「昨日は楽しかったね、イガちゃん♪」
「あー。まーまーだな」
「またみんなで行こうよ。レイナさんとか、藍田さんとか誘ってさ〜」
「今度はおごんねーぞ」
「え〜?」
「え〜じゃねーっての。バナナは、木羽忍機のおじょー様なんだから、自分で払えっての。てゆーか、俺に奢
 れっての」
「嫌だよ。イガちゃんに奢っても、なんの見返りも無いし」
「そんなこと無いぞ。嫌な奴とか、暗殺してやったり、欲しいものを盗んで来たり。縦横無尽の大活躍だ」
「……………そんな活躍、ヤだ」

 奈那子が正面で、苦笑いを浮かべる。
 俺と奈那子、静流の3人は、放課後の教室でだべっていた。
 俺が座ってる正面に奈那子。
 その隣りに静流だ。
 どこかで康哉も、待機しているだろう。
 仲間に入れば良いと思うのだが、一応守護役だからな。
 子供の頃とは違う。
 違う……んだ。
 時間が流れている事。
 ふと気付いて、胸が痛くなる。
 だけど、それを顔に出してはいけない。

「あれ、どうしたの、静流?」

 奈那子が突然、静流に顔を付きつけた。
 そいえば、さっきからなんにも喋ってない。
 珍しいな。
 奈那子の顔がくっつきそうなくらい迫っても、静流の視線は宙を泳いでいた。
 ……………違うか?
 静流は、奈那子を見ていない。
 無論、宙なんかも。
 静流は、俺を見ている。
 何も言わずに。

「………………」
「静流?」
「……あ!? な、なに!?」
「……………なんでも無いんだけど……どうしたの?」
「ななっ、なにが?」
「元気……ないよ?」

 忍び並みに、鋭い洞察眼ですな、木バナナ。
 奈那子はいわゆる『忍者』ではない。
 だが家の商売から、忍者との接触が豊富なのだろう。
 時々奈那子が見せる鋭い視線は、どことなく忍者っぽかった。
 もっとも、忍者に必須スキル、資格や免許は無い。
 それでも忍者と名乗るには幾つかの条件があったりするんだけどな。
 まずは家系。
 忍者の家に生まれたものは、大抵忍者だ。
 ごく稀に、物好きにも一般家庭から志望者が来たりするが……。
 忍郡に所属する時は、大体養子縁組などする。
 断わられなければ、だ。
 幼少の頃から積み重ねた技術と体躯。
 それがなければ、『忍者』になることは難しい。
 また、本人の気持ちや資質も大事なのだ。
 忍者である蓮霞の妹でも、緋那が忍者で無いのは、そーゆー理由。
 女の子って理由も有るにはあるが。
 殆どの家系で男子は、強制的に『忍者』に仕立てるんだけどな。
 疑問を持つ頃になっても、既に忍者としてしか生きられない。
 特に……中忍クラスともなれば。

「そんなこと……ないよー♪」

 この娘さんも、そうなのだ。
 百地の家に生まれたから。
 ただそれだけの理由。
 そして、俺も。

「なんだよ、腹でも減ったのか?」
「……!」

 きつい瞳で睨まれた。
 何か言いたそうな瞳。
 だがすぐにいつもの静流になる。
 心の切り替えが出来るくらいの余裕はあるんだな。

「あ、でも。お腹空いたかも」
「今日の体育は、ハードだったもんねぇ〜」

 奈那子の言葉で、本日の体育を思い出す。
 この学園は、高等学園にしては珍しく、男女同じメニューで体育授業をこなすのだ。
 夏になれば、水着とか非常に楽しいだろう。
 今日のスパッツ祭りも、それはそれで楽しかったが。
 わさわさしたくてしょうがなかったぜ。
 康哉の忍刀に止められたけど。

「うん。ちょっと疲れちゃったかも。もう、帰らない?」
「あ、うん。 ……………そうだね〜♪」

 ……あの、体力モンスターみたいな静流が、疲れた?
 今日の体育、なんだったっけ?
 白くまぶしい太ももしか覚えてねーよ。

「じゃ、帰ろ、イガちゃん」
「……ああ」

 なんとなく釈然としないものを抱えながらも、机の脇に下げておいた学生カバンを取る。
 中には、勉強道具など、一つも入っていない。
 入っているのは、ぎりぎり銃刀法をクリアした得物だけだ。
 別にこんなもの必要無いっちゃ必要無いが……。
 なんとなく、忍者っぽいからな。

「静流。帰るぞ」
「………」
「……………無視かよ」
「あ、え、なに? なんか言った?」
「……帰るって言ってんだよ」
「あ、うん。 ……そうだね。帰ろう」

 そういうなり静流は、自分の荷物を持って立ち上がった。
 足早に教室の出口へと歩いていく。
 俺と奈那子は……顔を見合わせて首を捻った。

「……ね、イガちゃん? 静流になんかしたの?」
「なんもしてねーよ」

 今日は乳も揉んでなければ、スカートをめくってパンツに手を掛けたわけでもない。
 ひどく平和な日だったのだ。

「なんにも?」
「ああ」
「……やっぱり」

 ん?
 奈那子が少しだけ表情を曇らせた。
 俺が静流にセクハラしないのが、そんなに不思議か?
 俺の訝しげな表情が解かったのだろう。
 奈那子はすぐに表情を崩して……。

「なんでもない♪ かえろっか」

 と言いながら、自分の荷物を持って教室を出ていった。

「……なんだってんだよ。どいつもこいつも」

 夕暮れの教室の中。
 俺の舌打ちだけが響いていた。
 ………………イライラする。














                     第十八話   『未熟者』












「あれ、奈那子は?」

 俺がクラスを出ると、そこには静流しか居なかった。
 ぼさっと立っていた静流は、俺の問いに目を伏せた。

「……帰ったよ」
「帰った? 今まで居たのに?」
「………急用……思い出したんだって」

 ……ちっ。
 何故だかすごくイラついた。
 だけどまあ……突っ込んでもしょうがねー。

「ふぅん。じゃ、帰るか」
「……………うん」

 俺と静流はなんとなく黙ったまま、並んで玄関まで歩いた。
 沈黙が居心地悪かったが、気にしてもしょうがねー。
 声を掛けようとも思ったが、気を使うような仲じゃないしな。
 何を悩んでるか知らんが、こーゆーときはほっといた方が良いだろう。
 玄関に着いても、静流は押し黙ったままだった。
 下駄箱にラブレターが入っていないのを確認して、お気に入りのスニーカーを履く。
 履き終わって静流を見ると……。
 片膝を立てて靴を履いてる最中に、動きを止めていた。
 今日のパンツは、青。

「おい、静流?」
「……………」

 無視かよ。
 てゆーかさ。
 わざとらしいんだよな。
『あたし、悩んでます』みたいな顔しやがって。
 それでも忍者か、それでも。
 表情を表に出すのは、忍びとして失格だ。
 己の感情を読まれるようでは、命が幾つ有っても足りないから。
 俺みたいに、何があっても隠すんだよっ!

「……静流!」
「あ、え!? ななっ、なに!?」

 俺の荒立った声に驚いたのだろう。
 静流が肩を上げて叫んだ。
 このまま問い詰めても良いのだが……。
 ここは敢えて優しく言ってみよう。

「……帰るって」
「……あ、うん。 ……ごめん」
「今日、何回も聞いてるぞ」
「……ごめん」

 静流って、こんなに謝る奴だったか?
 本当は別に聞くつもり、無かったが……。
 聞く必要も無いんだが……。

「なあ、静流?」
「……なに?」
「なんか、あったのか?」
「…………………………なんで?」
「今日、おかしいぞ、お前?」
「え!? ……そう……かな?」

 一瞬驚いたような静流だったが、すぐに俯いた。
 俺的には、あの態度で周りにばれてないと思える、お前の方がビックリだ。

「とらは……?」
「俺? 俺がなんだ?」
「……………とらは……なんでもない。さ、かえろ」
 
 そう言うと静流は、またもや俺を置き去りにして歩き出した。
 なんだってんだよ、一体?
 まあ、言い合ってもしょうがない。

「ね、とら?」

 校門から出たところで、静流が振り向いた。
 無理して作ってるのだろう。
 引きつった笑顔が、夕日と同じくらい目に染みた。

「あんだ?」
「今日……泊まってもいい?」
「……え?」

 ………………………………。
 つつっ、ついに!
 大人に成る日が来るんですか、俺?
 ……良いのか?
 こんなにすぐに、エロシーンを迎えて?
 5年前にやったギャルゲーじゃ、エンディングにしか出てこなかったぞ?
 もうエンディングなの、俺?
 なんのエンディングか、さっぱり解からんが。

「あ、ああ。構わないぞ……」

 思わず赤面してしまう。
 結構純情だよな、俺。

「う、うん」
「緋那とか蓮霞とかに見付かるなよ。レイナは……恥ずかしい秘密を楯に口止め可能だけど……あの姉妹
 は手ごわいからな。 ……あ、俺の部屋、鍵有ったっけ?」
「……………え?」
「いざとなれば、釘打って開かないようにすれば大丈夫か……。怪しまれても強行突入されても……40分く
 らい持てばいいんだもんな、うん」
「……ちょ、ちょっと、とら?」
「そのくらいなら持つだろう……。あ、俺が持たなかったらどうしよう?」
「……………とら……………」
「そん時は、おかわりすればいいか。あ、避妊具あったっけかな? って有る訳ないよな。買った事無いもん
 な」
「……………………………………………………」
「てなわけで、静流。コンドーム買ってきてくれ」
「なんであたしが買ってくるのよ!!!」

 ばきぃ!

「ぐはっ!」

 静流の蹴りが、俺の後頭部を捕らえた。
 目の前が暗くなったかと思うと、顔面に衝撃。
 顔から地面に突っ込んでしまった。
 口の中に不味い土が積めこまれる。

「だ、だってお前……普通、女の子が気をつけるもんだろ?」

 涙目で静流を見上げてみた。
 今、別れを切り出され、しかも暴行を受けたOLの気持ち。
 揃えて投げ出した両足がポイントだ。

「違うでしょ! なんであたしがそんな事に気をつけなくちゃいけないのよ!」
「………膣出しすんの?」
「いいかげんに……しろ――――っ!!!」

 ぱぐっ!

「ごあっ!?」

 静流の蹴りが顔面にめり込む。
 空手で言う、下段踵蹴りだ。
 洒落にならんほどいてーのなんのって。
 一応身体をずらして、額で受けてはいるものの……本気で涙目に成っちゃうくらい痛い。

「誰がとらの部屋に泊まるって言ってのよっ! あたしは緋那の部屋で寝るわよ!」
「なんだよ。じゃあ、俺に断わる必要ねーじゃんか。親父に言え、親父に」

 一応がっかりした表情を作りながら立ちあがる。
 静流はこのくらいで丁度良いよな。

「一応聞いてみたんでしょ!」

 怒るなよ。
 わざと怒らす事言ったんだけど、本当に怒られるとちょっとビビる。
 ……ような表情を作りつつ、笑いを噛み締めた。

「しかし、なんで突然泊まるなんて言い出すんだ?」
「あ、うん……………。少し……ちょっとね」
「全然解からん」

 膝と顔面の土を払い、歩き出す。
 一瞬明るくなったが、また俯く静流を見たくなかったから。
 まあ、後何回か同じパターンで弄ってやれば、いつもの静流に戻るだろう。

「………だめ………かな?」
「…………………はぁ………」

 思わず溜め息が漏れる。
 昔から変わってない。
 追いかけると逃げるくせに、置いて行こうとすると鳴き声を上げる、子犬みたいな女だ。

「百地には連絡入れとけよ。康哉にもきちんと言っとけ。アイツに忍刀持って追いかけまわされるのは御免
 だからな」
「………え?」
「ほらいくぞ、静流」

 立ち止まっている静流。
 少しだけいつもより速度を落として……だけど置き去りにする。
 夕日。
 潮風。
 伸びる影。
 そして……。

「うん♪」

 子犬の鳴き声。
 静流の元気な声、聞けると……。
 昨日の……こと。
 少しだけ、気が晴れた。

 












「ごめんね、緋那。突然来ちゃって」
「ううん。全然大丈夫だよ〜」

 いつもと同じような食卓だったが、一人増えただけで結構華やぐものだな。
 帰って来たばかりの頃は、レイナも加わってなかったし。
 どちかってゆーと、緋那がはしゃいでて親父がそれに合わせてて。
 俺が黙々と口に運んで、蓮霞が丼に顔を突っ込む。
 そんな感じだった気がするな。

「食卓はニギやかなほーが、いいデス♪」
「そうですよね、レイナさん〜」
「ハイ♪」
「ありがとー♪ 緋那も料理、すごく上手になったよね」
「え、そうかな?」
「うん。前から上手だったけど、今日のゴハン、凄く美味しいよ。昨日のお弁当も美味しかった♪」
「あーりーがーとー♪」

 今じゃこんなに賑やかだ。
 親父も嬉しいらしく、終始ニタニタしっぱなし。
 若い娘が沢山見れて嬉しいのだろう。
 なんていやらしい笑いだ。
 改めて思う。
 俺と血の繋がり、薄いよな。

「お兄ちゃん、おかわりは?」
「んー」

 俺の椀が空なのに気付いたのだろう。
 緋那が細い腕を伸ばしてきた。
 小さな手の上に、俺の飯茶碗を乗せてやる。
 その仕草を見て、丼に顔を突っ込んだ蓮華の目が光った。

「……………なんて………横柄な態度………かしら……。 ……………何様?」
「まおー様だ」
「弟如きが………魔王様の………名を語るとは………」

 いるのかよ、本当に。

「……業火に……焼かれると……良いわ………」
「うるせー。黙って丼に顔、突っ込んでやが」
「……今晩………」

 れー………って。
 今晩、早速かよ。
 なんで俺が、豪華に焼かれなくちゃならねーんだ?
 ま、じわじわ焼かれるよりはマシかな。

「お、お姉ちゃん……。やめてよー。お兄ちゃんもっ!」
「止めるな、緋那。この女だきゃ、縛り上げてパンツ拝まないと気が済まん」
「……忘れなさい………と………言ったはず………」

 蓮霞の中に、あの記憶が甦ったのだろう。
 丼の中から、青白い顔が出てきた。
 怒ると青くなるのは、蓮霞の特徴だ。
 わりと珍しい。

「忘れらんねーな。可愛くて♪」
「……………殺すわ……………」
「れ、蓮霞サン! に、煮物のおかワリが、ありマス!」

 蓮霞の殺気を察したレイナが、蓮霞の前に煮物の入った丼を差し出した。
 供物を捧げられた悪魔よろしく、蓮霞の邪気が引いていく。
 だが、ここで引かれちゃ面白くない。
 さらに煽る事、決定。

「そーそー。ちょっと照れながら煮物を食ってくれ♪」
「……………弟………………」

 よしよし。

「大河君は、煽るの上手だね。でも食卓では止めてくれないかな」
「なんでだよ? 夜叉姫が暴れるところ見ながら、飯と洒落こもうじゃないか」
「……ないかってイワれてもー!」
「お兄ちゃん……緋那はもう馴れたけど、静流お姉ちゃんも居るんだよ〜」
「ワタシも馴れました……。お互い、ヤな馴れ方デスね……」
「そうですよね〜……レイナさん……」
「静流だって別に、このくらい平気だろうよ。なっ、静流?」

 全員の視線が、静流に注がれた。
 静流は……湯のみを持ったまま、視線を宙に躍らせている。
 またこの表情だよ。

「おい、静流」
「……………」
「静流!」
「……………ねえ………とら………」

 無視されていたわけではなかったらしい。

「なんだよ?」
「………………なんで……………そんなに……………はしゃいでるの……………?」
「なっ!?」

 何言ってる……。
 と言いかけて、思わず言葉に詰まる。
 見破られた悔しさからだ。

「……あたし……あたしたち……そんなに……頼りない?」
「な、なに言ってんだよ?」

 今度は言えた。
 だが静流の真意が解からない。
 静流は自分の言葉を噛み締めるように、ぎゅっと口を結んでいた。
 手に持った湯呑も、少し振るえている。

「とら……そんなにはしゃいでないよ? いつもは」
「そんなことねー。毎日がカーニバルだぞ、俺」
「ふざけないで!」

 静流がテーブルを叩いて立ちあがった。
 人んちの食卓で、なんて大きな態度だ。
 イライラする。
 家族同然みたいな扱いだとしても、静流に糾弾されるいわれはない。

「とら……何か有ったんでしょ、昨日……? 何かは解からないけど……解かるんだよ……」
「別に何もねーよ。強いて言えば、財布が空になったくらいだ」
「………じゃあ………なんで………笑ってないの………?」
「……………………え?」

 俺………笑ってなかったか………?
 いつもどーりにしてるはずだったのに……。
 誰も気付かなかったはずだ。
 奈那子も。
 クラスメイトも。
 家族も。
 静流も……気付かないはずだった。
 だが、気付かれた。

「ね、とら。ここで言うつもりじゃなかったんだけど……。何が有ったの?」
「………………」
「なんでも相談してなんて言うつもり無いけどさ……………。今日のとら……おかしいよ? ずーっとしゃべ
 りっぱなしでさ。 ……まるで……沈黙を怖がってるみたい………」
「………………せぇ」
「あたし……あたしたち……そんなに頼りない? そんなに……他人なの?」
「うるせぇ!!!」

 俺はテーブルを叩いて立ちあがった。
 衝撃で茶碗や皿がひっくり返る。
 静流とは段違いの破壊力だ。
 驚いたみんなが、押し黙った。
 こーゆー雰囲気、苦手なんだけどな。

「そ、そんな言い方、ないで……」
「お前はなんなんだ! お前に、何が解かるってんだっ!」
「………だ、だって……」
「お前はなんだよ!? 俺のなんなんだ!? なんでそんな事まで、干渉されなくちゃならねーんだよっ!」

 一旦堰を切った思いが、止められなかった。
 確かに俺、今日一日イライラしていた。
 茉璃ねーさんのこと。
 鴉。
 死んだおふくろの持っていたはずの、忍具。
 お袋が死んだ原因のこと。
 茉璃ねーさんが堕ちたこと。
 もしかして……関連が……?
 そんな思いが巡っていた。
 だから無理にはしゃいでたのかも知れない。
 だが俺なりに、周囲に精一杯気を使っていたつもりだ。
 それを……。
 それを見破られたのが悔しかった。
 一番見破られたくない奴に。

「………なんだって………そんな……」
「なんなんだよ、お前は!」

 だから容易く激昂してしまった。
 不味いと思っても、言葉を止める事が出来ない。
 静流の涙に濡れた瞳を見ても……。
 俺の言葉は止まらなかった。

「かまわねーだろ! いーだろっ! 話したくねーんだよっ! それともなにか? 俺はお前に全て報告する
 義務でもあんのか!?」
「ぎ、義務だなんて……」
「流れ透波如きには、百地の跡取りに逆らう権利なんてないのかよっ!?」

 ぱーん……。

 沈黙の流れるリビングに、乾いた音が響いた。
 俺の頬の音だ。
 我に帰って見てみると……。
 静流が唇を噛み締めていた。
 ピンク色の唇に、血が滲むほど。
 大きな瞳から、涙が溢れ出していた。
 俺………今………何を言った?

「……とら……………酷いよ………」

 ………しまった……。
 だけど、もう、言葉は口から出てしまった。
 取り返す事の出来ない、酷い言葉。
 さっきまで赤かった俺の顔は、今、真っ青だろう。
 静流が……。

「………とら………が……………そんなこと………言うなんて………思わなかった………よ……」

 静流が、どれほど聞きたくなかった言葉か、解かっていたはずなのに……。
 後悔しても遅い。
 取り返しつかない。
 言い訳も……出来ない。

「あたし………百地だけど………百地だけど………」

 静流の頬を、涙が伝う。
 泣いてるはずの静流の表情が………悲しく笑っていた。
 これが俺の未熟さの結果だ。
 心配してくれた女に……。
 こんな表情を浮かべさせてしまった。
 解かっていた。
 解かっていたはずなのに……。

「……とらの………とらの前では………」

 ああ、そうだな。
 解かっていた。
 解かっていたんだ。
 こんな泣き顔を見なくても。
 悲しい叫びを聞かなくても。
 解かっていた。
 どれほど積み重ねても。
 ずっと一緒に歩いてきても。
 お互いの思い。
 傷つけてしまうのは一瞬だ。




「静流だよ!!!」




 叫びと共に、静流が飛び出して行った。
 静流の背負った重さ。
『百地』と言う名の呪縛。
 俺の荷物とは種類が違うけど……。
 解かっていたはずだった。
 静流がどれほど苦しんできたか。
 苦しんでいるか。
 なのに……泣かせてしまった。
 思わず俯いた。
 顔を上げられない状況ってのは、こーゆーことなんだろうな。
 視線に収まったテーブルの上は、色々な物が散乱していた。
 緋那の作った料理。
 蓮霞の抱えてた丼。
 レイナの差し出した煮物椀。
 そして……零れ落ちた、静流の涙。

「大河君」
「……あんだよ?」

 顔を上げず、親父に答えた。
 顔を上げる事が出来ない。
 この食卓を……団らんを壊したのは、俺なのだから。
 悪いのは俺だ。
 解かってる。
 解かってるので……説教などは聞きたくなかっ……。

 ばぎぃ!

「ぐほっ!?」

 いきなり顎に衝撃!
 飛んで行く顎に引きずられるように、俺の体が宙に舞った。
 きっちり3回転して、壁に叩きつけられる。
 壁に掛けられた、トンチキなタペストリーと共に崩れ落ちた。
 お、親父のパンチじゃねぇ。
 明らかに、『楯岡』の拳だ。
 顎から伝わった震動で、内臓付近が焼けるように熱い。

「君の言いたいことも解かる。だけど、女の子に対してあの口の聞き方は良くないな」
「…………」

 顎が動かないので、無言を返すしかない。
 返す言葉も無いんだけどな。

「さ、追いかけて、謝ってきなさい」
「……………」
「時間が経つと、謝り辛くなるから」
「……………………」
「大人の忠告は聞いておくもんだよ。それともなにかい? もう一発必要なのかな?」

 ぶんぶん。
 崩れ落ちた姿勢のまま、首だけを横に振る。
 あの打撃をもう一発食らう……?
 謝るのは、あの世でか?

「じゃあ、追いかけなさい」
「………………」
「どうして立ちあがらないのかな?」
「……………多分、立てナいんジャないでショウか〜?」

 口すら聞けない俺を、レイナがフォローしてくれた。
 そのとーり。
 顎から全身に伝わった衝撃で、体が言う事を聞いてくれなかった。

「はっはっは。大河君は、傷ついた演技が上手いね」

 演技じゃねーっての。

「……だけど………静流は………もっと………傷ついてる………わ………」

 ……そうだな。

「……………」

 全身に残るダメージを、蓮霞の言葉で吹き飛ばす。
 カクカクと情けなく笑う膝を、両手で押さえこんだ。
 静流はもっと傷ついてる、か。
 傷つけたのは、俺だ。
 こんな所で、大巨人に屠られるわけには行かない。

「………じゃぁ………行ってくる………」

 だらぁ。

「きゃぁ! お、お兄ちゃん! 血!」

 口を開いた瞬間、大量の血が口腔内から流れ出した。
 げに恐ろしきは、楯岡道座の拳。

「……大丈夫……だ……」

 心配性の妹に、笑顔で返す。

「笑わないで〜! すごく怖いよぅ〜」

 また余計な事をしたみたいだ。
 唇全体から流れ出した血流を、袖で拭って落とす。
 ぬるっとした感触が、俺の腕に伝わった。
 静流を見つけるまで、出血多量で死ななきゃいいが。

「……じゃ行ってくる」

 もう1度全員に向かって言う。
 団らんを壊してしまった詫びも込めて。
 みんなが少しだけ笑ったのを確認して、走り出す。

「いってらっしゃい、お兄ちゃん! 夜食作っておくからね〜♪」
「静流サンの分もデス〜♪」

 はしゃいだ声が、背中を押してくれた。
 押されるまま、全力で駆け出す。
 開いたままの扉をくぐって。
 廊下を……玄関を……海へと続く夜道を……。
 涙の跡を道しるべに。
 静流の元へ。



















「どうだった?」

 俺の言葉に、康哉は首を振った。
 まだ人も来ない、朝早い学園の校庭。
 俺と康哉しか登校していない。
 いや、違うか。
 俺も康哉も、『登校』はしていない。
 静流を探しているのだ。
 居なくなった……静流を。

「喰代全域で監視している忍び衆に当ったが、どの忍軍も所在を掴んでいない」
「……そうか………」
「無論怪しい人物が、喰代に進入したとの報告も受けていない」
「……………」
「今、喰代の忍び、全てが動いている。だが……」

 まだみつかってない、と。
 思わず頭が下がる。
 昨夜……俺が追いかけた静流は……どこにも居なかった。
 途中で涙の跡が途切れ、そこから足取りが消えている。
 心臓が止まりそうだった。
 だけど、どれほど探しても静流は居ない。
 一晩中駆けずり回ったが、どこにも静流の姿は無かった。
 涙の跡も、乾いた頃だろう。
 居ないと解かった瞬間、俺は康哉に連絡を取った。
『百地』の力を利用するには、康哉が必要だったからだ。
 俺では、『百地』は動かない。
 てゆーか、俺が斬られる可能性大だからな。

「……貴様……心当たりは無いのか?」
「………………ねーよ」

 無い訳なかった。
 恐らく……いや、十中八九、道阿弥衆の仕業だろう。
 茉璃ねーさんが俺の前に姿を現した時、言っていた。

『見てるよー。……いっつも……』

 俺は勘違いをしてたのかもしれない。
 茉璃ねーさんが……道阿弥衆が監視してたのは、俺じゃなくて……静流?
 考えてみれば、そっちのほうが妥当だ。
 道阿弥衆は、三大大忍の『藤林』を取りこんでいる。
 土犬使いの実玖衆や、火弾使いの坐郷衆も、道阿弥衆に取りこまれているんだろう。
 未確認だが、藤堂も一味っぽい。
『服部』の所在が解からない今、次に狙うのは『百地』だとしても、なんの不思議も無い。
 俺が帰ってきてから、静流はいつも俺のそばに居た。
 俺が居ない時は、康哉がそばに居ただろうし。
 つまり……俺の八つ当りが、敵に恰好のチャンスを与えてしまったことになる。
 そしてもう一つの不安。
 静流が容易く道阿弥衆に堕ちるとは思えない。
 って事は…………。
 緋那が攫われた時に使われた、『影落とし』とかって陰忍。
 人の心を操る陰忍。
 もしあれが、静流に対して使われたら……。
 使いようによっては、効果を引き伸ばす事も想像できる。
 暗示で、再び道阿弥衆を訪れるようにしておけば良いんだもんな。
 俺が……『伊賀崎』である俺が進言して、信用してもらえるだろうか?

「大河………」
「……ん?」
「こうしていても始まらない」
「……………ああ」

 だが見付かるのだろうか?
 喰代に居る忍びが、総手で探してるのに見付からないんだ。
 既に喰代から離れてしまった事も、考えに入れなければ。
『百地』の跡取り行方不明の報は、全国の『百地』系忍軍に伝わっているだろう。
 だが道阿弥衆がその網に引っ掛かるとも思えない。
 なんせ日本最大の忍軍、『百地』を手に入れようとしている奴らなのだ。
 ……………ん?
 今………なんか………閃いた気がした。
 ……『百地』を手に入れる……?
 それは……静流を攫う事で……可能なのか……?
 静流はまだ、『百地』の党首じゃない。
 静流が『百地』の党首になるのは、まだ先の話しだ。
 ならば……何故………静流を……?
 静流を………何かの………交渉の道具に………。
 だが、多賀音の禁の逸話も有る。
 百地源牙が、交渉に応じるとも思えない。
 そんな弱みを見せれば、『百地』の存続が危うくなるからな。
 では……何を……手に入れる……?
 交渉相手は………誰だ?

「……いが」
「……………」
「大河!」
「あ、ななっ、なんだ!?」

 康哉の叫びで、我に帰る。

「捜しに行くぞ、と言ったんだ」
「……ああ。そうだな」

 考えててもしょうがない。
 道阿弥衆から何らかのアクションが有るまでは、捜すことしか出来ないもんな。
 ボーッとしてると、康哉の忍刀に刻まれちま……。
 あれ?
 今更だが、違和感に気付いた。
 いつも康哉の脇に下げられていた石川の秘忍具、『猫爪』と『熊爪』が無い。
 何故か康哉は丸腰だった。

「……康哉?」
「なんだ?」
「……お前………忍刀………どうした?」

 嫌な予感がしたので、そっと訊ねてみる。
 そっと訊ねよーが、思いっきり聞こうが、答えは一緒だろうが。

「……返却した。石川に」
「……なんでだ?」

 この若さで、石川家に伝わる秘忍具の伝承を果たしたんだ。
 並みの苦労では無いはず。
 なのに、それを返却した……?

「俺は……『百地』の守護役、失格だからだ」

 ……………………。
 やっぱり、か。
 康哉は『百地』の守護役、石川家の人間だ。
 幼い頃から、静流の護衛役を命じられている。
 多分、俺が帰ってくるまでは、その役に殉じていたのだろう。
 だが……。
 俺が帰ってきて……。
 静流がそれを望んだから……。
 康哉は、静流が俺と居る時、ガードを解いていた。
 静流に残された自由な時間を、少しでも満喫できるように。
 俺と居たから……。
 俺はそんな康哉の信用まで、裏切った。
 静流を傷つけ……。
 康哉を貶めた。
 己の馬鹿さ加減に、吐き気がする。
 大事なものはいつも、傷つけてしまってから気付くもんなんだな。
 壊してしまうのは、一瞬なのに。

「康哉……すまん」
「何故貴様が謝る? 俺は俺のけじめをつけるだけだ」
「……けじめ?」
「守護役は失格だが……静流様を探し出し……そして……腹を切る」

 ……まぢかよ。

「貴様の腹もな」
「俺のもかよ!」

 思わず突っ込んでしまった。
 軽口で、気分が少しだけ上向く。
 世話掛けるな、康哉。
 本当に……すまん。

「そのためにも、まず静流様を探し出さなくてはな。 ………無事に」
「………ああ。そうだな。無事に」

 無事に。
 その言葉が、重く圧し掛かる。
 静流はまだ、無事なのだろうか?
 だが、ここで凹んでるわけには行かない。
 一刻も早く、道阿弥衆の動向を掴まなくて……。

「まだ……無事やで。いまんとこな」

 朝もやの沸き立つ校庭に、女の声が響いた。
 ひどく聞き覚えの有る声。
 俺と康哉の視線が、その女を捕らえる。




「朝はよから、ごくろーさんやな。二人とも♪」




 潮風に流れる、黒い三つ編み。




「てゆーか、ほんまは、人目の有るところで話したかったんやけどな」




 そばかすの表情が、怪しく笑う。




「二人とも、一晩中走りまわってるんやもん。なんちゅー体力や。後着けてるこっちの身にもならんかい」




 そして朝日に輝く、銀縁眼鏡。
 いや、眼鏡はかんけーねーけどよ。
 楽しそうに話す女。

「………藍田?」
「………凛………お前か……?」
「ぴんぽーん♪」

 俺達の目の前に居たのは、まぎれもなく……。
 藍田凛。
 俺達の……静流の友達。
 そして………おそらく………道阿弥衆。
 未熟だよなぁ、俺。










          END






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