おそらく、最終決戦になるだろう。
 コイツさえ倒せば、一応の決着は見えてくるはずだ。
 目の前に居る白い男。
 道阿弥(どうあみ)衆総帥、山岡影友。
 全てが丸く収まるわけじゃないが、それでも一応の平安はやってくる。
 それが解かっていて、俺のテンションは上がらなかった。
 理由は簡単。
 勝てる気がしないのだ。

「………以外に大人しいんだね? もっと好戦的だと聞いてたんだけどな」
「誰から聞いたか知らねーが、俺は平和を愛する男なんだよ。争いとか(いさか)いとか苦手なんだ」
「………………」

 後ろの方から、揶揄(やゆ)った気配が流れてきたが気にしないことにする。
 そんな気配に、気を取られてる場合ではないのだ。
 なんせ………目の前の敵からは、気配が感じられない。
 藤堂特製陰忍、影落とし、か。
 親父のどてっぱらに、風穴開けた相手の気配が探れない。
 勿論、目で見ることは出来る。
 あくまでも、視覚情報として、だ。
 基本的に俺の戦いは、肌で気配を感じて行動を起こす。
 その気配が、読み取れないのだ。
 全然、まったくもって、絶大なる自信を持って勝てる気がしねー。
 俺の基本戦術に組み込まれている、『楯岡』の飛針を装備していないのも、懸念の一つだ。
 だが同時に、ある疑問が湧いて来る。
 海岸や雑木林で戦った忍軍は、感情を持ち合わせていなかった。
 生ける屍と化した朋ちゃんも同様。
 生を失う代わりに、絶大な効果を得るのだろう。
 感情も、失うものの一つ。
 しかし………目の前の男は………。

「君に会うのを楽しみにして居たんだよ」
「ほう? 俺のファンか。サインなら、今すぐ書くぞ、今すぐ」
「………いや。サインは要らないよ。他に頼みたい事なら有るけどね」

 必要以上に表情豊かだ。
 白い肌に浮かぶ笑み。
 一瞬の戸惑い。
 一般人なら好感度抜群の色男で通るだろうが………忍者らしくない。
 ま、そりゃ、装備品と服装見りゃ解かるけどよ。

「なんだよ? 許して欲しいなら、土下座一回で許してやるぜ」
「………宿敵に、許しを請う気は無いよ」

 腰に結わえられた、おそらく刃渡り2mを超える大刀。
 あの大刀で、忍者のスピードに付いて行くつもりなのか?
 いや、そもそも、あの白い服装。
 目立ち過ぎだ。 
 とても忍者を敵に回してるとは思えない。
 いやそれどころか……。
 多賀音の禁を破る手法と言い、装備品と言い、色男っぷりといい………。
 忍者らしくないのだ。
 特に三番目が、異常にムカつく。
 非常にムカつく。

「じゃ、なんだよ?」
「君の持ってきた秘忍書。今ここで開けてくれないかな?」
「……………馬鹿か、貴様」
「とらちゃん! お姉ちゃん、人のことを馬鹿って言う子に育てた覚えは無いわよ!」

 ………………頼むから水を差さんでくれ、茉璃ねーさん。

「そんなことねーぞ! 一緒に育てられた静流や康哉も、人のこと馬鹿馬鹿言うぞ!」

 いや、俺が水を汲み足してどーする。

「………本当なの、静流? 康ちゃん?」
「あ、いや………その……………」
「そそそ、そんなことないですよ、はい♪」

 ………通常反応。
 お前ら全員、茉璃ねーさんが敵だってのを忘れてるだろ?
 ま、しゃーねーか。
 目の前に居ない時ならともかく、な。
 俺達は、茉璃ねーさんに育てられたようなもんだからな。
 辛い忍者の修行で、唯一安らぎや楽しみを与えてくれた。
 俺達が俺達らしく居られるのも………今の俺達になれたのも、みんな茉璃ねーさんのおかげなのだ。
 そのねーさんが目の前に居るんだ。
 あいつ等が、茉璃ねーさんを敵と言う事を忘れてしまっても、責められまい。
 俺でも、一瞬忘れそうになるもんな。
 忘れてないのは俺と……。

「茉璃。しつけは後からにしてくれないかな」
「……………はい。………ごめんなさい」

 ラスボスって訳だ。

「いや、そんなに謝らなくても良いよ。『楯岡』を倒して『百地』を掌握すれば、いつでもしつけは出来るから
 ね。それまでの辛抱さ」
「……………はい」

 そんな簡単に物事が進むんだったら、なんの苦労もいらねーだろ。
 右足を少しだけ動かして、康哉に事態が本題に入りつつ有ることを告げる。
 それを察知した康哉が、白い十字架に(しば)られた静流に意識を移した。
 ここには、俺達しか居ない。
 俺の後ろに静流。
 静流の斜め後方に康哉。
 正面に影友。
 影友の脇に茉璃ねーさん。
 この布陣なら、静流が再び敵中に落ちることは無いはずだ。
 やっぱ、静流の(いまし)め解いとくべきだったかな?
 でも、キスしたかったんだよなぁ。
 ま、簡単にあの(いまし)めが解けると思ってないしな。
 そんなに都合良く、物事が進むわけは無い。

「随分簡単に言うじゃねーか。言っとくが、この状況で秘忍書なんか渡さねーぞ」
「この状況?」
「静流は既に奪還したってこった」
「………はは。あははははははっ♪」

 影友のさわやかな笑いが、暗い山中に木霊した。
 込み上げる怒りを、必至で押さえる。
 怒りは行動や判断を鈍らせるからだ。

「本気で………本気でそう思ってるわけじゃないよね?」

 笑いを堪えもせずに、影友が呟いた。
 見抜かれてんのかよ。

「いや、本気さ」
「あははははははっ♪」

 ……………。
 怒りが殺意に変わる。
 人から笑われるのは、わりと嫌いなのだ。
 それが嘲笑なら特に。

「悪いけど、信じないよ♪ 『楯岡』ともあろう者が………あははっ♪」
「笑ってねーで、本題に入れよ」
「あははっ♪ やっぱり♪」
「……………………」
「そんなに怖い顔しないでくれない? 僕はわりと、怖がりなんだ♪」
「誰が信じるか。甲賀忍軍の長と言われた、道阿弥(どうあみ)衆の総帥が怖がりなんてよ」
「………………」

 影友の目が冷酷さを取り戻す。
 甲賀忍軍だの道阿弥(どうあみ)衆だのって単語を出すことによって、忍者同士の会話に戻したのだ。
 これで、心理戦をイーブンに戻すことが出来た。
 いつまでも、的になめられてる訳にはいかないもんな。

「じゃあ簡素に言うよ」
「おう」
「百地の娘が(しば)られている十字架。トラップが仕掛けてあるんだ」
「ほほう。それはやっぱりアレですか? (いまし)めを外そうとすると、大人のおもちゃが突出してくるとか?」
「何言ってんのよっ――――!」

 突っ込むなよ、静流ぅ!
 罠の種類が解からねーじゃねーか!

「そんな破廉恥な真似はしないよ。昔の忍者じゃあるまいし」
「忍者に昔も今も無いと思うがな。むしろそんな罠を仕掛けておくべきだろ? ビジュアル的にも楽しいし♪」
「………………とらちゃん。お姉ちゃん、今本気で悲しいよ?」
「とらぁ―――っ! 後から、酷い目に会わせるからねっ!!!」

 だっからぁ!
 罠の種類が聞き出せねーだろっ!

「報告にも有ったが……。君は本当に破廉恥なんだね」
「お褒めに預かって光栄です♪」
「褒めてないんだけどね………」
「んじゃ褒めろ」
「………君との会話を楽しんでる暇、あまり無いんだよね」
「んじゃ、さっさと褒めろよ」
「……………凄いね君は」

 あ、本当に褒めやがった。
 ちょっとビックリしたぞ。

「この状況で、よくそんな軽口を叩けるもんだ」

 影友が、本気で呆れた顔で呟いた。
 褒められてる気がしねー。

「どんな状況なんだよ?」
「………いいよ。話してあげる。君がもし秘忍書の開封を拒んだら、百地の娘が爆散する。そこにいる石川
 のが、(いまし)めを外そうとしても同じ。瞬時に爆散する。そんな状況さ」
「捻りがないな。もう少しウイットに富んだ手法、考えつかないもんかね?」
「……………悪かったね」

 とはいえ。
 状況が劣悪なのは、変わっていなかった。
 口喧嘩で勝っても、何にもなりゃしねー。













                 第二十二話   『忌み子』
















「で、どうなのかな、『楯岡』?」
「………康哉。バッグよこせ」

 斜め後方に位置していた康哉に、首を振る。
 康哉は………動かなかった。

「………どした?」
「………貴様。これを渡すのが、どんな意味を持っているか……知ってるのだろうな?」
「お前こそ。ここで渋るのが、どんな意味か解かってんだろうな?」
「……………」

 それはすなわち。
 静流の身体が爆散するってこと。
 胸と顔と下半身は、俺が拾って帰ろう。
 顔は適当な入れ物に容れて、栽培するんだ。
 なんか、そんなゲーム有ったな。

「……………康哉。………………とら。あたし………」
「犠牲になるのが、静流一人だけだと思うなよ。静流が死ぬって事は………百地がいずれ崩壊するって事
 だ。なんのかんの言っても結局、百地も世襲制だからな」

 あたしは大丈夫。
 あたし一人の命だったら………。
 そんな静流の言葉を封じ込める。
 ここまで来てごねる意味なんかねーだろ。
 ま、康哉の気持ちも解かるけどよ。
 日本各地に散る、数多の忍軍。
 その忍軍が全てを持って守り通してきた秘忍書が、一番危険な団体に渡るんだ。
 この状況だと、渡しても渡さなくても日本忍者システムの破綻。

「………大河」
「俺は、そんな紙切れより………静流の方が大事だ」
「……………………と、とら……………?」
「康哉。渡せ」
「………………………解かった」
「とら………………康哉………………ごめん………………ごめんな………さい……………」

 静流が涙を流してうな垂れる。
 ま、気にすんな。
 そんな大したこっちゃねーから。
 康哉も決心したらしい。
 俺の足元にバッグを放り投げた。

「話しは終わったかい?」
「ああ。満場一致で、秘忍書を渡すことにした」
「………僕の話し。聞いてなかったのかい?」

 揶揄するような響きに、思わず睨みつけてしまった………が。
 あら?
 茉璃ねーさんが、目を伏せてうつむいてしまった。
 こりゃ………ひょっとしたら………。
 思いついた甘い考えを、即座に打ち消す。

「どゆこった?」
「開封してくれないか? どうせ開封できるのは、『楯岡』だけなんだろう?」
「結構物知りだな」
「僕が、何年掛かって『楯岡』の尻尾を掴んだと思ってるんだい? その程度のことは調べてるよ。封印した
 のも各地の忍軍に秘忍書をばら撒いたのも………。そもそも、秘忍書を記したのが『楯岡』だってことも」
「……………!」

 俺と影友以外の全員が息を飲んだ。
 そりゃそうだ。
 歴史に名を残している、秘忍書製作者。
 その全てが、『楯岡』のペンネームだって事実。
 驚いて当然………ペンネームってのは違うな。
 名を語ったってのが正しいな、うん。

「僕もあらゆる手段を使って開封しようとしたが、徒労に終わってしまった。おかげで貴重な秘忍書を、何本
 も燃やしてしまったよ」
「気にすんな」
「……………いや、気にはしてないけどね。秘忍書があろうが無かろうが、僕がこの世の全てを変える事
 に、代わりはないのだから」
「んじゃ、こんなもん要らねーだろ」
「だが、時間の節約にはなる」
「なるほろ」

 これで事態は氷解した。

「さ、早く封印を解いてくれないかな? 百地の娘が爆死しても良いなら、それでも良いけどね」
「お前の目的………てゆか、手段が読めたよ」
「………え?」

 俺はバッグを開けて、秘忍書を取り出しながら呟いた。 
 様々な形の秘忍書。
 それぞれの忍軍が、自分のトコの存在と誇りを掛けて守り通した書簡。

「お前の目的……。それは道阿弥(どうあみ)衆の悲願でもある、全忍軍の掌握。それは間違いないだろう」
「………………」
「だがそれには障害が二つある」
「……………何かな?」
「一つは三大大忍。特に『百地』は、この国の要所でもある北日本を統べている。いかにお前らが数を増や
 そうとも、全てのラインを押さえるのはちとつらい」
「………そうだね。その通りさ」
「藤林は押さえられるだろう。あそこは独裁主義だからな。主君の言いなりだから、トップさえ手に入れてし
 まえば、忍軍を掌握したも同然だ。事実そーやって藤林を傘下に入れたんだろうしな」
「………………」

 話しながら、封印を解くべき秘忍書をチョイスする。
 どれから行こうかな?
 やっぱ『石川』の、『忍術秘書応義伝之巻』から行こうかな。
 面白いから。

「だが『百地』掌握も、そんなに難しいわけじゃない。全国の秘忍書を手に入れて陰忍、陽忍の奥義を尽くせ
 ば簡単に落ちるだろう。もし秘忍書が無くても、『百地』を全滅させれば良いだけだ。『百地』はデカイ分、不
 満を持ってる人間も多いだろうしな。賊軍の成り手なら、なんぼでもいるだろ」
「……………とら」
「だが……俺が。『楯岡』が、それを黙って見過ごすわけは無い」

 本当は、黙って見過ごすだろうが。
 それが『楯岡』の総意だって、親父が言ってたもんな。
 俺がそー動くかどうかは………動いてないのか、既に。
 俺は『楯岡』の命に(そむ)いたんだから。

「それが……最大の障害なんだ。『楯岡』の存在が、ね」
「静流を捕らえて、俺を誘き出す。なんのかんの言っても、俺が来ない訳無いからな。ね、茉璃ねーさん♪」
「…………そうね。とらちゃん………昔っから、静流に優しかったもんね。イジメてても、ね。昔から………静
 流の事、好きだったんでしょ?」
「誤解は後から解くとして」

 手に持った『忍術秘書応義伝之巻』。
 石川流に伝わる、秘忍書だ。
 今、石川流にある秘忍書は、俺が徹夜で書き上げた模造品。
 俺が手に持っているのが、オリジナルだ。

「三大大忍のうち、藤林は押さえた。服部(はっとり)は地下に潜って所在が解からない。百地は隙だらけ」
「そう。三大大忍は、僕の野望の敵ではない」
「忍者監視機構、楯岡流。それを潰すために、あれこれと手を打ったわけだ」
「出来るなら、秘忍書も手に入れて、ね。『楯岡』を潰した後の、時間の節約になるから」
「……………舐められたもんだ、『楯岡』も」

 手に持った『忍術秘書応義伝之巻』の各所に、『楯岡』特製の燐を擦り付ける。
 本来は飛針で封印を解くんだが、今の俺には装備されていないからな。
 別の陰忍に使用するために保管してあった燐で、封印の回りを静かに擦る。
『楯岡』の封印。
 それは、秘忍書の各所に張り巡らせた『封燐』だ。
 飛針に塗ってある燐とは、真逆の性質を持つ。
 つまり、外気に触れると発火するのだ。
 封印を解く方法はただ一つ。
 封燐が発火する前に、燃やし尽くす。
 矛盾してる気もするだろうが、それを可能にするのが『楯岡』特製の燐だ。

「そうでもないよ。一応、最大の敵と認めてるんだから」
「嬉しくねー」

 逆に言えば、『楯岡』の燐以外では封印が解けない。
 鍵と鍵穴みたいな存在だから。
 さて、何本かに、開封の施行も終わったし。
 そろそろオチと行きますかね。

「んじゃ、秘忍書の封印解くから。終わったら静流を放せよ」
「………………ここまで言って、どうしてそんな要求が通ると思ってるのかな?」

 通るとは思ってねー。

「まあ、命だけは助けてあげる。その方が、『百地』全体を掌握するとき、便利だろうから」
「よーし。その言葉、違えるなよ! 取り敢えず封印を解くから、その後のコメントに期待」
「……………?」
「まずは、石川流に伝わる、『忍術秘書応義伝之巻』だぁ!」

 高々と秘忍書を持ち上げる。
 今、バラエティー番組の司会者の気持ち。

「な!? ちょ、ちょっと待て貴様!」

 慌ててる慌ててる♪
 どれから封印解いても同じだろうに。
 ま、気持ちは解かるけどよ。
 己の家系が、守り通してきたものが白日に晒されるんだ。
 夜だけど。

「ぷっ!」

 ぼしゅ。

『忍術秘書応義伝之巻』に塗られた燐目掛けて、唾液を飛ばす。
 ちょっとだけ顔にかかっちった。
 きたねー。
 唾液と反応した燐は、容易く『忍術秘書応義伝之巻』を青白い炎で包む。
 あ、あちちっ!

「おおっ!」

 流石に驚いたんだろう。
 影友が驚嘆の声を上げた。
 一瞬燃え上がった書簡は、瞬時に鎮火する。
 じゃないと、全部燃えちゃうからな。
 全部の炎が消えたのを確認して、『忍術秘書応義伝之巻』を影友に放り投げる。

「さ、お読みなさい」
「……………ああ。読ませてもらうよ」

 俺のおねえ言葉に本気で呆れながら、影友は秘忍書を拾い上げた。
 そして………………。

「………………………」

 沈黙。
 ぷぷぷっ♪
 その顔が見たかったんだよ♪

「………………汚いぞ、『楯岡』!」

 初めて聞く、影友の荒げた声。
 いいぞいいぞ♪
 胸がすーっとするねぇ♪

「あにが?」
「この後に及んで、偽者を差し出すとは! 『百地』の命が、どうなっても良いのか!」
「あにがよ?」
「このような………屈辱的な!」
「それ……………本物だぞ?」
「なっ!?」

 影友の手から落ちた秘忍書、『忍術秘書応義伝之巻』。
 月明かりしかないが、この距離でも全員が確認できた。
 それが忍者ってもんだからな。

「……た………大河………?」
「とら……………あれって………」
「『楯岡』のコレクションらしーぞ。俺のエロさは、先祖代々脈々と受け継がれてるってわけだな♪」

 地面に落ちた秘忍書。
 その中に記されているのは……………一枚の春画だった。
 平たく言うと、エロイラスト。
 CG化希望ってやつだな。












「………どう言うことだ? どう言うことだ、『楯岡』ぁぁぁ!?」
「まー、そー興奮すんなよ。エロ絵見たいくらいで。中学生じゃあるまいし♪」
「貴様ぁぁぁぁ!」
「だから、アレが本物なんだって」

 世に伝わる秘忍書。
 それは全て、発生当初から偽物なのだ。
 余計な火種を作りたくないと思ったのか、ただの茶目っ気なのか。
 製作者……俺のご先祖様の意図は解からんが、まさか厳重に封印してある書物が、エロイラストだとは
 誰も思わないだろう。
 本当の内容は、口伝されているのだ。
 物が重要なんじゃない。
 それを守る事が重要なのだから。
 忍者として、家系を守って行くためのシンボル。
 秘忍書とは、その程度の物に過ぎない。
 口伝されている伝承をまとめた物も『秘忍書』と呼ばれるが、むしろそっちが本物だろう。
 何世紀にも渡った、長い前フリのなのだ。
 こんなものを集めさせられた、幼少の頃の俺がいと哀れ。
 しかも命がけで。

「……………………」
「………………………………」

 俺の説明を聞いた影友と茉璃ねーさんが、並んで絶句している。
 そりゃそうだよな。

「……………………貴様の先祖は………馬鹿者だ」

 あ、ひでぇ、康哉。
 身内の悪口言っちゃ、駄目なんだぞ。
 ま、同感ちゃ同感だが。
 だから言っただろう?
 実にくだらねー事情なんだが、発生からしてくだらねーんで気にすんなって。
 本当にくだらねーな。
 親父が()り替えたのは、そう言う事情なのだ。
 もし誰かがこれを見たら………今の影友のように、呆然とするくらいショックだろうから。
 だからわざわざ、それっぽい内容の書簡と()り替えたのだ。
 やっぱ、ショックだよなぁ。
 いやぁ、同情する♪

「……………ぷぷっ♪」

 後方で、嬉しそうな笑い声。
 静流が、十字架に(しば)られたまま笑っていた。

「………………何を笑っている………『百地』の娘………」
「………だ、だって……………ぷぷぷっ♪」

 (しば)られてるんで、口を押さえる事が出来ないらしい。
 静流の笑い声が………段々大きくなって行く。

「こんなに算段練って………人を傷つけて……………手に入れたのが………えっちな絵なんて………」
「………笑うな。『百地』の娘」
「悪い事は……出来ないよね………ぷぷぷっ♪」
「……………笑うな……………秘忍書が目的ではないのだ……………」
「そーだよな。エロ本が欲しいなら言ってくれりゃ、ナンボでも貸してやるっての。こんな回りくどい事しなくて
 もよ。照れ屋さんなんだから♪」
「あ―――はっはっ♪」
「……………くくくっ………」

 夜の森に響く、静流の爆笑と康哉の潜み笑い。
 それが影友の逆鱗に触れたらしい。
 ご先祖様の前フリが見事に決まったんで、俺も油断してた。

「茉璃。排除」
「はい」

 すっ。

 茉璃ねーさんの姿が消え去った。
 不味い!

「……………え?」

 馬鹿口開けてた静流の笑いが止まった。
 静流の頭上に迫る………忍刀。
 消え去った茉璃ねーさんが、忍刀を構えたまま降って来たのだ。
 距離を………静流との距離を取り過ぎた!
 (きらめ)く忍刀。
 康哉も、不意を突かれて動く事が出来ない。
 それでも俺は必至に地面を蹴った。
 静流を………死なすわけには行かない!
 あいつは………あいつは………!

「駄目デス〜〜〜!!!」

 この声は……………。
 てゆか、どっから現れやがった!?


















 白き閃光(ひかり)






















 僕は生まれてきては駄目だったみたい。

 お母さんがそう言っていた。

『楯岡』の頭首。

 道座おじさんの妹が、僕のお母さん。

 お母さんは、普通の女の人だった。

 忍者ではない。

 僕のお父さんは忍者。

 でも『楯岡』を継ぐほどの力は無くて。

 道座おじさんは、子供を作る事が出来なくて。

 僕は小さい頃から、『楯岡』のために修行させられていた。

 なんでこんなに辛いんだろう?

 僕は悪い事をしたのだろうか?

 指先が、焼けるように熱い。

 体が、石のように痛い。

 どうして強くならなくちゃいけないんだろう?

 強い?

 強いってなぁに?

 人を上手に傷つけることが出来るのが強いの?

 なにも解からない。

 解からないまま、修行を続ける。

 誰とも会わない。

 昼間でも暗い森の中。

 僕は道座おじさんとお父さんとお母さんと暮している。

 そこが僕の全て。

 森の動物は全て食料。

 森の地形は全て訓練場。

 頭が割れるように痛い。

 体が氷のように冷たい。

 お母さんが全てを捨てて森に暮らすようになったのは、僕のせいだ。

 綺麗な長い髪のお母さん。

 でも笑っているところは見たこと無い。

 僕が奪った。

 僕が生まれて来てしまったから。




























 あたしが最初に見たとき。

 そいつはじっと座っていた。

「……………どうしたの?」

 声をかけたけど、振り向きもしない。

 ちょっと、むっ。

 そいつは、あたしの秘密の場所に座っていた。

 あたしが訓練に疲れて、逃げ出せる場所。

 森の奥の湖のほとり。

 見たこと無い男の子だった。

「ここは、『ももち』なんだよ。しらない人が入ってきちゃだめなんだから!」

 そいつはなにも応えない。

 ただ、湖を見ているだけ。

 へんなの。

 怖くは無かった。

 だってあたし、百地だから。

 普通の男の子に負ける訳無い。

「ちょっと! きいてるの!」

 早くここから出てって欲しい。

 じゃないと、あたしが泣けないじゃない。

 男の子の肩を掴んだ瞬間、天地がひっくり返った。

「あらら?」

 どすん。

 地面に叩き付けられたあたし。

 ……………?

 苦無(くない)が………喉元に突きつけられている。

 男の子が馬乗りになったまま、あたしに苦無(くない)を突きつけている。

 ……………怖い。

 あたし………負けたんだ。

 死んじゃう………の?

 良く見ると……。

 男の子の顔は、血まみれだった。

 苦無(くない)を握った手も、血まみれ。

 怖い。

 怖い。

 こわ……………くは無かった。

 なんで……………?

「なんで……………泣いてるの………?」

 涙が見えたわけじゃない。

 でも。

 あたしにはそう見えた。

 声を出さずに。

 顔にも出さずに。

 泣いてるように見えた。

 男の子はなにも言わず……。

 あたしの上からどいて、また湖を見詰めた。

 男の子が何を見ているのか……。

 解からないあたし。




















「どうして茉璃ねーさん!」

「………ごめんね静流………」

「何が有ったの! どうして………どうして『百地』を抜けるの!」

「話しても、解かってもらえない。ううん。解かって欲しくない」

「………酷いよ。どうして………そんな酷いこと………言うの?」

「……ごめんね。でも私………行かなくちゃ。私が私で居る為に」

「あたし達の前では……茉璃ねーさんは………茉璃ねーさんで居られないの?」

「………もう……………疲れちゃった。私………貴方達が思っているような………女じゃないの」

「とらは! とらの事はどうするの!?」

「………え?」

「とら、昨日だって悲しんでたよ! 茉璃ねーさんが見送りに来てくれなかったって! とら………茉璃ねー
 さんのこと、好きなんだよ!」

「とらちゃんは………大丈夫」

「大丈夫じゃないよ! とらが………とらが帰ってきたら悲しむよ! 行かないで、茉璃ねーさん!!!」

「………ごめんね。でも………大丈夫よ」

「とらの悲しむ顔、見たくないの! お願い! 茉璃ねーさん!!!」

「静流が居るから……。みんなが居るから。とらちゃんは大丈夫」

「お願い、茉璃ねーさん! 行かないでぇぇぇぇ!!!」




















 静流が居なくなった。

 またいつものところだろう。

「世話焼けるね、康ちゃん」

「そうだな、大ちゃん」

 百地屋敷では大騒ぎ。

 でも僕達は、居場所を知ってる。

 静流は泣きたくなると、一人で湖の辺に立つ。

「今度はなんだって?」

「御館様に怒られたんだ。弓の手入れが悪いって」

「静流のお母さん、厳しいからねー」

 本当はちょっと羨ましかった。

 僕のお母さんは、もう居ないから。

 新しいお母さんが出来たけど、まだ上手く話せないから。

「あ、居たぞ、大ちゃん」

「本当だ」

 静流は膝を抱えて、湖の辺に座り込んでいる。

 僕は少しだけ駆け足で、静流に近付いた。

「静流ぅ。泣くなよ」

「………ううっ………だって………だって……………」

「静流ちゃん。俺が弓の手入れ、教えてやるから」

「………康ちゃん………」

「そうだよ。みんなでいっしょにやろうよ」

「……………とらちゃあん………ううっ〜〜〜〜」

「泣くなよ。そだ。今度、近くのお湯の出るところで、一緒に遊ぼうぜ!」

「………おゆ?」

「うん。茉璃ねーさんが見つけたって言ってた。温泉っていうらしいよ。ね、康ちゃん」

「ああ。みんなで、お風呂で遊ぼう」

「………本当?」

「うん♪」

 僕達は手をつないで、ゆっくりと帰る。

 帰ったらまた、辛い事が待ってるかもしれないけど。

 それでも………一緒ならへいちゃら。

 そう言ってくれたのは、静流なんだよ?




















「凄い子供だ。ワシが10年掛かって覚えた事を、僅か1週間で成し遂げる」

「……………」

「恐れ入ります、兄者」

「この子なら………『楯岡』として申し分無い」

「僕もそう思います」

「……………………」

「ワシは子孫を残せん体だ。不憫(ふびん)だが、これも宿命。解かってるな、道織(みちおり)

「はっ」

「………どうして………?」

「ん? 何か言ったかな、早季子(さきこ)さん?」

「早季子?」

「どうして………私の子が、こんな目に会わなくてはならないの?」

「……………………」

「早季子!」

「貴方も貴方よ! どうして反対しないの!? 私たちの子は………殺人者じゃないのよ!」

「…………仕方ないのだ。忍者として生まれた、楯岡として生まれた、この子の宿命」

「それは何度も話したじゃないか。早季子も了承しただろ?」

「………………私、怖いのよ………」

「怖い? 何が怖いというのだ、早季子さん」

「この子は……………どんどん人殺しの技が上手くなる………そのうち………本当に人を殺してしまうん
 じゃないかって………怖いのよ」

「それは違うぞ、早季子。『楯岡』の技は、人を殺すための技じゃな………」

「同じじゃない! 人を傷つけることに、かわり無いわ!」

「………早季子さん。普通の人から見れば、そう映るかもしれない。だがしかし……」

「そうよ! 私は普通の人なのよ! なのに、町から離れて………こんな山奥で、ひっそりと暮さなくちゃい
 けないなんて………」

「早季子………」

「どんどん人殺しに近付いてく子供を育てるため………なんで私が犠牲にならなくちゃいけないの!?」

「早季子さん……済まないと思っている。しかし……この世には必要なのだ。『楯岡』が」

「こんな子……………生まなきゃ良かったわ……………」

「早季子!」

 ………おかあさん。

 生まれてきて……………ごめんなさい。





















 それは、ちょっとした任務だった。

『百地』流属、望月(もちづき)に与えられた任。

 ある政治家が別荘に監禁されているので、それを救い出す事。

 女である事を武器にすれば、簡単な任務。

 本当は嫌だった。

 好きでもない人に、抱かれたくない。

 だけど………私は忍者だから。

 監禁している男は、暴力団らしい。

 1ヶ月近くも別荘に閉じこもっているので、女性の身体が恋しくなったのだろう。

 呼び出された娼婦に紛れて、政治家を救い出す。

 簡単な任務。

 静流やとらちゃんは、私がこんな事してるなんて思わないだろうね。

 手引きの為に、地元の忍軍に手を貸してもらう。

 私の前に現れた男は………ひどく清んだ目をしていた。

 綺麗な顔立ち。

 この人の前で、下卑た人種に抱かれるのか………。

 ちょっとやだな。

 でも、何回も繰り返してきた任務。

 下卑た男に抱かれて、(ちつ)内に仕込んだ針で眠らせるだけ。

 一糸まとわぬ姿でなければ潜入出来ないので、それしか手段は無い。

 でも………ちょっとやだな。

 もう………こんなこと………したくないよ………。

 手筈通りに、別荘に潜入した。

 一糸まとわぬ私の身体を、男の舌と指が這いずり回る。

 気持ち悪い。

 でも、歓喜の声を上げなければ。

 天井裏に潜む、あの男性にも聞かれるだろうか?

 やだな。

 やだよ………………。

 もう……………………こんなこと………………やだよぅ………………。

 それでも私は、男に抱かれた。

 (ちつ)内に、男の肉茎(にっけい)が侵入してくる。

 いやだ。

 いやだ、いやだ。

 いやだ、いやだ、いやだ。

 (ちつ)内に仕込んであった針に、男の肉茎(にっけい)が刺さる。

 瞬時に男が、昏睡した。

 このまま………この男を殺してしまいたい……………。

 え?

 私……………今………。

 ともかく、私の任務は終わった。

 後は机の上の銃器を使用不可能にして………。

 今、この間にも、手下を地元の忍者が倒してるはずだから………。

 政治家を忍者に引き渡して………。

 シャワーを浴びて、それで終わり。

 あとは、みんなの前で………笑顔を作るだけ。

 涙は出てこない。

 それが私。

 望月流、望月茉璃。

 不意に扉が開かれて、男性と政治家が入ってくる。

 思わずシーツで身を隠した。

 こんな姿、誰にも見られたくない。

 だが、政治家の目が光った。

 忍者に、席を外すように言っている。

 政治家は………私の姿に欲情したらしい。

 たかが忍者風情がとか言ってる。

 ああ、まただ。

 また私は、好きでもない男性に抱かれるんだ。

 政治家は『百地』の重要な取引相手なので、逆らう事は出来ない。

 そんな選択肢、私には無い。

 政治家の下卑た指が、(ちつ)内の針を外す。

 気持ち悪い。

 政治家の肉茎(にっけい)が、私の口にねじ込まれる。

 苦しいけど、涙は出ない。

 それが私。

 帰ったら………みんなに、なにか美味しいものを作ってあげよう。

 私が出来るのは、代償行為。

 自分を慰められない代わりに、みんなに優しくする事だけ。

 口の中に、生臭い精液が放たれる。

 偽りの歓喜の声を上げながら、精液を嚥下(えんか)する。

 気持ち悪い。

 お魚だけは、止めておこう。

 政治家が私をベットに押し倒し、肉茎(にっけい)を握った。

 ああ、抱かれるんだ。

 好きでもない男に………身体を任せてしまうんだ。

 ………………。

 ……………………………………。

 ……………………いやだ。

 嫌だよぅ。

 もう、こんなの、嫌だよぅ。

 どうして私は忍者なんだろう?

 望んだわけじゃないのに。

 ただ生まれてきただけなのに。




















「隠匿する事は可能だ。だが………」

「頼む、源牙(げんが)。もう伊賀崎にとって、最後の血筋なのだ」

「本当にそれで良いのか? 貴様の気持ちは、それで納得出来るのか?」

「………ああ。『百地』の力で、この件を隠匿してくれ」

「幼馴染として忠告しておく。その子は……騒乱を招くぞ」

「ワシは……………違うと思う」

「だが、幼子にしては、あまりにも強大過ぎる」

「もし………騒乱を招くのなら……………ワシが斬る」

「………………………それほどの覚悟か。伊賀崎道座」

「ああ。『百地』の頭首。『百地』源牙(げんが)

「もし出来なければ………『百地』は伊賀崎の敵に回るぞ?」

「その時は、貴様がワシを斬れ」

 道座おじさん……。

 僕の為に。

 迷惑掛けて………生まれてきてごめんなさい。




















「……………あ?」

 またあの子は居た。

 昨日と変わらない場所で、湖を見ている。

 おうちに帰らないのかな?

「ねえあんた! どうしてここに居るの!?」

「……………………」

 おっきな声で叫んだけど、無視されるあたし。

 ちょっと、むっ。

 早く居なくなってくれないかな?

 じゃないと、あたしが泣けないじゃない。

 ……………もしかして。

 あたしはそっと、男の子の顔を覗きこんだ。

 血で真っ赤に染まっている。

 怪我はしてないみたいだけど………。

 どうしてこの子は、こんなに泣いてるんだろう?

 涙が見えたわけじゃない。

 泣き声が聞こえたわけじゃない。

 だけど………泣いてる。

 だからあたしは、隣りに座ってみた。

 泣きたい同士、隣りに座ってみた。

 男の子は身動きもしない。

 ただ、湖を見詰めてるだけ。

「ねぇ………」

「………………」

 男の子は、何も言わない。

 それが悲しくて。

 あたしは一生懸命話しかけた。

 あたしの名前。

 あたしの好きな物。

 あたしの家族。

 あたしの友達。

 あたしの泣きたい訳。

 男の子はじっとしたまま。

 話しを聞いてるのかどうかも解からない。

 だけどあたしは話しかけた。

 一生懸命。

 そうしてそんな事をしているのか、解からないけど。

 この子の名前も知らないけど。

 それでも一生懸命話しかけるあたし。

 涙も流さず……泣いている男の子に。




















 びしゅ。

 突然、目の前が紅く染まる。

 私の(ちつ)内に肉茎(にっけい)を挿入させようとしてた、政治家の首が床に転がる。

 何が起きたのか、解からなかった。

 視界の赤が治まって来た時、泣いている男の人を見た。

 手引きをし、政治家を安全な場所まで護送する筈だった忍者。

「………もう、沢山だ………」

 彼は、誰に話しかけているのだろう?

 私?

 政治家?

 それとも………自分?

「誰かの犠牲の上に成り立つ平穏が、そんなに大事か!?」

 彼は………泣いていた。

 綺麗な涙を流しながら。

 心が痛い。

 私は泣くことが出来ないから。

 そんな選択肢は、私には無い。

 私、忍者だから。

「君は平気なのか!?」

「………だって私………忍者だから………」

「だから平気だというのか!?」

「………はい」

「………ならば、何故泣いてるんだい?」

「………………え?」

 私の頬を、暖かいものが流れていた。

 ああ。

 これが涙なんだ。

「忍者だから、何をされても何をしても、平気だというのか!? 汚くて下品で、人の事を利用するだけしか
 能の無い輩に、蹂躙(じゅうりん)されるのが忍者なのか!?」

 そうしてこの人は、そんなに怒っているのだろう?

 己の任務を放棄して、あまつさえ保護対象者の首を刎ねて。

 どうしてこの人は………私は泣いてるんだろう?

 きっと………それは。

「ならば僕は、忍者の存在そのものを消し去ろう! 虐げられ、蹂躙(じゅうりん)されるだけの存在を! そして………
 創造しよう! 新しき忍者を!」

 彼がずっと言いたかった言葉。

 私がずっと聞きたかった言葉。

「君は………どうする?」

 ……………私?

「………決まってるわ」

 彼の手から忍刀を奪い取り………。

 背後で昏倒してる、下卑た男の背中に突き刺した。

 血しぶきが、全裸の私を染め上げる。

 ああ、そうだ。

 私は、ずっとこうしたかったんだ。

 もういらない。

 聞き分けの良い私。

 笑顔の私。

 我慢して、抱かれる私。

 もういらない。

 もう………いらないんだ。

「壊すわ。全てを」

「そして創り上げる」

 私は頷いた。

 全てに叛いて、私は生きていく。

 彼と共に。




















「ねえ大河?」

 なにお母さん?

「お母さんね。もう疲れちゃった」

 じゃあ、どうして笑ってるの?

「だからね。全て終わらせようと思って」

 どうやって?

「貴方も、辛いでしょ? 毎日毎日、人殺しの練習ばっかり」

 辛いけど、人殺しの練習じゃないよ?

「お母さんね。幸せな家族が欲しかったの」

 僕達は幸せじゃないの?

「暖かくて、優しくて。ちょっと生意気だけど、強い子供が欲しかったのよ」

 僕はそうじゃないの?

「貴方は………怖いのよ」

 怖いの?

 僕、怖いの?

「段々………人殺しの技が上手くなって行く。そのうち、本当に人を殺してしまうわ」

 そんなことないよ、お母さん。

 僕、誰も殺さないよ?

「私の人生って、なんだったのかしらね?」

 ……………。

「好きな人と結ばれて、子供を授かって………それだけで良かったのに」

 今は違うの?

 今は違うの、お母さん?

「生まれてきた子が………人殺しなんて……………」

 僕、誰も殺してないよ。

 誰も殺してないよ、お母さん。

「もうだめ………疲れちゃった」

 お母さん。

 頑張ろうよ、お母さん。

 僕、誰も殺さないから。

 本当だよ、お母さん。

 お願いだよ、お母さん。

「貴方は………生まれてきてはいけない子………忌み子よ…………………」

 僕………………。

 僕……………生まれてきちゃ駄目だったの?

 どうして………?

 どうして………生まれてきちゃったの?

 ごめんなさい。

 ごめんなさい……………。

 謝るから、どうか許して。

 生まれて来てしまった事。

 僕の………罪。

 生きてくのも悪いなら………。

 どうか………許してください。

「だからね、大河。お母さん………貴方を殺そうと思うの。生まれてこなかったことにしたいの」

 うん。

 いいよ、お母さん。

 それで僕を許してくれるなら。

 その手に持った剃刀(かみそり)で。

 僕の首を斬ってください。

 僕の過去。

 僕の今。

 僕の未来。

 どうか許してください。

 ごめんなさい、お母さん。

 ごめんなさい、お母さん。
 
 ごめんなさい、お母さん。

 僕を許してください。

 しゅ。

 剃刀(かみそり)が、月の明かりを反射する。

 僕はそっと目を閉じた。

 だけど……………。

 だが、俺の身体は、殺気に反応してしまった。

 幼い俺の身体に染みついた、『楯岡』の技が反応する。

 狂った母親の剃刀(かみそり)を左手で(さば)き、同時に母親の首に手刀を叩き込んだ。

 母親は音も無く崩れ落ちる。

 膝立ちのままの母親の背後に回り込んだ。

 後頭部に膝蹴り、額に肘打ちを同時に叩き込む。

『楯岡』流、岩燕(いわつばめ)

 母親の頭蓋が砕け散った。

 狂っているとはいえ、実の母親だ。

 俺は地獄行きだろう。

 先ほど誓ったばかりなのに、もう人殺しだ。

 防衛行動と言ってくれる奴も居るかもしれない。

 幼い子供に他にどんな手段がと言って、かばってくれる奴も居るかもしれない。

 だが俺は、人殺しだ。

 この罪を背負って、一生生きていく。

 そして………俺達の姿が見えないのを心配して、追い掛けて来た実の父親も………。

「大河! な、なにを!?」

 なにって?

「お前………解かってるのか!? お前の………お前のお母さんだぞ!」

 でも、僕のこと殺そうとしたよ?

「お前は………お前はぁぁぁぁ!」

 お父さん……。

 お父さんも、僕のことを殺すんだね?

 その手に持った忍刀で。

 僕の首を刎ねるんだね。

 お父さんも。

 お母さんも、僕を殺すんだね。

 いいよ。

 僕、生きていく意味なんか無いから。

 しゅっ。

「ああああっっっっっ!」

 僕は静かに眼を閉じた。

 もうこの世界に居たく無い。

 僕は生まれてきてはいけなかったのだから。

 だが父親の忍刀は、俺の首には届かなかった。

 突きから薙ぎに変化した父親の忍刀を掻い潜り、忍刀を持つ手に内腕刀を叩き込んだ。

 ぼきり。

 枯れ木を折るような音と、俺の一本背負い。

 一瞬歪んだ父親の喉に、奪い取った忍刀を滑り込ませる。

 あまりにも容易く、父親は絶命した。

 そして俺は………。

 そして僕は走り出した。

 どこにも行く場所は無いと言うのに。

 どこに行くかは解からなかったけど。

 俺は走り出した。

 僕は走り出した。



















「本当にそれで良いのか? 貴様の気持ちは、それで納得出来るのか? 弟と義妹を殺されて」

「………ああ。納得するしかあるまい。あいつ等は戦いを挑んで、敗れ去った。ただそれだけだ。だが……
 己の両親を手に掛けたと有ってはあまりにもこの子が不憫。………頼む。『百地』の力で、この件を隠匿し
 てくれ」

「幼馴染として忠告しておく。その子は……騒乱を招くぞ」

「ワシは……………違うと思う」

「だが、幼子にしては、あまりにも強大過ぎる。年端も行かぬ子が、大人二人を……。しかも、拙いとは言え、『楯岡』の技を持つ、道織を………危険過ぎる」

「『楯岡』のことは言うな。誰に聞かれてるか解からんのだからな。それにもし………この子が騒乱を招くの
 なら……………ワシが斬る。命を掛けて」

「………………………それほどの覚悟か。伊賀崎道座。いや、『楯岡』の頭首」

「ああ。『百地』の頭首。『百地』源牙」

「もし出来なければ………『百地』は伊賀崎の敵に回るぞ? 伊賀崎の名を抹殺して、『楯岡』を世に知らし
 める。そうなれば………ワシ等は敵同士だな」

「その時は、貴様がワシを斬れ。もっとも……貴様に斬られる前に、ワシは大河に倒されてるだろうがな」

「不甲斐ない事だ」

「まったく」

「………くくく」

「………くくくくく」

 道座おじさん……。

 僕の為に。

 迷惑掛けて………生まれてきてごめんなさい。

 追い掛けてきてくれてありがとう。

 でも僕………大丈夫。

 僕の力は………みんなの為に使うんだ。

 あの子と約束したから。

 僕を許してくれるって言ったから。




















「まも………る?」

 あっ!

 初めて男の子が、あたしの言葉に応えてくれた。

 それが凄く嬉しい♪

 どうして嬉しいか、解かってないあたし。

 でも、凄く嬉しい♪

「そう。みんなを守るの! テレビのヒロインみたいに、カッコ良く!」

 だから苦しい訓練とかにも、我慢できる。

 あたし、そう言う風に生まれてきたから。

 だから平気なの。

 泣きたい時とかあるけど。

 でも平気。

 泣く時は、一人で泣くの。

「………羨ましいな」

「どうして?」

「僕は………僕には出来ないよ」

「どうして? やって見なくちゃわからないじゃない!」

「僕は………僕は悪い事をしたから」

「だから……………泣いてるの?」

「泣いてないよ」

「泣いてるよ?」

「泣いてないってば!」

 だけど男の子は泣いていた。

 初めて見る、男の子の涙。

 きれいな。

 とても綺麗な、贖罪(しょくざい)の涙。

 ああ、あたし。

 この頃から、とらのこと好きだったんだ。

 どうして好きになったか、解からないけどさ。

 涙が………とらの涙が、あんまりにも綺麗だったからさ。

「ねえ?」

「……………なに?」

「あたしが………許してあげる。あなたがした、悪い事」

「……………………」

「だから、一緒に泣こ。で、一緒に遊ぼ。あたし、あなたの事許してあげるから」

「………誰も僕のこと………許すことなんて出来ないよ………」

「そんな事無いよ。あたしが許してあげる。世界中の誰があなたを責めても、あたしが許してあげる」

「……………………」







「ずっとあたしと一緒に居てくれるなら」







 どうして好きになったか、解からないけどさ。

 涙が………とらの涙が、あんまりにも綺麗だったからさ。

 ねえ、とら。

 あたし………とらのこと、好きになったんだよ。




















 逃げ出してすぐ、静流と出会った。

 最初は五月蝿くて、殺してやろうかとも思った。

 あの頃の俺なら、躊躇無くやってのけただろう。

 だが………何故か殺せなかった。

 清んだ瞳を見てしまったから。

 静流は俺を許してくれた。

 生まれてきた事。

 罪。

 勿論、事情も解からない静流に、許してもらうことは出来ない。

 だが救われた気がしたんだよ。

 救われた………気がしたんだ。

 それから、追い掛けて来た親父に保護されて。

 保護っつーか、殺そうと思って跳びかかって叩き伏せられたんだけどな。

 そのまま『百地』の屋敷に連れてかれて、イリーガルな手段で犯罪をもみ消してもらって。

 百地の重鎮達からは、随分と反対も有ったらしいが………。

 やはり百地の力は、絶大である。

 それから俺は親父の息子になり、再び静流と出会った。

 お互い言いたいことは有ったが、それは何故か心に中に秘めてたらしい。

 多分、お互いの台詞がくせーからだろ。

 そして、康哉と出会って、茉璃ねーさんと出会って。

 学園に通うようになって、奈那子と出会い。

 その頃には、二人目のお袋も出来ていた。

『仕事』出されて、二人目のお袋が亡くなって。

 緋那と出会い、蓮霞と出会い、レイナと出会った。

 そーいえば、凛は元気かな?

 こっぴどくやっつけちゃったもんなぁ。

 いろんな人と出会って。

 戦って。

 背負った罪は消えないけど。

 背中の荷物を重ねて行くけど。

 俺は笑えるようになった。

 俺の力は………守るために有る。

 それを教えてくれた奴が居たから。

 静流。

 Tシャツ一枚で、大きな靴を履いて俺の後を追いかけて。

 静流。

 俺のことを……待っていてくれた。

 静流。

 許してくれるって言ってくれた。

 静流。

 静流。

 静流。

 俺……………多分…………静流の事が………………。



























「おい」

 すびっ!

 俺の手刀が、レイナの後頭部に決まった。
 思わず力一杯突っ込んじまったぜ。

「い、いタいデス〜〜〜!」
「てめぇ………俺の許可無く読むなって言っただろ」

 しかも『読んだ』だけでなく、人様に送信までしやがって!
 めーわくメールとかゆーやつだな。

「……………アっ!?」
「あじゃねーだろ、あじゃ!」
「……………と、とら?」

 この様子じゃ、静流にも見られたみたいだな。
 ま、俺も見たからおあいこか。
 お互いの秘密。
 静流の場合………ま、知ってたけどよ。
 こいつの気持ちに気付かないほど、鈍いわけじゃない。

「せっ!」

 俺の背中に乗ったまま、呆然としてる茉璃ねーさんをテキパキと極枝に収めて行く。
 茉璃ねーさんは初めてだったんだな。
 人の思考を見せられるのは。
 静流も初めてだから、呆然としてるわけだ。
 俺は経験済みだもんね。
 ちょっと大人のき・も・ち♪

「………い、今のは………とら?」
「ま、平たく説明すると、レイナはあんな力が有る訳で。そんで道阿弥衆に狙われてたってこった」
「……………え? な、なに言ってんの?」
「普通じゃ考えられない力だから驚くだろーが、そもそも俺達の身体能力も、通常の人から見りゃ異端なん
 だから、あんまり突っ込むな」
「………え? え?」
「てゆーか、どう責任取るんだ、薄胸ぇぇぇぇ!」
「胸、かンけい無いデス!」
「ほれ、康哉」
「……………あ、ああ」

 呆然と立つ講や目掛けて、ぽいっと茉璃ねーさんを放り投げる。
 俺の極枝を食らったので、数秒間は動きが取れないはずだ。
 しかし、今の映像……康哉には見えてなかったみたいだな。
 ま、あとから全部説明しておくか。
 俺の………俺舞台の、大事なキャストだもんな。

「さあ、どー責任を取ってくれるんだ、レイナぁ!」
「………ああ! もうダメデス〜」

 俺に睨まれたレイナが、ヘナヘナと座り込んだ。
 ようやく静流も、レイナにかばわれた事に気付いたらしい。
 おっきな瞳を丸くして、慌てて呼びかける。

「きゃぁ! レイナさん! だ、大丈夫ですか!?」
「ダメデス〜。静流サンをかバうやら、失恋確定ダわの、ハチめんロッぴの大活躍デス〜」
「全然活躍してねーだろ」
「セメて、さいゴに………大河サンのキスが欲シかったデス〜」
「そ、それは………駄目……………」
「駄目らしいぞ、薄胸」
「ひドい〜。さいゴのおねガイなのニ〜」
「なんの最後だ、なんの?」
「だっテせなかニ………カタナが………刺さってナイデスね………」
「どっちが背中だか解からんが、刺さってねーぞ」
「ひドっ! ………………って、大河サン!?」
「………とらぁ!?」

 ようやく気付いてもらえた。
 右腕から………大量の出血をしていることを。
 鶚無しでは、腕が落ちてたかもしれん。
 静流に茉璃ねーさんの忍刀が刺さろうとした刹那、俺はなんとか地面を蹴って 静流に覆い被された。
 ま、その前に跳びついていた、薄胸レイナの上に成った形だけどよ。

「騒ぐなよ。泣くほどいてーんだ」
「今スぐ止血ヲ〜!」
「いや、大丈夫。自分でやるから」

 そう言って俺は、ポケットから静流のリボンを取り出した。
 道阿弥衆軍師、藤堂から与っていた幅広のリボン。
 本当は静流に返す予定だったのだが………。
 もう俺の血が染み込んだから、返せない。
 ま、新しいの、買ってやるか。

「それ………あたしの?」
「貰うぞ。止血用に、丁度良い」
「うん………いいよ………使って………」

 見詰め合う俺達の間に、薄い壁が立ちはだかる。
 いや、ホント薄いね。

「あ〜ア。やってラんないデス〜!」
「………何がだよ」
「ラヴシーンなら、全テが終わっテからにシテくだサイ〜!」
「ぐっ………ど、どこがラブシーンだ!」

 まあ、レイナの言うことに、一理も二理も、三理もある。
 俺の後ろで、倒すべき敵はプルプルと振るえているのだ。
 無視されてる怒りから。

「てゆか、レイナ。お前は何しに来たんだよ?」

 まさか俺のトラウマをほじくり返すために来た訳ではあるまい。
 俺も時々忘れそうに成る、己の罪。
 こいつらに囲まれてると……楽しくてな。
 忘れちゃ駄目なんだが………。

「はイ、コレ!」
「………ん?」

 レイナが渡してきた物。
 それは………俺が引き千切って投げた、飛針の納められた陰袋。

「これは………?」
「マスターかラの伝言デス! 『勝つまで帰ってくるな』だソうデス〜!」

 コレを届けに………?
 レイナ………親父………。
 さんきゅ。
 てゆーか、レイナは人の言葉を引用する時、流暢な日本語になるのはなんでだ?
 親父も、子供の喧嘩じゃないんだから……。
 一応、俺舞台のクライマックスなんだからよ。
 みんなでもりあげよーぜ。
 まったく、思いどーりにならん舞台だ。
 だから面白いんだけどよ。

「さっさト勝って、かエりマスよ!」
「なんで怒ってんだよ?」
「にブすぎマス………死ニあたイしまスね〜」
「………ちょっと同感」

 あーそうかよ!
 戦って、勝ちゃぁ良いんだろ、勝ちゃぁ!
 俺の憮然とした表情を見たのか、静流とレイナの顔が………。
 不意に真顔になる。

「………一緒にかエりまショウ………みんナで………」
「……………は?」
「うん………とら。みんなで………一緒に帰ろう………」
「大河サン、約束しマした……」
「………?」
「みんナで……花火見ルって……」
「そうだよ……とら。………一緒に。みんなで………一緒に………」

 花火って、夏祭りの慰霊弾のことか?
 確かに約束した覚えはあるが……。
 陰袋を身体の各所に収めて、精神を落ちつける。
 振り向いて………目の前に敵を収めた。
 そうだな。
 みんな一緒に……。
 帰ろう。
 友達も。
 道を違えたねーさんも。
 ライバルも。
 敵も。
 ………惚れた女も。
 それぞれの居る場所に。
 帰ろう。
 
「待たせたな」
「………僕も時間が欲しかったから、丁度良いよ。『百地』を………百地の娘を殺すわけには行かないから
 ね。さっきは感情に任せてあんな事言ったけどさ」
「なんでだ?」
「教える義務は無いよ。………最終決戦だしね。お互い」

 ああ、そうだな。
 取り敢えず………まだまだ問題は山済みなんだが。
 お前を倒しておかないと、先に進めないからな。

「道阿弥衆総帥、山岡影友………今、俺の的と認識する」
「僕は最初から思ってたよ。君は僕の敵だ。それも最大のね」
「なら………」
「そうだね……………」

 二人で同じモーション!

 ばしゅ。

 二人の中央で、青白い光が上がる。
 同時に投げた飛針同士が反応して、燃え尽きた結果だ。
 やはり、装備してたか……。
『楯岡』特製の飛針。
 初めて会ったあの時、道路上で破裂した飛針を見てそう予想していた。
 何故だかは解からんが、同じ飛針を持っている、と。

「行くぞ、『楯岡』!」
「応!」

 影友が、腰の大刀を抜く。
 俺は鶚から鉤爪を突出させる。
 もう戦いの合図は、上がっているのだ。
 青白い火花によって。



          END





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