
 私欲で動いてしまったご先祖様からの、ありがたーいお言葉だ。
 残りの一生の全てを、国の安定のために奉げた男からの。
 守るものを失ってしまった、悲しい男からの………。
 信長の元から逃げ出して地下に潜った道順は、今の『楯岡』を作り上げた。
 決して歴史に介入する事の無いよーに、忍者を監視する機構として。
 楯岡道順の血族のみが、その宿命を背負っている。
 忍者が不必要に力を持つことを防ぐ存在として。
『楯岡』開祖たる楯岡道順の教えはたった二つ。
 忍びが表歴史を動かす事を阻止する。
 そしてもう一つは……守るべきものを見つけ出す。
 己と言う刃の下に置くものを。
 忍びという枠に捕らわれ、妻も子も親類も主君も……己すらも失った、哀しい男が見つけ出した掟。 
 そして俺が今に居るわけだ。
 目の前の……藤林の子孫であるバカタレ達みたいな、忍者のくせに歴史を動かそうとする『(まと)』の牙を折
 るために。
 自分が守りたいと思うものを……見つけ出すために。












「三下………だと?」

 朋蔵の眼光が鋭さを増す。
 薄い浴衣に隠された筋肉が、緊張していくのが解った。

「違うのか?」

 朋蔵の感情を、さらに煽ってみる。
 どーあがいても戦闘を避ける事は出来ないとみた。
 ならば、少しでも己の有利な方向に持っていかねば。
 戦闘は、熱くなったほうが負け。
 感情の昂揚は、たやすく状況判断ミスを引き起こす。

「………まあ、『楯岡』に比べたら、三下かもな」
「家系のことじゃねーよ」

 藤林と言えば百地と同じ位、巨大な支配力を持つ忍びの家系だ。
 一説には百地と先祖が同じだとか……違うとか。

「名門藤林流の宗家ともあろー者が、あいつ等の軍門に下っている。その腐った根性が三下だって言ってる
 んだ」
「………………俺は名門など糞食らえだ。おもしろけりゃ、それでいいのさ」

 ………同意したいところも有るが、怒りも沸いてくる。
 忍者は表の世界に出てはいけない。
 何故なら……その力は、己の欲望のためにではなく……。

「己の本懐をも忘れおって。藤林の朋蔵! 今、俺の敵と認識する!!!」

 世の平定の為に使うものだから!!!

「承知!」

 朋蔵が背中から棍を引きぬい………。
 俺が棍だと思った得物。
 それは………巨大な竜登(りゅうと)だった。
 アホか。

















「しゃぁぁぁぁぁぁ!」

 朋蔵が長さ八尺は有ろうかと言う、巨大な竜登(りゅうと)を振りまわしながら突っ込んできた。
 ちなみに竜登(りゅうと)というのはツルハシのような忍具で、主に城壁を登ったり固い地面の掘削に使ったりする。
 普通の竜登(りゅうと)の突起は片側だけだが、朋蔵の持っているものには両方についていた。
 完全にツルハシ状態。
 しかも柄の長さが八尺に対して、鋭く尖った突起部が五寸……16cm程度もありやがる。
 どこからどー見ても、規格外品だ。
 普通の竜登(りゅうと)のサイズは、大体三尺……およそ90cm程度。
 こんな長い竜登(りゅうと)など、使い勝手が悪くてしょーがねー。
 ましてや……。

「あぁぁぁぁ!」

 ドゴッ!
 振り下ろされた竜登(りゅうと)を、寸でのところで(かわ)す。
 地面がボコリと凹んだ。
 ましてや……このように武器として使うなど、有り得ないのだ。
 理由は……取り回し辛いから。
 武器として使おうなんて発想は、アホ以外なにものでもない。
 藤林の朋蔵、アホと認識。

「せぃ!!!」

 朋蔵は地面に突き刺さった竜登(りゅうと)を、力任せに引きぬいた。
 そのまま右に振りまわす。
 着弾点は……俺のわき腹!?

「フッ!」

 一足飛びで、後方に逃げる。
 あんな巨大な竜登(りゅうと)、防御できるはずも無い。
 防御した腕ごと持ってかれちまう。

 だが……朋蔵も俺の行動は読んでいたのだろう。

「おりゃぁぁぁ!!!」

 すかされた竜登(りゅうと)を身体の周りで一回転させたかと思うと……そのまま投擲!
 ハンマー投げの要領で投げられた竜登(りゅうと)は、一直線に迫ってきた。
 しかし……この巨大な物体にみすみす当ってしまうほど、間抜けな俺じゃない。
 俺は冷静に脇によけつつ、腰から苦無(くない)を抜いて………なにぃ!?

「フン!」

 朋蔵の右手がおかしな動きをしたかと思うと……竜登(りゅうと)の軌道が変わった!?
 (かわ)せる筈の竜登(りゅうと)が直角に曲がり、俺の命を奪いに来る。
 追尾弾!?
 あのサイズの鉄の塊だ。
 当れば痛いじゃ済まない。
 かといって……(かわ)せそうもなかった。

「せりゃぁ!!!」

 ガキィ!
 夕暮れの森に、金属音が響き渡る。
 (みさご)の装着している右拳で、竜登(りゅうと)の中心を殴りつけたのだ。
 拳に異常な痛みが走った。
 折れている事は無いと思うが……痛い。

「………はっ!」

 朋蔵が気合いと共に、何かを引く仕草。
 (みさご)で殴った竜登(りゅうと)は一瞬宙に止まったかと思うと、質の悪いビデオの巻き戻しのよーに、朋蔵の手元に戻っ
 た。
 良く見ると竜登(りゅうと)のグリップには穴が開いていて、そこから細い鋼線が伸びている。
 あの鋼線を操って、竜登(りゅうと)の軌道を変えたのだろう。
 引き戻したのも、あの鋼線を手繰ってだ。
 パワー馬鹿かと思っていたが……意外に器用な奴。

「………くっくっくっ」

 引き戻した竜登(りゅうと)を両手で構えた朋蔵は、犬歯を光らせながら笑った。
 その残忍な笑みに、思わず背筋が凍りつく。
 ……人を殺めた事の有る笑顔だ。
 それも、『結果的』にじゃなくて『自分の意思』で、だ。

「まさか、俺の『大鹿(おおじか)』を殴りつけて止める人間が居るとは思わなかったな」
「俺も、竜登(りゅうと)に大鹿なんて名前を付ける馬鹿が、この世に居るとは思わなかったよ♪」

 右拳から意識を離しつつ、俺も笑って見せる。
 意識を持っていくと、痛みで泣き出してしまいそうに成るからだ。
 つーか、既に涙目な俺。

「ん、そうか? 鹿の角みたいに見えないか?」

 朋蔵は胸の前で構えていた竜登(りゅうと)を、俺のほうに突き出した。

「全然」

 竜登(りゅうと)の上部は、ツルハシにしか見えない。
 人の命を容易く奪い去る……凶器にしか。

「おまえの目は腐ってるぞ、朋ちゃん♪」
「朋ちゃん? ………もしかして、俺のことか?」

 朋ちゃんは、心底嫌そうに顔をしかめた。
 別におどけて、朋ちゃんなんて愛称を付けた訳じゃない。
 精神的に、相手の上位に立つためだ。
 あんな厳つい男でも、朋ちゃんなんて呼ばれた時代も有ったかと思えば、だんだん可愛く思えてくる。

「オマエのほかに居るか? と・も・ちゃん♪」
「22年生きてきて、朋ちゃんなんて呼んだのはオマエが初めてだ」

 意外に若いな、朋ちゃん。

「俺が初めての相手か。光栄に思え、朋ちゃん♪」
「………ああ。お前の事を思い出すときには、そうするよ」

 朋ちゃんがじりじりとすり足で、俺との距離を詰めてくる。

「思い出になるのはゴメンだな。まだ、俺の物語は始まったばかりだ」
「………なんの物語だ?」

 なんだろう?
 自分で言っててなんだけど……俺の台詞、なんか週刊マンガ雑誌で打ちきられた作品のラストみたいで、
 非常に縁起が悪い。
 言わなきゃ良かった。
 結構、縁起担ぐ方なんだよな、俺。
 一旦引きぬいた苦無(くない)を、ベルト挟み込む。
 このまま邪魔になるし、落としたりしたら勿体無い。
 結構高いからだ。

「さて………もう一本、行くか?」

 朋ちゃんは胸の前に竜登(りゅうと)を構えた。
 にやりと笑った口から、鋭い犬歯が光を放つ。
 藤林っていうよりは、風魔小太郎(ふうまこたろう)の子孫じゃねーのか、こいつ?
 伝説によると風魔の首領であった風魔小太郎は、身長2m、筋肉隆々で眼は逆さに裂け、大きな口から
 は牙が4本生えていたそうだ。
 色男の多い藤林流の長とは思えん無骨さだな、朋ちゃん。

「お前の目的は何だ?」

 戦闘前に聞いてみたことを、もう一度聞いてみる。
 大体答えは解っているけどよ。

「お前と戦う事だよ、『楯岡』の大河。俺らの目的のため、憂いは早々に断っておいた方が良いからな。あん
 な貧乳を手に入れるよりもずーっと利益になる。代虎(しろとら)はそう考えてはいないようだがな」

 誰だよ、代虎(しろとら)って?
 でも……。

「んじゃ、人違いだ。俺は『楯岡』の大河じゃねぇ」

 まだな。
 俺の右拳に装着されている(みさご)
 この手甲は、『楯岡』の装備じゃない。
 帯刀を許されていない、伊賀崎の装備忍具だ。
 静流や康哉、それに朋ちゃんみたいな有名で権力を持っている家系なら、こんな装備では戦わないだろう
 が……。
 どれだけ偉そうな信念が有っても、『伊賀崎』は所詮、しょぼい流派なのだ。

「………どういう意味だ?」
「戦いたいのなら……戦ってやろう。貴様の牙を折ってやる」

 朋ちゃんの顔が強張った。
 流石、藤林の長。
 俺の殺気が………解るか。
 普通の忍者では感じる事すら出来ない、俺の殺気。
 俺は懐から一本の飛針(とばり)を抜き出す。
 差羽(さしば)
『楯岡』の……武具。
 長さ5cmの飛針(とばり)は、針身に塗られた秘伝の燐によって発火する。
 着弾した人体の水分や、特殊な投擲がおこす空気抵抗によって発火するのだ。
 人の腱や筋肉、血や肉をも燃やす。
 その信念ですら……焼き尽くす。
 つっても、そんなに巨大な炎とか出るわけじゃないんだけどな。

「………ようやく本気になったみたいだな……。わざわざ、訳の解らない耳の付いた女を、苦労して誘拐し
 た甲斐が有ったぜ」

 さっきから本気だったさ。
 伊賀崎の俺としては。
 だが……いまは違う。
 俺の中で何かが囁く。
 俺の……血の中で。

『目の前に居るのは、お前と同じ生き物だ』

『お前と同じ……獣』

『お前がお前にならないと、生き残る事は出来ない』

『折らないと……折られる』

『お前の刃の下には、まだ何も無いのに……ここで死ぬのか?』

『お前は………俺は………』

 差羽(さしば)を胸の前で構える。
 俺の戦闘。
 容易く血が沸騰する。
 俺も結局、この状況が好きなのだ。
 戦いが。








「『楯岡』の大河………藤林の朋蔵、的と認めん!!!」


 夕暮れ迫る暗い森に、差羽(さしば)の青白い閃光が走る。


 俺の……『楯岡』の戦いの合図だ。











END






●感想をお願いいたします●(クリックするとフォームへ移動します)


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送